七夕祭り
それでも季節は巡る。
その日は、龍の宮の七夕祭りだった。
維心は、まだ少し義心の死を引きずってはいたが、それでも臣下の死をいつまでも悼む王もおかしく、変な噂も流れかねないので、この日はきちんと顔見せにも出て、そうして宴の席へと向かった。
久しぶりの神世の大きな明るい催しに、皆が嬉々として集まる中には、箔炎の姿もあった。
会合ではもう会っていたが、箔炎の落ち着きは、もう時を経た重々しさも伴うものだった。
経験は、神をこうも変えるのかと、誰もが驚いたほどだ。
それは、仲の良い友である志夕にしてもそうで、まるで別人のような立ち合いに、全く歯が立たない日々を送っていた。
これまでは拮抗していて箔炎には敵わなくても、たまには一本取れたものだった。
それが、本当に全く歯が立たないのだ。子供の相手をさせている気持ちになった。
もちろん、箔炎はまだ子供と言われる歳だったが、誰も志夕の方が歳上などとは思わないだろう。
父王の志心と共に七夕祭りに来て、志夕はため息をついていた。
「それにしても長い喪であったわ。」炎嘉が言った。「あちこち神が死にすぎなのだ。世が変わって行くというのは、何やら落ち着かぬな。こうして七夕に顔を合わせる事が出来る幸福を思うものよ。」
焔が頷いた。
「誠に。当然だと思うておった毎日が、突然に変わるのだからの。それで維心よ、義心を亡くして宮はどうよ?まともに回っておるか。」
維心は、酒を口にしながら答えた。
「あれが死ぬ間際に書き記した書を、軍神達が読んでその心掛けだけでもと、皆が励んでおる。まあ、義心一人には敵わぬが、三人居れば何とかというところよ。」
志心は、神妙な顔をした。
「義心は優秀過ぎた。あれが居たらとよう思うたもの。惜しいことよ…次は白虎として転生してくれぬかの。志夕の助けになろうにな。」
維心は、ムッとした顔をした。
「あれはまた我に仕えると申して逝ったわ。次も龍よ。」
炎嘉が苦笑した。
「こら主は。誠に義心とそういう仲であったのかと勘繰るではないか。」
維心は、そんな冗談にもふんと横を向いた。
「何とでも思えば良いわ。あれとそんな仲ではないが、よう仕えてくれたと思うておる。我は…己の事ばかり考えておったからの。あれは死に際まで我の統治を案じて逝ったというに。」
炎嘉は、維心がそれを気に病んでいたのだと知った。確かに維月を巡り、いろいろあったのだと思う。
炎嘉は、そんな維心を元気づけようと言った。
「あれは義蓮を残したであろう。義蓮はそこそこのようであるが、その子はどうなのだ。確か上の子が義将といったか。もう成人しておって軍に居るのだろう?」
維心は、息をついた。
「あれは義心と違うて成人してすぐに婚姻して妻が三人居るから。主が言うように義将という息子はもう軍で働いておって、それなりの序列になっておるが、義心と比べたら…あれは、200を超えた時にはもう、父親の退位に従って筆頭に座ったのだ。それからその座を誰かに譲ったことは無い。それほどに稀有の才能の持ち主であった。義蓮は次々に子を成してくれるが、娘が多く皆侍女として宮で働いておるな。最近生まれた息子はまだ生まれたばかりの赤子、あれは義心を悼んでその子に義心と名付けたが、子も哀れよ。名が重いのではないかの。」
志心が、長い溜息をついた。
「維心…。気持ちは分かるが、そう落ち込むでない。今夜は我らと飲んで、心持を明るうしようぞ。のう箔炎よ。主は初めての七夕でどうか?」
志心が、話題を変えようと酒がまだ飲めない歳なので、茶を片手にその場に座っている箔炎に話を振った。箔炎は、フッと微笑んで、答えた。
「このように大きな催しに王として参るのは初めてであるので、珍しいと回りを見てばかりでありまする。とはいえ、皇子の頃の方が、途中で抜けて訓練場で戯れておられるので、気楽であるなと思うておる次第。」
それを聞いた、焔がハッハと笑った。
「おお、まだ成人しておらぬものな。良い良い、訓練場へ参っても誰も咎めぬぞ?そうよ、駿がかなりの手練れであるとか。主らが立ち合う様も見てみたいものよ。」
駿は、脇で盃を片手に座っていたが、苦笑した。
「本日は甲冑も持っておらぬし。それはまた次の機会に。」
箔炎も、頷いた。
「我もそんなことは出来ぬと思うておったので、持って来ておらぬし。次にこのような催しがある時は、それに備えて甲冑も持って参りまする。」
炎嘉が、つまらなさそうに言った。
「なんぞ、焦らすの。箔炎がかなり腕を上げておると聞いておるから、一度見てみたいと思うておったのに。」
箔炎は、そんな炎嘉にまた微笑んだ。
「機会があればいくらでも。別に我はそう手練れでもないのに。駿殿の方がかなりの腕だと我が宮でも噂になっておるぐらいであるし。また立ち合う機会までに、せめて恥ずかしくないほどには精進しておきまする。」
志心が炎嘉を咎めるように言った。
「こら。無理強いするでない。箔炎だって忙しいし、最近は訓練場にも立てておらぬやもしれぬではないか。子供より子供のようなことを言いおって。」
炎嘉は、頬を膨らませた。
「うるさいわ。最近宴だけでは退屈であるし、珍しいものに飢えておるのよ。」
箔炎は、そんな変わらぬかつての友の会話に、心の中でホッとしながら楽しんでいた。みんな変わらない…しかし、その会話の中に、自分は入って行くことが出来ない。あれだけ記憶を置いて来ると言っていた自分が、こうして僅かな迷いであの瞬間に願ったばかりに、記憶を戻してしまったなど、皆に公開することが出来ないのだ。
変わったのは自分か。
箔炎は、皆の輪に入ることが出来ない自分に、孤独を感じた。前世よりも、更に孤独。いっそのこと、皆に告白してしまえば良いものを。だが、そんな勇気など、ない。
箔炎はそう思いながら、皆の会話を聞いていた。
蒼は、宴には出ずに帰って来た月の宮で、十六夜と話していた。
「じゃあ、維心様もお元気になられたみたいだね。もしかしたら、宴には出て来られないかと思ったんだけどさ。」
十六夜は、頷いた。
「いつまでも義心を悼んでられねぇんだよ。あいつは王で、義心は軍神だ。将維の時みたいに、誰も同情してくれねぇのさ。とはいえ、義心には前世からそれは世話になったし、維月といろいろあったから、オレだってショックだったよ。維月も、最後まで必死に維心の統治のことばっかり考えて、筆を動かすのをやめなかった義心を側で見てて、つらかったらしいしさ。維心はもっとだろう。あれだけ維月に近付けまいと嫌がらせしたりしてたしよ…それなのに、義心は最後まで必死に龍軍のことを考えてて。最後には、必ずまた維心に仕えるって言って死んだんだぞ。維月のことは見たらしいが、維月には言葉を遺さなかった。最後まで、維心に配慮してもう死ぬのに維月と触れ合うことすら望まなかったんだ。あいつでなくても落ち込むさ。オレだってそれを聞いた時にゃ、維心に逆らってでもこっちへ連れて来て、維月としょっちゅう過ごさせたら良かったって思ったもんよー。」
蒼は、自分もつらくなって来て、涙が浮かんで来るのを感じた。義心はどんな気持ちで維心様にまた仕えたいと言ったんだろう。それってもしかして、維心様の側には維月が居る。だからなんじゃ…?
「十六夜。」蒼は、急に思考がクリアになって、十六夜を見た。「分かったよ。義心は、維心様に仕えるって言ったけど、違う。きっと、維心様の傍には常に維月が居るからだ。義心は、やっぱり最後まで維月の傍に居たいと思ってたんだよ。維心様に仕えるのは、神世を穏やかにすることだ。維心様しか出来ないじゃないか。つまり、維心様が神世を統治するのを助けることは、維月の幸せに繋がるんだよ。そうだ、分かった!義心は最後まで必死になっていたのは、維心様のためだけじゃない。維心様が統治して神世を穏やかに保って、維月が穏やかに暮らせるようにって事だったんだよ!」
十六夜は、驚いた顔をした。言われてみたらそうなのだ。義心は維心に忠実だったが、愛していたのはその妃の維月だ。維月を愛して、その幸せを何より守りたかったはず。維心ならば神世最強で、維月は維心を愛しているのだから守られて幸せなはずなのだ。そんな姿を横に見て、義心はまた、幸せだったのだろう。維月の幸せを守ることが、義心の幸せだったのだ。
だからこそ、自分が死ぬと思った時、維心の絶対の世を確かなものにしたいと思った。
だからこそ、必死に自分の知識を書き記したのだ。
そして、最後に維心に仕えたいと言ったのは、維心の側に居る維月の側で、その幸せを守りたいと思ったからだろう。
義心は、きっと最後まで維月を想って逝ったのだ。
十六夜がそう、視界が広がるような思いで悟っていると、蒼は涙を流していた。最後まで維月を想って、直接に想いを告げることも出来ずに、逝ったのだ。
十六夜まで涙ぐんでいると、そこへ碧黎がスーッと現れた。腰に手を当てて、困ったように笑ってこちらを見ている。
「碧黎様…。」
蒼が涙を流したまま碧黎を見て言うと、碧黎は息をついて、言った。
「何事もままならぬもの。しかしあれは、己の立場をよう弁えて生きておったのだ。そして、それをつらいと思わず、次の生も同じように生きたいと望むなど、ほんに維月を愛して維心を敬っておったのだと我も思う。」と、息をついた。「だがしかし、あれは長くは黄泉に居らぬだろうの。己が維心を最後まで補佐できなかったことを、悔んで案じておったから。」
蒼は、碧黎に身を乗り出して言った。
「それは、義心は転生しようとしておるということですか?」
碧黎は、また困った顔をした。
「我には言えぬことがある。黄泉での動きも見ようと思えば見えるし分かるが、我は主らにそれを言えぬ。言えることと言えないことがあるのだ。生死の問題は、繊細での。」
十六夜は、顔をしかめた。
「でも、維月と命を繋いだら維月に知られる癖に。」
それには、碧黎は軽く十六夜を睨んだ。
「主は。一応、伏せようと思う記憶は伏せられるのだ。維月が知って良くないことは、我は漏らさぬようにしておるよ。我を忘れておってもそこは忘れぬわ。」
十六夜は、面白くなさそうな顔をしている。
蒼は、義心にはゆっくりして欲しかった。また不自由な中で一生懸命孤独に戦う姿など、見たくはないと思ったからだ。きっと、維心は早く帰って来て欲しいのだろう。だが、蒼は義心の気持ちを思うと、どうしてもゆったり過ごしてほしかったのだ。
しかし、義心は維月の傍に帰りたいと思うのだろうか。
今日は満月だ。
よく晴れていて、七夕の龍の宮では王達が、新しい王達と共に酒を酌み交わしているのだろう。
新しい世が次々に進んで行く。だが、月の宮は変わらない。月の一族はこうしてここで、老いることも無く神世の流れを見ながら生きている。
神と関わるから死に直面して苦しいが、そうでなければ、自分たち一族はそんな悲しみとは無縁なのだ。
それでも、神のことは好きだ。
蒼は、そう思って新しい風が吹き始めた宮々に、どうか幸福にと願わずにはいられなかった。
相変わらずのホームドラマ神様版で、しかもダラダラと進むのでずっと読んでくださっている、長年キャラを知っているかたでなければ読めないかもしれません。ですが、私の好きで出していたキャラ達も、歳のせいもあって亡くなってしまったので、自分で書いておいて悲しいので、早く続きを書きたいと思ってしまい、すぐに明日から新しいお話を書き始めます。そちらも変わらずこんな感じの進み方なので、お付き合い頂けるかたはお暇つぶしにでも訪れて見てくださいませ。8/19




