理由
蒼の居間には、夜中の3時にも関わらず、維心、十六夜、維月、将維、炎託、紫翠、義心、嘉韻、そして蒼の9人がズラリと並んで座っていた。
とはいえ、維月はまだ寝ている。十六夜が、寝ててもいいから連れて来いと言ったから、と維心は言っていたが、維月は本当に熟睡していた。
「…寝ておるのを無理に連れて来いなど。十六夜も面倒なことを言いおって。」
将維が気遣わしげに維月を見て言う。十六夜は、膨れっ面で言った。
「龍の宮で維心も居ないのに闇がどうのって言ってる時にほっとくわけにゃ行かねぇだろうが。こいつはいつなり、オレと維心と親父の側に置いといた方が非常事態の対応が早えからいいの。」
維心は、それには何度も頷いた。
「それはそうよ。独りで放って置いて何かあったらと思うたら身の毛がよだつわ。」と、寝ている維月が自分にもたれ掛かっているのを、維月が楽なようにと位置を変えた。「この方が楽かの。」
しかし、維月は一度寝てしまったらどんな体勢でも寝ていることは、十六夜も維心も蒼も、ついでに義心も嘉韻も知っていた。
蒼は、口を開いた。
「じゃあ、皆に来てもらったんだし、今後のことを話す前に、維心様にこれまでのことを知ってもらうために、ご説明を。嘉韻。」
「は。」
嘉韻は、また掻い摘んで薫や螢、光希のこれまでの事を話した。そうして、その対応をしようとしていた矢先に、あの闇の意思の波動を十六夜が感じ取り、そうして光希の屋敷に、闇の意思が現れた事実を知ったこと。
「…というわけで、今は闇は、静音という女の腹の子に宿っておる状態でございます。」
維心は、眉を寄せてそれを聞いていたが、言った。
「ならばすぐに殺せ。さすれば闇が出て参り、十六夜が処分して終いぞ。」
碧黎と同じことを言った。
蒼はやはりそれしかないのだと覚悟をしていたが、十六夜が顔をしかめた。
「分かっちゃいるが、何の罪もねぇ赤子を殺すなんざ寝ざめが悪いじゃねぇか。そもそも、蒼がすぐに手を下せなかったのも、腹の子の中の闇を月の光で殺そうとしたら、その時の負担で赤ん坊が死んじまうって分かってたからだ。」
将維が、眉を寄せて言った。
「そして闇もそういう蒼の性質を知っておるということよな。十六夜の浄化のすさまじさは手練れの軍神でものたうち回るほどぞ。一度霧に憑かれた龍を助けようとした時の様子を見たが、あれは命が縮むわな。」
維心が、渋い顔をして頷いた。
「我は前世で一度、経験しておる。立っておる事も出来ぬほどの激痛ぞ。あの折の体力と気の消耗は大変なものだった。赤子のみならず、子供であっても死するであろうな。」
十六夜は、顔をしかめた。
「オレは自分に霧が憑くこたないから分からねぇが、確かに手加減無しで攻撃するからよお。力が勝手に体の中の闇や霧を追い回すんでぇ。で、ガンガン攻撃する。そりゃ体の持ち主はたまらんわな。」
蒼は、言いたくなさそうだったが、それでも、言った。
「…オレは、例え赤子の命を消すことになっても、闇は消すつもりだよ。それしか無いのなら。闇が復活して、誰が困るって結局地上の生き物全部なんだ。そのために、月は存在していて、破滅の道を歩ませるのを阻止するのが役目なんだ。選びようがないなら、殺すしかない。また、黄泉へ行けば生まれ変わることも出来るけど、地上が闇に落ちていたら、それも出来ないんだ。」
それを聞いて、維心が感慨深げに頷いた。
「よう弁えたの、蒼よ。その通りよ。月はそのために存在するのだ。碧黎ですらどうにもならぬ、闇なのであるからな。」
紫翠は、黙ってそれを聞いている。十六夜が、ふと気づいたように、言った。
「…そういや紫翠、お前よく西の島からこっちの闇の意思なんかに気付いたな。こっちじゃ真側に居てもやっとだったってのに。何でも、お前があっちの宮を飛び出して来たのは日が落ちてすぐぐらいの時間だったって聞いたぞ。ちょうど夜番が始まるぐれぇだから、光希が洞穴に行った時間ぐらいだ。お前、何だってそれを知ったんでぇ。」
紫翠は、ハッと十六夜を見た。十六夜は、時に他意などなく、何を疑っているという感じでもなくこちらを見ている。ただ、理由が知りたいといった感じのようだった。
それでも、維心や将維、義心などの鋭い視線は、嫌でも感じ取った。紫翠は、まだ中学生ぐらいの姿で、それでも背筋を伸ばして、皆に向き合った。
「…十六夜、我は、深。前世を覚えておるのだ。捕らえられ、精神世界に放り込まれた時、その記憶が戻って来た。享は、それと知らずに、元は闇である我を生贄に選んでおったのよ。」
十六夜は、一瞬呆気にとられた。思い出すのに時間がかかったのだ。
しかし、維心は早かった。サッと維月を抱きしめる。
「主…!あの、維月を取り込んだ、二度目の闇か!」
維心がそう言って、やっと皆がハッと息を飲んだ。紫翠は、頷いて頭を下げた。
「維心殿。あの折は、我は主を脅そうとしただけで、殺そうとしたのでは無かった。それなのに、維月が前に出て参って…取り込んでしもうたのだ。もう、そうなるとどうでも良くなってしもうた。我は、何をしても誰にでも厭われる。相手を殺し、腐敗させ、そうして内側から崩して参る。そんな命に生まれてしもうて、どうしたらいいのか、我は孤独から逃れたかっただけなのに…。」
それは、紫翠ではなく、前世の深の言葉だった。十六夜と維月は、その深の生まれの不幸に同情してしまった。それほどに、深は平和を愛し、人や神を愛し、その中に受け入れられたいと望んでいた、一つの命だったのだ。ただ、闇に生まれただけで…。
「謝る必要なんてねぇよ。」十六夜は、憮然として言った。「深はただ闇に生まれただけの優しい命だったんでぇ。それを、みんなで寄ってたかって殺そうとして、遠ざけようとした。深は、どうにかして黒い霧を発生させずにおこうと必死に抵抗した闇だった。だから死んだ後、オレ達とおんなじ場所へ行ったんだ。こいつは悪かねぇ。それに、それは前世だ。今生は翠明の宮の第一皇子だっての。今更何を言ってんでぇ。そもそも維心、何かしようと思ったんなら、お前の宮に長い事居た間に何とでも出来たじゃねぇか。維月が世話してたんじゃねぇのか。」
維心は、言われてバツが悪そうな顔をした。
「確かに…紫翠は愛らしい子であったわ。我が見てもの。」
十六夜は、頷いた。
「今生は幸せになる権利があるからあの大きな宮の皇子に生まれたんでぇ。それに、こいつが前世の記憶を取り戻したお陰で、恐らくは皆生贄にならずに助かった。こいつなら、あの一度目の闇のやり方が手に取るように分かるだろうからな。」
紫翠は、下を向いていたが、頷いた。
「分かった。あの瞬間に、我はこのためにここに居るのだと思うた。だからこそ…我は、闇に敏感ぞ。恐らくは、月よりも。」
蒼は、身を乗り出した。
「じゃあ、紫翠は今、あの闇が何を考えているのか分かるのか?」
紫翠は、渋々ながら頷いた。
「分かり申す。だからこそ、それを知らせねばと急ぎ宮を出て参った。父上には、我が前世の記憶があることは申し上げたが、それが誰であったかは知らせておりませぬ。言えばどのような反応が返って来るのか分からぬので、それで明蓮に会うと申して、出て参り申した。まずは明蓮に、相談してからにしようと思うたゆえ…。」
十六夜は、いたわるように言った。
「すまねぇな、こっちのゴタゴタで。オレ達が何とかしてりゃあ、お前もそんなことを皆に話さずに済んだのに。翠明には、絶対言わねぇよ。あいつが構えたらいけねぇしな。それで、お前が読んだあいつの考えってのを、教えてくれねぇか。」
紫翠は、顔を上げて、頷いた。
「…まず、夕刻ぐらいに、何かを待っているような、そんな淡い意思を感じ取ったのだ。闇は消えたはずであるし、最初は気のせいかと思うたが、それが、大きな期待感を持って、行け、行けと言うておるのだ。我は、これは気のせいなのではない、と思うた。」
それを聞いていた、嘉韻が口を挟んだ。
「…恐らくは、夕刻と言うと夜番が始まった辺りでありますな。」
蒼は、頷く。紫翠は、続けた。
「そうして、先触れを出して龍の宮へと向かう辺りになると、その意思は歓喜の色を帯びて来た。そして明蓮の部屋へと入った辺りでは、早くひとつに、早くひとつに、という意思が流れて参った。何が一つなのか分からぬのだが、とにかくまだはっきりとしていない意思の声で…我も、聞き取りづらかった。」
十六夜が、眉をぐっとこれ以上ないほど寄せて、言った。
「そいつぁ…恐らく光希が持ってた石に闇の欠片が吸収されて、それを持って屋敷へ帰るところだったんじゃねぇのか。」
紫翠は、頷く。
「そうして深夜に近付くにつれ、どんどんとハッキリとした意思を感じるようになった。我は、まずいと思うた…明蓮と話しておる間にも、じわじわと二つあった意思の塊が、片一方の方へと移動して大きくなって行くような感じを覚えた。我は、いよいよ黙っていられなくなって、明蓮に言うて明輪を呼び、そうして、全てを話し、義心にも説明をした。その頃には、意思が大きくハッキリと形作られたのを感じていたので、居てもたっても居られず、我は月の宮のその気配の方角へと飛んで参ったのだ。」
維心が、眉を寄せたまま言った。
「そして、闇の意思が形作られたのを知ったと。」と、息をついた。「して、今はどうよ。何を考えておるのだ。」
紫翠は、顔をしかめた。
「あれだけはっきりとして来ると、不快なので常に聞いておるのではありませぬが、しかしあれは、無事に生まれることを目的としておりまする。生まれた後も、体が小さいうちは月が手出しをしないと経験で思うておるよう。それまでにも、腹に居るうちから霧を吸収するために回りの神達に働きかけ、負の念を起こさせようと企んでおる様子。ちなみに母である女は、生まれ出る時糧として喰らうつもりでおりまする。命を喰らうことで、闇は命に力を持つのです。残虐に殺される時ほど、負の感情が強い時もありませぬので…。」
蒼は、聞いていて身震いした。つまり静音に絶望させて残虐にいたぶり殺すことで、その時に発生する負の感情の霧を喰らおうと言うのだ。
「…このままじゃ、宮が乱れちまう。」十六夜は、深刻な顔で言った。「オレの結界で包んでるから、外へ出るのは無理だし中の霧は全部消える。だからそうそう思う通りにはならねぇ。だが、静音だ。あいつが負の感情で霧を発生させ続けたら、闇はそれでどんどん力を得て行くよな。」
紫翠は、小首を傾げた。どうやら、意思を探っているようだ。そうして、答えた。
「…まだ、力は強くはない。」紫翠は、言った。「外の様子を知ろうにも、赤子は腹の中で見えない。見ようと思うたら静音の方に移る必要があるが、そうすると静音は今狂っているので、うまく動かせない上、月に知られたら大人の体なら耐えられると浄化に掛かって来ると懸念している。なので、自分が月の結界に封じられているのもまだ知らぬ。」
それを聞いた十六夜が、パチンと手を叩いた。
「それだ!」
将維が、維心そっくりに眉を寄せた。
「どれぞ。」
「だから、外の様子だよ!」と、蒼を見た。「外の様子が知りたくなるような状況を作るんでぇ!赤ん坊は今、どれぐらいの月齢だ?!」
蒼は、顔をしかめた。
「知らないよ。オレの子じゃあるまいし。でも、腹はちょっと出てるぐらいだったから…4、5カ月ぐらい?」
「ちょうど神の赤子なら腹の中で耳が聞こえて来る時期でありますな。目はまだ見えず、薄っすらと気を感じるぐらいかと。」嘉韻が言う。よく知ってるな、と蒼が目を丸くすると、嘉韻はそれに気付いて、付け足した。「嘉翔がまだ腹に居る時に、いくらか学びましたので。育つのが楽しみであり申したゆえ。」
維心が、明らかに不機嫌に眉をグイと寄せた。嘉翔というと、維月を維心が勢いで離縁した時に、嘉韻と維月の間に出来た子だ。つまり、嘉韻は嘉翔が維月の腹に居る時に、そうやって毎日どこまで育ったと楽しみにしていたのだろう。
十六夜が、それを気取って言った。
「こら、お前にゃ怒る権利はねぇ。それより、耳が聞こえてるってことは、外で何か音がしたら聴こえるな?じゃあ、それで行こう。目で見て確かめなきゃ気が済まないような状況に持って行く。そうしたら、我慢ならなくなって静音の方へ移って来るだろう。その時に、間髪入れずに浄化だ!」
紫翠は、ためらいがちに蒼を見た。蒼は、頷いて十六夜を見て、咎めるように言った。
「そんなにうまく行くのか?命に関わるのに、簡単に静音に移るとは思えないんだけど。」
しかし、十六夜は首を振った。
「やるしかねぇの!駄目だったら、静音ごと皆殺しなんだろうが。だったら、とりあえず出来ることはやろうや。でないと、後で後悔する。そんなのはまっぴらだ。」
十六夜も言い出したら聞かない。
薄っすらと空が薄紅色に変わり始めているのも見え、蒼は仕方なく、頷いた。
「分かったよ。じゃあ、紫翠にはここに滞在してもらうって翠明に連絡しておく。明蓮もこっちへ呼んでおけば、一緒に何かを学びに来たんだろうってことで収まるだろうし。とにかく、今は解散だ。もう夜が明けるし、今日の昼に、またここで。その時、各々何か案があったら出してもらうということで。」
維心が、頷いてまだ寝ている維月を横抱きにして立ち上がると、言った。
「では、我は我の対に帰る。また昼にの。」
これだけ騒がしいのに、見事に最後まで寝ていた維月に、将維は苦笑したが、同じように立ち上がった。
「では、我も。」と、炎託を見た。「さあ、炎託も。参ろう。」
そうして、維心が出て行き、将維と炎託が出て行き、嘉韻と義心もそれぞれに軍神の控えの方へと下がって、紫翠の事は、十六夜が客間へと案内して行った。
蒼は、居場所は分かっているものの、闇をあんな場所に封じたままで置いていある事実に、落ち着かずそれからも眠れなかった。




