成就
炎嘉は、鳥の宮で書状から目を上げた。獅子の宮へやっている、侍女からの至急の書状だった。
脇で膝をついていた、開が炎嘉を見た。
「王の思惑通りになり申しましたか。」
炎嘉は、頷く。
「思うたより駿はやり手であったわ。まさか昨日言うて昨日のうちにさっさと娶るなど、あれは何に対しても優秀なのやもしれぬぞ。こうなったら、維心に根回しなどせずでも良かったの。あれにはむしろ、出て来てもろうた方が話を公に出来るゆえ助かろう。面倒であるが、また維心の所へ行って参るわ。先触れを。」
開は、頭を下げた。
「は。では、御前失礼を。」
開が出て行くのを見送って、炎嘉はまた書状へと視線を落とした。もしかして駿は、侮れぬ王になるやもしれぬ。ま、ここで恩を売っておいたら先々面倒が無くて良いだろう。己がこうと思ったら、すぐにしっかり結果を出して来る。こんな王は、味方に付ければ心強いが、敵になったらかなり面倒だ。
炎嘉は、そんなことを思いながら、維心にまた文句を言われそうだと苦笑して、出かける準備を始めたのだった。
同じ頃、西の島南西の宮では、翠明が駿と椿からの文を受け取って、綾と共に仰天していた。まさか…まさか龍の喪中にそんなことになるとは思わなかった。
駿からは丁寧な婚姻の報告の文言と、服喪中の非礼を詫びる文言が送られて来た。驚いたのは、椿の文だった。
椿は、どれほどに駿を想うておるのか、どれほどに駿が素晴らしい王なのか、びっしりと五枚もの紙にしたためて送って来たのだ。
その上、昨日椿の方から駿の部屋へと押し掛けて、帰りたくないから婚姻をと迫ったのだと言う。
皇女にはあり得ない事だったが、幼い頃から椿を見ている翠明と綾には、あり得ることだと頭を抱えた。
とはいえ、もう成ってしまったものを、ごちゃごちゃ言っても仕方がない。
何より、椿がこれほどに願って嫁いだ先なのだ。
綾は、もう腹をくくったようで、ため息をつきながらも言った。
「では…こちらから祝いの品を。あの子に持たせるために作らせておった調度も出来上がって来始めておりますし、宮へ入る荷を送らねばなりませぬ。ただ、密かに送らねば、あちらも喪中であられるし、龍王様も喪に服していらっしゃる。箔翔様には…こういう事ですし、お断りするよりありませぬ。」
翠明は、深いため息をついた。箔翔が、これを恐れていたのは分かっていたからだ。しかし、もう成ってしまったのだ。断るよりほかに選択肢はない。
「仕方がない。椿がこれほどに望んで嫁いだ先なのだ。あれが幸福になるなら、これよりのことは無いからの。むしろ、思いを秘めて仕方なく嫁ぐことを思うたら、その方が不憫でならぬし。これで良かったのかもの。」
綾は、さばさばと微笑んで言った。
「はい。あの子が幸福そうな様子なのは、この文の文字を見ていても分かりまする。何やら浮足立っておるような、沸き立つ心地が伝わって参りますもの。確かに思う相手に娶られたのですから。あの子は、幸福でありますわ。我には、それが分かりまする。」
綾が意味ありげに言って、自分に微笑むのに、翠明は息をついて微笑み返した。
「主にそう言われてはの。確かにそうよ。我だって、今幸福なのは主を娶ったからであるし。誠に婚姻には、想いというものは大切であるな。」
綾は頷いて、翠明に寄り添った。翠明は、箔翔にはかなり嫌味を言われるだろうが、そんなことは椿の幸福を思ったらいくらでも我慢しようと、この婚姻を心から祝福すると、駿への書状に返事を書いたのだった。
駿と椿は、理想的なムードのある初夜とは全く縁のない夜を過ごして朝を迎えていた。
何しろ、お互いに初めてで、椿など全く分からずどうしたものかとすっかり困ってしまったので、思い切って二人で、閨の巻物という性教育の巻物を引っ張り出して、真剣に読んだ。
そうして再び挑んだ結果、案外にすんなりと婚姻に至ることが出来、駿は思いのほか簡単だったとそのまま朝までずっと起きていたのだった。
朝になり、早くから気取って知っていた侍女から知らせを受けて、臣下達が勢ぞろいで祝いを述べに来たのを受けてから、二人は眠い目をこすりながら翠明に文を書いた。椿は、どれほどに駿が素晴らしいか、懇々と文にて訴えた。そして、喪中であるのにという批判を駿が受けないために、自分から押し掛けたのだときちんと書いた。どうあっても、自分が駿を愛して、駿に娶られたくて嫁いだのだと知って欲しかったのだ。
そうしたら、大きな懐紙にびっしりと五枚にもなってしまい、駿に苦笑されてしまった。
駿は、昨夜を過ごして今は、驚くほどに愛情深く接してくれていた。どこへ移動するにも手を取ってくれるし、居間に座るのも駿の隣り、そして、いつもそっと肩を抱いてくれた。
駿がいつも隣りに居て、自分を見て優しく微笑んでくれることが、椿には幸せで仕方が無かった。一気に距離が近くなったことに最初は戸惑ったが、それでも幸福なのには変わりない。
しかし、そうして幸福であるにつけて、あの日、月の宮の滝の前で箔炎と、将来を誓い合ったことが頭に上り、箔炎に謝りたいと気持ちが湧いて来た。
箔炎はそんなことは気にしない、お互い様だから、という訳の分からない気持ちも湧いて来るのだが、そんなはずはなかった。
婚姻してしまえば何とかなる、とあの時は思っていたが、いろいろ殊の外面倒になるのでは、と今になって少し、心配だった。
特に、駿が新しく王になってから、もしや他の王に嫌がらせを受けるのではと、気になって仕方がなかったのだ。
駿は、炎嘉も龍王にも話を通して面倒にはならない事にする、と返事をくれておったから、案じるなというのだが、椿はまだ、案じていた。
「何と申した?出て来い?」維心が、昨日の今日で宮へやって来た炎嘉に言った。「つい昨日籠れと言うたのではないのか。主はもう、誠に何を考えておるのよ。」
炎嘉は、鬱陶しそうに手を振った。
「ああ、主がそう言うのは分かっておった。ゆえ、わざわざ足を運んできて頼んでおるのではないか。昨日の事は忘れてくれ。もう、なんならここで会合を開いても良いとか言うてくれて良いから。いや、いっそそうしてくれぬか。」
維心は、昨日と真反対の事を言う炎嘉に、不信な顔を向けた。
「…説明するのだろうの?」
炎嘉は、顔をしかめながらも、渋々頷いた。
「訳は話す。故に面倒がらずに。」
維心は、小さく息をついて額に手をやった。
「まあ、大体予想はついておるわ。駿が椿を娶ったからではないのか。」
炎嘉は、片眉を上げる。もう知っておるのか。
「…告示はされておらぬよな?」
維心は、頷く。
「義心が報告して参った。我とて駿を案じておるし、獅子を見ておれと命じておったからの。それにしても…観もあの世で安堵しておろうな。皇子皇女が一度に片付いたのだから、もはや案じることはあるまいて。」
炎嘉は、今度は両眉を上げた。皇女?
「茉奈?しかしあれは最近では皇女らしくなったと聞いておるが、まだ話はないであろう?」
維心は、驚いたように炎嘉を見る。
「なんだって?もしや主は知らぬか。ああ、そういえば宮の誰にも知らさぬようにしておるようだと義心は言うておったな。侍女も知らぬか…そうであろうの。」
炎嘉は、身を乗り出した。
「何ぞ、茉奈は誰かと話があるか。」
維心は、むっつりと炎嘉を見た。
「主な、我にばかり。まず主の説明が先ぞ。して、駿を焚き付けたのか?」
炎嘉は、仕方なく頷いた。
「昨日な。侍女達には、椿と駿との間をうまく取り持てと命じておった。あれらはうまくやっておった。まあ、肝心の駿がおかしな奴ならこうはならなんだであろうが、あれは良い神であり間違いなく王の器。側近くに過ごして惹かれておったようで、昨日言うて昨夜、駿はあっさり椿を娶ったのだ。やはり駿とて椿のあの珍しい気に美しい姿、それに性質に惹かれておったようで、案外事は簡単であったわ。我としてはまだ時が掛かろうかと、箔翔に手を打たせぬ為に主に籠れと申しておったのだ。」
維心は、飽きれながらも感心して炎嘉を見た。確かに鷹より獅子の方が椿を必要としていただろう。炎嘉は、それを考えて動いていたのだ。
「ならば間一髪よな。」維心は、眉を寄せて答えた。「箔翔はあのままではもしや駿にと思うたようで、焦って翠明に宮へ帰せと圧力を掛けておった。翠明は仕方なく椿を迎え取ろうとしておったところであったのだ。後一歩で叶わぬところよ。」
炎嘉は、はあ?と呆れた顔をした。
「あやつ、また面倒なことを。だが、それが良かったのやもしれぬ。椿は駿を思うておったであろうし、ならば何としても婚姻をと急いだのやもしれぬしな。我を出し抜こうとてそうはいかぬわ。」
段々に得意気になる炎嘉に、維心は言った。
「とはいえ主、それも知らなんだではないか。もう少し鷹の動きも見ておく事が必要であったな。箔翔を侮るでない。あれは曲がりなりにも王なのだからの。いつまでも新米の王ではないわ。」
炎嘉は、それにはばつが悪そうな顔をした。
「我には義心が居らぬからの。」と、表情を変えた。「して、茉奈は?主、何を掴んでおるのだ。」
維心は仕方なく口を開いた。
「何やら頻繁に、定佳の軍神が駿に密かに文を持って通うゆえ、何か策しておるかと調べておったら、どうやらその文は茉奈宛て。多い時には日に幾度も行き来しておるようであるし、これはそういうことだと思うた次第。駿は密かに婚姻の荷らしきものを職人に作らせておるようだし、ならば間違いないなと思うたのだ。念のため十六夜に聞いてみたら、何やらゴニョゴニョと歯に物が挟まったように申すし、あれは見ておって知っておったな。ならばと維月に聞いてみたら、渋々教えてくれたのだ。十六夜が知っておって維月が知らぬ事はないと思うたし、やはり知っておったわ。観の葬儀の夜に、あれらは密かに婚姻を済ませておったのだ。」
炎嘉は、目を見開いた。よりによって葬儀の時にか。
「知らぬはずよ。まさか定佳が、しかしあれは確か男しか…。」
維心は、それにもため息をついて頷いた。
「我もそのように。だが、見ておった十六夜が言うには定佳は茉奈を男だと思うて想うておったらしい。茉奈はあの夜、定佳を騙している己に区切りをつけようとあれの部屋へ参ったようだ。女だと告げる茉奈を、定佳はそれでもその性質が慕わしいと娶る事になったようだ。なので不幸な事にはなるまい。」
炎嘉は、自分が知らないところでそんなことがあったとは思いもしなかった。だが、維心は知っていた。義心、十六夜、維月の連携があれば、知りたい情報は手に入る。つくづく今生の維心に隙はなかった。
「…主には誰も敵わぬだろうの。優秀な筆頭と月が味方に居る。それに主の判断力が加われば無敵ぞ。」
維心は、また息をついた。
「義心が優秀過ぎるのだ。あれに老いが参ったら、今が楽なだけに面倒ぞ。今からそれを案じておるわ。」
とはいえまだ、義心は元気にしている。
炎嘉は、維心に世を任せて安心だと心底思った。




