干渉
高司は、悠子からの文に激昂した。
「何としたこと…!」高司は、怒りでブルブルと震えながら叫んだ。「いきなり箔翔殿が崩御したなど…いったい何事かと思うておったら、そういうことか!」
重臣筆頭の泰が、戸惑いながら顔を上げる。
「いったい何事でございましょう?あちらは、なぜにこのような事に?」
高司は、悠子からの文を振り回しながらさらに叫んだ。
「箔炎ぞ!箔炎が箔翔殿を殺したのだ!会合の席で意見があわなんだとかいう理由で、胸を一突きにしたらしい!あやつは父親を殺して王座を奪ったのだ!」
泰は、息を飲む。意見が合わぬ…だとすると、常悠子様が愚痴っていた獅子との婚姻の揉め事の件か。
そうだとすると、妥当なことだと思われた。箔翔はどうあっても退かない構えで、あちらの既に妃になっている椿を、奪おうと窺っていたのは知っていたからだ。下々の宮では知らないかもしれないが、ここは悠子の関係でかなり鷹に近いので、そういったことは自ずと聞いていた。高司は箔翔に同情的だったが、臣下達はそうは思っていなかった。獅子の力は知っていたし、龍も鳥も、獅子側なのは知っている。そうなると、鷹はこのままでは神世からはぐれてしまう。それでなくても箔翔の代になってから、あまり回りの宮の世話などはしていなかった。内政に必死な箔翔に、負担を掛けられなかったからだ。自然、高司の宮でも負担が増える事になり、臣下達すら鷹の序列を訝しむ声が出ていたほど。これ以上状況が悪化すれば、序列も陥落するのではと皆が思っていたのだ。
しかし、高司はそうではなかった。
「このままでは殺されてしまうと悠子は恐れておる!箔真とてこのままでは何をされるかと…我の孫であるのに!黙ってはおられぬ!」
しかし、泰は戸惑う顔で高司を見上げて言った。
「しかしながら王、筆頭軍神は?重臣はどう動いておるのでしょうか。安易に王が外からお口を挟まれれば、内政干渉と龍王に訴えられて龍王が敵に回りまする。龍王の一言で、月もあちらに。そうなるとこちらは、関係のないことで宮を揺るがす事態になり得まする。」
共に話を聞いていた、他の重臣たちも不安そうに顔を見合わせている。高司はそれでも赤い顔で言った。
「何を言うておる!悠子と箔真の命が懸かっておるのだぞ?!子と孫の命を守るためなら、龍王とて何も言えぬわ!我があれらを保護して守る!そうでなければ父親は何をしていたと神世に後ろ指を指されるわ!」
「いやしばらく。」軍神筆頭の、征が落ち着いた様子で膝を進めた。「それは誠にお命が危ういのでしょうか。箔炎様は、悠子様と箔真様にそのような扱いを?」
高司は、文を振り回した。
「だから悠子が危機感を持っておるのだから、そういう流れがあるのだろうが!悠子は一刻も早く箔真を王にと力を貸して欲しいと申しておるのだぞ?!そういう意見の重臣と話をしておるようなのだから、あちらもそういう状況をいうことではないのか!」
しかし、征は険しい顔で言った。
「我がお調べ致しまする。王、安易に動いては宮の将来に関わりまする。ここで間違えば、龍王が出て参り、取り返しがつかぬようになる。王もご存知の通り、七代龍王は歴代最強の五代龍王と同じ力を思っておられます。この宮など、一瞬で消し飛んでしまいまする。まして月の妃が居る龍王に睨まれては、こちらは絶対的に不利。慎重に動かねば、宮自体が無くなることになり兼ねませぬ。」
高司は、歯ぎしりした。
「悠子と箔真の命を差し出せと申すか!」
しかし、じっと脇で聞いていた、第一皇子であり、もはや300歳にもなる高晶が言った。
「父上、そうではありませぬ。」落ち着いた声に、高司はキッとそちらを見る。それでも高晶は静かに言った。「悠子はもはや鷹の妃でありこちらの皇女ではありませぬ。宮の安泰を一番に考えるのが、臣下軍神の当然の思考でありまする。父上が言うは、感情に流された宮のことを考えぬ意見でありまする。それに、征は頭から反対しておるのではなく、まずは調べてからと申しておるのです。まずは王として、宮のことを考えて慎重に動くのが良いかと。」
それでも、高司は高晶に向き合って叫んだ。
「王の我が申すのに何を言うておる!周りの宮に詳細を伏せておるようであるし、それは己が不利になるからぞ!我は皆にこのことを告示する!さすれば世論が黙っておらぬから、いくら箔炎の肩を持っても、龍王とて無下にはできまいが!そもそも龍王もこれを知ったら箔炎を問い詰めようぞ!」
しかし、高晶は首を振った。
「そうは思いませぬ。龍王が、これを知らぬと思われるか。あちらには義心が居る。あれはどんな結界でも穴を見つけて入り込み、誰にも気取られずに内情を探りに参ります。箔翔殿が崩御したと聞いて、龍王がそれを命じておらぬはずがない。恐らくは知っておる。悠子が父上に言うて来た内容だけで決めて動くのは性急過ぎまする。あれは政務など全く分からぬから、反対派の臣下達に踊らされておる可能性もあるのです。」
征は、黙ってそれを聞いている。恐らくは同意なのか、じっと高司の答えを待っているようだった。
その時、その会合の間の扉を抜けて、慌てふためいた様子の重臣が転がり込んで来た。
「王!龍王が…龍王がこちらに!」
高司もだが、高晶も驚いた顔をする。
「来ると言うて来たのか。」
高司が言うと、重臣は何度も首を振った。
「違いまする、いらしておるのです!結界外に…今、次席軍神の帝士がお迎えに…!」
高司は、それを聞いて顔色を変えた。滅多にこんな所にまで来ないのに、来たのか。
高晶が高司を睨むように見た。
「…龍王が来た。こちらの動きなど、お見通しという事ではありませぬか。どうなさるのです。通さぬわけには行きませぬ。」
高司は、眉根を寄せて握った拳を震わせた。龍王に屈するのは…しかし、とにかくは何を言いに来たのか聞かぬことには前に進まない。
なので、仕方なく征に吐き捨てるように言った。
「…迎えに出よ。謁見の間に。」
征は、黙って頭を下げると、サッとその場を出て行った。
維心は、高司の宮を見て、久しぶりだと思っていた。前に来たのは、恐らく前世の、たまたま会合の場所が喪で使えなくなり、無理やり高司の宮に変えた時だった。
あの時は、この宮に神世の王全てが入るには狭いので、下位の宮の王達が、応接間を控えに使わされて乱れていたのを思い出す。
あの頃は高司は皇子で、父王の後ろに隠れておどおどしていたものだった。慣れない龍王の神世最強の気に、怯えていたのだと後で聞いた。
それぐらい、ここと龍の宮の交流は、王族レベルでは無かった。
しばらく待たされた後、筆頭軍神の征が迎えに出て来て、維心と義心は宮の中を歩いて高司が待つ謁見の間へと向かった。
龍の宮よりいくらか小さな謁見の間の大扉を抜けると、正面の玉座の前に立って、高司と皇子の高晶が並んで待っていた。
維心は、宮の中が困惑した空気に満ちていることを感じながら、その前に進み出た。
「数か月ぶりよな高司。」
序列の関係上、維心から声を掛けるよりないのでそう言うと、高司は答えた。
「急なお越し、驚いた。こちらは皇子の高晶。面識はおありにならぬかと。」
維心は、頭を下げる高晶を見て、会釈した。
「もうこのようになるか。まだもう少し幼い頃に見掛けた事はある。我が宮の立ち合いに出て参った時があろう。あの折ぞ。これだけしっかりした様になったなら、主も安心して宮を任せられるの、高司よ。」
高司は、身を硬くした。それが、退位を促すようにも聞こえなくも無かったからだ。
しかし、表向き何でもないように、言った。
「して、此度はどうなさったのだ。龍王が単身、軍神一人だけを連れて参るなど、我が宮始まって以来の事態ぞ。何か有り申したか?」
維心は、目を細めた。
「分かっておろう。主、悠子に泣きつかれなんだか。」
高司は、目に見えて驚いた顔をした。隣りの高晶は、落ち着いた様子だ。維心の横に膝をつく義心は、じっとそんな高司の様子を見ていた。
「…主は何を知っておる。悠子はあの場に居って内情を事細かに知らせて参った。箔炎の暴挙を許しておったら、神世はそんな皇子ばかりになってしまおうが。それでも主は見て見ぬふりをしようと申すか。」
維心は、険しい顔のまま答えた。
「鷹の内政は鷹が決める。主は悠子が誠に殺されたのなら憤れば良い。我は義心に探らせて参ったが、筆頭の佐紀も重臣の玖伊も、直後から箔炎を王として立てておるとのこと。大半がそれに倣っておる中、悠子が箔真を立てようという動きがあり、箔炎はそれを気取っておるが放置しておる状態。当の箔真は箔炎を妄信していて今も、箔炎の指示で立ち働いておる。」と、そこまで言ってから、高司ではなく、高晶を見た。「必要な情報は渡したか?主はどう思う。」
高晶は、自分に話が振られたので驚いた顔をした。高司が、顔をしかめた。
「これは我の命に従う。我は、悠子の動きを当然と見ている。父親殺しは何であっても許されることではない。箔真が居るのだから、それに任せたら良いではないか。」
維心は、チラと高司を見てから、言った。
「主には聞いておらぬ。高晶、主はどう思う。」
高晶は、父王に視線を少し向けたが、すぐに維心を見て、答えた。
「…鷹の内政は我らには関係のないこと。悠子は今現在、特に危害を加えられておらず、ならば既に鷹の妃であってこちらには関係ない。我は口出しせぬでおこうと考えまする。」
高司が、目を見開いて高晶を見た。
「主、何を…!」
維心が、頷いた。
「それが賢明な判断ぞ。」と、高司を見た。「悠子の言うことを丸のみするでないわ。ならば主、箔翔と箔炎が、いったい何に言い争ったと思うておるのだ。それも伝えて来たか。悠子は会合に出ておらなんだよな?それをどうやって知った。」
高司は、言われて少し、詰まった。
「それは…もちろん、獅子の宮の対応のことであろうが!」
維心は、首を振った。
「そんな簡単な事ではないぞ。知らぬなら教えてやろう。まず最初に申すが、略奪婚は神世で合法であることを言うておこう。主は知らぬのではないかと思うたからの。」高司がムッとした顔をする。しかし何も言えなかった。維心は続けた。「その上で、あの日、会合の最中に駿からの書状が参ったのだ。駿は、生まれたばかりの皇女、桜を箔炎にと申して来た。知っての通り、椿の子であるから椿が育てる。間違いなくよう出来た皇女になろう。そう取り決めることで、和睦を申し出たのだ。」
高司は、知らなかった事実に固まった。高晶は、思っていた…鷹は、あの時点でかなり行き詰っていたはず。放って置いても自滅するだろうと思われるのに、駿は最大限の妥協策を提示して来たのだ。全ては、神世を安定させるために。
維心は続けた。
「箔翔は、それを一笑に付した。臣下はそれに反対したが、聞く耳を持たなんだ。箔炎も、箔翔を留めたが、しかし箔翔は椿でなければの一点張り、更に圧力を加えようと言い出した。箔炎は、そんな箔翔を見切って殺した。鷹の将来を憂いたからぞ。箔炎は、鷹のために己の手を汚したのだ。そしてそれを駿に知らせて桜の件は断った。駿はそれを受けて、箔炎にこの度のことを使者を遣わせて正式に謝罪した。」維心は、そこで息をついた。そして、高晶に言った。「これを聞いて、主はどう思った、高晶?」
高晶は、眉を寄せたまま、答えた。
「…は。駿殿は面識はないが、大変に大局を見て物事を考えられる王であると。それに対して箔翔殿は、更に鷹の立場を悪くする方向へと物事を考えておられ、その意識が低いかたであったのかと思われまする。鷹の立場は今、かなり低い位置で、序列とは名ばかりかと下位の宮からの声も出ておったほど。箔炎殿は更に苦しい位置へ落ちぬよう、鷹を守る行動を取ったのだと思われまする。」
高司が、いくらかトーンダウンしたが、それでも高晶を睨んだ。
「父王を殺したのだぞ?それならゆっくり説得するなり、退位を促すなりやり方はあったであろうが。なぜに殺さねばならぬのだ!」
高晶は、高司を見て強い様子で言った。
「分からぬのですか。殺したからこそ獅子は頭を下げたのです。王一人を戦犯として差し出すことで、これ以上獅子は文句を言えぬようになった。龍王殿も申しておったが、略奪婚は合法で駿殿には鷹を出し抜いたという罪ぐらいしかない。鷹は己が負けたからとむきになっておっただけ。それなのにもう成ったことに水を差して、横から突いておったのは鷹の方。本来、駿殿はそれに対して文句を言うことが出来たのに、皇女を差し出して和解しようとしたのですぞ。それを蹴ろうとした時点で、箔翔殿はもう鷹のための王ではない。己がやったことを背負って死ぬより他に、鷹のためになることがないゆえ、箔炎殿は迷わず己の手を汚したのです。我とて同じ立場ならやり申す。父上、あなたは愚かな王ではありますまいな。王が何たるかを知っておられるか。」
維心は、そんな親子のやり取りを、黙ってじっと聞いていた。重臣の泰がおろおろとした顔でその様子を見ていて、筆頭軍神の征はただじっと険しい顔で見守っている。
維心は、王座も長く座ると回りが見えなくなるものなのかもしれぬ、と、自分への戒めも心に留めながらそこに立っていた。