対抗
炎嘉は、気が付くとどこかの広い、荒野のような場所に居た。
木も遠くに生えているのが見えるが、ポツリ、ポツリといった感じで、見えている範囲では皆、枯れていた。
炎嘉は、キョロキョロ辺りを見回した…ここが、炎耀の精神世界の中なのは分かっている。しかし、肝心の炎耀はどこだ。
歩いて行くと、ポツポツとある枯れ木は無くなり、正面に大きな木が見えて来た。
その木には、まだ僅かに生気が残っているようで、葉もちらほらと見える。炎嘉がそれに寄って行くと、その木の幹に、炎耀が括り付けられているのが見えた。
「…このような所に。」
炎嘉は、その炎耀を縛っている縄を見た。
それは、黒いもやもやとしたもので、実体のないような形だった。
「父上…?」
炎耀が、僅かに目を開いて、炎嘉を見て言った。炎嘉は、首を振った。
「主の父の父。いうなれば祖父よ。主の父は我にそっくりであるから、主と我が似ておってもおかしくはない。あれは今、体を悪うしておる。ゆえに我が来た。主、闇に縛られておるか?これを解く方法が分かればの。」
炎耀は、段々にハッキリとした顔になって来た。
「闇が時に、変な気を発することがあって、その時はこのように緩んでおって、話すことも出来るのですが…そうでない時には、しっかりと覆われておって息をするのもままならぬ感じで、意識も遠くなりまする。外の声は時々に聞こえて参るのです。闇は、何やら女に罵倒されておるようで…その女に暴力を受けると、その例の変な気を発する状態になり、そうして我は、楽になりまする。」
炎嘉は、思い切ってその黒いもやもやを掴もうとした。案外に、手は掛かるのだが、それでも自在に形を変えて、炎嘉の指から逃れて行き、引き千切ることも出来ない。
炎嘉は、息をついた。
「無理よな。恐らくは闇の意識の一部が主を縛り、そうして主を侵食しようとしておるのだ。」と、炎耀の背後の木を指した。「見よ、主の背が木と同化しようとしておる。このままでは、主はこの景色の中へ溶け込んで、意思を消されて乗っ取られてしまうぞ。」
炎耀は、背後を振り返って、確かに背中がぴったりと木にくっついているのを見て、身を震わせた。
「そ、そのような…!ど、どうしたら…」
炎嘉は、炎耀の目を見据えて、厳しい顔をした。
「うろたえるでない。闇に恐怖を感じればあちらの思うツボぞ。何のために我が参ったと思うておる。主を何としても闇から解放するためぞ。心配せずとも、もう赤子は月の保護下にあって、闇は近づくこともできぬ。主から出れば、陽の月に一瞬にして消される運命ぞ。主は、あれより上位に立っておる。それなのにあんなものに怯えて、わざわざあれの逃げる道など作ってやる必要はないのだ。分かったの。」
炎耀は、恐怖に身を縮めそうになっていたが、炎嘉の威厳のある声でそう言われると、なぜか安堵感が沸いて来て、頷いた。
「はい、お祖父様。」
炎嘉は、こんな目に合ったことのないだろう炎耀が、必死に今会ったばかりの祖父のことを信じて頑張ろうとしているのを感じて、表情を緩めた。そして、その頭を撫でた。
「良い子よ。爺に任せておくが良い。」
そうは言っても、炎嘉は祖父というにはかなりの若さだった。炎耀が、炎嘉を見返して頷こうとした時、空間全体がブルブルと震えて揺れ、炎嘉は転倒しそうになって咄嗟に浮き上がった。
『おおおおお何ぞ?!陽の気が…陽の気が身の内にある…!』
空間全体に響き渡る声だ。
「闇!」
炎耀が言った途端、炎耀を足元から黒い霧が覆い始めて、炎耀は逃れようと顎を上に反らしてジタバタした。
「また…!あれが我を取り込もうと…!」
炎嘉は、急いで炎耀にまとわりつく霧を払った。この血族をどうあっても死なせる訳には行かぬ…!
炎嘉がそう思って必死に霧に手を突っ込んで払うと、驚いたことに、霧は炎嘉の手をまるで逃げるように避けて散るのが見えた。
…陽の気か!
炎嘉は、炎耀を思い、大切な鳥の血族への思いの丈を腕に込めて振り払った。
すると、炎耀を戒めていた縄のような霧も薄れ、炎耀は霧から解放された。
「今ぞ!早くその木から背を引き剥がすのだ!」
炎耀は、しかしぴったりと同化してもはや自分の背中の皮のようになっている木から、背を引き剥がす事が出来なかった。
「お祖父様…!剥がれませぬ、我はもうこの木の一部に…」
炎嘉は、首を振った。
「引き剥がすのだ!痛みは一時、実際の体は血の一滴も流れておらぬ!己を強く持て!さあ!」
炎嘉は、力任せに炎耀の肩を掴んで引っ張った。
「うああああ!」
炎耀は、叫び声を上げたが、炎嘉に逆らおうとはしなかった。それどころか、自分でも足を踏ん張って背中を木から遠ざけようと力を入れた。
どさりと、炎耀は木から離れて倒れた。
その背が血だらけなのは見えたが、炎嘉は炎耀を助け起こした。
「ようやった!さあ、早う!」
炎耀は、ヨロヨロしながら炎嘉にすがって木から離れて足を進める。
どこへ行けばいいのだ。
炎嘉は、とにかくその広野を炎耀を引きずって進んだ。闇を追い出すと言っていた…つまりは、ここで炎耀が逃げてはならぬのだ。闇が恐らく来る。そやつと対峙して、追い出さねばならぬ!
炎嘉は、立ち止まった。見渡す限りの荒野で、何もない。防ぐ手だてもない。だが、あれは闇。付け入る隙を探すのだ。陽の気を発するのだ。追い出しさえすれば、月が始末をしてくれる。そう、月が…。
「維月…!我を助けよ!」
愛おしい月。何よりも愛している。炎嘉の脳裏に、維月と過ごした様々な瞬間が流れて行く。
《炎嘉様…。》
維月の、気を側に感じる。
『おおおおお!やめよ!やめぬか!』
闇が咆哮を上げて、そうして目の前に黒い霧が凝縮して形をなした。
炎耀の姿をした、それとは気付かぬほど凶悪な表情をした、それが闇の意思だった。
その少し前、碧黎が言った。
「…消滅に向けて吸収されかけていた炎耀を、炎嘉が引き剥がしたの。」碧黎が、じっと炎耀を見つめながら言った。「だが、まだ闇が出て来ぬ。陽の気を発している炎嘉が炎耀の側に居るため、警戒しておるのだ。このままでは…追い出すことは出来ぬ。炎耀の意識を連れて戻るわけには行くまい。それこそ体が思うようになって、闇の思う壺よ。」
維月が、碧黎に言った。
「では、どうしたらよろしいですか?私が、闇に命じて出現させればよいのですか?」
碧黎は、首を振った。
「霧とは違って闇は考えるゆえ、主の言うことを聞かぬだろう。分かっておろうが、それなら炎耀から出て来いと命じたら良いのだからの。だが、闇は十六夜を嫌って己の保身のために出て来ぬのだ。何とかして、炎嘉が闇を煽るなどで対峙出来ぬものか。それに気付けば良いが…まあ炎嘉であるから。どちらにしろ見ておるより他、我らにはどうしようもない。」
維月は、椅子に座って微動だにしない炎嘉を見た。どうにかして、知らせることは出来ないだろうか。
紫翠が、言った。
「闇は炎嘉殿を警戒して様子を見ておる状態です。どこに居るのかは分かっております。上から見ています。炎嘉殿が陽の気を発していると、イライラしているようです。」
碧黎は、頷いた。
「いよいよ我慢がならぬようになれば、恐らくは排除しようと炎嘉の前に出て参るだろう。だが、そこまで炎耀に愛情を持っておるほど、あれらはまだ近くはない。もっと強い気持ちが必要なのだが…。」
すると、炎嘉がふと、立ち止まったのを碧黎は見た。何を思ったのか、炎耀をその場に下ろし、その精神世界の、空を見上げた。
「維月…!我を助けよ!」
碧黎は、横に何も知らずに立っている、維月に急いで言った。
「維月!炎嘉に呼びかけるのだ、己の気を込めて炎嘉に送れ!」
維月は、反射的に炎嘉の手を握ると、力の限り炎嘉に向けて自分の気を放った。
「炎嘉様…!」
すると、紫翠が横で、座っていたのにビクと飛び上がるように立ち上がった。
「おお闇が!かなり強い陽の気を感じて…!身の内から焼かれるような心地に!」
碧黎が、頷いた。
「闇が出て参った…ここからは、炎嘉次第ぞ!」
維月は、自分の陰の月の気を送ってどうして強い陽の気を感じるのか分からなかったが、それでも闇が出て来たのなら、後はこちらへ追い出してさえくれたなら…!