定佳
東の月の宮ではそんな面倒くさいことになっていたが、西の島では皆、今では平穏に回っていた。
公青の中央の宮でも、今は無事に公明が代替わりしてやっている。公青は背後で指示はしているが、今は表に出て来ることもなく、完全に自分の手を離れる時が来るように、公明を教育していた。
翠明は相変わらず大きな気のまま、真面目に東と行き来しながら統治していた。
紫翠が思ったより優秀で真面目だったらしく、翠明はその様に辟易しているようだ。この前も、いきなりに龍の宮へ向かったと思ったら、明蓮と共に月の宮へ移り、しばらく勉強だの闇退治だのに努めていたらしい。
定佳には皇子は居なかったが、安芸がそれを聞いて羨ましがっていた。何しろ安芸の皇子は大変にやんちゃで、宮でじっとしているのを嫌い、まったく勉学に興味が無いのだそうだ。あのままでは愚かな王になると安芸は嘆いていたが、そもそも自分達だって皇子であのぐらいの歳の頃は、勉学などしなかったのだから、己の子がそんなに優秀になるはずもないと思っていた。
だが、定佳には妃が居なかった。
長くお互いに独身で居たのに、安芸も翠明もあっさりと妃を娶り、次々に子を成した。
甲斐も、あんな風だが一番早くに妃を娶り、そうして子が出来てそれは妃と子に執心で、呆れていたほどだった。
そうして定佳は、たった一人、妃を持たない王になってしまっていた。
今日も、筆頭軍神の兵馬と共に訓練場で汗を流してから居間へと帰って来ると、重臣筆頭の佐門が追って入って来て、言った。
「王、今日こそ絵姿をご覧になってはくださいませぬか。安芸様にご無理を申してあちらの領地内の美しい娘を探して参りましてございます。どうか、そろそろお一人だけでも妃を娶って頂いて…」
定佳は、鬱陶しそうに手を振った。
「ああうるさいの。今は疲れておる。」
ほんに毎日毎日。
定佳は、もううんざりだった。だからといって、臣下が言っていることも分かるのだ。次の王を残して欲しいと思っているのだろう。だが、自分などそう大きな力の王ではないし、翠明に皇子が二人いるのだから、もし自分が誰も残せなかったら、そちらから一人、こちらにもらい受けることが出来ようほどに。
そんな風に考えていた。
「王、どうか。王がご興味がないのは我ら分かっておって申しておるのです…どうしても、本当にたった一人でよろしいので、王のお子を。そうでなければ、我ら王がいらっしゃらなくなった後、どうやって宮を維持して参ればよろしい事か…。」
定佳は、息をついた。
「我はの、もう子は諦めておる。どうあっても妃など欲しゅうないから。翠明に子が二人居ろう。跡が継げるのはたった一人、ならば一人をここの王として迎えたら良いのではないかと思うておる。そうしたら、ここは翠明に守られるし、独立性も守られるしの。」
佐門は、それを聞いて見る見る目を見開いた。王…まさかそこまで考えて…。本気でいらっしゃるのだ…。
「…王、そこまで…どうあっても、御子は作られぬと…。」
定佳は、椅子の背にもたれかかった。
「我は、王の中でもそう力の強い方ではないし。ここの王と申して、絶対に我の血筋で無くても良いと思うているのだ。我が曽祖父が、そうであろう?」
佐門は、頷いた。王の御血筋が絶えてしまい、その当時軍神筆頭だった、定佳の曽祖父が王座についた。その後、その子である定佳の祖父が王になり、次にその子が王になり、そして、その子であった定佳が王になりと継いで来た。最初から、王の血筋であったのではなかったのだ。
だからこそ、定佳は血筋にこだわる考え方はしない。翠明の皇子がここへ来て自分の跡を継ぐなら、それで宮が維持されるから良いと思っているのだ。
佐門は、息をついた。
「王がそこまでお考えでいらっしゃるのなら、我らももう申しませぬ。ですが、具体的な取り決めは、王がお元気なうちに済ませておいていただきたいのです。そうでなければ、王が不在にあって面倒なことになりまする。こちらの領地は、曲がりなりにも西の島で二番目に大きなものなのです。普通の神には統治出来ませぬ。御子様のうちから、こちらで育てておかないことには…。」
定佳は、頷いた。確かにその通りだ。世継ぎの皇子として育てられるのと、第二皇子として育てられるのでは全く意識が変わってしまう。
「…では、まだ先のことかと思うておったが、一度翠明に打診に参るわ。こちらで言うておるが、あちらは否と申すかもしれぬしな。明日参ると、翠明に知らせを送って置いてくれ。」
佐門は、神妙な顔で頭を下げた。
「は…。では、御前失礼致しまする。」
佐門は、もはや覚悟を決めたような顔をして、定佳に頭を下げて、そこを出て行ったのだった。
翠明は、定佳からの打診に快くいつなり来ればいい、と返事をくれた。
あんなに大きな気を身に着けて、この西の島で敵う者が居ないほどの力を付けている翠明だが、自分達安芸、甲斐、定佳のことは兄弟のように接してくれていた。幼い頃より、一緒に来たからというのもあるからだろう。
なので定佳は、兵馬を連れて、二人だけで南西の宮へと到着した。
翠明が、出迎えに出て来てくれていた。
「久しぶりだの、定佳よ。ここのところ我も忙しゅうてなかなかに皆で会合を開けぬでいたが、調度今時が出来たところだったのだ。」
定佳は、笑って言った。
「まるで龍王のようだぞ?翠明よ。毎日どれほどに忙しいのよ。我など毎日訓練場で汗を流して退屈を紛らわせておるわ。」
翠明は、奥へと顎を振った。
「とにかく参れ。話を聞こうぞ。何やら臣下が堅苦しく大事な話がどうのという書状を送って来ておったが、何ぞ?うちの椿はまだ小さいゆえ、そちらの妃には無理だと先に言うておくがな。」
定佳は、苦笑した。まだあのように幼い娘など。
「無い。案じずとも…我は、昔から変わらぬから。」
翠明は、横を歩きながら、少し黙って、心配そうな表情をしたと思うと、言った。
「…そうか。やはり主はそのままか。」
定佳は、頷いた。
そのまま、黙って奥へと向かうと、翠明の居間へと足を踏み入れた。そこには、それは美しい綾が居て、頭を下げて皇女を連れてそこを出て行く。
それこそが、恐らくは自分達ぐらいの歳の王の、奥宮の普通の様子なのだろうが、定佳は昔から、そんなものを想像したこともなかった。
翠明が奥の椅子へと座り、定佳は、手前のその正面に向く椅子へと座る。翠明は、黙っていた口を、開いた。
「…のう、ならばどうするのだ。今は思う者が居るか?」
定佳は、苦笑して首を振った。
「いや。我が初めて想うたのは確かに主であったが、今は友でしかない。主は、別に我はどちらでも良いが、王であるから妃を娶って跡を遺そうと考えておるし、同じ王である主とは無理であるな、とあの折申しておったな。その通りになったの。」
翠明は、息をついた。
「…我は、確かにどっちでも良いのだが、やはり女の方が良いようよ。綾を娶るまで、もしかして我とて誰も愛せぬかと思うたものだったが、綾は慕わしく思う。主とて、もしかしてそういう相手に出会っておらぬだけではないのか。」
定佳は、苦笑した。そうであって欲しいという、翠明の願いを感じた気がしたからだ。だが、定佳は首を振った。
「いいや。我は、あれから慕わしいと思うた神が幾人か居ったが、皆男であったわ。軍神達の中であったり、臣下であったりの。だが、我は王であるから、あちらもこちらが求めれば断ることは出来まいが。ゆえ、秘めておったの。まあ、一人は側に置いておった…そやつはどちらでも良いという性質であったから。それで、臣下達も我の好みを知ったのであるが、どうしようもないわな。あやつらは跡継ぎが欲しいのであって、我の相手が欲しいのではないからの。結局はその男も、臣下達に引き離されてしもうたし。我が一人でも妃を娶ったら、それでも良いと佐門は言うたが、それだけは無理であったしな。」
翠明は、それを聞いて心底案じる顔をした。この顔は、見たことがある…昔、翠明を好きになり、思いつめた様で、それを告げた時だ。
翠明は、笑い飛ばすこともなく、真剣に聞いてくれた。そうして、ああ言ったのだ。そうか、王同士では無理なのだと、あっさりと考えることが出来たものだった。
安芸も、近くに居たのでそれを知っているが、安芸はこう言った…だったら主、我はどうよ?我は男を相手したことがないし、主なら美しいから試してみても良いかもしれぬ、と。
しかし、いくら男が好きだとはいえ、誰でもいいわけではない。
なので、安芸は粗暴だから無理だと答えたら、何ぉぉぉ?!と結構怒った。翠明と甲斐が止めようとして、結構な騒ぎになったものだった。
そんな安芸も、ああして妃の尻に敷かれて平和にやっている。
自分だけが、置いてけぼりにされているような気がした。
「それで、本日来た用事であるが」と、定佳は場の空気を換えようと言った。「翠明、主には皇子が二人居るの。」
翠明は、話題が変わってハッとしたような顔をしたが、頷いた。
「ああ。紫翠と緑翠の二人ぞ。二年しか違わぬので今は同じぐらいに見えるが、紫翠の方が格段にしっかりしておるし、我は紫翠に跡を継がせようと思うておる。あれが第一皇子であるしな。」
定佳は、頷いた。
「それで、頼みがあるのだ。」翠明は、片眉を上げた。定佳は続けた。「我は、これより先も妃を娶ることは無いと思うてる。それに、我だって曽祖父の代に軍神から王に格上げになった王であって、それほど強い気を持つわけでもないので、跡を継ぐのも我の子でなくとも良いと思うておるのだ。なので、主さえ良ければ、だが、我の跡を、主の皇子の緑翠に、継がせてはもらえぬだろうか。」
翠明は、目を丸くした。自分の血にこだわらぬと言うか。
「…主、あの北西を我の子に継がせると申すか。」
そうなると、広大な領地を持つ翠明の、次の大きな領地を持つ北西が、翠明の血筋の下に治められることになる。
つまり、島の三分の二が翠明の傘下のようなものになるのだ。
「…それは…臣下は、何と?」
定佳は、答えた。
「我は元々軍神だった家系だと申すに。あれらも、あちらの領地があのまま守られて、王が居るならそれで良いのだ。主の血筋なら、間違いはあるまい。我らと違ってそちらはずっと絶えずに繋がって来た王の血筋。ゆえ、あれらも反対などしようはずもない。なので、この話を受けて欲しいのだ。」
翠明は、しばし黙った。紫翠と緑翠のことは、案じていはいた。同じ皇子なのにも関わらず、紫翠にはこの宮の王座が約束され、緑翠は臣に下る。不満が出ないとも限らず、兄弟で争うようなことにならないかと懸念していたのだ。
しかし、緑翠にも同じぐらいの大きさの宮と領地があれば、そんな心配は無くなるだろう。
だが、簡単に受けるとも言えなかった。万が一定佳に子が出来たら、この話も立ち消えてしまうかもしれないからだ。
そして、考えたくもないが、紫翠に何かあった時、跡を継ぐ緑翠が居なければ、ここは路頭に迷うことになってしまうのだ。
「…少し、時をくれぬか。」翠明は、そう言った。「こちらも考えねばならぬから。主も、もしかして気が変わって妃を娶ることもあるかもしれぬだろうが。考えておくが、今すぐには答えられぬ。」
定佳は、もっともなことだ、と頷いた。
「分かった。だが、我は本当にこのまま、未来永劫変わらぬと思う。ゆえ、頼んだぞ。」
定佳はそう言い置くと、立ち上がった。そうして、翠明の居間を出て行ったのだった。




