衝突
箔翔は、言った。
「会合では決まりで言えなかったが、どうしても言うておかねばならぬことがある。」と、駿を見た。「我が皇子と婚姻の話があると分かっておって、父の喪中にも関わらずさっさと横からかすめ取った王の事ぞ。」
駿は、黙ってただ、箔翔の目を睨み返している。
炎嘉が息をついた。
「知っておるが、かすめ取ったとは違うであろう。翠明から聞いておるが、椿が己で、駿の奥へ押しかけたのだと言うておったらしいぞ。駿の様を見ておっても、礼を失するような事をする王ではない。そもそも主が、翠明に椿を早く宮へ帰せと迫ったゆえ、それを素直に椿に命じた。なので椿が駿から離れたくなくてそんなことになったのだ。文が届いた夜に押し掛けたらしいからの。」
箔翔は、それは初めて聞いたので口惜し気に歯ぎしりしたが、それでもその食いしばった歯の間から、言った。
「それでも皆の前で取り決めて、それは皆見ておったではないか。二人の対面も果たしておった。それなのに、なぜに皆そのように仕方がないという雰囲気なのだ。鷹が馬鹿にされておるのに、黙っていよと申すか。」
焔が、隣りから口を出した。
「成ってしもうたことを後から何某か言うても仕方がなかろうが。それでなくても神世は略奪の世であるし、本人同士が想い合っておるのならそれで良いかと思うておるぞ。こんなことでせっかく平穏に回っておる世を乱す者などここには居らぬ。だからこそ、皆何も言わぬのだ。維心とて祝いを遣わせておったではないか。これが軍を挙げてまでとなれば我らとて言われねばならぬが、そうではないのだ。本来、略奪婚に我らが何某か申すことはない。それ自体は合法ぞ。守れぬ己が悪いとなるのは神世の理だと知っておろうが。」
箔翔は、それを聞いて口をつぐんだ。言い返せないから黙ったのではなく、何かを決断したような顔つきだったので、言った焔は慌てた。
「箔翔、だから主は…、」
何か言い出すとそれを遮ろうとした焔を逆に遮るように、声を張った。
「箔炎であるから疎まれると申すなら、我が椿を娶ろうぞ!」その声は、はっきりと皆に聞こえた。維心が眉を寄せる。炎嘉も、ますます険しい顔になったが、箔翔は続けた。「鷹としては、ここまでこけにされて黙ってなど居られぬのだ!我が宮にも優秀な妃が必要ぞ。どこの宮でもそれは同じなはず。まして我がこのようであるから、皆で悠子を勧めたのではないのか。だからこそ、箔炎には歳も同じの椿をと思うたのに、それはならぬとは何ぞ。主らにとって、我ら鷹はそんなものなのか。都合の良いように動かせるだけの宮か。我が父が宮を閉じておったのも頷けるわ。このような扱いの、神世になど未練はないしの!」
箔翔は、それだけを言い捨てると、サッと踵を返して背を向けた。焔が、その背に言った。
「待て、箔翔!」
しかし、箔翔はその部屋を出て、扉を音を立てて閉じて行った。
炎嘉が、ぶすっとして言った。
「…やはりか。あれは退くつもりなどないということよな。」
維心が、炎嘉より険しい顔をして、隣りから言った。
「そんなことではないわ。思うておったよりあれは憤っておるようよ。事は面倒な方向へ行こうとしておる。戦よりな。」
焔が、箔翔の去った方向を見ながら、棒立ちになって言った。
「あれは…やってはならぬことをしようとしておる。」焔の顔は、焦燥感で崩れていた。驚いた炎嘉が焔を慌てて見上げると、焔は続けた。「宮を閉じようとしておるのだ!我は…我はそのような事、止めねばならぬ。後悔するのだ、絶対にならぬ!」
そう言うと、焔も箔翔を追って部屋を飛び出した。
「焔!」
今度は炎嘉がその背に叫ぶ。志心が、息をついて言った。
「…ならぬな。これでは神世が割れるやもしれぬぞ。箔翔は思うておらぬであろうが、焔は前世で宮を閉じるということに関してトラウマを抱えておる。箔翔がまた引き籠ろうとしておるのを見て、己を見るようなのだろう。とどめようと必死になっておるのではないのか。」
炎嘉が、それを聞いて慌てて維心を見た。
「維心、どうするのだ!あやつ…まさかこれほど怒っておるとは思わなんだ。」
維心は、黙って閉じた扉を睨んで、答えた。
「…どうにもできぬわ。そも、主が勧めたことであろう。駿は、とっくに覚悟を決めておる。箔翔が娶ると宣言した限り、いつ来るか分からぬし、気が抜けぬだろうが、その根回しも宮でしておるだろう。取り返すための軍も準備しておると見た。ここは箔翔が諦めるのを待つしかないが、あの様子では…2000年ほど前の箔炎のように、宮を閉じて引き籠るやもしれぬな。」
炎嘉は、同じように焔と箔翔が去った扉の方を見た。箔翔が、ここまでごねるとは思わなかった。鷹が引き籠る事になったら…転生した箔炎は、いったいどうするのだろう。
駿が、立ち上がった。
「全ては我が決めたこと。炎嘉殿にはそのきっかけを与えられただけでありまする。箔翔殿とは争いたくないが、しかし椿を渡せという要求には応じられぬ。それ以外の事で、箔翔殿と話し合うよりないかと思うておりまする。しかし、今はあの状態で我の話など聞くことはありますまい。このことはまた、我が対策を練って参りまする。我の事で、ご心配をおかけして申し訳ない。だが、我が何とか良いように。」
維心も、志心も炎嘉も驚いて駿を見上げた。対策?いったい、どうするつもりなのだ。
「…我らにも道筋は見えぬのに、主、何か手はあるか。」
駿は、苦笑して答えた。
「まだ分かりませぬが、しかし、出来ることはやってみようと。こちらが提示して、あちらがどう出るかという問題でありましょう。皆には迷惑を掛けないように、慎重に参りまする。」
どうするつもりだ…しかし、策など無い。
皆が、維心でさえもそう思う中、駿は皆に会釈をして、そうしてそこを出て行ったのだった。
その後の宴には、上位の宮の王は少なかった。
駿は帰り、焔はまだ箔翔と話しているのか帰ってはいないようだがここには居らず、樹藤と高司は、そもそも面倒を嫌ったのか本日の会合自体に来ていなかった。
公明もいつも通り成人前なので宴には残らず、今ここに居るのは維心と炎嘉、志心、蒼、翠明の五人だけだった。
蒼が、暗くお通夜のような壇上で、困ったように言った。
「…困りましたね、こんなことになるなんて。」蒼の素直な感想だった。「そもそも箔翔は、前々から自分はいつまで経っても子供扱いだと不満を持っていたようですし、それも合わせて爆発した感じでしょうか。」
炎嘉は、黙っている。維心が仕方なく答えた。
「…あれは炎嘉の計算が狂った結果ぞ。箔翔なら自分達が言えば簡単に諦めようと思うたのだろう。だが、此度はそうはならなんだ。箔翔は、我慢も限界に達したということだろう。思うたら、あれも良い歳であるし、いつまでも我らが子供扱いするのはおかしいのだ。前世の記憶を持っておるから我らはこうであるが、しかし今生だけでも見れば、我などあれより年下であるからな。焔もそうであろう?そんな王達が、軒並み記憶を留めて生まれて参って、もう古参になりつつあった箔翔を、いつまで経っても一人前扱いしないことに業を煮やしたのだろうの。とはいえ…あれは、いつまで経っても王らしゅうない。それは確かで、我らにこう言われても仕方ないのだ。なので、炎嘉が悪いとも一概には言えぬのよ。」
蒼は、それに神妙な顔をした。
「それは…オレだっていつまで経ってもこんな感じで、維心様や炎嘉様に助けてもらっておりますので、強くは言えませんけど。」
それには、志心が答えた。
「主は良いのだ、王とは言うて己が分からぬことは分からぬと申して、我らに教えを乞うであろう。そうしたら、我らだって教えてやるし、黙ってそれに従うゆえ事が大きくならぬ。主は、己でよう分かっておるのだ。箔翔は、分からぬでも勝手に決めてしまうし、歳を経てやたらと誇りだけが高くなってしもうて。分からぬなら分からぬと申さねば、我ら脇から、間違っておったら水を差さねばならぬであろう?それに気分を害するゆえ、我らももう、放って置いたのだがの…まあしかし、此度の椿の件は、怒るのも仕方がない。本来、ここまでするのはやり過ぎだが、箔翔が今までため込んだものを駿にぶつけておるとしたらそうなのだろうし…我も、どっちにつくかと言われたら、あからさまに駿を庇うことも出来ぬの。これまでを知っておるしな。」
蒼は、しかしせっかくお互いに想い合って婚姻しただろう椿と駿を、引き離すのもおかしいと思えた。箔翔が意地になっているというのなら、もっと他の事で切れて神世に文句を言うべきだったのではないか。
とはいえ、もう切れてしまったのだから仕方がない。
暗い雰囲気が抜けないところで、焔がやっと宴の席へとやって来た。炎嘉は、それを待っていたようで、急いで焔に膝を向けた。
「焔。どうであった?あれは、宮を閉じようと?」
焔は、そこへ座って息をつくと、疲れたように頷いた。
「意地になっておるのであるな。確かにあれが未熟だからと、我ら口を出し過ぎたのやもしれぬ。菊華の件にしても、こちらから持って行った縁であったし、それで箔翔が扱いを間違えて面倒が起きたのもあるしな。」
炎嘉は、険しい顔のまま言った。
「あれは普通の王なら扱いを間違ったりせぬのだ。箔翔自身、己が未熟なのはわかっておると思うておるがな。駿との顔つきの違いにしても、駿には覚悟を感じたが、箔翔には意地しか感じなかった。あれは、己がああすることで後にどうなるのかなど考えず、ただ己の感情であんなことを言うておるのだ。普通ならあそこまで、あんなことぐらいで言うなどおかしい。あれを成長しているだろうと思うて動いた、我のせいであるのだがな。箔翔は変わらぬ…我らが甘やかせ過ぎたのやもしれぬ。放って置いて、面倒が起こってから助けるぐらいで良かったのよ。鷹の神世への貢献度は、箔翔の代になってから極端に落ちた。それは、我らがあれが内政に必死であるからとそうしておったからであるが、そのせいでまた極端に対応能力が育たなかった。あの歳になるまであれでは、もうこれ以上は望めまい。我も…箔炎には、顔向けが出来ぬわ。」
維心も、それには神妙な顔で頷く。
「我もそのように。このまま宮を閉じてしもうたら、信じて記憶を持たずに転生して参った箔炎に、何と申し開きすればよいものか。箔翔をしっかり育てて、次の代へとつながせるのが我らの役目だと思うておったのに。箔翔には、もうこれ以上は無理よ。とはいうて、箔炎には前世の記憶は全くない。あれが誰にも教えを乞う事無く、神世でうまく立ち回れるのかと言われたら、我にも分からぬ。あの箔翔に育てられて、箔炎は鷹をこれから発展させることが出来るのか。序列も今では危ういものぞ。我の体感の最高位の中の序列は、我の後から炎嘉、志心、焔、駿。蒼は我に準じておるし序列という意識はないが、とりあえずその後に蒼。これはまあ、頼りになる順ということであるがな。とはいえ蒼は、十六夜と碧黎を説得する力を持つゆえ、全体の力を考えたら一番に頼りになるがの。」
蒼は、維心を見上げた。
「オレ単体の力は誰よりも下です。それは知っているので、皆さんに従ってるんですけど…箔翔には、王のとしての誇りがあるだろうし…。でもここままでは、戦にならなくても宮を閉じてしまうんじゃ。というか、戦になってもすぐに皆で押えるから、結局鷹は宮を閉じてしまう未来が見えてしまうんですけど。」
それには、焔が大きなため息をつく。志心も、渋々といった感じて頷いた。
「その通りよ。鷹の宮がまた、籠る未来しか今は見えぬのだ。ゆえ、我らも打つ手がないと言うておる。ただ、駿があのように。どんな策を考えておるのかは分からぬが、しかしあれが思うたよりずっと優秀であることを祈るわ。それしか、もうどうしようもない。」
焔は、力なく頷く。
「我もそのように。箔翔は頑なで、我の話など聞く耳持たなんだ。それでもしつこく宮だけは閉じては絶対に後悔すると言うたのだが、あれは我など皆と同じように、己を疎んじておる王の一人でしかないのだろうの。鷹のことは鷹が決めると申して、さっさと帰ってしもうたわ。これから…どうなることか。」
維心は、もうあきらめたように言った。
「こうなったからには仕方がない。神世全体として見たら、別に今の鷹が居らぬでも回る。むしろ面倒がない。領地も端であるし関わらずで済む。我らが憂いるのは、次の代の箔炎ぞ。あれは前世我らの友であったのに。こんなことになっておるのを知ったら、あれは何と申すかの。まあ、もう記憶がないゆえ、聞く術はないがな。」
維心の言葉は蒼には、それは冷たく感じた。だが、他の王達が特にそれに反論もせず頷いているのを見て、皆がそう思っていることを知った。
蒼は、箔翔は箔翔なりに頑張った結果なのだろうに、と思うと、同情する気持ちが抑えられなかった。




