残照
《親父!どこに居る!》
「ここぞ。」碧黎の声がする。既に光希の小さな屋敷の上に浮いていた。「また面倒な。皆で寄ってたかって探しておって、これまで見つけられぬとはの。言うたではないか、蒼。今ならまだ間に合うが、後は面倒になると。今、面倒になっておる。」
蒼は、横で浮きながら下を向いた。
「はい…皆で探しておったのですが。オレが、きちんと皆の心情や環境を考えていなかったせいで…。」
螢と薫は、驚いた。蒼は、自分を責めている。つまり、さっき薫が言ったことを考慮しているということなのだ。
碧黎は、深刻な顔をして、足元にある屋敷を見下ろしながら言った。
「…それぞれに心があるということぞ。主のやり方があるならそれを通し、観のやり方があるのならそれを通す。一貫性が必要であったな。がしかし、今はそのようなことを言うておる場合ではない。十六夜が気取ったのは、前に見ておるからぞ。つまり、これは前の術の残照のようなものだと思うた方が良いの。」
十六夜の声が、焦ったように言った。
《だが、オレの月の結界は発動しなかった。ってことは、オレの経験則で分かったが、月の力の方は気取ってないってことだな。》
いつもなら、さっさと月から降りて来そうなものだが、十六夜は月に居るままだった。つまりはこれは、すぐに力を広域に、しかもきちんと闇を覆って下ろせるように、上から直に見ておこうという警戒心の現れだった。
じっと光希に与えた小さな屋敷を見下ろしていた碧黎が、答えた。
「…享の術の玉、確か新月に砕かれたが、中の闇が現れて十六夜がそれを消し、その後どうなった?」
蒼と嘉韻が顔を見合わせる。玉…?
「…玉の事は知りません。そういえば砕かれて、どうなった?もう力は無くて闇も消えたからと、さらわれていた子達を回収して新月を連れ帰って…」
《放ったらかしだ。》十六夜が、口惜しそうに言った。《砕けちまったから闇も感じねぇしそんなものに構っちゃいられねぇ状況だったじゃねぇか。もしかして、砕けても術は有効だったのか?》
碧黎は、ため息をついた。
「ぬかったの。我も仙術など分からぬから、形を成しておらねば問題無いものだと思うておったわ。だが、我が見たところそれが面倒を起こしておるのだな。身に着けておったのではないのか。」
そう言われて、薫と螢が、ハッと息を飲んだ。
「まさか…静音が持っておったあのいびつな形の?」
螢が言うと、薫も頷いた。
「朔が言うておった、同じ物を光希も持っておったと。」と、後ろでびくびくと場違いなほど小さくなった朔の方を振り返った。「朔!確かに同じ物だったな?あの、宝石のようなと申しておった石のことぞ。」
朔は、皆の視線が自分に一斉に向いたので更に縮こまったが、頷いた。
「ああ、二人とも形も大きさも違うが、同じ色だった。黄色いような、褐色のような色。」
蒼と嘉韻が、それを聞いて息を飲む。
十六夜が言った。
《それだ!琥珀みたいな色のヤツだ!あいつら身に着けてたって?!》
薫が、月を見上げて頷いた。
「光希が見つけたのだと言っていたらしい。静音はそれをもらい、ペンダントにして首から下げていた。光希は麻紐を通して腕に巻いておるとか。」
碧黎が、それを聞いて眉を寄せた。
「…あのようなものをはぐれの神が持っておってはろくな事はあるまいの。何しろ、あやつらの住み処は闇の霧が発生し放題の場所ぞ。そんな場所で生きておる輩がそれを身に着けておったなら、知らずでそれにどんどんと負の念と溜めよう。そうして、それが恐縮して、闇となる。小さければ小さいほど密度が濃くなるゆえ、砕けた欠片などになら見る間に凝縮して参ろうな。」
嘉韻が、宙で膝を付いて、蒼に言った。
「見て参りましょうか。」
しかし、蒼は首を振った。
「闇ならば主も危ない。オレが行く。」と、十六夜を見上げた。「十六夜、いつでも力を下ろせるよな?」
十六夜は、頷いたようだった。
《任せとけ。》
蒼は、碧黎を見た。
「オレが行って参ります。中は、どのようなのかお分かりになりますか。」
碧黎は、首を振った。
「よう見えぬのだ。だが、感じる闇の気配は二つであったものが一つになったようなものぞ。神の気配であるが…一つは、消えておる。一つは、ある。がしかし、闇と同化したような感じを受ける。つまり、胸に闇を持っていた新月のような気配よな。」
後ろで、螢と薫がぐっと眉を寄せ、朔と到が息を飲んだ。ということは、静音が死んだのか…。
蒼は、頷いた。
「見て参ります。」
そうして、蒼は下へと降りて行った。
嘉韻、螢、薫、朔、到、そして碧黎はそのまま、上空で蒼が降りて行くのを見守った。
蒼は、一見静かで穏やかな様子のその屋敷の入口の前へと、降り立った。ここは、王である蒼の持ち物だ。
屋敷や宿舎、全てがここでは王の物で、それを臣下達に貸し出しているということに、神世ではなっていた。
なので、いきなりに訪ねて勝手に入っても、王ならば咎められることもない。
声を掛けることもなく、蒼はその扉を開いた。
入ってすぐは、居間の設えだった。そこでは特に何も無く、テーブルも椅子も変わった様子はなかった。
なので、蒼は奥に二つある寝室の方へと足を踏み出した。気配がどんどんと濃くなって来る…恐らく、こちら側の部屋だ。
蒼は、そこへと足音を立てずに近寄ると、思い切ってその扉を開いた。
すると、正面の寝台には、静音が穏やかな顔で座って、こちらを見て微笑んだ。
「まあ、王…。我に忍んで来られるなど、思ってもおりませんでしたわ。」
そんな雰囲気ではなかったが、確かに何もなく女の寝室に踏み込んだのなら、そう取られてもおかしくはないだろう。
だが、そんな雰囲気でないのは確かだった。何しろ、その足元には光希が、悶え苦しんだであろう、目を見開き口を大きく開いた状態で、転がっていたのだ。
「…!光希!光希はどうしたのだ!」
蒼が叫ぶと、静音はホホと声を立てて笑った。
「何やら闇を持ち帰ったのだとか申しまして。我はそのようなこと、無理だろうと申しましたのに。ですけれど、本当だったようですわ。」と、首から下げた、琥珀色の欠片に手で触れた。「この石は万能なのですわ。これに吸い込まれるように、あちらに僅かに残った闇の残照を手に入れたのだと言うておりました。そして、それはここへ帰れば、我の石の方へと参って…もうその男は用済みなのだと、石の声が申しましたの。なので糧にするのだと。」
蒼は、じっと静音が触れている石を見つめた。しかし、そこに闇の気配は感じない。死んでいる光希の腕にも確かに朔が言ったように石があったが、しかしそちらにも全く気配はなかった。
「…どういうことだ。」蒼は、静音を睨みつけた。「何も無いぞ。その石は、空だ。」
十六夜の声が絶望的な色を持って、言った。
《…蒼、お前の目から見ているが、そうじゃねぇ。》蒼が、その声の悲壮さに驚いて顔を上げると、十六夜の声は続けた。《闇は、移動したんでぇ。闇は今、静音の中だ。》
蒼は、それを聞いて静音に向けて反射的に手を上げた。静音は、ビクッと体を動かしたが、しかしすぐにフフフと笑った。
「王には我を殺すなど出来ませぬ。」
蒼は、険しい顔で言った。
「オレだってやる時はやる。闇が復活するぐらいなら、お前ひとりぐらい消す。」
静音は、寝台から立ち上がると、耳障りな声で笑った。
『殺せぬと申すに!』その声は、静音のそれではなく、男のようなしゃがれた声だった。『我は今腹の子の中に居るのだ!時が満ちたら主らの前に出てやろうぞ。月とてエネルギー体でなく肉の器を持つ我をただ光を降らせるだけで殺すことは出来ぬわ!愚かなことよ!油断したな!』
蒼は、愕然とした。
体の中に居る闇だとて、十六夜の光なら侵入して消してしまうことが出来る。だが、その際にかかる、憑かれている者の体への負担は並大抵のものではなかった。つまり、無理に消そうとしたら、腹の赤子まで諸共に死んでしまうのだ。
静音の体に入ったのなら、恐らくためらいなく生き残れば幸運だ、ぐらいに思って力を放っただろう。
だが、腹の子には何の罪も無いのだ。
蒼は、手を上げたまま、歯ぎしりして高笑いする静音をただ睨みつけていた。




