発覚
螢が、打ちのめされて屋敷へ帰って来たので、汐も梓も驚いた。郁は夜番の任務で居なかったが、螢はそこで、薫のことをつぶさに話した。
闇というものは、汐も梓も学校で学んだことぐらいしか知らなかった。神世でも、普通ならそんなものに出くわすことは無いので、せいぜい知っていても、黒い霧があれば逃げる、ぐらいのことしか分からなかった。
それを、闇と縁の深い月の宮では、事細かに教える。闇がどれほどに面倒で処分しにくいものなのか、ここの住人には教えておかねば、いつ何があるか分からないからだった。
それが、まさか身内の身に起きることになろうとは。
汐が絶句していると、梓が涙を流した。
「では…我は、あの子に謝罪も出来ぬままで…。」
しかし、螢は首を振った。
「王が、月と一緒に何とかしようと考えてくださっていると嘉韻殿がおっしゃっておった。ゆえに、きっと助かる。それを信じて、我は待とうと思いまする。」
そうは言っても、まだ学校を出てそれほど時が経っていない三人には、それが大変に難しいことだとは知っていた。
三人が三人とも、言葉を見つけられなくてただ黙っていると、ふと、物凄く大きな気が二つも、近づいて来るのを感じた。
「な…なんだ?!」
螢が言うと、汐が刀に手を置いて立ち上がった。
「まさか…闇?!」
しかし、螢は首を振った。
「闇はまだこれほどに大きな気ではありませぬ。それに、気が清浄であるし…。」
すると、戸の向こうから声がした。
「汐、居るか。話が聞きたい。入るぞ。」
その声には、聞き覚えがあった。訓練場で立ち合っていた、将維なのではないか。
「将維様か?」
戸が、スッと開いた。
そこには、何度見ても美しく凛々しい様の将維と、それとそっくりなそれは威厳のある神が二人、立っていた。
「将維様。」汐と螢が、慌てて膝を付く。梓は、深々と頭を下げた。「突然のお運び、驚きましてございます。そちらは…?」
汐が控えめに言うと、将維は頷いた。
「維心、龍族の王ぞ。我の第一皇子なのだ。」
前世の父とはいえ、今生では維心は自分の子なので、将維はそう説明する。
「りゅ、龍王?!」
螢と汐は、仰天した。普通なら、簡単に目にする事などない神だ。梓は、もはや深く頭を下げ過ぎて、まるで床に突っ伏しているようだった。
「聞きたいことがあって参った。」と、床の上に隠れるようにしている梓の方へと目をやった。「それが、主の妻の梓か。」
汐は、戸惑いがちに梓を振り返った。
「は…その、元はただの、はぐれの神の女でございますが。」
汐は、そんなわけはないとは思っていたが、梓は確かに美しいので、もしかしてと危機感を感じた…神世は、略奪社会なのだ。龍王になど、汐は絶対に、適わなかった。
しかし、将維が首を振った。
「何も主の妻を奪おうなどと思うておらぬ。その、息子の薫に関して聞きたいのだ。あれが闇に憑かれておることは知っておるな。」
汐は、頷いた。
「は。ただいま、息子の螢から事の次第を聞きましたところでございます。」
将維は、頷いた。
「そのことなのだ。梓とやら、表を上げよ。」
梓は、そのままガタガタと震えていたが、顔を上げた。将維は、その顔を見て思った…なるほど、確かにはぐれの神にしては、品があるな。
「主に聞きたいことがある。まず、主は息子を助けたいと思うか。」
梓は、頭を下げた。
「はい。その方法がございますのなら、我が…。身代わりになれと申されるのなら、それも。」
維心と将維は、顔を見合わせた。将維は、言った。
「いや、そうではない。しかし、あれは闇と意思の力で戦わねばならぬ。側で名を呼び、力づけるより主には出来ることは無さそうであるが、しかしもっと意思の強い、父親であるなら出来るだろうと。主は、あれの父親の居場所が分かるか。」
梓は、ただひたすらに震えながら、首を振った。
「いえ…我も、はぐれの神でありまするゆえ。」
その答えは、想像していたことだった。将維は、息をついた。
「であろうな。大まかな居場所も分からぬと?」
それには、汐が助け船を出した。
「我らは、面倒が無いようにと、自分が住んでいる所から離れた集落へ行って相手を探すのです。そうして、戻らぬ時の方が多い。そういう場所でありましたので…。」
それは想像出来ぬな。
将維は、そんな安息のない場所を想うと、確かに助けてやらねばと思うものよ、と思った。だが、今は薫だ。
「では…望みは薄いが、主らが側で名を呼んでやるよりないやもしれぬな。それで己を保つ力にするよりないとか。己を失うと、闇に乗っ取られて出て来れぬようになるのだ。いざ事が起こった時、主らを呼ぶゆえその心積もりをの。」
すると螢が、脇から言った。
「ですが将維様、薫の名は他にありまする。」梓が、ビクっと体を固くした。「薫が言うておった。初めて会った時薫と名乗り、王から戴いた名なので、すぐに分からぬかもしれぬ、と。そして、他に名があると。父由来の名だと聞いているから、迷惑が掛かってはならぬからこのままで良い、と。その、長く使った名でなければ、薫も己を見失うやもしれぬ。母上、それは母上が付けられた名でしょう。ご存知のはず。」
維心と将維は、梓を見た。梓は、尚一層震えていて、顔色は真っ青だ。将維は、螢に重ねて言った。
「梓。主、薫の長く使って来た名を知らぬはずはあるまいが。何という名ぞ。主が名付けたのだろう?」
維心は、まだ黙っている。何かを考えているようだったが、しかし口を開かなかった。
汐が、梓を咎めた。
「こら!将維様がお聞きになられておるのだ、お答えせぬか。」
梓は、これ以上黙っていられぬと思ったのか、その青い顔を上げた。額からは、玉の汗が浮き出て、流れている。
「はい…息子の名は」と、ガクガクと震えて床へと視線を落としながら、涙を落とした。「炎耀と申します…。」
梓は、言って床へと突っ伏した。
将維は、目を見開いた。
「なんだって…?炎耀…?」
そこまで、黙って見ていた維心が、やっと口を開いた。
「…主、知っておることを話せ。父親は、知らぬのではないな。あれは誰の子よ。炎嘉か?」
炎嘉と聞いて、汐も螢も仰天した。鳥族の王ではないか!
しかし、梓は首を振った。
「申し訳ありませぬ。我は、あの折約しましてございます。誰にもお名を打ち明けることは出来ぬのです。何があっても、あの夜だけと。だからこそ、我が懇願するのにお応え頂きましてございます。思いもかけず身籠り、侍女の身でしたので宮を出てさまよい、子を産み申しました。本来、産むことも許されなかったお子。我の口からは、申せませぬ…。」
将維は、愕然としながらも、遠い目をした。侍女…何か、覚えがあるような。炎嘉殿であったか?しかし、確かにあの、薫の金髪のような茶髪、赤い瞳、華やかな顔立ち。何をとっても炎嘉を思わせる。
維心は、言った。
「さては気を封じておるな。おかしな気だとは思うたのだ…闇に憑かれただけで、ああなるとも思えぬし。ならば、本人の気に聞くまでよ。炎嘉ならば、あれにここへ来させれば事足りる。我はあれの気ならばどこにあっても分かる。我が封を解いて見て参るわ。」
梓は、慌てて維心を見上げて言った。
「違いまする!炎嘉様ではありませぬ!どうか、どうか龍王様、あちらには…あの子は、鳥であってはならぬのです!」
将維は、その様にやはり炎嘉なのか、と思いながらも、維心を見た。維心は、くるりと踵を返した。
「参る。将維、戻って蒼に湖へ行って来ると申せ。至急確かめねばならぬわ。」
そう言うと、さっさと湖の方向へと飛んで行った。
「お待ちくださいませ!」
梓は、まだ叫んでいたが、将維は踵を返して、そうして蒼の居間へと向かって飛び立ったのだった。




