七夕3
王達は、先ほどと同じように座ったまま、また何やら話していたが、妃達は庭でおっとりと茶を飲んでいた。
時折応接間の方へ視線を送って己の王が呼んでいないか確めるのは、どの妃も同じだったが、基本こちらは穏やかにしていた。
維月が着物だけでも換えたいなあと重い着物に耐えながら座っていると、悠子が膝元の悠理に言った。
「まあ、落ち着かぬこと。お兄様はあのように座っておるのに、なりませぬよ、悠理。」
確かに、箔炎は金髪金目のそれは凛々しい様で、子供として妃達と居るのは場違いなぐらい落ち着いて座っていた。
悠理は、母に嗜められてその場に直立したが、それでも、維月をチラチラと見ながら、言った。
「お母様、龍王妃様のお着物をお側で見たいのですわ。我は、初めてあのような美しい布を見ました。」
悠子は、仰天したように口を扇で押さえて、急いで言った。
「まあ、なんと不躾なことを。なりませぬ。」と、悠子は、慌てて頭を下げた。「申し訳ありませぬ、維月様。父も王も甘やかせるので、このように…。」
維月は、驚いたが、ほほえましくて袖で口元を押さえて言った。
「よろしいのですよ。まあ悠理殿。そのように申してくださって嬉しいですわ。さあこちらへいらっしゃい。」
悠理は、まるでゴムまりのように軽やかな足取りで維月の側へとやって来た。なるほど、近くで見ると美しくなりそうなそれは愛らしい娘だった。金髪は箔翔にそっくりだったが、目の色は悠子に似て空色だ。顔立ちは聞いていた通り悠子にそっくりで、鷹の華やかな血が混じったので雰囲気は違うが、大きくなったら他の宮の王が求婚して大変だろうと思われた。
悠理は、維月の側まで来たものの、やはり触れるのはいけないと思っているようで、側に立ってもじもじとしている。維月は、微笑んで袖を上げた。
「こちらへ。この袖の刺繍は、我が王の龍身のお姿を模しておるのですわ。美しいでしょう?」
金糸で細かく刺繍されたそれは、維月も見た時大変に気に入ったものだった。本当に維心の龍身そのもので、維心ですらそれを見た時苦笑したものだった。
悠理は、遠慮がちに寄って来て、じっとそれを見つめた。
「本当に美しいですわ…。おじい様やお父様にお願いしたら、このような刺繍をさせてくださるのかしら。」
維月は、フフと笑った。
「まあ。箔翔様も良い職人を抱えていらっしゃるので、きっと大丈夫かと思いますよ。ですが、父上のお美しい鷹の身のお姿は、御母君のお袖に刺繍されるのでしょうね。悠理殿は皇女であられるから。」
悠理は、維月を目を丸くして見上げた。
「お父様の鷹のお姿を、我はまだ見た事がありませぬ。龍王妃様はおありになるのですか。」
維月は、こっくりと頷いた。
「我は、月であるので。先の戦の折、それは美しい金色の鷹であられたのを拝見する機会がございました。我が王がお話しくださったところによると、金色なのは王族の王となる鷹だけであるとか。ですから、お兄君の箔炎殿も、きっと金色の美しいお姿であるかと思いますよ。」
悠理は、箔炎の方を見た。箔炎は、そんな様子を黙って茶を飲みながら見ていたが、茶碗を置いて、言った。
「はい。我も金色でありました。父上にそろそろ鷹として覚醒するように、鷹身になっておいた方が良いと言われて、訓練場で。それを見た佐紀と玖伊が何やら涙ぐんでおり申した。」
正当な跡継ぎであると、それで確認出来たからだろう。
維月は、臣下の気持ちが分かって、微笑んだ。
「ならば箔炎様も、後は鷹を率いて行かれるのですね。このようにしっかりとした皇子がいらして、臣下達にも心強いことですわ。」
多香子が、悠子の袖に軽く触れた。悠子は、頷いて悠理を促した。
「さあ、こちらへ。本来、龍王妃様とそのように気軽に口を利いてはならぬのですよ。大変に高い地位に居られるかたなのですから。」
維月は、扇の下で苦笑した。そんなに身分だ地位だと気にしなくてもいいのに…。
だが、龍王妃としての威厳と誇りは、失ってはならぬときつく維心に言い渡されていたので、黙っていた。
悠理は、可愛らしくぴょこんと頭を下げると、悠子の方へと戻って行った。
維月が居るのを窓から眺めながら、維心が言った。
「此度は翠明も綾にせっつかれて来る予定であったようだが、何やら皇女の椿の具合が悪うなったとか。あれもすっかり子を持つ親よな。」
箔翔は、頷いた。
「翠明とは歳が近いのもあって、我もここのところよく交流しておるのだが、紫翠があまりに賢しくて圧倒されておるよう。箔炎と歳が近いのに、あれはもう、政務のことも立ち合いも意欲的にこなしておるのだとか。箔炎は、最近やっと我の側に立たせて政務を見せておる状態であるのに。」
炎嘉が、それには笑った。
「まだ20ほどであろうが。そのように急がずともまだまだ王座は回って来ぬわ。主がこのように若い王だと言われておる世であるのに。翠明も下からせっつかれて大変であるな。」
蒼が、ため息をついた。
「皇子と言えば新月も…。ずっとこちらでお世話になりっぱなしで申し訳ありません。」
維心は、それにはフッと笑った。
「良い。あれは龍であるしな。あの闇の復活の術の折、月はほとんど失っておるだろう。それが月の宮の皇子と申して奇異なことよ。なので、こちらで我の臣下になっておった方があれにとっても良いのだ。今では、義心、帝羽に次ぐ序列第三位ぞ。他の軍神達にも刺激になろうし、婚姻の際にも相手に困らぬわ。」
蒼は、それでも顔をしかめた。
「オレには扱い切れないかと思うと、息子であるのに複雑です。今の新月に戻ってもらおうとも、もうオレには思えないし。嘉韻が居るのであれが宮で出過ぎることはないかと思いますが、嘉韻もいつまで生きてくれるか、分からないので…。」
言われてみれば、嘉韻も老いが来ていないとはいえ、もう結構な年齢だ。義心ほどではないが、それでもいつ何時老いが来るか分からない。息子の嘉翔が育ってそれなりに役に立っているようだが、やはり嘉韻のように苦労しているわけでも無いので、代わりにはなり得ない。今の月の宮は、次世代が育つために今の軍神達がどこまで待ってくれるかなのだ。
「どこも軍神には困るものよな。」炎嘉が、それには同情気味に答えた。「我が宮も、嘉楠が逝って嘉張が跡を継いだが、嘉楠ほど育つ間もなくであったからの。本人も必死に努めて、それなりにはなって参ったが、まだまだよ。こちらの義心が羨ましい限りぞ。」
維心は、険しい顔をした。
「我とてあれに頼るところが多いゆえ、懸念しておるのだ。息子の義蓮は今の厳しい序列争いの中で、六位に甘んじておるしな。折に触れて指導しておるようであるが、やはり父の能力を全て継いでおるのではないようで。」
観が、ため息をついた。
「それでも、龍の宮には優秀過ぎるほど優秀な軍神達がひしめいておるではないか。我が宮では、筆頭を選ぶのも難しいほど。岳がまだ若いゆえ案じてはおらぬが、あれにも早う縁付けて子をもうけてもらわねば、駿が統治するようになった折、宮が乱れるやもしれぬから。我が宮もはぐれの神の次世代が育っておって、治安もだいぶマシにはなって来たのだがの。」
蒼が、観に言った。
「観殿、主は新しいはぐれの神は、もう受け入れていないのか?そちらとこちらで受け入れれば、結構早くはぐれの神を一掃できるのでは。」
観は、それを聞いて苦笑して、首を振った。
「すまぬが、我が宮は元はぐれの神が九割以上をしめておるのだ。要は我と我が子、我が亡き弟の子、我が妃以外ということよ。かなり間引いたのでものになりそうな者しか居らなんだのだが、それでも身に着いた気ままな生き方はなかなか矯正できぬ。幾らかは死んで次世代を遺したので、それらは我が教育して普通に仕えておるのだが、やっとここまで来たという感じぞ。今さらにまた、大量に宮へとそんなものを受け入れて、乱れる元を作りとうないのよ。もちろん、我だって見回りに出た際に良さそうな神がおったなら、拾うことはある。岳がそのうちの一人よ。だがの、主も今実感しておるのだろうが、そんなものは一握りなのだ。」
蒼は、諦めたように頷いた。
「確かに。王族以外がはぐれの神の中で、やっとここまで落ち着けたのに、新たにまた諍いの種を招き入れるなんて考えられないでしょう。十六夜は、不遇の神を何とかしたいからと、とにかく信じて受け入れる方向で考えるので、オレも同じ考え方でやろうと思ってたんですが、碧黎様は良い顔をしなくて。十六夜に、何事も理想通りに行くことはないとだけ言っていました。」
炎嘉は、考え込むような顔をした。
「ならば…恐らくはいくら月の宮でも一筋縄では行かぬのだろうの。あの浄化の気が降る中でもそうとなれば、普通の宮ではこの比ではないということよな。」
樹籐が、深刻な顔で言った。
「我の島でもはぐれの神は居るのだが、こちらのようにどうにかしようなどと考えたこともなかった。あれらを何とかしようなど思うたこともない。何しろ、こちらの言うことが通じぬし、我が民が迷惑を被るばかりで。たまに軍神達に見回らせるが、こちらの結界に近付かせないためぞ。基本、関わりたくないからの。」
高司が、息をついた。
「我が宮の回りもそうであるが、しかしこちらは観殿の獅子の宮と隣接しておるから。面倒が起こりそうになると、観殿の軍神が出て参って何とかしてくれるゆえ、ここ数百年は面倒もなく楽をさせてもろうておる。」
維心は、頷いた。
「我とてあの辺りは前世、炎嘉と共にどうしようもないと放って置いたもの。それを観が治めてくれておるので、ホッとしておるのだ。志心の領地と我の西の領地の隙間であって、長く放置しておったしな。」
炎嘉が、頷いた。
「我の南で。あの辺りはほんに面倒であったわ。のう志心よ。」
志心は、同じように頷いた。
「我も長く面倒に思うておったわ。観があの辺りを何とかしてくれて誠に肩の荷が下りたもの。それでも、はぐれの神は各地に居るから。蒼が手を付けたのは勇気のあることだとは思うが、まだ無数に居るのだ…ここらで、一度休んで今居る者達を何とかしてはどうか。もう、新規の受け入れは締め切った方が良い。何より、碧黎が良い顔をせぬということは、そういうことよ。十六夜はあまりに正しいゆえ、他にもそれを求めるのだ。だが、世には正しいもの達ばかりではない。」
他の王達も、それに頷いている。その通りだからだ。
蒼も、もうこれ以上次から次へと抱え込んでやって行ける、心の余裕がなかった。軍神達も、今は平和だからこそ良いが、通常の任務の他にあれらの監視まで務めなければならない。そんな負担を強いるのは、蒼も嫌だった。とは言っても、龍の宮などに比べたら、それでも軍神の負担は少ない方なのは知っていた。
ふと庭を見ると、維月が悠理を側に呼んで何やら話しているのが目に入る。
維心は、それを見てフッと微笑んだかと思うと、立ち上がった。
「…では、一度宴まで部屋へ帰ろうと思う。主らも、控えに戻るが良い。夕刻の宴には、焔も顔を出すと申しておった。この機会に、箔翔も焔としっかり話しておいたほうが良いのではないか?」
箔翔は、少し表情を硬くしたが、頷いた。焔は、20年前の炎嘉の宮の儀式と、その後の箔炎の披露目の式での事で、すっかり箔翔とは疎遠になっていた。
会合などで会っても、口を開くともなく、箔翔からも話しかけることもなかったので、元は同族の鷲と鷹が、最近では不仲なのではと噂になっていたのだ。
高司が気遣わしげに見ていたが、そのまま維心は箔翔の答えを待つこともなく、維月を呼びに庭へと出て行ったのだった。