理由2
綾は、ため息をついて緑翠に向かい合った。
「母が分からぬとでも思うたのですか。父上には全く分かっておりませぬけれど、あなたがおかしいと聞いて、我にはすぐに分かり申したわ。あなたは昔から、あのようなかたを好いて目で追っておったもの。それが側近くに過ごして、そう思うわぬはずはないと思うたの。定佳様が同じ趣向であられるのだから、あなたも申し上げてみたら良いのに。確かに、今のお立場もおありでしょうけれど…それでも、あなた自身のことを考えたら、そうでなければ先へ進めませぬ。」
幼い頃からこの母は、自分が恋する相手が男だと知っていた。女には興味を示さず、男の軍神達ばかり目で追っているのも。それでも咎める事も無く、恋と申すものは秘めるものであるから、そうそうあからさまに相手に好意を示したら嫌われてしまうのよ、と教えてくれた。それは、相手がどう返すのか分からない状態で、緑翠を傷つけられないようにと、綾なりに考えた方法だったのだろう。それなりに育てば、いつ申したら良いのか機を掴めるようになるから。それまでは、良い印象を与えるように、己を高めることに時を使うのよ、と綾は常に言っていた。
なので、緑翠は、慕わしいと思うようなことがあっても、まだ機ではないのだからもっと自分を高めようと、一生懸命だった。そんな緑翠を母は暖かく見守ってくれた。
そのうちに、成長して自分の好みが少数派であることが分かった。どちらでも良いという神は多いが、男で男だけに興味を持つ者は少ない。
…だから、母はあのように言うたのか。
緑翠は、母に感謝した。そのお陰で心に余計な傷を負わずに済んだ。
自分でそういうことに気付いた頃に、定佳がやって来て、王座の話になった。そして、定佳が自分と同じなのだと知った。どうしたらいいのか、相談するのにもって来いの神に会ったのだ。これからの自分には、絶対に必要な神だと思った。その神が、自分を跡継ぎとして育ててくれると言うのなら、これよりのことは無いだろう。
なので、母に相談することもなく、定佳の宮へ行こうと決めたのだ。
母にも、それは分かっていたのだろう。
「…我は、浅はかでございました。」緑翠は、下を向いたまま答えた。「あのかたの側に居れば、何くれとなくご相談できると、安易に思うたのでございます。我と同じであられる定佳様に、話を聞いてもらえると。そうして、その定佳様の助けになるならと…愚かでありました。」
綾は、フッと肩の力を抜いて、ため息をついた。
「なぜに?良いではありませぬか。定佳様は確かにあなたが大変によう努めておるから、臣下も自分に婚姻を強いる事も無くなり、楽になったと申されておったのですよ。何よりお側に居るのだから、お話も聞いてもらえましょうに。」
緑翠は、首を振った。
「母上、ですがこのままでは、臣下達は我を定佳様の養子にと考えておるのです。定佳様は、我がそれを嫌なら無理強いはせぬとおっしゃって。どうやら、父母と縁が切れるのを嫌がっておるのだと思うておられる様子。しかし我は…ただ、定佳様と親子になどなりとうなかった。」
緑翠は、目に涙を溜めた。綾は、そんな緑翠の、背を撫でた。
「緑翠…。ですが、どうあってもあなたがたは婚姻は出来ぬのです。神世の取り決めでは、誰を愛していようと誰を相手しようと構わぬのですけれど、婚姻というのは、子を成すことを前提に行われる取り決め。人世などでは生涯を共にするというような意味あいらしいですけれど、神世では必ずしもそうではなく、ただ世話をするという意味あいでありまする。そこに、愛情などなくても良いという考えです。愛することと婚姻は、別ものであると考えるべきなのですよ。あれは、ただの契約であり、とかく神世ではその取り決めがあるからと愛情があるとは限りませぬ。我と父上は確かに愛し合っておりますけれど、このようなことは稀なのですわ。」
緑翠は、それにはすぐに頷いた。
「分かっておりまする。そのような形を望んでおるのではありませぬ。共に居る事に、契約より心を求めるのは、我とて変わりませぬ。しかし…親子となると、いくら血が繋がっておらぬからと、もう、定佳様にはそのような目では見て頂けぬでしょう。そうなった時のことを考えると、我は胸が苦しくなり申して…。」
綾は、息をついた。
「確かに…。ならば、やはりあなたの口から申すのですわ。どう考えられるかは定佳様次第でありますが、それでも…父上の、お子であるから。ご遠慮なさる可能性もあるわね。」
それには、緑翠も肩を落として頷いた。それを考えて、どうしても言い出せなかった。
「…はい。我もそのように。定佳様は父上とご親友であられるし、その子である我に、そのような目で見ることなど罪だと思われておるやもしれぬから。ですが、我はこのままではこちらで気を入れて努めることもできませぬ。もしそれで…破談になったとして宮へ帰されても、我は、仕方がないかと最近では何度も思うて、打ち明けようかと悩んでおったのです。」
綾は、この今では自分より大きな息子を見上げて、考え込んだ。この子には、幸せになってもらいたい。そのために、自分には何が出来るだろうか。
「…ならば、我が父上に事情を申しましょう。」綾が言うのに、緑翠は不安げに綾を見た。綾は続けた。「父上は、大変に理解力のある寛大なかた。ご親友のことも、よく理解されてここまで参られたのです。己の子がそうだからと、今さらに取り乱すことなどありませぬ。先に言うておけば、もし定佳様があなたを受け入れてくださったとしても、定佳様が己の好みだけで、あなたに気持ちを押し付けておるのではないのだとご理解なさるでしょう。とにかくは、しばし待つのです。我が、こちらへ居る間に、少し父上と話して根回しを。その後、あなたはあなたの言葉で定佳様にお話をしてはどう?」
緑翠は、期待を込めて綾を見た。実は、父のことを案じていた…いったい、自分の皇子がこのようだと知ったら、どう反応するのか案じていたからだ。しかし、母が話してくれるのなら、恐らくは父も聞いてくれるだろう。
後は、自分の問題なのだ。思い切って、拒否されるのを覚悟で定佳に気持ちを打ち明けるしかない。
何しろ、定佳は折々に、父代わりなのだから、と言っていた。そんな意識で見ていたとしたら、そんな子供に慕われたからとそんな対象には見られないかもしれない。
それでも、緑翠はこのまま定佳の側に、黙って控えているのは苦しかった。それほどまでに、毎日定佳のことばかりを目で追ってしまうのだ。
緑翠は、綾に頷いた。
「はい。母上、お手数をお掛け致します。本当なら、父上には我から申し上げるべきなのでしょう。ですが、同じ男であるし、父上にもどのように思われるのか分からぬで。我は、覚悟を決め申した。この宮を去る事になろうとも、このままじっと耐え忍ぶぐらいなら、定佳様に打ち明けたいと思いまする。」
綾は、フッと表情を緩めると、フフフと笑った。
「勇気のあること。母は誇らしいわ、緑翠。慕わしいかたに己から気持ちを打ち明けるのなど、それは身が竦む思いでしょうに。いろいろと、障害のある恋ならば尚の事。応援しておるわよ。母は、いつもあなたの味方であるのです。」
緑翠は、そう言ってそれは美しく笑う、綾に感謝した。この母であったから、ここまでこうして大きく傷つくことも無く生きて来れた。これから先も、何かあるかもしれない。それでも、母を思えば乗り越えられる。
そう、いつでも、自分を愛し尊重して、助けてくれようとする命があるのだという事実が、自分を強くするように思えた。




