生い立ち2
螢は、嘉韻に頼んで汐と面会させてもらった。
宮の牢につながれた汐は、もはやおとなしく座っていた。
同じように務めを果たして居なかった者達は、同じようにこの牢に繋がれているのだが、汐は螢が話したいと言ったから、軍神に引き出されて別の部屋へと連れて来られていた。
汐は、格子が付いた牢の向こうで、螢と向き合っている。
汐が言うには、嘉韻から命の保証はないと言われたらしい。
最悪、外に放り出されるのだと思っていた螢には、衝撃的なことだった。
汐は、もう最後かもしれないと、これまでのことを、ポツポツと語った。
螢は、本当に汐の息子だった。
行きずりに見つけた女を手込めにして、放って置いた後に、しばらくして思い立って同じ場所へと行ってみると、その女神は死んで野ざらしになっていて、それにすがる螢を見つけたのだという。
同じ気を持つことが見えた汐は、それが自分の息子なのだとわかったが、子など面倒を見たこともない。
だが、じっと自分をすがるように見つめる螢を放って置くことも、汐には出来なかった。野ざらしになっていた女を穴を掘ってその辺りに埋め、そこを立ち去ろうとしたのだが、螢が必死について来て、自分を見上げて縋るようにしている。その瞳に自分の幼い頃を見て、ついてくる螢を追い立てることも出来ず、ただ連れ歩いていたのだという。
そんな時に、仲間のはぐれの神達から月の宮の噂を聞いた。
家族を持ち、それを大切にしていた神は、皆そこへ召し上げられて裕福に暮らしているのだと。
汐は、ふと思った。そういえば、この前襲った集落の中の女が、ちょうど自分の子を身籠っていた。
面倒だしこれまで世話をすることもなかったが、あれを連れて出て面倒を見ていたら、もしかして自分も月の宮に行けるのではないか、と。
そうして、訳が分からず抵抗するその女をさらってきて、そうして小屋を見付けて養った。
つまり、螢も郁も、汐の腹違いの息子で間違いがなかったのだ。
そもそも、息子だと嘘をついても、気の色を見ればすぐにわかる。
それなのに月の宮の軍神達が何も言わなかったのは、二人が間違いなく汐の血をひいていたからなのだ。
そうして、ここへ来て、汐はこんな夢のような場所があるのだと舞い上がった。
言われたことをこなしてさえ居たら、誰かに襲撃される危険もなく、住む場所にも困らず安心して温かい場所で眠ることが出来る。
神世のことを学ぶのは面倒だったが、それを知ることで生きて行く術が手に入るなら、努めようと必死だった。
自分の屋敷だと与えられた場所も、女や子を置いておくだけで特に面倒を見なければならないこともない。
これほど恵まれた場所は、無いと思っていた。
だが、しばらくして、同じように女をさらって来て面倒を見て、何とか月の宮へ潜り込んだ男が、働く自分達に仕事を任せて自分はあちこちで女に通ったり、好き勝手しているのを見つけた。
それでも難なく誰に咎められることもなく生きているのを見て、自分も働いているのが馬鹿らしくなった。
まだ体は小さいが、螢も郁も軍で努めてそこそこ役に立っている。
あの屋敷を維持するなら、あの二人がそうして働いていれば十分だった。
そう、自分の屋敷からは、あの男の三倍働いているのだ。それなのに、同じ待遇なのはおかしいではないか。
そして、汐は働かなくなった。最初は、もしかして自分だけ放り出されるのではと懸念していたが、他の者達が代わりにやっていたので特に問題はなかった。自分の屋敷からは、螢と郁が仕えているんだ。だから自分は、働く必要はないのだ…。
段々に、それが普通になって来て、最初感じていた罪悪感も遠くなって行った。
そうして、ある日、久しぶりに見た酒に歓喜して、それが螢と郁の働きに対する褒美だと知っていたが、どうせまだ子供である二人には飲めないものなのだ。自分のための酒なのだとそれを煽った。
そして、気が大きくなった汐は、あの時螢と郁を相手に、暴れ回ってしまったのだ。
「…やっと手にしたきちんとした宮の軍神という地位を、オレは軽んじていた。このまま生き延びて外へ放逐されたとしても、オレはもう、あんなところへ帰りたくない。ゆえ、もうここで死ぬしかないと思っている。他の連中は逃げようと考えているみたいだが、オレはもういい。」
螢は、汐が実の父としてはあまりにも何もしていない男だったが、それでも生きて欲しかった。何より、自分がこうしてここまで生きていられたのは、汐が螢を側に置くことを許していたからだった。ほとんど世話などされては居なかったが、それでも着るものぐらいは持って来てくれた。暑さ寒さの気遣いなど全くしてはくれなかったが、どうすれば獣を狩れるのか、どうすればその毛皮を剥げるのかも、教えてくれたのは汐だったのだ。
なので、螢は言った。
「我が、嘉韻殿にお頼みする。郁にも話して、二人で。本当の父上なのだ、我らはそれぐらいのことは、やるゆえ。」
螢がそう訴えると、汐は驚いたような顔をしたが、息をついて首を振った。
「嘉韻殿の話を聞いておらぬからぞ。厳しい話であった。恐らく、誰も生き残れまい。何しろ、あの西の観が王に入れ知恵しているらしい。岳が来ると聞いた。」
それを聞いた螢は、震え上がった。観…はぐれの神の中では、その名を知らぬ者は居なかった。強大な力を持つ獅子の末裔。あの辺りを根城にしていたはぐれの神達が、自分に従わぬと見ればすべて殺して一掃してしまった。あの辺りに住んでいたはぐれの神は、誰一人として観に逆らって生き残れなかったのだ。
岳は、そんな観に拾われた結構な気を持つ元はぐれの神で、岳の放浪していた間もその名を知らぬものが居らぬほど、残忍な男で有名だった。
幼い頃から、観や岳の姿を見たら、必ず隠れよと教わっていたのだ。
「そんな…岳が来るなど…。」
螢は、絶望的な気持ちになった。岳が来たら、恐らく皆殺しにされる。誰も、生き残れない…。
他の捕らえられたはぐれの神達が、逃げ出そうと必死になるのも道理だった。
岳は、急に顔を険しくすると、声を落とした。
「父上、ならば他のはぐれの神がどう逃げ出そうとしておるのか、ご存知か。」
汐は、驚いた顔をした。螢が、突然に大人びた顔をして眉を寄せているからだ。しかし、戸惑いながらも、頷いた。
「我も誘われておるから。だが、我は逃げても同じだと思うておる。ゆえ、あれらと共に行くつもりはない。」
螢は、うるさそうに首を振った。
「そういうことではないのだ。父上、生き残るのです。我と郁が生きておるのは、どんな形にしろ、父上が我らをここへ生きて連れて参ったから。なのでその権利があると我は思う。しかしその代わり、父上はこれから、どんなお立場になろうとも真面目に努めて参るとお約束を。次は、我らも見捨てるゆえ。」
汐は、訳が分からないながらも、頷いた。
「どういうことだ?我に、どうせよと。」
螢は、ずいと汐に寄った。そうして、険しい顔のまま、言った。
「我に、そやつらの計画をお話ください。今、ここで。我は、それを嘉韻殿に申して、父上の助命嘆願致しまする。」
あれらを売れと言うのか。
汐は、愕然と螢を見つめた。曲がりなりにも、ここへ来てから共に切磋琢磨した仲間だったのだ。それを、己の命のために売れと。
だが、それしか方法が無いのもまた、確かだった。
「…もう、自分の命のことは諦めておる。あやつらは、諦め切れぬから逃げようと思うておる。我はそれを、止めたくない。」
螢は、イライラと首を振った。
「止めるのではない。止めるのは父上ではない。我が。父上には生きて償いを。あれらの中には子も居らず、本当の子でない者を世話しているふりをして、ここへ潜り込んだ輩もたくさん居ります。自分が通った女が連れていた子だから世話をしていた、とか言うて。そんな男だから、他の女に通い放題で、無責任に放置しておることもあるのです。あれらは、父上の罪以上のものを背負っておって、我から見てももう無理だ。だが、父上はまだ希望があり申す。父上、申すのです。あれらの計画を。あんな者達など、どうせ岳に殺されるのだ。逃げ切れるとも限らない。ならば、ここで利用するまで。」
汐は、迷っていたが、それでも螢の強い調子に押されて、そうして、他のはぐれの神達の、脱走計画の全貌を話したのだった。
螢は、それを嘉韻に話した。
汐から聞いたのだと説明し、汐は逃げるつもりなどないと必死に言った。そうして、これを知らせた見返りとして、せめて命だけは助けてほしいと訴えた。
螢から詳しい話を聞いた郁も、嘉韻を前に必死に頼んだ。まだ体の小さな、真面目に努めている二人に懇願された嘉韻は、それを、王の蒼に報告し、判断を仰いだ。
蒼は、汐の釈放を許した。
そして、計画が漏れたことで逃げ出すことが出来なかった他の神達は、そのまま岳の前へと引き出されて、そうして、螢が懸念した通りに、申し開きをする時間さえ与えられずに、皆殺しにされたのだった。