表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/198

定佳の宮では、緑翠がそれは真面目に努めて、今では臣下のことも知らぬ者など居なかった。

ここへ来てまだ一年だったが、定佳が政務をしている間も、じっと脇に立ってその様子を見て、怖いほど真剣に聞いていた。

領地も翠明の領地と接している所から、徐々に視察に出掛けては配下に抱える傘下の宮々の王達に、緑翠の面通しをし始めていた。翠明ほど多くは無い。翠明の傘下の宮は50もあるが、定佳の傘下は15なのだ。

あちらで翠明の政務を僅かながら見ていた緑翠なので、恐らくはこっちの15ぐらいはすぐに覚えるだろうと思っていたが、定佳がどこへ視察に行こうと緑翠に言っておくと、臣下をせっついてその宮の詳細を書いた書物を出させ、しっかりと予習してあった。

それほどにやる気な緑翠だったので、訓練場へも政務の合間を縫って通っていた。

普段は軍神筆頭の兵馬とひたすらに立ち合っていたが、定佳も一生懸命な緑翠のために、度々訓練場には顔を出して見てやることにしていた。

そんな必死な緑翠であったが、あくまでも定佳の跡を継ぐ神であって、定佳の養子という立場ではなかった。

そういう風に正式に決めてしまっても良かったのだが、もし緑翠が嫌になってしまった時、帰れるようにと定佳は考えたのだ。

そんな毎日を過ごしていたその日、定佳は珍しく政務も終わり、自分の居間でのんびりとしていた。

前まではうるさかった臣下達が、もう何も言って来ることが無くなった。それが何より、自分の心を軽くして穏やかに過ごすことが出来ていた。

これも、緑翠がここに来てくれると決断してくれたからだ。

定佳は、緑翠に感謝していた。来てくれただけではなく、来た当初からそれは優秀でよく学び、その勤勉な様子はさすがに翠明様の御血筋の皇子よと、皆に言わしめた。

いつ生まれるかも分からない定佳の皇子より、確かな血筋の優秀な皇子である緑翠の方が、安心だという雰囲気が宮を占めるようになり、いつしかなんとしても定佳の子をという臣下も、一人も居なくなっていたのだ。

翠明に似ていながら綾にも似て、それは整った顔立ちの緑翠は、品も良く、綾に教育されたのか動きも東の神達のように洗練されていて、侍女侍従達にも受けが良かった。

定佳は、もう何も心配することは無いのだ、と、庭を眺めながら一人、和んでいた。


すると、遠く何かの気を感じた。

「…?」

定佳が目を凝らすと、どうやら緑翠が、今日は甲冑も着けず着物姿で、一人庭の、池の端に佇んでいるのが見えた。

その様子は、いつもの快活な様子はなく、何やら物思いに沈んでいるような様だ。

定佳は、何かあったのかと急いで立ち上がると、窓を開けてそちらへと足を踏み出した。


側まで近付いたが、緑翠は気付く様子もない。

こうして見ると、まだ20年を過ぎたばかりの緑翠は、凛凛しい顔立ちではあったが、幼かった。

それでも、同い年の神の中に入れば、背も高いし大人びていた。

そんな緑翠だったが、こうして池の方向を見てじっと何か思い詰めた様子なのを見ると、何やら守ってやりたい心地になった。

翠明の幼い頃には確かに似ているが、こちらはもっと自分を律している強さを感じる。その張りつめた様子には、確かに定佳も少し、案じてはいたのだ。

何にしろ話を聞いてやろうと、定佳は後ろから声をかけた。

「緑翠。」

緑翠は、ハッとしたように顔を上げた。

そして振り返ると、慌てて頭を下げた。

「定佳様。」

定佳は、言った。

「ああ、そのようにかしこまらず。主が珍しく一人で居るので。どうした?何かあったか。」

緑翠は、それを聞いて身を震わせた。そうして、目を上げると、その目はみるみる潤んで来ていた。定佳は、やはり何かあったのかと続けた。

「我は主の父代わりのようなものぞ。何でも申せば良い。どうしたのだ。」

緑翠は、ふるふると唇を震わせていたが、下を向いた。

「…我は、こちらで王座に就く自信が無くなり申しました。定佳様のお側近くに行けるならと、安易に考えて参ったのです。ですが…我は、浅はかでした。」

定佳は、困ったように目を細めた。確かに緑翠は、何度も立ち合いの指南を受けたがっていた。ここへ来れば、指南を受け放題だと深く考える事もなく受けたのだろう。

「主はよう努めておる。まだここへ来て1年であろう?何があったか知らぬが、今しばらく様子を見てはどうか?あれほど伸ばしたいと思うておった立ち合いの腕も、今伸び盛りで良い感じではないか。いずれは帰るにしても、今少し精進した後の方が主のこれからにも良いのではないのか。」

緑翠はそれを、黙って聞いていた。しかし、言った。

「ですが…このままでは我はこちらの皇子になるのではないでしょうか。定佳様のお子として、神世に告示されるのでは。それも近いと、佐門が申しました。」

定佳は、心の中で舌打ちをした。恐らくは誉める意味合いで佐門はそう言ったのだろうが、いきなり本当の父や母から引き離されて縁も無くなると思えば、それは幼い緑翠には酷なことだろう。

なので、言った。

「案じることはない。我は主が望まぬのに養子にしたりせぬから。そのためにこうしてわざわざ跡継ぎとして告示したに留めておるのだ。佐門が申すは、臣下の願いぞ。主が優秀であるから、何としてもこの宮に留めたいと考えての事であろう。我は、そこまで考え無しではないからの。」

緑翠は、顔を上げた。目に涙を貯めてはいたが、何か強い意思を感じる。

まさか、帰ると決めたか。

定佳は思ったが、それも仕方がない事だ。もしそうなら、とりあえずは帰して、また根気強く交渉するしかないだろう。

しかし、緑翠は言った。

「我は、帰りとうありませぬ。」定佳がびっくりしていると、緑翠は続けた。「ですがここに留まるには、定佳様のお子になるしかないのかと、そのように思うて…。」

定佳は、首を振った。

「今も申したように、その必要はないし、我は主の意思を尊重すると申したではないか。誠の父母から引き離して縁を切れなどとは言わぬから。」

緑翠は、黙った。そうして、じっと下を向き、またあの決意に満ちた色はその目から消えて行った。何にしろ考え直してくれたのかと、定佳が思っていると、緑翠は、ポロポロと涙を流し始めた。

定佳は、驚いて急いで緑翠に歩み寄り、その背を撫でた。

「一時にいろいろな事をさせてすまぬな。主がようできるので、我も急いでおったようよ。そのように嘆かずとも、しばし休むと良い。一度母の顔を見にあちらの宮へ帰るか?それでも良いぞ。」

父の翠明は頻繁に様子を見にやってくるが、綾は来たことがないのだ。1年も経てば、そろそろ母が恋しくなってもおかしくはない。

定佳はそう思ったのだが、緑翠は首を振った。

「いいえ!我は…子供ではありませぬ!」

そう言い置くと、緑翠はぐいと自分の涙を袖で拭って、宮の方へと飛び出して行ってしまった。

定佳は、困って立ち尽くしていた。子育てなど、したこともない。確かにあのくらいの年齢の神を、子供扱いするのは良くなかったかもしれない。

だが、訳が分からず、とにかくは緑翠の心情を何とかしなければと、定佳は急いで部屋へと戻り、翠明に文を書いたのだった。


翠明は、ため息をついた。手には、定佳からの文がぶら下がっている。

綾が、椿の部屋から戻って来て、言った。

「何やら定佳様から私的な書簡が参ったとか。緑翠は元気でおるのでしょうか?」

それを聞いて、椿の書の指南をしていたのに途中で戻ってきたらしい。

翠明は、渋い顔をした。

「何やらふさいでおるようよ。母が恋しいのではないかと、定佳が言うて参った。だが、本人は子供ではないと機嫌を悪うしたとかで、定佳は言い方を間違えたと困っておるようよ。どうしたものか…一度こちらへ戻るように我から申した方が良いか。」

綾は、ジーッと文を見てから、考えて、首を振った。

「いえ。我には心当たりが。良ければ翠明様、我を次に定佳様の宮へ参る時に、あちらへお連れくださいませ。」

翠明は、驚いた顔をしたが、頷いた。

「それは良いが…主、いったい何を?」

綾は、翠明を見つめて言った。

「いずれお話しますけれど、それは緑翠の口から語らせまする。我は母であるので、あの子のことは幼い頃よりよう知っておりまするゆえ。とにかくは我が話を。あの子と二人きりになれるよう、計らってくださいませ。」

翠明は、確かに小さな頃から紫翠より緑翠に何やらいろいろ教えて側に居ることが多かったな、と思いながら、綾に子育てを任せていたのだから、綾に頼むしかないだろうと、定佳に近々綾を二人でそちらへ参る、と返事を書いた。

紫翠も案じていたが、確かに緑翠は母が好きで、よく側に居て、話をしていたものなのだ。恐らくは、何かあればずっと綾に相談していたのだろう。子ども扱いされるのは嫌かもしれないが、それでも綾が行くことで、事態が少しは好転したら…と、翠明は期待していたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ