闇と月
光希の屋敷は、まるでカプセルのようにきっちりと十六夜の結界が張ってあった。
見た感じ、お椀を被せたように見えるが、維月には十六夜の結界が、丸く円を作って玉のように地下にもあることは見えていた。
しかし、維月も月なので、中に闇があるのがハッキリと見えた。
「…本当だわ。あの、古い闇の意識が形を持ってる。」
維月が、苦い顔をして言う。十六夜は、横で浮いて頷いた。
「だろ?静音の腹の子に憑いてやがるんだ。このまま育っちまったら面倒なことになる…闇が離れても精神的に病気を持った子になるかもしれんだろ?」
維月は、頷いた。闇が精神を侵食して行くので、まだ自分をいうものをしっかり持っていない状態であんなものに憑かれてしまっていたら、離れても恐らく、正常では居られない。
「なんだか…腹が立って来たわ。ねえ、ちょっと行って来ていい?」
十六夜もだが、ついて来ていた維心と碧黎が仰天した顔をした。そうして、維心が言った。
「何を言うておるのだ主は!取り込まれでもしたらどうするのよ!」
維月は、維心を振り返って首を振った。
「だから私は取り込まれませぬから。紫翠が言うておったではありませぬか。闇は私に手出しなど出来ないのですわ。だから取り入ろうとするのですし。」
碧黎が、脇から言った。
「それを信じて良いのか。主が取り込まれたら、また十六夜が主を殺すことになるのだぞ。そのような…もう二度とそんなことは…。」
隣りで、維心も悲壮な顔をしている。維月は、肩で息をついて、言った。
「本当に困りましたこと。ですが私は、今生は霧を自在に扱えまする。ついて参られても大丈夫ですわ。霧に憑りつかれそうになっても、私が霧に命じてさせませぬから。なのでご一緒に参られますか?」
維心は、何度も頷いた。
「主がどうしても参るのなら我も参る。」と、碧黎を見た。「主は何かありそうになったらここで対応を。我は十六夜と維月と一緒に参るから。」
碧黎は、深刻な顔をして、頷いた。
「仕方がないの。確かに直接に接してみなくては維月が対応できるのかも分からぬし。心して行って参れ。」
維月はため息をついたが、十六夜が横で小声で言った。
「…ほんとに大丈夫なのか?維月。お前、前世間違いなく取り込まれたんだぞ。」
維月は、頷いた。
「平気。だって前世は深だったから。生い立ちには、十六夜だって同情してしまってたじゃない。私も、深と繋がってしまっているのを感じていたから、取り込まれてしまうかもしれない、って危機感を感じていたの。でも、今度の闇は違うわ。あっちは最悪だもの…嫌いよ。だから大丈夫。」
十六夜は、しかし維月の手をしっかりと握った。
「分かった。大丈夫だろうが、あいつの話を間に受けるんじゃねぇぞ。お前、すぐに同情すっから。」
維月は、眉を寄せて首を振った。
「散々な目に合わされて来たし、人の時には殺されかけた上に蒼だって大変な目に合わされたし。恨みの方が強いわ。同情なんてしないわよ。」
前世の、人として十六夜と共に、霧を消して闇と戦った時のことを言っているのだ。確かにあの闇と同じ闇なのだから、長い間の因縁で同情もへったくれもないだろう。
十六夜は、少し安心して、頷いた。
「そうだよな。じゃ、行くか。」と、あちら側の隣りに陣取っている、維心を見た。「お前も。心配ばっかりしてたら、禿げるぞ。」
維心は、不貞腐れたように言った。
「姿などどうにでも出来るのだから、禿げたりせぬわ。うるさいぞ、十六夜。」
紫翠が、言った。
「闇の意識の動きはこちらで監視しておくので。」
三人はそれを聞いて頷くと、十六夜の真っ白な結界を抜けて、屋敷へと降りて行った。
戸を開いて中へと入ると、静音が呆けたように座っていた。だが、三人に気付くと、ゆっくりとこちらを向いた。
「あら…?なんと美しいこと…。」
静音の目は、維心を見ている。維心は、無表情のまま、口も開かなかった。維月が、そんな静音には構わず、言った。
「ちょっと。私が来たのに挨拶も無しとはどう言う事かしらね。」
本気で怒っているようで、イライラと腰に手を当てて静音の腹を見ている。静音が、ビクッと体を固くしたと思うと、腹を押さえ、慌てたように頭を下げて言った。
「申し訳ありませぬ。大変な失礼を致しました。大切なお客様だとは思いもしませず…わざわざのお運びを、感謝致します、とのことでございます。」
維月は、それでもイライラと腕を組み、静音を睨んだ。まるで人が変わったような様で、十六夜も維心も戸惑った。
「あなたには話しておらぬわ。腹の子に言うておるのよ。わざわざに私が参ったのよ?その態度が気に食わぬわ。何様だと思うておるの?私に従うべきでありながら、取り次ぎを介して話すなど失礼にも程があるわ!私は帰るわ!」
静音は一瞬黙ったが、慌てたように椅子から降りて床に正座し、頭を下げた。
「申し訳ありませぬ!ただ、陽の月が居て、出て来れぬのだと申しておりまする!どうか、お怒りを鎮めてくださいませ!」
維月が、それこそ足蹴にでもしそうな勢いで静音を睨んだ。
「知らぬわ。片割れを連れて参るは私の勝手ではないの。そんなことを言う権利などないわ。」と、スッと手を上げた。怒りとは関係のないはずの維心と十六夜がビクビクしていると、維月はその手の上に、あろうことか霧を集めて玉にして、浮かせた。「ほら…この子達の方が、余程私に忠実だわ。私に従っておるから、陽の月が居て浄化の結界の中でもこうして存在しておるのよ。でも」と、グッと手を握りしめた。霧は、一瞬にして消え去った。「従わねば消す。分かっておるはずだわね。」
維心と十六夜は、息を飲んだ。いくらなんでも、維月の本性はこれでは無いかと思うが、それでもその様には声も出なかった。
静音は、その様におののいていたが、腹が激しく波打ったかと思うと、ひれ伏して必死に言った。
「どうか、どうかお怒りを鎮めてくださいませ。陽の月を本当に恐れておるのでございます。今も、陽の月の力をお使いになられたのは感じられました。我らは、本能的に陽の月には近寄れないのでございます。」
もはや、静音が答えているような状態になっていた。だが、まだ闇は腹の子の中に居る…維月には、それが感じ取れた。
「…もう、良いわ。少しは話しを聞いてみようかと、皆の反対を押し切ってまで来てやったのに。また、気が変わったら来るかもしれないけど、来ないかもしれないわね。悪いけど、この女って私の好みでは無いのよ。私は美しい陽の人型が好きなの。」と、維心と十六夜を見た。「ほら…二人とも美しいでしょう?じゃあね。」
維月は、背を向けて戸へと向かった。自動的に維心と十六夜もそれについて移動する。静音が、床を這うようにして必死に追い縋った。
「お待ちくださいませ!時が来れば…今憑いておる赤子は陽の型でありまする!」
維月は、背を向けたまま言った。
「だから美しいと申したでしょう。ただ陽であるだけではならぬの。じゃあね。」
維月は、そのまま屋敷を出た。そうしてついて来ていた維心と十六夜が通ったのを見て戸を音を立てて閉めると、フッと肩で息をついた。
「…申し訳ありませんわ。」と、維心を見て言った。「なぜかもう、陰の月としての私が抑えられませぬの。とにかく闇を見下しておって…深の時は、心情的に繋がってしまっておったので、そんな風ではありませんでしたけど、本来陰の月って、闇を見下して下僕のように思うておるようですわ。」
維心は、いつもの維月の様子にホッとして、その手を恐る恐る取った。
「良い。驚いたが、命がそう出来ておるのだからしようがないわ。とにかく、皆の所へ戻ろう。」
そうして、頷く十六夜と共に、その屋敷の結界を出て上へと上がって行った。