根付け
椿は、何を話そうと駿を前にして改めて困っていたのだが、そこへ急を知らせる侍女が飛び込んで来た。
「駿様、炎嘉様が!炎嘉様がお忍びで参られたそうでございます!父王の友であられるので、恐らくはこちらへお迎えせねば失礼ではと思うのですが、いかがなさいまするか。」
椿は、炎嘉が来たと聞いて、急にスイッチが入って慌てて立ち上がった。
「まあ。ならばすぐにご準備をなさらねば。居間へ通されるのが親しい王への礼儀でありますし、我もこちらを失礼致しますわ。」
しかし、駿は椿を見て顔をしかめた。
「だが、どうしたら良いのだ。着物も何が良いのか分からぬ。我はまだ、神世で友の宮へ行ったことも無いし、細かいことが皆目分からぬのだ。主には分かるか。」
椿は、そう言われてハッとした。そういえば、駿はまだ一度きりしか外へ出たことが無いのだと言っていた。そんな細かいことは、知らないのだろう。
椿は頷いて、言った。
「ならば我が。侍女、駿様のお着物をこれへ。こちらは居間でありますし非公式であるので、仰々しいものは要りませぬ。普段宮の中で着られるもので、喪に相応しい品が良いものをいくつか持って参って。」
侍女が、頭を下げて急いでそこを出て行った。椿は、駿を見上げて言った。
「駿様、ご心配には及びませぬ。駿様は十分にご立派な王であられまするから。此度は恐らく、炎嘉様の侍女達をお借りしておるので、その様子を見に気軽に寄られただけではないかと。こちらも気構えることなくお迎えするのが良いかと思いますわ。」と、飲みかけの茶のカップを見た。「幸い、茶も龍の宮の良いものがありまするし。これをお出しして礼を失することなどどこの宮の王でもありませぬから。侍女、上位の宮の王達は、軒並みぬるめの温度でゆっくりと出した茶を好まれるもの。鳥の宮の侍女達は弁えておるでしょうし、教えてもらってそれを淹れてね。」
脇に不安げに立っていた、侍女が頷いてから頭を下げる。
また、大きな厨子を持った侍女がその後ろから入って来た。
「椿様、おっしゃるようなお着物を持って参りましたわ。」
椿は、頷いて厨子を開き、中の着物を見た。皆、そこそこに良い織りの生地だ。その中で、駿の美しさが際立つだろうと、深い緑と墨染めの、銀糸を合わせた着物を選び、引き出して広げた。
「これが良いわ。深い緑と墨染めと銀糸で、派手やかではないし、きっとよくお似合いになるはず。さあ、では急がねば。あなたは辺りを片付けて。我が駿様の御着替えをお手伝い致しますから。」
侍女達が、次々に指示を出す椿に従って、居間の中をきびきび動いて行く様を、駿はただ棒立ちで見ていた。何しろ、こんなことは全く分からないのだ。
そんな駿に、椿が向き直った。
「さあ、駿様。御着替えを。」
椿は、さっきまでの何やら恥ずかし気な様子は嘘のように駿の帯に手を掛けて、さっさと解いた。駿は驚いたが、とりあえず椿になんとかしてもらわねばならないので、黙ってされるがままになっていた。
「兄や弟の着替えをいつも手伝っておったので。」
椿は、そういうとそれは手際良く着つけて行く。侍女達も、手を出す暇はなかった。
こうして見ると、常は表向きおっとりと動くようにしているような椿も、非常時にはそれは素早いことが分かる。
動きに無駄が無く時が惜しい時には絶好の能力だな。
駿は、ただただ感心して見ていた。これが、侍女だけだったなら、炎嘉が帰ってもまだあたふたしていたことだろう。
そんなこんなで駿の着付けが終わった頃、出て行っていた炎嘉の侍女が戻って来て椿に頭を下げた。
「椿様。炎嘉様が応接間でお待ちでありまして、こちらのご準備が整い次第呼んで欲しいとのことでありました。」
椿は、間に合ったか、とホッとして頷いた。
「ご準備は整っておるわ。」
侍女が、駿に頭を下げた。
「駿様。では、炎嘉様をこちらへお呼びしてもよろしいでしょうか。」
駿は、回りの侍女達の様子を見た。皆、もう動きを止めていて、いつでも大丈夫なようだ。
「ならば、こちらへご案内を。喪中であるゆえ気の利いたことも出来ぬのだがとお伝えを。」
侍女は、入って来たばかりであったが、頭を下げてまた踵を返して出て行った。
それを見送って、椿は駿を振り返って微笑みかけた。
「では、我はこれで。駿様の対応はとても堂々としていらして、他の王にも引けを取らないのですから、自信をお持ちになってくださいませ。」
駿は、自然不安そうな顔になっていたのかと、慌てて表情を引き締めた。どうも、椿と一緒に居ると気が緩む。頼れるので母のようでもあるが、しかし母という感覚でもなく、ただ美しく、自分より若いのに大きさを感じるこの安心感は、いったいなんだろう。
「すまぬな、椿殿。いろいろと世話になってしもうておる。しかし、主が居って心強い。」
駿がそういうのに、椿は思わずその顔に見とれていたが、顔を赤くしてうつむいた。
「いえ…そのような。我に出来ることでありましたら、何でもおっしゃってくださいませ。それに、椿と呼んでくださって良いのですよ。駿様の方がより高い地位にあられるのですから。」
駿は、微笑んで頷いた。
「では、椿。」椿が、ますます顔を赤くする。駿は、ふと何かに思い立ったのか、懐から懐紙の包みを引き出した。そして、それを開いて、椿に差し出した。「本日、臣下が我の刀にと根付けを持って参ったのだ。二つあるゆえ、片方を主に。好きな方を取るが良い。」
椿は、驚いて懐紙の上を見た。そこには、細かい細工が施されてある、とりどりの玉が繋がった、刀の柄に付ける根付けが乗っていた。片方は瑠璃色の玉と青い玉、もう片方は同じく瑠璃色の玉と、赤い玉で出来ている。根本には、獅子の紋様が刻んであった。
間違いなく、これは対で作ってある。
椿は、駿と揃えの根付けを刀に着けることが出来ると、それは嬉しく赤い玉の方を指さした。
「あの、こちらを。厚かましいのですけれど、戴きたいと思いまする。」
駿は、頷いてそれを椿の手のひらへと乗せた。
「使ってくれればうれしいものよ。我はこちらを。また、立ち合おうの。」
椿は、それを持った手を胸に抱くようにして、頷いた。
「はい!ああ、とても嬉しいですわ。ありがとうございます、駿様。」
椿が、それは素直に喜ぶので、駿は驚いた。こんなものでそれほどに喜ぶなど。
「駿様。」扉の向こうから、侍女の声がする。「炎嘉様がお越しになりました。」
椿は、慌てた。炎嘉が、もう扉の向こうに。これでは、出て行けない。
駿が、椿の顔色を見て悟ったのか、急いで脇の戸を開いた。
「こちらへ。こちらから奥へ抜けて脇の回廊へ抜けることが出来るゆえ。さあ!」
椿は、頷いて急いで言われた扉を抜けて後ろの部屋へと入って行った。
背後で扉を閉めて、ホッと息をつくと、扉の向こうから炎嘉の声が聞こえて来た。駿が、それに返礼しているのが聞こえる。
椿は、無事に炎嘉を迎えられてホッとして、脇の回廊へ向かおうと顔を上げて、ハッとした。
そこは、奥に大きな寝台があって、それは落ち着いた、しかししっかりとしたどの部屋よりも良い家具を置いてある部屋だったのだ。
…ここは、もしかして駿様の奥の間では!
椿は、慌てた。奥は入っただけでも妃だと言われる部屋なのだ。しかし、よく考えたら自分は駿の居間へ来ていたのであって、居間の外へと出る扉の反対側というと、奥の間へ続く扉しかないだろう。
早く出なければと必死に戸を探すと、奥に小さめの戸が見えた。
ここかしら…!
椿は、それを開いて奥へと足を踏み入れた。
しかし、そこは思っていたような部屋ではなかった。広いのは変わりないが、駿の部屋と背向かいになっている場所で、何やら厨子がたくさん置いてあって、物置になっているようだ。しかし、一応大きな寝台もあった。この部屋を使っていないのは、その寝台の様子からも分かった。
…これは、きっと正妃の部屋だわ。皇子の対にも、こんな感じであるのね。
椿は、そう思いながらもまた、脇の扉を見た。今度の扉は、幾分大きなもので、外へとつながっていそうな感じだった。
椿は、そちらの扉からやっと外の回廊へと出て来ることが出来て、迎えに来た侍女達と共に、急いでそこを離れたのだった。




