七夕2
蒼は、維心の前まで進み出て、頭を下げた。
維心は、言った。
「蒼。どうしたのだ、本日は来れぬと申しておったのではなかったか。」
蒼は、顔を上げて、真剣な表情で答えた。
「本日はどうしても参りたいと、十六夜と碧黎様に宮を頼んで無理に参りました。今日は皆様お揃いですし、ご相談したいことがあって。」
それには、炎嘉も真面目な顔になった。蒼は、ここ数十年の間にはぐれの神を受け入れて世話をし続けていた。それが段々に増えて来て、結構神経を遣わなければ大変な状態なのだと聞いている。
それでも何とか回っているらしいので、よくやっていると感心しているところだったのだ。
「…ならば奥へ。皆そちらへ案内させておるのだ。主も参れ。」
維心は、今度こそ立ち上がった。炎嘉が、何も言わずに同じように立ち上がり、維月は維心に手を取られて何とか不格好ではなく立ち上がる。
そうして、蒼は維心と維月、炎嘉について背後の大扉へと向かい、そこから地下回廊へと抜けて行った。
背後で扉が閉じる瞬間、神々の残念そうなため息が聞こえて来たが、蒼の話が気になって今はそれどころではなかった。
維月はやはり途中でつらくなって来て、維心に抱き上げられてやっとの思いで奥の応接間へと到着すると、そこには志心、観、樹籐、高司と妃の多香子、箔翔と妃の悠子、皇子の箔炎、悠理が座っていた。
箔炎は行儀よく椅子に腰かけていたが、悠理は高司と多香子の間で膝にとりついて何やら話している。
その和やかな中に、維心と維月が入って行くと、多香子と悠子が慌てて立ち上がって頭を下げ、他の王達も、立ち上がった。
炎嘉が、維心の後ろから蒼と共に入って来て、言った。
「ああ、そのままで良いわ。ここで気を遣う必要などないからの。」
そして、さっさとその辺の椅子へと腰かける。維心は炎嘉を軽く睨んだ。
「確かにそうだが主が言うでないわ。」と、皆を見た。「公の場でもないゆえ、楽にすると良い。蒼、主もその辺に座れ。」
言われて、蒼も空いている椅子へと向かった。維心は、維月の手を引いて、正面の椅子へと座った。
それを見て、皆が着席して、場がピリッと緊張するのを感じた。
「さて、本日は七夕の催しにわざわざ出向いてもろうてご苦労であったな。我ももう宴ぐらいしか出て行かぬし、役目は終わった。騒がしいのは好かぬからの。」
炎嘉が、椅子へとそっくり返って言った。
「こやつが笑うのを見て卒倒した女神が居って。それに思わず視線を向けてしもうたので、まあバタバタとの。いつものことよ。」
それを聞いた樹籐が、気の毒そうに言った。
「維心殿にも前世より災難よな。我も毎年見世物にされるのなど耐えられぬと思うわ。だが、今年は短時間で切り上げて参られたのだから、良かったではないか。」
維心は、うんざりしたような顔をして頷き、そうして、蒼を見た。
「して、蒼が何やら話があると急に参ったので、我も引き上げて参ったのだ。蒼、どうした?最近は我に何某か支援を頼んで来ることもなく、ようやっておると思うておったのに、何かあったか。」
蒼は、早く話したかったらしく、すぐに顔を上げて、頷いた。
「はい。まず最近は、何かあると言ってもはぐれの神関連のことであったので、観殿に問い合わせて助けて頂いて、それで回しておったので、維心様の御手を煩わせる事も無かったのです。最初から家族連れを狙って、少しずつ一歩一歩進めるような形で、大した混乱もなくやっておりました。」
維心は、頷いた。
「それは知っておる。その辺りはまだ、十六夜もここに居ったゆえ、我もいろいろ聞いておったからの。あれが帰ってからのことは、あまり聞けておらぬのだ。」
蒼は、身を乗り出して頷いた。
「はい。碧黎様が十六夜を戻したのも、政務をそこそこ出来るようになったということもありますが、宮をオレ一人では無理だろう思われてのことらしくて…その通り、十六夜が戻ってから、あちらは少し面倒が起こるようになって参りました。」
炎嘉が、眉を寄せて真面目な顔で言った。
「あれは先まで見通しておるからな。自分が手出しするのは、筋が違うと十六夜にさせようと思うたのだろう。それで?」
蒼は、炎嘉に頷いた。
「とりあえず想定の範囲内でしたので、そこは観殿に問い合わせて何とか。観殿は筆頭軍神の岳を寄越してくださったので、慣れた岳が、嘉韻と共に収めてくれました。」
観が、そこは何でも無いように言った。
「大したことでは無かったからの。我の宮ではいつもの事であるし。」
維心が、チラと観を見た。
「何があったのだ。」
観は、蒼を見てから、蒼が話し出さないのを見て、続けた。
「慣れて来た神が働かなくなるのだ。何度も言うておるが、あれらは誰かに仕えるということに慣れておらぬ。最初こそ、己の身を守るために精進するが、慣れて来るとそこそこ手を抜いても結界内で守られるのを知る。そうしたら、目を盗んでは命じられたことをせぬのよ。真面目な軍神が補佐するゆえ、それが王の目に留まる頃には、味を占めた他の奴らまでそうなっておる。我の宮ならそんなヤツはさっさと斬り殺す…何度も繰り返しよるのが分かっておるし、そういう性質なのだから治らぬと思うておるから。他のはぐれの神への見せしめにもなるからの。岳は主の宮へ行って、そやつらを殺したであろう?」
観が言うのに、蒼が顔をしかめた。岳は、月の宮へ来て、蒼に観の指示通りにして良いかと聞いて、蒼が頼むと許可したと思ったら、訓練場へとその問題の神達を引き出し、殺した。顔色一つ変えず、それが当然とばかりに止める間もなく、命乞いする神達を、一人残らず皆の目の前で始末したのだ。
蒼が茫然としていると、隣りに控える嘉韻に言った…神だと思うな、命令を聞かぬはぐれの神など下等な動物だと思え、と。
岳は、観の指示通りにやった。つまり、観は日常的にこういうことをしているからこそ、荒くれ者達の上に君臨しているのだ。
「…はい。」蒼は、苦々しい思いと共に答えた。「命まで取るとは、思ってもみなかったので。ですが、そういうものなのだと碧黎様にも言われ、自分が甘いのだと知りました。私はまだ、何百年経っても人の感覚が抜けておらぬので、少しさぼったぐらいで、やり直す機会も与えずにと思ったのですが、岳が言うには、月の宮へ入れたこと自体が、やり直す機会であったと。それを潰すようなことを己でしたのだから、二度はないのだと。」
観が、それには厳しい顔で頷いた。
「そういうことぞ。蒼、最初に申した通り、はぐれの神とはそういったもの。女神はある程度従順で定着しやすいが、男神は難しい。今、真面目に努めておるのは幾人ぞ。数えるほどではないのか。」
蒼は、下を向いて、頷いた。
「はい。最初に受け入れた律、簾、永、その後の最初の数人であります。しかし、斬り殺された軍神達の、子達は、物心ついた時から月の宮の結界内でしたので、良いように育って軍神としての意識も高いようで使えそうだと聞いております。」
維心は、息をついた。
「幼い頃からの環境が重要であるからの。はぐれの神の子でも、王が絶対と育てられると、そうなのだとそれを価値観として育つ。だが、はぐれの神は違う。考えてみると不憫ではあるのだが、しかし我らも己のために仕えぬ神など養ってやる謂れはないからの。一度は機会を与えておるのだ。観の言う通りだと我は思うぞ。」
蒼は、息をついて、何度も頷いた。
「はい。オレもそれは分かって来ました。なので、もうそれは仕方がないと思います。確かに、岳があれらを殺してから、それを見た神達の動きが良くなった。しっかり仕えねばここに居られないどころか、命も失うと危機感を感じたようで。しばらくはそれで収まりましたので。」
炎嘉が、真剣な顔で蒼を見た。
「ならば、何ぞ。また何かあったから主はここへ来たのだろう。何があった。」
蒼は、長く息を吐いた。言いたくなさそうだが、この状況では、言うよりない。
顔を上げると、維心を見て、言った。
「表向き、普通に回っておるのです。ですが、またかと言われるかもしれませんが、オレは、何か不穏な感じを受けるんです…結界内に。何も無いと十六夜も言うんですが、それでもオレには、何かが不安なんです。それが何かと言われても、はっきり言えないので、軍神達をつぶさに見ては、嘉韻にも問いあわせるのですが、目立った動きもないし、表面上は落ち着いていて、皆よく仕えてくれている。誰を疑ったらいいのか分からないような状況で、それなのに変な何かを感じるのです。」
…弱いもの特有の、危機察知能力。
維心は、それを聞いて思った。前世でも、この蒼の勘は嫌になるほどよく当たった。実際、維心も炎嘉も気取れないようなことを、蒼は事前に察知して、維心に訴えていた。それにも関わらず、維心は事が起こってからそれに気付いて、処理したものだった。
事が起こってから処理する能力が無いものは、それを事前に察知する能力を持っている、と碧黎も以前言っていたのを思い出す。
蒼は、恐らく何かを気取っているのだ。
「また起こっても居らぬうちから。主の勘が鋭いのは知っておるが、探しても見えぬものは仕方があるまい。」炎嘉が言う。「そのように案じずとも、我らが手助けするゆえ。注意深く監視しておる程度で良いのではないのか。」
蒼は、肩の力を落とした。恐らく、その答えは予測していたのだろう。しかし、維心が言った。
「蒼には、危機察知の能力があるのだ。それは碧黎もそう言っていたゆえ、間違いないだろう。普通は育って強くなるに従って失うものだが、蒼はずっと神世では誰より弱い存在であったゆえ、残っておるのだ。ならば…しかし、今は碧黎が見ておるのだし、手遅れになることはあるまい?」
蒼は、維心を縋るように見上げた。
「それはそうなんですが、碧黎様も言えることと言えぬことがあると言って。事が大きくなる前にと申すなら、今しかないだろうの、とおっしゃって。つまり、本当に何かあるということでしょう?」
それには、維心も顔をしかめた。碧黎は知っている。だが、言えないのだ。そんな言い方をするということは、確かに面倒が水面下で進んでいるのだろう。
「仕方がない…義心を行かせるか。」
維心がそう言うと、観が首を振った。
「あれが居って何某か謀る気概のある神など居らぬ。居る間はおとなしいだろうが、尻尾は掴めぬのではないのか。帰ったら元の木阿弥よ。はぐれの神は、狡猾ぞ。というて、岳も容赦ないのを見ておるから使えぬだろうが…。」
炎嘉が、息をついた。
「…炎託か。あれなら、月の宮に居ったから将維に会うとか何とかでしばらく戻っても問題あるまい。隠居していた時とは違って、あれも最近では軍神としてもかなりのものよ。あれを、一時そちらへ行かせよう。」
蒼は、炎嘉を潤んだ目で見上げた。
「よろしいのですか?最近、やっと宮が落ち着いて回り出したと聞いておりますのに。」
炎嘉は、煩そうに蒼の目をチラチラと見て、手を振った。
「ほんにもう、維月そっくりの目で主は。そんな風に頼まれて、断れるわけがあるまいが。良いから。ちょっとぐらいあれが居らんでも我が宮はもう大丈夫よ。ただ、長くは貸せぬからの。我だって息抜きがしたいのだ。あれが居らぬとゆっくり寝てもおられぬからな。」
蒼は、少し元気になって、何度も頷いた。
「はい!本当に助かります。ありがとうございます、炎嘉様!」
炎嘉は、息をついた。
「ほんになあ、蒼だけは助けずにはおれぬわ。これで上手い事世渡りしておるのだぞ、こやつは。」
維心が、苦笑した。
「王というてそれぞれよ。それでなくてもこれは、無理やりに王座に座らされておるのだから。これぐらいはの。」
しばらく、皆が黙る。箔炎は、分かっているのか居ないのか、じっと黙ってそんな様子を見ていた。もう、体は中学生ぐらに育ち、見た目は一人前の皇子なのだが、如何せん今生、あまり話していないので、中身までは分からないのだ。
維月が、侍女に手を上げた。
「では、皆様にお茶を。子達も居ることですし、菓子も持って参って。珍しい物がもありまするので、皆様で召し上がってゆるりとなさってくださいませ。」
そうして、王達はまだ輪になって話していたが、妃と子達は維月に促されて、目の前の庭の、テーブルへと移動し始めた。
そうして、穏やかな午後を過ごしていた。