また喪中
神世では、異常事態だった。
何しろここ数年で、上位の王が軒並み代替わりを果たし、喪中につぐ喪中で、派手な事は慎む空気が流れっぱなしになったのだ。
特に箔翔の件に関しては、まだ若かったにも関わらず、急逝してしまったことは、神世の王には衝撃的だったらしい。
それでも、ここ最近会合にも出て来ていなかったので、それは病を得て体調が優れなかったからだったのかという雰囲気になっていた。
鷹の宮では、宮が真っ二つに割れる勢いだった。
筆頭軍神の佐紀は、迷いもせずに箔炎を王と仕えると宣言し、大半の軍神はそれに従ったが、どうしてもそれに納得がいかなかったのは、奥宮に居た、悠子だった。
悠子は、箔翔とはいろいろあったものの、それでもここ最近では王と崇めて仕えて、幸福だった。
それが、いきなりに箔炎に会合の席で殺されたのだという。それも、意見の相違という小さなことで、政務のことなど知らない悠子には、それがあまりにも理不尽なことのように思えた。
箔炎は、その出来事からそれは険しい顔つきになり、まだ育ち切っていない体であるにも関わらず、威厳にあふれた、重々しい様に変貌していた。
その圧力は、宮の臣下達も平伏させ、箔炎が次の王として王座に就くのが当然の空気が流れてはいた。それでも箔翔に同情的な臣下も軍神も僅かに居て、侍女達は口をつぐんで言わなかったが、それらが密かに悠子に話して、事情を知ったのだ。それらが言うには、納得が行かない者達は、じっと様子を窺っているのだという。
まだ箔翔が死んで一日も経っていないのに、もう箔炎は内々の葬儀の準備をさせている。通夜もあったものではなく、ただ王の居間に安置されたまま、宮の中の慌ただしい雰囲気の中放置されているだけだった。
悠子は、じっと目を閉じて動かない箔翔の亡骸に縋り、ただ泣いていた。突然のことに、理解が追い付いて行かない。王を殺して王座に就いた、箔炎がこの宮をこれからは動かすのか。そうなったら、自分も、箔真も殺されてしまうかもしれない。悠理も、どうなるか分からない。今までおとなしくしていたのは、このためだったのだ。いつか王を弑して、自分が実権を握り、さっさと皆を始末して、この鷹の宮を思うがままに動かすために。
悠子は、継子であるのに一生懸命世話をした、自分の愚かさを呪った。やはり、母親が下々の宮の皇女となると、こんな皇子になるのだ。
箔炎は、何やら忙しくしていて、父親の亡骸に詫びに来る様子もない。
泣き縋る母親を置いておけずに、付き添っていた箔真が、そんな悠子に見かねて声を掛けた。
「母上…。」
悠子は、ハッとした。箔真…我の息子。上から二番目の序列である高司の皇女である、自分が産んだ、箔翔との皇子。第二皇子とはいえ、箔真はそう、箔炎と大きさは変わらなかった。ほんの数年しか離れていないからだ。
悠子は、泣き縋っていた箔翔から離れて、いきなり箔真の両肩を掴んだ。
「箔真、あなたが王座に。父上の無念を、あなたが晴らすのです。父上は、殺されたのですよ。あの、箔炎という皇子に…!」
箔真は、戸惑ったような顔をした。
「我は…父上と兄上が言い争う場に居りました。兄上は、宮の将来を考えてこのように…。父上の御心を思うと確かにつらいですが、しかし兄上は、間違っておらぬのだと、臣下達の動きを見ておっても思いましてございます。何より、兄上のあの様は…父上に、反撃の暇さえ与えずにたったの一撃で弑してしまわれた。我には、あのような能力はありませぬ。兄上が、王となるのが鷹のためだと思うております。」
悠子は、まだ涙を流しながら髪を振り乱して言った。
「何を言うのです!たかが婚姻のもめ事で、このようなことをせねばならぬとは!意見を申して王の御心を変えて参ったら良いのではないのですか!?父王を、殺さねばならぬような事態ではなかったはず!」
箔真は、困った。兄がどうしてああしたのか、その時は分からなかった。自分は驚いて、動くことさえできなかった。佐紀はいち早く動いて、兄の前に膝をついて、王、と呼んだ。筆頭軍神がそう判断したということは、間違ったことはしていなかったのだと箔真は思った。
臣下の玖伊も、それから慌ただしくなったものの、箔炎の指示に従い、王と呼んでいる。つまり、重臣筆頭も軍神筆頭も、これが鷹のためだと判断したということだ。
兄は、箔真がおろおろとしているのを見て、後で主にも理由を詳しく話す、とだけ言った。その前にやらねばならないことが山のようにあるのだと、そのまま臣下達と書状を送ったりと寝ている様子もないのだ。
箔真は、これまでの兄を知っていて、兄を信じていた。兄が、間違ったことをしたとは思えない。母は、確かに貴婦人であられるが、政務のことは何も知ってはいない。だからこそ、こんな風に思うのだろうと思った。
「母上…我は、そうは思いませぬ。」悠子は、驚いた顔をした。箔真は続けた。「兄上は正しいことをしたのだと思いまする。我ら、鷹という種族を守っていかねばなりませぬ。ここのところ、鷹が神世で発言権を失くしているのは、我だっていくら子供でも、会合にも出ておるのですから知っておりました。兄上は、我よりもっといろいろご存知です。我は、母上が言うようにはできませぬ。」
箔真は、母が自分のいう事を理解してくれるかどうかは分からなかったが、それでもそう言うと、逃げるように、その場から出て行った。
悠子は、一人残された箔翔の居間で、首を振った。
「いいえ…いいえ、箔真。あなたが、王座に就くのです。我の子なのだから、あなたの方が絶対に王に相応しいはず。箔炎など、王を弑して王座についた、まがい物の王。神世がそれを知ったら、絶対に許さないはずだわ!」
悠子は、ずかずかと傍のテーブルへと歩み寄ると、叫んだ。
「侍女!文箱を持て!お父様に文を書きまする!」
そうして、慌てて文箱を手に入って来る侍女達を急かして墨を擦らせ、悠子は父の高司に向けて、鷹の宮で起こっていることを事細かに書いて送ったのだった。
箔炎は、宮の中を見ていた。
こうして王を殺して代替わりとなると、絶対にすんなりとは、王座に就くことは出来ないと知っていたからだ。
前世ですら、自分は父王が死ぬのを待って、母親を殺して宮から女という女を追放し、長い間の憂さを晴らしたものだった。
今生、父親を殺して王座に就くことになった自分は、面倒に巻き込まれるのは分かっていた。それは、対外的より内の問題だ。絶対に、それを良く思わない臣下軍神が居るはず。
その者達を、どうにかして押さえ込み、そうして前世の維心のように、宮で絶対の王として君臨するよう持っていかねばならない。
まだ、たった50の箔炎にとって、それは難しいことだった。中身がどうであれ、見た目は大きい。もっとしっかりとした様でなければ、軍神も不安から楽な方へと流れようとするだろう。
幸い、佐紀と玖伊は弁えていて、すぐに自分を王として宣言してくれた。だからこそ、まだ宮に大きな混乱はないが、これから箔真にそんなつもりはなくても、箔真を王に立てて宮を回そうとする輩が、絶対に出て来るはず。
箔炎は、維心や炎嘉、焔、志心がどう動くのか、分かっていた。あれらは鷹を滅ぼそうとは思うはずがなく、世の平穏を願っている。箔炎が王座に就くのを、認めるはずなのだ。いや、恐らくは、自分が父親を殺したことは知っていても、それを隠しておこうと思ってくれているはず。
唯一の懸念は駿だったが、駿はこちらへ詫びの書状と品を、すぐに贈って来た。思ったより駿は、判断力のある王であったようだ。若いのに、と箔炎は感心したが、その駿より更に若い今の自分が、そんなことを思う今の状況に、心の中で苦笑した。思い出したくはなかった…それでも、今の鷹の状況を見たら、思い出さないわけにはいかなかった。
そう、王の間違った判断で、一族を失うわけには行かなかったのだ。
箔炎は、転生する時の黄泉から出る瞬間の、眩い浄化の光を覚えていた。その光が、自分というものを奪って行くのを感じた時、鷹を守るのに必要な記憶があるなら、それだけは持って行きたい、と心底思った。新たに生きて、前世のように引き籠ることを選ばないとは限らない。そんな間違った判断を二度としないように、どうか必要な記憶だけでも、消さずに置いて欲しいものと…。
気が付けば、今だった。
今生、箔翔の皇子として生きて来た、記憶がなくなったわけではない。だが、その記憶の中に、今の自分が居る。変わらない自分だが、しかしやはり前世の自分でもあり、おかしな感覚だった。
…?
箔炎は、ふと息をついた瞬間、龍の気が過ぎったような気がした。
…義心が、調べに参ったか。
箔炎は、フッと表情を緩めて、あの龍王や鳥王が、今はどんな顔をして世を治めているのかと、思いをはせた。
それにしても、義心だけはいつなりひとの結界の隙をついてスイスイ入って来るものよ…。




