覚悟
会合の前日、駿は宮で、軍神達全てを集めて、椿を横に、話していた。
岳を先頭にずらりと前列に並んだ面々は、全員駿が選んだ序列上位の者達だ。全員が、立ち合いの腕だけではなく、その知識も心持も、全てに至るまで駿なりに精査した結果の軍神だった。
大勢の軍神達を、訓練場に一堂に集めて、こうして王が話すのは、この獅子の宮、始まって以来のことだった。
最近では、軍神達の伸び具合は目を見張るものがある。ほぼ全員が真面目に努め、他の宮の軍神達と、全く遜色ない様子になって来ていた。
駿は、緊張気味に居並ぶ皆を前に、声を上げた。
「これから起こるやもしれぬ事態を話すために主らを集めた。」と、心配そうに見上げる、椿を見た。「我が妃、椿ぞ。我はこれを、望んで娶った。この宮を動かすことに、これは長けておる。我や皆のために宮を回し、宮のためになる良い妃だ。」
皆が、じっと固唾を飲んでそれを聞いている。駿は続けた。
「しかし、椿は優秀であるゆえ、鷹の王がこれを宮へ入れようと考えておった。龍とこちらの喪のためにそれは中断しておったが、その最中に我が横からかすめ取ったような形になってしもうた。ゆえ、あちらは大変に立腹しておるようよ。龍も鳥も我を擁護してくれておるし、この宮の平穏が脅かされることは無いが、しかし椿は、もしかしたら鷹が略奪の対象とするやもしれぬ。」
岳が、駿を見上げた。
「しかし、我らが十分に椿様をお守り致しますれば。」
駿は、頷いた。
「分かっておる。だが、鷹の軍神は素早い。どうやってこちらの宮へと侵入し、椿をさらうか分からぬ。我とて何としても守り切るつもりであるが、もしも椿が連れ去られた時は、我は、時を置かずにあちらへ討って出る。」
皆が、息を飲む。それはつまり、戦になるということだ。
龍と鳥がついているとはいえ、鷹の軍神達は皆手練れだ。両軍がぶつかれば、少なからず犠牲も出るはず…。
重臣の、圭司が言った。
「つまり、王は我らに、王のお後を追って、鷹と戦えということでありまするか。」
宮を守るためではなく、ただ、王の妃を取り返すために。
どこの宮の軍神でも、王の命は絶対で、王が命じたら戦うために宮を出て行くのが普通だった。だが、ここははぐれの神が集まる宮で、王のために戦うというよりも、自分の住むこの宮と領地を守るために戦うような、そんな気持ちで居る者が、観の代でも多かった。
それなのに、宮や領地に関係なく、いや、討って出たなら向こうからここへ攻め入って来るだろうに、戦えと王は言う。
駿がわざわざ皆に話したのは、そんな意識を知っているからだった。
もしかしたら、自分一人で戦うことになるかもしれない。そうなった時、確実に椿を取り返せるように、何としても方法を考えておかねばならないと、軍神達の、今の意識を聞いたのだ。
シンと黙り込む皆の中で、一人の軍神が言った。
「我は、王の御為にご命令に従って共に戦いまする!それが、我の存在意義だと思うております次第。」
駿は、そちらへ顔を向けた。父が忠実であったが、諍いを起こして殺された軍神…確か、識。
「識か。」
駿が言うと、相手は自分の名を駿が覚えていたのに驚いたようで、慌てて膝をついた。
「は!」
すると、隣りに居た男も、同じように膝をついた。
「我も、王に従って参りまする。」
駿は、その男のことも覚えていた。
「敏。」
駿は、そこで気付いた。よく考えたら、自分はここで育って来た数百年、ずっと皆を見て、共に過ごして来た。話を聞いているうちに、皆の顔と名前は完璧に覚えていた。父は、多すぎて分からぬと言っていて、岳に任せているようだった。だが、駿は一人一人がしっかり頭に入っていて、話したこともあったし、名も覚えていた。何しろ、同年代で同じように育った軍神達が、今は多いのだ。
次々に進み出る、軍神達の名を一人一人呼びながら、駿はそう、気付いていた。
岳が、皆が次々に駿への忠誠を口にしたその後で、言った。
「王、我は駿様の御代が、観様の御代から新しい世代へと、変わったのだと思うておりまする。我ら、もはやはぐれの神ではないと、王はおっしゃった。我ら、その言葉のもと、宮にまだ残っている怪しからぬ考えを持つ軍神達を一掃し、我が王の御為に、お仕えして参る所存。何より、王は我らにわざわざそのような事態になりそうだと伝えてくださった。これまでなら、ただ命じられてその通りに動くだけでありましたし、世の王は、皆そんなものであり申した。我らと共に考えてくださる駿様が出撃なさるというのなら、我らは駿様をお守りするために共に参りまする。」
椿が、それを聞いて隣りでハラハラと涙を流した。軍神達と駿が、長年培って来ただろう絆を感じて感極まったのだ。
駿は、皆がそんな風に思ってくれていたのかと、感謝も込めて、頷いた。
「…それが皆の、総意か。」全員が、じっと膝をついたまま、駿を見上げている。駿は、獅子の宮一万五千の兵達を、見回した。「決して主らを前にはやらぬ。我が先頭に立つ。ゆえ、事が起こった時は、我について参って欲しい。我が妃を奪われて、黙ってはおれぬ。まずは、この宮で妃を守り通そうぞ。」
全員が、一斉に頭を下げた。
「は!」
そして、岳が答えた。
「我ら、王の上下左右をお守りし、必ずや椿様を取り返す所存。まずはこの宮の守りを強化致しまする。」
駿は、頷いた。
軍神達は、思いをひとつに、結束して椿を守ることに尽力することになった。
そして、駿に対する忠誠心を、そこで初めて確信することが出来たのだった。
箔翔は、龍の宮へ到着しても、終始誰とも話すことなく、ただ不機嫌に会合の間へと向かった。
本日は、いつもなら最後に入るはずの、龍王鳥王も先に来てもうテーブルについているらしい。
回廊を歩いていると、佐紀が寄って来て、言った。
「王。獅子ももう、到着しておるようでございます。」
…来たのか。
箔翔は、フンと小さく鼻を鳴らした。鷹の妃となるべき女を横取りしておいて、よくもぬけぬけと会合に参れたものよ。余程回りが見えておらぬか、それともただの呑気な王なのか。
思いながら不機嫌に会合の間へと入って行くと、聞いていた通り、正面の上座には、炎嘉と維心がいつも通りに並んで座っていて、テーブルの左右には焔、蒼が並び、ひとつ開けて手前には翠明、公明が座ってこちらを見ていた。
しかし、駿の姿は無い。
箔翔は、軽く会釈して誰とも目を合わさずに、サッと焔の横の定位置へと座った。反対側の隣りは志心だ。斜め前の椅子では、蒼がまだ心配そうにしているのが見える。翠明は、その蒼の隣りでじっとテーブルの上の紙を見つめていた。箔翔の隣りには樹籐が居たが、樹籐もまた、じっと黙っていて何を思っているのかわからない。
そんな中、扉が開いて、駿が入って来た。
箔翔は、その気配でそちらを見なくても誰が来たのか知り、思い切り眉を寄せた。そんな中、駿は歩いて来て、観が前まで座って居た、箔翔の正面に当たる席へと当然のように座ったのが分かった。
箔翔は、どんな表情で来たのか顔を拝んでやろうとチラと視線をそちらへ向ける。
そして、ハッと固まった。
駿は、こちらをじっと眉根を寄せた状態で、睨みつけていたのだ。
その迫力は、若いと侮っていた箔翔には強烈な印象だった。観には無かった、若い力強い気と、観と同じ、鬼気迫る状況の中で培われた本物の命のやり取りを、その目から直に感じたのだ。
思った以上に、駿は本気なのだ。
箔翔は、それをその瞬間に感じ取った。
「では、会合を始める。」炎嘉の声が、箔翔と駿の間に割り込んだ。駿が、視線を炎嘉に向ける。炎嘉は続けた。「皆は知っておるだろうが、観が黄泉へ参り駿が本日から会合に参る事になった。駿は若いが実戦を間近で感じて育った、戦闘能力の高い頼りになる王ぞ。皆、これからよろしくの。では、一つ目の議題から始める。」
さらりと言って、炎嘉は箔翔と駿の間の殺気など、気付かぬように会合を進めた。維心は、相変わらず隣りで黙って炎嘉の進行を見ている。
議題は、いつも通りどこぞの宮の困りごとをどうの、という事ばかりで、まずは炎嘉が前回の会合で決まった事の進行状況を確認し、次の困りごとの解決をどうするかさっさと振り分けて行く。
ほとんどが上位の宮の手を借りて収めて行くことになるのだが、獅子の宮にも観がやっていた通り、普通に振り分けられた。駿は、それに対してもきちんとした解決策を提示し、それで認められて決まる。つまり、駿は観と同じように、問題を解決する能力があるということだった。
新米の王だと、自分には周りが気を遣って最初から宮の世話の振り分けはされなかった。確かに自分は王としての能力は低かったのかもしれないが、しかし今の駿とどう違うと言われたら、自分の方がいろいろな宮へ出掛けていた分、物を知っていたはずなのだ。
そんなこともあって、ますます面白くなかった。どうして、駿だけがそう最初から信頼されているのだ。
そう思ってイライラとしている間に、会合は終わった。
いつも通り維心が立ち上がり、炎嘉も立ち上がった。すると、いつもならそのまま出て行く維心が、皆に向かって言った。
「皆に申すが」皆が、維心が話し始めたので、驚いて維心を見る。維心は続けた。「我が宮が長く閉じておって各宮に負担がかかっておったのを気にしておった。我が父将維が亡くなったことは我とて重い事であったが、しかし父は神世を滞りなく回すことを優先するようにと申して逝った。ゆえ、100日が過ぎた今、通常通りにして参ろうと思うておる。ただ、祭りなどは宮で催さぬし、派手なことは慎むつもりよ。だが、これは我が宮に限りと思うておる。もし、主らの中で婚姻などを慎んでおる者がおったら、進めてもろうて良い。我はそれに対して何某か申すつもりはないゆえ。聞いておるだけで二件ほどそんな案件があって、気にしておったのだ。主らは主らの良いようにしてもらえば良い。」
全員が、頭を下げる。炎嘉は、維心を突いた。
「さ、行こうぞ。我らが出ぬと皆ここから出れぬからの。」
しかし、そこで箔翔が立ち上がって言った。
「いや、しばらく。」皆が、何事かと箔翔を見た。箔翔は言った。「このテーブルの者達だけ残ってくれぬか。話したい事がある。」
焔が、あからさまに眉を寄せた。反対側の隣りの志心は、目を細めて横目で箔翔を見る。
炎嘉はチラと維心を見たが、維心はその炎嘉と視線を合わせてから、また座った。
「良い。では、皆。先に宴の席へ行っておってくれぬか。」
炎嘉は、維心を見て眉を寄せたが、維心が聞くというのだから仕方がない。
どっかりと椅子へとまた腰かけると、手を振った。
「ああ、やっと解放されたと思うたのに。ま、良い、皆。先に出ておれ。」
向こうの椅子だけの場所に座っていた王達は、何事かと思っているようだったが、仕方なくぞろぞろと出て行く。
それを見送ってから、広い会合の間がシンと静まり返ったところで、維心が箔翔を見て、言った。
「して?何用よ。申せ。」
箔翔は立ち上がった。
皆がじっと険しい表情のまま、それを見守った。




