違和感
炎嘉は、月の宮へと到着していた。
蒼と維心が出迎え、それを憮然とした顔で見て、言った。
「…して?我が侍女に生ませたとかいう子はどこぞ。」
挨拶も何もなく、いきなり炎嘉はそう言った。
喜ぶかと思ったのに。
戸惑う蒼に、維心が顔をしかめて言った。
「主な、己の不始末を憤るでないわ。とはいえ、今見つかったのは重畳よ。」
炎嘉は、歩き出しながら答えた。
「身に覚えが無いからぞ。そもそも我は、今生維月以外を己からどうの絶対にない。主と同じ。あるはずのない事で言いがかりを付けられてはたまらぬわ。主だって己の子だとか言われて身に覚えがないと悩んでおった時があったのではないのか。あの時我は、主を庇ってやったよの。」
維心は、渋い顔をして言った。
「だから相手から懇願してのことだと申したではないか。それが悪いと申しておるのではない。100年ほど前よ。忘れておるやもしれぬが、現に生き証人が居るのだ。主にそっくりの人型で、気の色も主と同じ。とにかく己で見てみるが良い。」
炎嘉は、黙った。炎嘉にしてみれば晴天の霹靂で、忘れたいと思って本当に記憶にないのかもしれない。
だが、薫は…炎耀はそこに居るのだ。
蒼が、おずおずと言った。
「では…先に確認していらしては。オレは居間で待っておりますので。」
維心は、確かに先に見せねば納得しまいと思い、頷いて立ち止まった。
「案内しようぞ。今は十六夜と維月、碧黎が見張っておるから我らが参っても大事ない。さあ、案内するゆえ。参れ。」
炎嘉は、相変わらず憮然とした様で頷く。
維心は、そんな炎嘉に困った顔をしながら、光希の屋敷へと炎嘉をつれて飛んで行った。
相変わらず、その屋敷は十六夜の結界でぴっちり覆われていた。
その上で、碧黎がじっと浮いて屋敷全体を見ているようだ。
機嫌の悪い炎嘉を連れてそこへと降りて行くと、屋敷の戸が開いて、維月が顔を覗かせた。
「…維心様、炎嘉様。」
維心は、結界の中へと入って、維月に手を差し出した。
「闇の様子はどうよ。」
維月は、維心の手を取りながら、首を振った。
「意識は戻っておるようですが、十六夜が居るのでじっと動かぬままでございます。膜が無ければ意識を失っておる間に引っ張り出して消してしもうたのですが…。」
維心は、息をついた。
「やはり中から追い出すしかないのだの。」
維月は、後ろで黙っている炎嘉を見た。
「炎嘉様…ご確認にいらしたのでございますね。」
炎嘉は、維月を見て、諦めたように軽く息をつくと、表情を緩めた。
「…主には我の子だと思うておるやもしれぬが、我は全く覚えがないのだ。前世ならようあったことよ。だが、今生は誠に主以外には手を付けておらぬ。維心を見て、それが正しいと思うたからぞ。言いがかりも甚だしいし、ここで我が違うと申しても誰も信じぬのかもしれぬが、主にだけは分かってもらいたいのだ。」
維月は、戸惑った。あの気と姿を見たら、信じるなと言われても難しい。確かに維心も、帝羽を維心の子だと皆に疑われた時があった。その時は、帝羽は全く維心に似ていなかったし、気の色も違った。だからこそ信じられたし、実際維心の子では無く箔炎の子だったのだが、今回は違うのだ。
何しろ、生き証人として炎耀がそこに居るのだ。
それでも、維月は答えた。
「炎嘉様…はい、炎嘉様がそうおっしゃるのなら。それに、私には炎嘉様を縛ることは出来ませぬゆえ。ご案じなさいますな。」
炎嘉は、その口調に維月が自分を信じていない事実を知った。確かに維心の妃で、それを時に炎嘉が横取りしているだけで、維月にとって炎嘉に子が居ようと居まいとどうでもいい事だろう。それでも、炎嘉にはその事実が重かった。
「…誠に、現実とは酷なことよ。分かっては居るが、我にも心の誠はある。良い、ではその、炎耀とか申す子を見ようぞ。」
維月は、炎嘉を傷つけたかも、と心が痛んだが、それでも戸を広く開けると、中へと炎嘉を招き入れた。
中では、寝台の上に寝かされた、薫、改め炎耀が目を閉じて動かずにいた。
その気を封じていた術が維心によって破られてあったので、気は本来持っている大きさに安定し、そうして間違いなくそれは、王族だけが持つ大きなものだった。
炎嘉は、炎耀の姿を見た瞬間、片眉を上げた。その姿は、確かに炎嘉にそっくりだ。そんなことは思いもしなかった時には、嘉韻に似ているかもと思ったぐらいだったが、炎嘉と言われたら確かに炎嘉の、少年から青年に差し掛かる辺りの姿だと思われた。
炎嘉はじっと炎耀の見つめてから、言った。
「…我の子ではない。」
そこに居た十六夜、維月、維心の三人は、びっくりして炎嘉を見た。これを見て、まだ?
「…お前、ここまでそっくりなのによくそんなことが言えるな。別にいいじゃねぇか、子供ぐらい一人ぐらい居ても。前世はもっと居たんだろうが。」
炎嘉は、十六夜を睨んだ。
「何を聞いておる。我の子ではないと申したが、我の血族ではないとは言うておらぬわ。別に我の子だと言われても構わぬ筋であるが、我の潔白を証明するためにも申すわ。これは、炎託の子ぞ。」
三人は、人目を憚らずに大きく息を飲んだ。炎託?!
「だから気に違和感があったのか。」
維心は、誰にともなくそう言った。闇のせいだと思っていたが、そうではないのだ。炎嘉の直系だが、僅かに違うからそれを違和感だと感じたのだ。
「だから言うたであろうが。我が直系、言うてみれば孫よ。炎託は我に一番近い皇子であったし、確かに間違えられてもおかしくはないが、あれに確認させればすぐに分かったと思うぞ。あれは黙っておったのか。」
十六夜は、首を振った。
「いや…面識は無かったと思う。炎耀は最近になってここへ来て、軍にも入ったばかりで。闇に憑かれてから、近寄らせてないし。オレ達はお前のことばっか思ってたから…維心も、炎嘉の子だって言うし。」
維心が、言い訳するように言った。
「僅かに違和感があったが、闇が憑いておるからだと思うておったのだ。炎嘉の直系であるぞ?血のつながりがハッキリあるのに、間違えもするわ。」
炎嘉は、ため息をついた。
「ならばとにかく、炎託を呼んで聞くが良い。100年前といえばもう瑞姫を亡くして時が経っておったであろう。あり得ぬ事ではないし、あれも認めようぞ。ま、これなら認めざるを得ぬであろうの。」
炎嘉が、戸へと足を進める。維心はバツが悪そうにしていたが、維月はそれを追って、戸口で追いついた。
「炎嘉様…誤解しておって申し訳ありませぬ。」
炎嘉は、無表情で維月を振り返ったが、維月の後悔しているような顔を見て、ため息をついた。そして、その頬に触れた。
「…そのように。もう良い。あれだけ似ておったら、確かに間違えてもおかしくはない。我だって一目見た時、確かに我の子でもおかしくはない、と思ったもの。身に覚えはないのにの。ゆえ、もう良いのだ。これで…我の子を、産まずで済むの。」
炎嘉は、維月が自分を愛していない事実を知っている。今回のことの維月の反応は、確かに炎嘉を傷つけているだろう。維月をそれを思うと、居たたまれなかった。なので、頬に触れるその手を握ると、頬を摺り寄せた。
「炎嘉様…愛しておらぬのではありませぬわ。本当に嫌ならば、私は月へ帰って決して炎嘉様の御許には参りませぬでしょう。私だけの事ならば…炎嘉様の御子を、お生みすることも嫌ではありませぬ。」
炎嘉は、維月から憐憫の情を感じて、苦笑して維月を抱き寄せた。
「そうよな。分かっておるよ。直系が一人居れば、無理を申す事も無いと思うただけ。だがしかし、あれが誠に王の器であるかはまた別の問題ぞ。維心さえ約したことを違えぬのなら、主には我の子を産んでもらいたい。それは本心ぞ。なので、維心には引き続きそれを要求するであろうの。ただ…そう急がずでも良くなっただけよ。」
「炎嘉様…。」
維月が、潤んだ目で炎嘉を見上げると、炎嘉は維月に口づけた。
「愛している。維心には敵わぬかもしれぬが、今生では主だけを守らせて欲しい。もし、今また前のように、主に会わせてやるから他の女を相手せよと言われても、もう受けぬ。そのような生き方、もう我はしとうないのだ。」
維月は、自分の体が一つなのを恨んだ。炎嘉の事も、案じられてならない時がある。維心の側に居て、愛しているからこそ自分は幸福だが、遠く自分を想っている炎嘉が居るかと思うと、胸が締め付けられるようだったのだ。
そうやって炎嘉に抱きしめられたままでいると、隣りの炎耀が寝ている寝室の戸口から、維心が入って来て、言った。
「…長いわ。イライラしながら見ておったが、もう待てぬ。いつまでもくっついているでないわ。」
炎嘉が、顔を上げてフフンと笑った。
「どうやら主でも自責の念というのがあるようだの。見ておるのは知っておったが、いつ入って来るかと思うておったのだ。」維月が驚いたような顔をしていると、炎嘉は維月を放した。「聞いておったの。我は炎耀が居るからと己の子を諦めることはないぞ。主とて分かっておろうが、一人では心もとない状況なのだ。我には皇子が要る。己で育てて、跡を継がせねばならぬのだ。炎翔のことで後悔しておる…あれは、しっかり育ててやれなんだ。しかも、長子だというだけで、あれは王の器ではなかった。せっかくに復活した鳥族を、また路頭に迷わせるわけには行かぬ。我には責任があるのだ。」
維心は、険しい顔でそれを聞いていた。確かにその通りで、維心にも今生維明と維斗の二人の皇子が居る。本当ならもっと欲しいところだが、前世もうけたたくさんの皇子がまだ健在なので、それで良いと作らずでいた。炎耀が見つかったことで、炎嘉が要求を引っ込めるのではないかと安易に期待していたが、そんなはずはないことも、維心にも本当は分かっていたのだ。
維心は、じっと炎嘉を睨むように見た。それでも、今ここでそれを許すことはまだ出来ぬ。
二人が維月を挟んで睨み合っていると、凄い勢いで、戸が開いた。
「炎嘉様!」蒼だった。慌てふためいていて、何事かと炎嘉も振り返った。「炎嘉様…炎託が!今将維が己の対の客間へと寝かせて…!」
炎嘉は、顔色を変えた。
「炎託がどうした?!」
蒼は、もう引き返して行きながら言った。
「痣が!将維が腕に痣が出ていると申して!今朝将維と話している時に、意識を失って倒れて…!」
炎嘉は、飛び上がった。
「参る!」
炎嘉は、蒼の案内も構わず先に物凄い勢いで飛んで行った。蒼が、必死にそれを追って行く。維月は、茫然とそれを見送っていたが、維心が歩み寄って来て、言った。
「…痣と申したの。死斑が出たか。」
維月は、ハッとした。そういえば、気を消耗しているようで疲れているようだった。もしかして、しばらく前から出ていたのでは。
「では…では炎託殿は…。」
維心は、維月の肩を抱くと、頷いた。
「寿命が参った。老いが加速して近く黄泉へ参ろう。」
維月は、ショック受けて口を押さえ、黙り込んだ。老いが止まって将維と楽し気にしていた様は、覚えている。鳥の宮へ行ってからも炎嘉を助けて精力的に努めていたのだ。それが、今ここで。
維月は、闇を見張るためにここを離れることが出来ない。維心は、一人で月の宮の将維の対へと向かったのだった。




