跡目
炎嘉に第一皇子が生まれたことは、すぐに神世に告示された。
どこの誰が生んだのかは誰も知らなかったが、王がどこかで子をもうけて来るのはよくある事だったので、特に誰もそれには触れなかった。
ただ、それが間違いなく次の王だろうと、誰もが疑わなかった。
炎嘉には、他に皇子が居なかったからだ。
とはいえ、それまでは前世の皇子であった炎託の子である炎耀がその地位に就くと思われていたので、跡目争いが起こるのではないか、と密かに思われてはいた。
炎嘉の迅速な告示により第一王位継承者は炎月に決められたので、炎耀は第二王位継承者に格下げになった。
元々、鳥の宮の皇太子が住む対を許されては居なかったので、もしかしてとは思っていたが、炎嘉に認められようと必死に努めていた炎耀にとっては、あまり面白いことではなかった。
既に炎月には、生まれたばかりだというのに皇太子の対が準備され、侍女も20人控えて炎月の帰りを待っていた。
乳母は、炎月の母が居るという、月の宮に行っているが、半年ほどで戻る予定だった。
臣下達も、何度も月の宮へ足を運んでは炎月に目通りし、そのしっかりとした顔に皆、涙を流して喜んでいた。
炎嘉の、最も近しい血の子が本当に生まれたのだと、誰もがお祭り気分で宮も浮き足だって大変な様だった。
そんな、もう炎耀の事など忘れたかのような様に、炎耀はただ、必死に努める意味を見失いそうになっていた。
そんな中、数ヶ月が過ぎて、炎嘉に居間へと呼ばれ、炎耀はそこへと赴いた。
「…炎耀。座るがよい。」
炎嘉は、正面の椅子に座って言った。炎耀は深々と頭を下げてから、炎嘉の目の前の椅子へと腰かけた。炎嘉は、それを見てから、続けた。
「炎月のことで、話しておかねばと思うてな。あれは、もう来月早々にこちらへ引き取る予定よ。生まれた時からしっかりとした顔つきであったが、今は我が今まで見た赤子の中でもかなりの賢しさ。もう言葉を理解しており、いくらか発する。まるで、維心の子を見るような様ぞ。」
炎耀は、驚いた。まだ半年ほどにしかならぬのに?
「…それは、何よりでございます。」
炎嘉は、炎耀がそう答えたのに、真顔で頷いた。
「我はあれに王座を譲る。維心の子と対等に渡り合えるのは、あれしかないと思うておるからだ。我は一族最強の鳥であって、その我の最も近しい血であるから、信頼しておるのだ。だが、炎託もそうだった。我に近く、我は本当ならあれを王座につけたかった。なので世が世なら、主がその次の王であっやもしれぬ。だが、気の色や大きさを見ても、主は炎託や我より僅かに劣る。やはり、炎託であっても我にはかなわなんだのだから、当然なのであるが、炎月は違う。もしかしたら我より強い気を放つようになるやもしれぬ。あれの母は、それは稀少な血筋であって、それも道理なのだ。なので主は、炎月を補佐して努めてもらいたい。いつか必ず、炎月が主を助ける時が来る。それを信じて、主は臣下としてあれに仕えるのだ。わかったの。」
そんな小さな赤子が、我を助ける…?
炎耀は思ったが、それでも今は炎嘉に逆らうことは出来ない。
なので、頭を下げて言った。
「はい。元々ははぐれの神であった我でありまする。母の身勝手で生まれた命。多くは望みませぬ。」
炎嘉は、じっと炎耀の気を探っているようだったが、頷いた。
「良い心掛けぞ。とは言うて母の血筋のせいではない。生まれ持った気の力の問題ぞ。やはり強い血を持つ母からは、強い気の子が生まれるのは確かであるが、これも運。箔翔など人から生まれておる。史上最強の神と言われた前世の維心だとて、人の女から生まれておるしな。その命に持った力の差よ。」
そう言われても、炎耀は納得は出来なかった。だが、ここで何を言っても、恐らく自分のひがみにしか聴こえないだろう。
「…はい。」炎耀は言った。「命に持ったと言われたら、そうなのかもしれませぬ。我は前世のことなど覚えてはおりませぬが、誰かに仕えるのが定めならばそう生きたいと思います。」
炎嘉は、頷いた。
「…では、戻るがよい。」
炎耀は、頭を下げて出て行った。炎嘉はその後ろ姿を見送りながら、息をついて言った。
「…聞いておったのだろう?碧黎よ。」
すると、目の前にスーッと碧黎が現れた。
「知っておったか。」
炎嘉は、碧黎を軽く睨んだ。
「主の気配は月の宮へ通うようになってようやっと気取れるようになったわ。して、何用よ。」
碧黎は、床へと足をついて立つと、炎嘉を見た。
「探りに参ったのだ。炎月は維月の子でもあるし、それなりに良い気を持って生まれておるからの。あれが虐げられて育てられるのは本意ではない。こちらの状態を主がきちんと整えておるのか偵察よ。」
炎嘉は、フンと鼻を鳴らして肘をついた。
「で?どうであった。」
碧黎は、すぐ答えた。
「良うないの。」炎嘉は、眉を寄せる。碧黎は続けた。「主も気取ったであろうが。炎耀は炎月を心から受け入れては居らぬわ。臣下は皆今か今かと待っておるが、炎耀はそれが気に入らぬのだ。主は炎月を跡継ぎにすると告示するのが早過ぎた。炎月は間違いなく王の器。放って置いても己の力でその座を勝ち取ったであろう。それなのに主が、あのように赤子で炎月自身がどうしようもない時期に、さっさと告示した。主、誠にここに炎月が居る間、ずっと見ておれるのか?責務にかまけておる間に、あれがおかしなことを吹き込まれたり、危害を加えられたりしたらなんとする。焦り過ぎぞ。」
炎嘉は、イラッとしたようで碧黎を睨みつけた。
「あれに危害など加えさせぬわ!我の今生ただ一人の子ぞ!」
「維月との、な。」碧黎は、言った。「気持ちは分かるが、事この事に関して主は正常な判断が出来ておらぬ。炎月が大事なのは分かるが、急ぐあまり時期を見誤っておる。あれが己で己の面倒を見れるようになってから、ここへ迎えるべきぞ。」
炎嘉は、分かっていた。分かっていたのに、炎月の事を思って焦っていたのだ。もし、自分に何かあったらどうする。今そうなったら、炎月が幼いので炎耀が王に立つ事になる。そうなったら、炎月は赤子ゆえに追いやられ炎耀が子を成せばそちらが鳥の王となるだろう。鳥としての力もそうだが、炎嘉の思い入れが、炎月に強いがために急いだことだった。
「…我が今、世を去ったらなんとする。炎耀が王座に就くのではないのか。そうなった時、炎月はどう扱われるのだ。力が強くなるは生まれ持った気を見れば分かる。炎耀は、王座を追われることを恐れて、炎月を遠ざけるだろう。いや、殺すかもしれぬ。そうして、自分に子が出来れば、その子を王座に就けるだろう。我は…それが案じられてならぬのだ。」
碧黎は、それをじっと聞いていたが、フッと息をついた。
「…主はまだ死なぬわ。維心と同じように、寿命を切っておらぬからの。よっぽどヘマをして、この間のようなことが無い限りはであるが。」
炎嘉は、苦々し気に言った。
「何があるか分からぬ。今のように平穏に行くとは、誰も分からぬではないか。あれだって我は、死のうと思うてああなったのではないわ。」
碧黎は、答えた。
「あれは闇であったからよ。そうでなければそうはならぬ。主は本来、簡単には死ねぬ命なのだ。」と、息をついた。「とにかく、炎月はここへ来させぬ。まだ半年にしかならぬ赤子。賢しいとはいえまだ、充分に動き回ることも出来ぬ。気を制御するのも難しい。10年は育てねば今の様子では無理。己の足で立ち、己で充分に動け、それなりの発言が出来るまで、待つが良い。」
炎嘉は、首を振った。
「ここへ一刻も早く連れて参って我が育てると決めた!我の子ぞ、主に口出しはさせぬ!」
碧黎は、首を振った。
「我の娘、何よりもかけがえのない命である維月の子ぞ。主の扱い次第ではあれには主のことを話さずに育てる。父などなくても子は育つわ。何なら月の宮の軍神にしても良い。王の手本が要ると申すなら維心に代わりをさせても良いぞ。己の不手際でこのような環境にしおったくせに、口出しさせぬとはよう言うたことよ。」
碧黎がそのまま出て行こうとすると、炎嘉はその背に叫んだ。
「碧黎!」碧黎は、足を止めた。「待て、ならばどうすれば良いと申すのだ!」
碧黎は、ため息をついて炎嘉の方へと体を向けた。
「今言うた。10年待て。それまであちらへ通えば良いわ。維月も里帰りして参るし、会えぬ事も無い。あとは乳母と月の宮の侍女で育てる。もしくはこちらで選んだ侍女が居るならあちらへ送って来れば良い。十六夜も我も、子を育てた経験があるし、蒼も居る。あちらで己で太刀打ちできるように育つまで、我らが面倒を見ようぞ。赤子の炎月を、今の状況でこちらへ連れて参ることは出来ぬ。否と申すなら、あれは居らぬものだと思えば良い。あちらで我ら不死の命があれの寿命まで面倒を見ようぞ。」
炎嘉は、去って行こうとする碧黎に、慌ててその袖をつかんだ。
「10年も?!せめて5年に。維心の孫である明蓮はまだ5年でもそれなりの様であった。5年にしてくれ!」
碧黎は、しばらく眉を寄せて考えていたが、息をついた。
「…では、5年。その時炎月の様子を見て、それで帰せるかどうか、我が決める。それで良いな?」
炎嘉は、何度も頷いた。
「それで良い。その代わり、何度も我は月の宮へ参る。我が父なのだと、あれに真実思うてもらいたいのだ。離れておっては、そのような心地も育たぬかもしれぬ…。」
碧黎は、スッと炎嘉から袖を離すと、言った。
「来るのは止めぬ。毎日でも来れば良い。現に維心はこの一年、毎日月の宮へ来ては朝方帰る日常を送っておったわ。我は咎めぬ。ではな。」
そうして、碧黎はその場から消えた。
炎嘉は、何としても月の宮へ通い続ける、とその時心に決めた。