初見
定佳が宮の回廊を出口に向けて歩いていると、正面からは相も変わらずそれは美しい紫翠と、少し背丈が低い翠明によく似た青年の二人が、甲冑姿で歩いて来た。
相手はこちらに気付くと、足を速めた。
「定佳殿か?久しくお会いしておらぬで…壮健であられたか。」
紫翠の方が言った。定佳は頷いた。
「ああ。主らは、訓練場の帰りか。」
紫翠は、頷いて隣の青年を見た。
「緑翠が申すので指南を。昔は定佳殿がようお相手してくれたが、我もそれなりに立ち合えるようになったので。」
これが緑翠か。
定佳が思っていると、緑翠は頭を下げた。
「…初めてお目にかかります。緑翠でありまする。」
頭を下げる緑翠に定佳は会釈を返した。
「大きゅうなったの。赤子の時には見掛けておったが、紫翠と違って主は綾殿といつも一緒におったゆえ。きちんと対面したことがなかった。」
紫翠は、言った。
「定佳殿、もう父上のご用は終えられたか?もし良ければ我らにご指南頂けまいか。定佳殿とは父上でもなかなかに勝てぬのだと申されておったし、このような機会もそうない。」
定佳は、眉を上げた。
「それは良いが…主ら、今帰って来たばかりであろう?疲れておるのではないのか。」
すると、緑翠が言った。
「疲れてなどおりませぬ!」その声の必死さに定佳と紫翠も驚いて見ると、緑翠は少し、恥ずかしげに下を向いた。「その…兄上にはなかなか勝てぬから…。」
悔しいのだろう。
定佳は、その気持ちはわかった。自分も翠明相手にむきになっていた頃がある。今では対等かそれ以上になったが、あの頃は年上の翠明に、必死に食らい付いていたものだ。
なので、苦笑して頷いた。
「ならば、参ろうぞ。我が主に教えてやろうの。精進すれば、きっと兄に追い付く事が出来ようぞ。」
そうして、三人は訓練場へと足を向けたのだった。
翠明は、定佳がまだ宮に居て、皇子達と訓練場で立ち合っているのを気取っていた。
恐らくは緑翠がどんなものか見ているのだろうと思っていたが、西の島の王が勝手に来て勝手に宮の中をうろうろするのは慣れていたので、特に気にしていなかった。
それよりも、今は緑翠のことだ。臣下達を緊急に召集して、定佳の提案を話し、意見を聞いていた。
「王…願ってもない事でございます。」新光が言った。「定佳様はよくご存知であられるのです。あちらは三代前の定宝様から軍神家系であって、王族の家系ではあられませぬ。こちらはその昔から変わらぬ王のお血筋。ゆえに王のお子を次の王に立てようと思われておるのです。あちらも王のご傘下に入るとなれば、ますます我が宮は安泰かと。公明様がいくら力をお持ちでも、次の代でこちらが蔑ろにされることは無くなりまする。今のままではいくら紫翠様が優れた王であられても、公明様の生まれ持たれた気の大きさと、長年王座にお座りになっておるご経験には敵わないかと思うて案じておりました。緑翠様が定佳様の領地を継いでいらしたら、それよりのことはありませぬ。」
他の臣下も、頷いている。翠明は、考え込みながら言った。
「…とはいえ、定佳にも今はああ言うてはおるが、もしかしたら子が出来るやもしれぬだろう。そうなった時、緑翠は廃嫡となるのではと、恐れておる。それに、紫翠に何かあったらと思うと、今すぐ手放す気持ちにもなれぬし…。」
新光は、ずいと顔を近付けた。
「王、そのようなご心配までしておっては、機を逃してしまいまする。紫翠様に何かおありになるなど有りようはありませぬ。それでもご心配ならば、またお作りになればよろしいのです。我らがお止めせねば、もっと出来ておった次第であるのに。今はまた良い乳母の候補も育っておりまするゆえ、今ならばまた幾人かお生みになっても大丈夫でございますから。とにかく、このお話はお受けになるべきでございます!」
新光は、鬼気迫る勢いでそう言った。確かに翠明もそう思うのだが、本当にあちらの領地をこちらで管理するような、そんなこちらの都合の良いことで良いのだろうか。定佳が、守って来た土地なのだ。それを、自分の子が横取りするような、そんなことで本当に良いのか…。
翠明は、迷っていた。
奥へと戻ると、綾がいつものように出迎えてくれた。今は皇女の椿も乳母が面倒を見ているようで、ここには居ない。翠明は、綾にも、定佳からの申し出のことについて、話した。
「…どうしたものかの。主は、己の子があちらの養子になって王座についても良いと思うか?」
綾は、真面目にその話を聞いていたが、翠明に逆に聞いた。
「王は、どうお考えでいらっしゃいまするか。」
翠明は、フッと肩の力を抜いて息をついた。
「我は…確かに、宮にとってはいい話だと思う。だが、あちらまで我の血筋が治めるとなると、こちらの力が強くなり、定佳が折角に守って来た土地が、我の血筋の物になる。我としては、あれの子が継いで、我が子と仲良く西の島で各々の領地を統治してくれれば、その方が良いと思うておるのだ。」
綾は、じっと翠明の目を見て言った。
「…確かに、それが一番かと我も思いまする。ですが、定佳様には…今お話しくださった通り、妃を娶られるお気持ちになれぬのでしょう。女にご興味が無いのに、ただ血筋を遺すためとお相手を探されるのも、酷な事ではないかと思うのです。」
翠明は、綾がもっともなことを言うのに、仕方なく頷いた。
「その通りよ。だが、男同士ではどうにもならぬ。こればかりはの。我は…あれが、我の子をと申して参るのに、戸惑っておって。別に、子が多いのは甲斐も安芸も同じ。あちらの皇子は確かに主が育てたこちらの皇子よりは劣るやもしれぬが、その選択肢もあったであろう。なぜ、こちらなのだと…。」
翠明は、もしかして、と思っていた。もしかして定佳が…。
綾は、息をついて、言った。
「…王は、定佳様が未だ王を思うてらして、そうしてこちらの御子を己の跡目に着けよう、王のお力になり、王が良いように世を回そうとしていらっしゃるのではと、思うておられるのではありませぬか?」
翠明は、綾がズバリと己の考えを言い当てたので、驚いて目をぱちくりさせた。綾は、翠明のその様子を見て、ふうとため息をついた。
「やはり。いえ、我は、そうは思いませぬ。定佳様が王をご覧になる時、そのような、情愛を持っているような気は感じませぬから。あれは、友愛でありまする。今は友として王をご覧になっているという、定佳様の御言葉に偽りはないかと思われまするわ。」
翠明は、それでも言った。
「ならば、なぜにあれは我に言いに参った。我の子は、確かに己の子とは思えぬほど優秀よ。だが、それだけでなく、もしあれの中に我への気持ちがあって、そのためにこう申して来ておるとしたら、我はあれの気持ちを利用して、己の領地を広げ、宮を安泰にしたいとは思わぬ。我は、あれには応えられぬのだ。それなのに…そのような。」
綾は、苦笑して翠明を見上げた。
「翠明様。女として申しますが、男のかたが思うほど、女は長く一人を思うておるわけではありませぬわ。一度思い切れば、もう忘却の彼方になって、その存在すら忘れてしまうもの。世の男性は皆、一度己を好きになったら、ずっとそのままだと思うておるようですが…女は、違いまする。」
翠明は、驚いた。
「主、では我のことも?」
綾は、首を振った。
「翠明様のことは、今現在も慕わしく想うておりまする。我は翠明様を思い切ろうなど思うたことはありませぬから。定佳様のことですわ。女の我と同じように申すのはおこがましいのですけれど、きっと定佳様は、王のことはもう、思われておりませぬ。今はただ、女を相手にさせられるのが嫌で、それから逃れたい一心で、友に助けてほしいと申し出て来られただけかと思いまする。あちらの臣下とて、こちらの皇子ならば、定佳様の御子でなくとも納得しましょうし。何しろ、西の島筆頭の宮の、皇子なのですから。安芸様の皇子も、甲斐様の皇子も、それはそれなりでありましょうが、我が宮の皇子達に比べたら、評判は下がりまするし。我は、あの二人に誇りを持っておりますの。」
綾は、胸を張った。確かに、宮へ迎えるならば、少しでも優秀で、強い力の持ち主を選びたいと思うもの。翠明の宮は、今はこちらの筆頭なのだ。
翠明は、綾を見つめた。
「では…定佳は、我に助けてほしいと言うておるのだな?臣下から、跡継ぎをと突き上げが厳しいようであった。今ここで、我が緑翠をあちらへやると決めたなら、あやつも楽になろうか。」
綾は、翠明の手を握って、何度も頷いた。
「はい。ご案じなさいますな。御子が必要と申すなら、我が幾人でもお生み致しますから。臣下が反対して産めずに居たのに、新光はこうなると産んで良いとか申しておるのでしょう?」
翠明は、それには渋い顔で頷いた。
「乳母が足りぬだ侍女で奥がいっぱいになるだ煩う言っておったのにの。」と、綾の肩を抱き寄せた。「では、緑翠をあちらにやる段取りをしようぞ。本人にも聞かねばならぬ。そうして…いつになるか分からぬが、あやつを定佳の宮へ。宮同士の話し合いへと進めるように申す。」
綾は頷き、翠明はすっきりとした気持ちで指示を出した。定佳の事は、大切な友だと思っている。あれが助けてほしいなら、助けてやらねば。




