喪失
義心の葬儀は、維心が行った。
普通、王が軍神の葬儀を執り行う事はないが、維心がそう決めて、宮の全てが喪に服した。
維心の沈みようは大変なもので、それが後悔からであるのを維月は知っていた。
前世から義心とは維月を巡って確執があり、時に辛く当たった事があったからだ。
維月は、そんな維心に寄り添い、心の傷を癒そうと努めた。
しかしその間も、神世は動き続けていた。
軍神達は、義心が遺した巻物の数々を、額を付き合わせて読み、頭に入れていた。その知識の深さは相当なもので、それでもそれが、ほんの一部分であることは皆が知っていた。
帝羽が、感心して言った。
「何としても敵わぬはずよ。こんな風に考えて任務に着いていたのなら、我の意識は低すぎた。まずは己の頭で考えよと。…確かにその通りよな。」
新月が、頷いた。
「それは基本的なことぞ。何よりこの、時により変遷する王の結界の穴を見つける方法や、大きな気をどうやって王に気取られずに結界内まで行っていたのか、そのようなことがこれほどに事細かく。それでも、最後のこの書きかけの場所も気になる。気を読んで…を…、いったい、何を知る方法を記そうとしたのか。ここまで多岐に渡ると軍神皆には浸透出来ぬが、せめて己で考える術だけでも教えておかねばな。世の流れは下々の軍神であっても頭に入れておかねばらならぬ。まさかの時に己の命すら、それで守れるかもしれぬのだと。義心殿の残した言葉そのままにの。」
義蓮は、まだ父親の突然の死に感情がついて行かないのか、屋敷から出て来ない。義蓮は義心とは違い、婚姻も200歳頃に済ませて妻が三人、子も何人か居るし、今も妻の一人が身ごもっているのだと聞いているのに、この暗い様では子も哀れだと思えた。
とはいえ、王が葬儀を執り行ったので、宮はまだ喪中。
それでも、軍神達はそれぞれの任務に就いていた。だが義蓮には、新しい任務を与えることはさすがにできなかった。
「…義心が死んだか。」炎嘉は、鳥の宮で神妙な顔で空を見上げた。「あれも長く維心に仕えたものよ。いろいろ前世よりあったにも関わらず、維心も義心を重用しておったしな。志心ではないが、確かにあれほど近くに置いた神は、男でも女でも、維月の他には義心しか居らぬだろうの。維心は己で葬儀をしたと申すが、あれなりの労いなのだろう。まさか維心に限って男を何某か考えられぬと思うておったが、この手厚い感じはもしかしてと思わせてしまうわ。」
嘉張は、神妙な顔をして何を言うのかと驚いたが、黙って聞いていた。義心は、名を知らぬ者が居ないほど優秀な、龍王の右腕と呼ばれた軍神だった。義心と対峙して生きて帰った者は居ないという。戦闘における駆け引きも、全てが完璧な軍神だった。嘉張は、義心から学びたいといつも思っていたのだが、もう、それは叶わない。
死する直前まで、筆を取って残る軍神達のために、己の知識を書き残していたのだという。そんな義心の書き残したものを、嘉張も見てみたかったが、しかし龍の軍神が書き記した物を、いくら炎嘉の口添えがあったとはいっても、見せてはもらえないだろう。
嘉張は、残念で仕方がなかった。自分は、父の嘉楠には遠く及ばない。教えてもらったことは少ない。どうしたら父に追いつけるものかと、人知れず苦悩していた。
月日は、誰を失っても流れて行った。
それぞれの宮の服喪期間が明けた頃、椿はまた、白虎の宮からの文を受け取っていた。
皇女の桜は、可愛らしく育って来ていて、最近ではそこら中をよちよちと歩き出したので目が離せない。
そんな最中でも、一度は約束した事であるので、白虎の皇女である白蘭の書の指南は続けていた。
「あら…良い文字になって参られたこと。」椿は、その文を見て誰にともなく言った。「最初は少し拙いかと思うておりましたのに。」
隣りで、桜を抱いていた駿が文を覗いた。
「それは…主が西に居った頃から続いておる文通か。」
椿は、微笑んで頷いた。
「はい。志夕様から箔炎様に、そうして我に。我が指南することになり申して、それはこちらへ来てからもずっと続けておりまするの。不思議なことに、我がお教えしておりますのに、白蘭様にはまた、違った文字になるのですわ。やはり文字というものは、その神自身を表すのですわね。」
駿は、感心したようにそれを眺めて言った。
「主の手もそれは良いと思うておったが、これもまた見事なものよ。さすが主が指南しただけあるの。」
椿は、微笑んで桜を見た。
「桜にも、我がもう少ししたら教えて参りますわ。当代一の皇女に育てますから。」
椿は、今からそんなことを言っているが、桜はまだやっと歩き始めたばかりなのだ。言葉もまだ少ない。
「あまり気張るでない。まだまだ時はあるのだし、これの嫁ぎ先を探す頃には立派に育っておろうしな。」
桜が、駿の首に抱き着いて、頬にすりすりと自分の頬を摺り寄せる。駿は、苦笑してそんな桜を抱きながら、立ち上がった。
「主はもう。さあ、乳母と過ごす時間ぞ。父は仕事があるゆえな。」
椿が桜を抱きとるが、桜はイヤイヤと首を振った。
「おとうたま!」
しかし、駿は首を振った。
「ならぬ。宮の決まりを弁えよ。」と、椿を見た。「まずはそこからよ。躾には順がある。」
椿は、困ったように微笑みながら、駿に頭を下げた。
「はい。では、乳母に渡して参ります。」
そうして、そこを出て行った。駿は、椿が残して行った文に目を落とした。確かに…椿とは違う艶のある字。しかしこれは、何やら経験豊富な印象、しかし何かを、乗り越えた強さも感じるものよな…。
何も知らないのに、駿はそんなことを思った。
白蘭は、その知らせを父と兄の雑談の中で聞いた。
義心様が亡くなられた…?!そんな…我は、遅かったということ…?
直後は、あまりのショックに寝込んでしまった。それでも、見舞いに来た兄から聞いたところによると、義心はもう、あの見た目であったが1000を越えていたのだという。
いつ老いが来てもおかしくはない状況であったらしく、それを聞いた白蘭は、思った。
ならばあのかたは、自然婚姻なども、面倒に思うておられたのかもしれない…。
数日は塞ぎこんでいた白蘭だったが、侍女達は事情も知らないのに、それはよくしてくれた。それもこれも、白蘭が皇女らしくと努力し、関係性を良くしていたからで、自分のしていたことは、間違ってはいなかったのだと思えた。
あのかたは、我をこうして真っ当な道へと導くために目の前に現れたのかもしれない。
白蘭は、そう思うようになった。
そのうちに、具合が悪いと滞っていた椿との文通も再開し、事情を知る椿経由で来る緑翠からの文にも癒された。
緑翠は、義心の死を知って、真っ先に文をくれた。そして、これは運命だったのだから、長く気に病まずに生きている自分の将来に希望を持つのだと諭してくれた。
そうやって過ごしているうちに、白蘭は気付いた。義心は、ただの憧れであったのだと。もう夢から覚めて、現実の己を見つめなければならないと。
そうしたら、書も変わった。今まで通りに書くのだが、己の心持ちが綺麗に字に表れる。白蘭は、義心という憧れの存在を失った喪失感を、乗り越えたのだった。
最近では、父も良くしてくれる。書を見てやろうと父と文を取り交わす事もあったが、父はよう励んでおると褒めてくれ、白蘭を気に掛けてくれるようになった。
兄の志夕も、今の白蘭ならどこへ出ても恥ずかしくはないと喜んでくれた。
白蘭はやっと、穏やかな気持ちで生活することが出来ていた。




