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皇子

翠明は、定佳と話に花を咲かせていた。

最近の西の島は、穏やかで過ごしやすいが、そう思っているのは翠明以外の王達ぐらいらしい。

翠明自身はその平穏を何とかして維持しようと、日々必死に軍神を使って情勢を監視し、東からの知らせなどにも逐一目を通し、会合を開いてそれは毎日必死にこなしているのだそうだ。

こうして時が出来たのも、綾が臣下に緑翠の様子を見に参りたいと直接に申し入れて、二人の皇子を産んでいる綾の地位は正妃であることを差し引いても充分に高かったので、臣下も時を空けぬわけには行かなくなり、やっとのことで出て来られたとのこと。

綾も、今では南西の宮でかなりのやり手であるようだった。

「昔なら考えられぬことよな。」定佳は、クックと笑って言った。「妃の言いなりではないか。とはいえ、此度は我も助かるものよ。あれから緑翠は何も言わぬしよう精進しておるが、心の中で複雑な思いを抱えておるのだとしたら大事にならぬ間にと焦って来ておったからの。ここ一年半ほどで、よう育っておるだろう?身も大きゅうなったし。」

翠明は、それには頷いて同意した。

「ほんに見違えたわ。紫翠はあれより少し小さいぐらいなのだぞ。ここへ来て緑翠の方がよう育っておるようで。我があのような感じであったから、緑翠は我の方に多く似ておるらしい。」

定佳は、首を傾げた。

「いや…我もそのように思うておったのだが、ああして並んでおるのを見ると、やはり綾殿にも似ておるわ。いつなり紫翠と共であったし、あれと比べたらどう考えても緑翠は主に似ておるから、そう思うておっただけのようよ。口元と鼻筋が、綾殿にそっくりだと思うた。あとは軒並み主であるがな。」

翠明は、笑った。

「我らの子であるのだから、あちこち似ておってもおかしゅうないわ。」と、ふと、表情を曇らせた。「その…それで。我から見ても、緑翠は大層美しくたくましく育ったものだが、主は、あれを見てどう思う…?」

定佳は、チラと翠明を見た。翠明の顔は、案じているようにこちらを見ている。定佳は、それを見てフッと表情を緩めると、言った。

「それは、もちろんあれほどに凛々しく育っておるのだ。頭も良いし気立ても良い。我だって惹かれることもあろうの。だがな、あれは主の子であってそのようには見ておらぬ。我だってそれぐらいの良識はあるつもりよ。いくら美しゅうても、主だって己の娘に手を出そうとは思うまい?」

翠明は、戸惑いがちに頷いた。

「それはそうだが…しかし、あれは我の子であって主の子ではないし。」

定佳は、首を振った。

「ない。我らのような性癖を持っておるとの、相手に無理強いしようなどということは考えぬのだ。こちらは本気で慕わしいと思うておるのに、もし相手が否と申して更に嫌われるようなことになったらどうする。我は、神世の王の方が余程乱暴であると思うぞ?己が欲しいと思うた女は、相手の同意が得られぬでも襲って己の妃にして当然だと思うておろう。我らは違う。そのような形に囚われぬ代わり、相手の心が欲しいと望む。ゆえな、我らは基本穏やかぞ。受け身である方が多いわ。女にとっては、我らの方が恐らくは安心な神であると思うぞ。」

翠明は、顔をしかめた。

「そのような…我だってそんな婚姻は望まぬわ。綾は合意の上で娶ったし。略奪など乱暴なことはせぬよ。」と、息をついた。「すまぬ。別に疑っておるのではないのだ。緑翠自身、別に両刀使いでも構わぬし、あれの好きなようにしたら良いなあと思うておるが、如何せんまだ子供で何も知らぬからと思うて。主に、何か話しておるだろうかとか。本日見たらあのようにいきなり身が大きくなっておって、よう考えたら我はそういうことを何もあやつに教えずにこちらへ来させたと思い出してしもうて。」

定佳は、片眉を上げた。確かに次の王になるような教育はしているが、そういう教育はまだやっていない。

早いと思っていたからだ。

「…確かにな。そういう教育はしておらなんだわ。閨の巻物も、確かにまだ見ておるような歳ではないわな。」

閨の巻物とは、神世の家に伝わるいわば性教育の巻物で、それには夜の褥での何某かが書かれてあるのだ。主に男子に引き継がれ、成人したら読むようにと渡されることが多かった。ちなみに女子は、母や侍女、乳母から教わることが多かった。

翠明は、息をついた。

「そうなのだ。神としての基本的なことを教えずにこちらへ来ておるし、我も案じておる。まだ養子にはしておらぬようだし、こちらの家の巻物を読ませるより、我の方が良いか。」

定佳は、少し考えた。

「そうよな…別に養子にしても良いのだが、むしろ臣下達はそうして欲しいと言うておるぐらいなのだが、緑翠自身が嫌なようで。我は無理強いはしとうないから、やはりそういうことはそっちの方が良いかもしれぬ。あくまでもこちらの跡継ぎであるが、そちらの皇子という形の方が、あれもいつなり帰れると少しは気が楽なのだろう。」

翠明は、それには少し、困った顔をした。

「あれはこちらの皇子になったようなものではないか。我が申して、正式にこちらに移す方が良いのでは。」

定佳は、翠明にすぐに首を振った。

「ならぬというに。我は良いが、緑翠がいやがるのだ。もう少し育てば、考えも変わって参ろうし。まだ若いのだ、気長に見てやれば良いわ。」

翠明は、渋々ながら頷いた。

「主がそう申すなら。しかし、あまり甘やかせるでない。あれも、そろそろ自立した心を持たねばならぬ。あれだけ体が大きくなったのだ、成人を待たずともしっかり育てておかねば…女どもも、かしましいのでは。」

それには、定佳はため息をついた。確かに、最近侍女達がうるさくて仕方がないのだ。ここへ来たばかりの時はまだ少し幼い風だった緑翠が、最近では凛々しく逞しく育ったことで、訓練場なども盗み見ている女がそれは多い。

今はまだ居ないが、そのうちには緑翠の部屋へと忍ぶような女も出て来るかもしれないのだ。

未来の王が、簡単に妃などを娶っていては、物凄い数の妃になって対応が大変になる。そこは、しっかりと教えておくより無いようだ。

「…わかった。確かにの。そろそろ教えておかねば、何も知らぬで女などに忍ばれたら大変なことになろうしな。では、そちらの教育も臣下に申し付けておく。」

翠明は、真顔で頷いた。

「頼んだぞ。紫翠など綾がさっさと教えておいたようで、女に関してあっさりしたものよ。何しろあの容姿であろう?早うせねば面倒な事になると、綾が先に手を回しておいたらしい。やはり子育ては、女の方が優秀よな。」

定佳は、肩をすくめた。

「確かに敵わぬわ。それに、綾殿は大変に優秀な妃であって母であると思うぞ?緑翠の書を見て我ら仰天したわ…臣下など、こんな文字があったのかと呆けてしもうて大変であった。母に指南をと緑翠は申しておったが、我もそこは緑翠に教えを受けておるぐらいぞ。」

翠明は、それには何度も頷きながら、言った。

「綾はなあ、ほんに美しい手であってな。それを教えられて育った皇子達と皇女、それに妹の眞子は、それはそれは美しい文字を書く。それぞれに違った型であるのに、それがまた美しいのだ。眞子などそれで嫁ぎ先が決まったほどよ。我など恥ずかしゅうて皆の前で字など書けぬわ。」

少し、不貞腐れている。定佳は笑って翠明の肩を叩いた。

「案ずるな、我だって同じ。教わってもこの歳になるとなかなかに手など変えられぬものぞ。それでも翠明、主の手は何やら懐かしいと感じて我は好ましいぞ。そのように卑屈になるでない。」

翠明は、恨めし気に定佳を見た。

「優秀な妃を持つのも、心に重いのだぞ?分かっておるか、定佳。」

定佳は、うんうんと頷いた。

「分かっておる。だが今の主には必要な妃よ。」と、空を見た。「…そろそろ、緑翠の所へ参った方が良いのではないか?いつまでもここで居っては、緑翠も何の話かと訝しむかもしれぬし。また宴の準備をさせておるから、夕刻には話そうぞ。」

翠明は、空を見て時刻を知り、ハッとして立ち上がった。

「そうよな。主と共だとつい長話を。」と、足を戸へと向けた。「すまぬな、定佳。久しぶりにゆっくり出来ておるわ。」

定佳は、頷いた。

「我もよ。また後でな。」

そうして、翠明は勝手知ったる定佳の宮の中の、皇太子の対へとさっさと向かって行ったのだった。

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