激動3
義心は、転生して来た王達の話を聞いて、記憶を留めるのは想像以上に大変な事なのだと思った。
黄泉の浄化の光を凌駕する力で記憶を留めなければならないのなら、自分などこの記憶を持って来られるのだろうか。
実は、義心も死自体は怖くはなかったが、生まれ変わる時、今生の記憶を失くすことが怖くて仕方がなかったのだ。
何より、いつ死ぬか分からない歳なのだ。
老いが来て突然に死に、維心の補佐が出来なくなるのは気がかりだった。後続の軍神達を育てては居るが、なかなかに自分が満足するレベルには育ってはくれない。
維心が神世を統治する助けをすることが、神世の安定に繋がり、ひいては維月の幸福につながる。
義心はずっとそう思って、維心に無心に仕えて来たのだ。維心は、完璧な龍王で、義心が情報さえ集めてくれば、維月を危険に晒すようなことは絶対に無かった。維月には、がっつりと維心に守られた龍の宮の奥で、いつも笑っていて欲しかった。もし、自分が死んでこの世から居なくなり、その幸せが崩れることを思うと、早く世に戻ってこの記憶のまま、再び維心に仕えたいと、心の底から思っていた。
何より、維月を忘れたくない。
義心は、ただそう思っていたのだ。
「…では箔炎は覚えておらぬとして」炎嘉の声がして、義心はハッとした。炎嘉は続けた。「あれは愚かではないから、しばらくおとなしゅうして様子を見ような。こちらが鷹をどんな風に扱うつもりなのか探るだろうと思われる。そこで、我らはどうする。」
それには、志心が答えた。
「我は別に。そもそもが婚姻問題であろう。我らが口を出す事は無いと思うておるから、箔炎が普通であるなら我も普通に接する。箔翔と同じ対応ぞ。そういえば、箔翔の葬儀はどうなるのだ?」
維心は、義心を見た。
「義心。」
義心は、答えた。
「は。葬儀は内々に開かれるとのこと。急なことなので宮の準備も整わぬということであるようでございます。」
炎嘉は、眉根を寄せて苦し気な表情をした。
「…あのような死に方であるから。宮も混乱しておろうし対外的な葬儀など行えぬであろうの。まして、次の王である箔炎が殺したのであるから。こちらからは…悔みの書状と品を贈るより他、出来ることはあるまい。」
維心は、前世の遠い記憶を掘り起こして答えた。
「我も前世父を殺した時は、葬儀は内々に済ませるように指示した。あの折、父上も我も龍身を取って戦ったゆえ、その気の大きさから我が殺したことは神世に知れ渡ってしもうたゆえな。突然であったから宮も混乱し、しかし筆頭軍神であった義明が我についてくれたゆえ、そう宮も乱れず済んだ。皇子は我だけであったし、そもそもでは誰に後を継がせるとなったら我しかおらなんだのもある。」
志心が、うーんと唸って腕を組んだ。
「確かに臣下はどう考えておるかも関わって参るな。箔炎には箔真という弟が居るし、確か炎月の友であったのではないか?」
炎嘉は、頷いた。
「幾度が宮へ参ったことがある。素直そうな明るい皇子よ。炎月と馬が合うようで、よう立ち合いに励んでおった。見ておったら、確かに箔炎より箔真の方が、臣下には御しやすかろうが…しかし、軍神達はどちらにつく。有事の時の決定権は、ほとんど軍神が握っておるであろう。軍神視点から見て、主はどう思う、義心。」
義心は、炎嘉に問われてまた維心を見ると、維心が頷いたので口を開いた。
「軍神からは、強い王を選ぶ傾向がございます。本来、王は自ずとそこに居り、我ら王に仕えるのみでありますが、このような急襲して王座を奪取した場合の仕える先は、一時的に混乱致します。通常、筆頭軍神が一番に世を知り皆を導く役目を担うので、筆頭が選んだ王に仕えると決める軍神が多うございます。しかし、様々な理由により意見が割れることもあり、その場合は内乱でしばらく宮は落ち着きませぬな。鷹の宮の場合、恐らく佐紀は箔炎様につきましょう。ですが、心情的に箔翔様に同情する者が居て、そちらへは付けぬと言い出したなら、そちらは箔真様を推すことになりましょうし、面倒が起こりまする。」
維心は、うんざりしたように言った。
「王を弑した場合の代替わりは面倒なのだ。宮には我に逆らう者も居ないわけでは無かったが、我はそんな輩を一掃し、そうして残る不満分子は己の力を示すことで押えた。義明が今の義心のように力のある軍神であったゆえ、あれも共に我について睨みを利かせてくれたのもあり、我は特に面倒もなく代替わりしたのだ。まあ、神世の会合では他の王に散々言われたがの。気砲を一発撃って脅してやったら皆黙ったわ。余程の理由がない限り、父殺しの王は神世で疎まれるのよ。」
志心は、頷く。
「つまり、箔炎も今その只中である可能性があるの。それでも、箔真と仲が良いと聞いておるから、箔真が箔炎に背こうとする臣下の口車に乗るとは思えぬが。軍神達は今、どう見ておるのか…気にかかる。」
義心は、維心を見上げた。
「王。お命じくださいませ。」
維心は、頷いた。
「行って参れ。」
維心がそれだけ言っただけなのに、義心は頭を下げると、サッとその場を離れて出て行った。
炎嘉が、怪訝な顔をした。
「何だそれは。どこへ行かせた。というか、主らはそれで通じるのか。」
維心は、炎嘉をチラと見て答えた。
「長く使っておるのに。あれが何を思うてああ言うたのか、会話の流れで分かるわ。だから行けと申した。だからこそあれを筆頭に据えておると以前から言うておろうが。」
焔は、恨めし気に義心が去った方向を見つめた。
「文字通り主の右腕。しかし、もうかなりの歳であろうが。あれが老いたらどうするのだ。あんなに便利な軍神は、我も見たことがない。ここ最近の神世の流れを見ておっても、そろそろ老いが参ってもおかしくはない。龍軍の軍神は皆優秀ではあるが、義心が飛び抜けておろう。次を育てることに力を入れさせて、通常の業務からは離した方が良いのではないのか。」
確かに、維心もそれを考えたことがある。しかし、神世の流れは待ってくれない。どうしても義心を使わねば知りたい情報が手に入らず、面倒なのでつい、義心に任せてしまう。義心なりに帝羽や新月、義蓮などを育てているようだったが、どうもいまいち育っていないようだった。
何しろ経験の差が有りすぎるのだ。
義心は維心が何を思ってそれを調べろと言ったのか瞬時に理解し、それにともない必要なものは、先に調べて頭に入れてくる。なので一度の捜査で持ってくる、情報の量が違った。それぞれの思惑なども予測し、そちらからも調べて維心に提示してくるので、事前に様々な事を知ることが出来るのだ。
そんな便利な軍神は、確かに神世で他に見たことはなかった。大体が指示した事をやるだけで、先を見通して調べて来る者は少なかった。
だが、義心ももう、恐らくは1000歳近いはず。
通常王ぐらいしか長い寿命は持たないものだったが、最近では軍神でも、こうして長く生きる者達もちらほら出ていた。
それでも確かに、義心はそろそろ限界が近付いているのではないかと、維心も思っていたのだ。
とはいえ、今はそんなことは考えたくもない。
維心は、言った。
「…あれのことは良い。それより箔炎ぞ。ならば我も、箔炎には普通に接することにする。箔翔は急に倒れて亡くなったという事になろうし、神世はまさか箔炎が殺したなどとは思わぬだろう。駿とて事が事だけに言わぬはず。後は我らが、黙っておれば良いのよ。」
焔は、息をついて頷いた。
「そうよな。そうするしかない。箔翔には気の毒であるが、こうなったのはあれのせいでもあるしな。」
炎嘉は、また暗い顔をしたが、頷いた。
「四方丸く収めるためにはそれしかなかろう。とりあえず、義心が何を調べに参ったのか知らぬがそれ待ちよな。」と、焔を見た。「焔、酒をくれ。飲まずにはいられぬわ。」
焔は、頷いた。
「そうよな、飲もう。箔翔を悼んでやらねば。今だけでもの。」
そうして、遥か鷲の宮では、王たちが密かに箔翔を悼んで杯を傾けたのだった。




