表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/198

事実

翠明が皇子の対へと入って行くと、綾と緑翠が庭から帰って来て、掃き出し窓から入ってくるところだった。

庭へ出ておったのかと見ていると、綾が頭を下げた。

「お早いお越しでしたこと。もっとお時間を過ごされるのかと思いましてゆっくりしてしまいましたわ。」

翠明は、綾に手を差し出しながら言った。

「今参ったところよ。夜には宴の準備もしてくれておるそうな。主も共に出ようぞ。」

綾は、にっこりと微笑んだ。

「まあ。ならば持って参った、この間作らせてくださった着物を。楽しみですこと。」

綾は、龍王妃と仲が良いので、龍の宮から贈られて来た美しい布を、翠明が命じて仕立てさせたところなのだ。

今でも大概美しい綾だが、あれを羽織っただけでも相当に美しかったので、翠明は逆に心配になった。ここの臣下がとちくるったりしまいか。

「あまり気合いを入れずで良いから。主は美し過ぎるし、皆が呆けて宴にならぬやもしれぬではないか。」

綾はびっくりした顔をしたが、翠明がどこまでも真剣なのを見て、思わず笑った。

「まあ、翠明様ったら。我ももう良い年でありますから。ご案じにならぬでも。」

しかし、それには緑翠が隣りで首を振った。

「なりませぬ母上。ご油断なさっては。我はこれまでに母上ほどの貴婦人を見たことはありませぬゆえ。お姿は容易にさらされてはならぬかと。」と、翠明を見た。「父上、本日は大きめのベールをご用意された方がよろしいかと。こちらの臣下達は、母上のような美しいかたを見たことがない者が多いのです。間違いがあってはなりませぬので。」

翠明は、大真面目に頷いた。

「ならばそのように。」と、綾をせっついた。「さあ綾、話は終わったか?とにかくは、侍女に申して装いを考えねば。龍の宮からの布を使った物は、やはり後日の方が良いのではないか。」

綾は、翠明に引っ張られて歩き出しながら、顔をしかめて言った。

「お二人とも、そのようにご心配なさらずとも…。東には、もっと高貴に美しい方々がそれは多いのですわ。我などそのように特別なものではないのに。緑翠も、一度龍王様の宮へ参って見たら分かりまするわ。困ったこと…。」

それでも、そのまま翠明に促されるままそこを出て、歩いて行った。

緑翠は、その背を見送って、ホッと息をついた。本当に、母ほど美しい神など居ないのに。ご本人はどれほどに己を分かっておられぬのか。

緑翠はそう思いながらも、自分も宴の席へ出なければならないので、その準備をしようと着物を選ぶために納戸へと歩いて行った。


準備された客間へと向かう道すがら、綾は、ふと足を止めた。

「どうした?」

翠明が、回廊の真ん中で立ち止まった綾に、振り返って言った。綾は、扇を開いて顔を半分隠しながら、言った。

「…お庭へ出とうございますわ。」

翠明は、驚いた。緑翠と歩いておったのではないのか。

「今庭から帰ったばかりではなかったか?」

綾は、じっとその美しい紫の瞳で、じっと翠明を見上げて言った。

「あちらは北、今ございますのは南でありますわ。どちらの宮でも、北は落ち着いた趣でありますけれど、南は華やかなもの。我はこちらも見とうございます。」

翠明は、戸惑った。

「だが…宴の仕度もあるのだ。この空の様子だと、あと二時間ぐらいしかないのだが。」

綾は、それでも断固として言った。

「今!参りたいのですわ。」

綾は、言い出したら聞かない。

仕方なく、翠明は後ろをついて来ていた侍女達を見て、軽く会釈した。侍女達は翠明に頭を下げて、先に客間の方へと向かって行く。

翠明は、それを見送ってから綾の手を引いて、そこから外へと促した。

「さ、では参ろう。だが、長くはならぬぞ?それなりの仕度をせねばならぬし、時が掛かるのは主の方なのだからの。」

綾は、翠明だけになったので扇を下ろすと、息をついた。

「…なぜに我が、何度も庭へ出たいと申すのか察してくださいませ。(まつりごと)の事などなら気取るのが早いおかたなのに、我の言わんとすることを分かって下さらぬなんて。さ、お庭へ。侍女が居っては支障があるからああ申したのですわ。」

翠明は、今度は察した。

「…緑翠のことか?」

綾は、何度も頷いた。

「はい。部屋で準備をしながら話せるようなことではありませぬ。侍女達が軒並み聞いておりますでしょう?さ、お庭へ。」

翠明は、綾にせっつかれて急いで庭へと出た。確かにそうなのだが、そんな込み入ったことを緑翠は言ったというのか。

翠明は一気に心配になったが、それでも綾に聞くよりないので、綾の手を引いて、幼い頃よりよく知っている定佳の宮の南の庭へと歩き出した。


綾の手を引いて歩いて行くと、綾は、扇で顔を隠したまま、あちらこちら見回し、そうして、立ち止まった。

「この辺りがよろしいかと。」

翠明は、緊張気味に立ち止まり、頷いた。

「して、あれはどうしたと?何か申しておったか。」

綾は、じーっと翠明を見つめた。

「何を聞いても、あの子を否定なさらぬと思うからこそ我は翠明様にお話ししようと思うたのですわ。翠明様には、定佳様のことはよくご存じであられまするわね?」

翠明は、少し退き気味に頷いた。

「知っておる。それこそまだ宮の中を這っておるような時から、あやつとは面識がある。父王同士が仲が良かったので、子を連れてしょっちゅう行き来しておった。」

綾は、頷いた。

「それで…定佳様は、翠明様を思われた時期があられたと。」

翠明は、目を見開いた。

「まさか定佳は、緑翠に何か?」

そういう目で見ないと言ったから、信じておったのに。

しかし綾は、鋭い目で首を振った。

「いいえ。お話は最後までお聞きくださいませ。」

翠明は、綾の強い様子に慌てて答えた。

「成人した頃のことぞ。我はもう譲位されておって、定佳も譲位を控えている時だった。気軽に宮を行き来するのもこれが最後かという時に、あれは安芸と甲斐と共に我が宮へ来て、そこで、皆の面前で申したのだ。我は、嫌な気はせなんだが、定佳をそんな目で見た事など無かったし、そもそも我ら王であるからそれは無理だろうと思うて、断ったのだ。前に話した通りぞ。まあ後に聞いたところによると、安芸は定佳が慕わしいと思うておったらしいが、定佳はそれを知らなんだゆえ嫌がっておったようよ。そんな戯れは嫌だとか言うて。」

綾は、慎重に頷いた。

「聞いておりますわ。定佳様は美しいお顔立ちで穏やかなお気質であられるし、安芸様のお気持ちも分からないでもないですわ。」

翠明は、顔をしかめた。

「定佳はならぬぞ。あれは女には興味がないのだ。主がいくら美しいからと…」

綾は、呆れたようにそれを遮った。

「なぜに我が今さらに他のかたを。翠明様、そのようにお考えになるのなら我は本気で怒りますけれど。」

翠明は、慌ててブンブンと首を振った。

「本気ではない!一応言うてみただけぞ。」

綾は、頷いてずいと翠明に顔を近づけると、小声で言った。

「…幼い頃より我が育てておって、緑翠のことは我はよう知っておりまする。ですが、翠明様に言うておらなんだことがございます。」

翠明は、途端に不安になって、同じように小声で答えた。

「何ぞ?」

綾は、じっと翠明の目を見つめて、頷いた。

「あの子は、幼い頃よりいつもいつも、憧れるのは軍神達でありました。最初、男の子特有の憧れであるのだと思うておったのですが…しばらくして、それが違うのだと気付き申しました。」

翠明は、一瞬黙った。

それは、どういうことだ。緑翠は、幼い頃から軍神になりたかったと?だがそうではなくて、何か、別の…?

「…それは…。」

翠明は、考えた。綾は何を話していた。定佳のことでは無かったか。定佳が、翠明を想ってそれを告げて来た時のことを話してから、今の話。ということは、もしや…。

「…緑翠も?」

綾は、そうであって欲しく無さそうな翠明に、大きく一つ、頷いた。

「はい。定佳様と、同じなのですわ。あの子は、男神以外には興味を持ったことがありませなんだ。どんなに美しい女神を見ても、それを美しいと評価するだけで、心は動いておりませなんだ。」

翠明は、今知った事実に茫然とした。とはいえ、そう言った神も居るし、むしろ男女どちらでも良いという神も多い世なので、それが悪いとは思わない。だが、王となるとまた苦労するのでは。

「そのような…では、また定佳のように世継ぎに苦労することになるのでは。ならば、我が宮で第二皇子であった方が、あれも余計な懸念を背負い込まずで良かったのでは…。」

綾は、翠明に息をついて、首を振った。

「それは、次の話でありますわ。また、紫翠に子が出来た時にこちらへ迎えたらよろしいのです。兄弟なのですから、此度よりすんなりと事は運びましょうほどに。そんなことではありませぬで、あの子は…今、悩んでおるのは、定佳様を慕わしいと思うようになってしもうたからですわ。」

翠明は、今度こそ仰天して息を詰めた。定佳を…?!

「て、て、定佳を?!」と、言ってしまってから、慌てて声を落とした。「…もしや、だから養子になるのを嫌がっておるのか。」

綾は、深刻な顔で頷いた。

「はい。親子になどなっては、定佳様にそれこそ思いを伝えることも出来ぬからと。元は、同じ趣向を持つ者同士、相談に乗ってもらえると思うてこちらへ参ったようでしたが…あの子は、昔からあのように、穏やかで芯の強いかたを慕わしいと思うようでしたので。我も心地は分かるつもりでおりまする。」

翠明は、困った顔をした。そうは言ってもややこしい事になる。定佳もそれを分かっているから、ああして自分にそんな目で見ていないと言っていた。定佳はそういうところが誠実なので、それは恐らく真実だろう。だとしたら、緑翠がいくら思っても、定佳は応えないということになる。

「困ったの…先ほど、そのような話をして参ったばかりなのだ。」綾が驚いた顔をすると、翠明は続けた。「何しろ緑翠は一人前の姿になっておったし、もしや定佳があれに懸想などと思うて、聞いてみた。あれは、我の子であるしそのような目では見ておらぬと言うておった。定佳はそういうことに関しては誠実であるから、恐らくそれは真実ぞ。緑翠が今、定佳に思いを告げたとしても、あれは応えない。というか、応えることが出来ぬのだ。我への対面もあろうし…何より、神世に何と申すのだ。それはもちろん、何も言わずで良いだろうが、しかし臣下からどこかへ漏れることも考えられるし…。緑翠がもし、この先妃を娶っても良いという心地になった時、相手が二の足を踏むまいか。」

綾は、大きなため息をついた。そして、扇を下ろすと、言った。

「…先々の事まで申しておっても始まりませぬわ。これは、政務とは違うのです。神の心というものは、予想の付かない動きを致します。最初我を面倒だとお思いだった翠明様にも、最後にはその面倒を引き受けようと思うてくださった。誰もそんなことは思いもせなんだのです。心とは、そういうものでありますわ。」

翠明は、そう言われてそんなものか、と思った。確かに自分も、綾のことは最初最悪な印象から始まったのに、最後にはその幸せを願い、哀れに思うて自分が面倒を見る事にした。それが、今はこれより慕わしい女など、世には居ないと思うほどだ。

翠明は、渋々ながら頷いた。

「そうよな。我は、あれのが幸福であればそれで良い。それに、我が友もぞ。孤独であるのは間違いないのだ…あれを慰める者が、側に居たらと我だってずっと思うて来た。緑翠にそれが出来るなら、これよりのことはないのだ。確かに、神世の対面など二の次よな。」

綾は、それを聞いてパアッと明るい顔をした。翠明の心の優しさに賭けて言ったことだったが、やはり翠明はそう思ったのだ。

綾は、嬉しそうに扇を上げて微笑むと、翠明に身を寄せた。

「翠明様は大変にお心の広い優しいかた。我は、いつだってお側に居てそれを信じて参りましたわ。やはり、そのようにお考えになってくださいますのね。」

翠明は、驚いたがその肩を抱き、言った。

「だが…どうしたものかの。今も言うた通り、定佳は己を律するのが上手い男ぞ。一度決めておるからには、緑翠が申しても恐らくは断ろうな。困ったもの…少し、時をくれぬか。」

綾は、頷いた。

「はい。緑翠は、覚悟を決めたと申しておりました。ここを去る事になろうとも、このまま心にわだかまりを持ったままここに居るのは耐えられぬようでありまする。何か我に出来ることがありましたなら…申してくださいませ。」

翠明は、考えながら頷いたが、もはやあまり綾の言葉を聞いてはいなかった。定佳と緑翠。別に翠明はそれでも構わなかったが、それでも定佳はどう思っているのだろう。緑翠の気持ちになど、恐らくは全く気付いてはいないのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ