龍の喪
龍の宮では獅子の宮より二か月ほど早く、100日の喪が明けた。
とはいえ、1年間は派手なこと、祝い事などは慎むということになっているので、喪の着物は皆脱いで、宮へと謁見も再開されたのだが、そんなわけで他の催しなどは全て中止になっていた。
もう年末で、本来なら新年の挨拶に来る客のための準備をしなければならないところなのだが、それも無い。なので、とてもおっとりとした年末を迎えていた。
「今年は節分も七夕も無いの。」維心が、居間で維月に言った。「本来ならこのように穏やかな宮であるのにの。やたらと催しがあるゆえ、いつも皆忙しくせねばならぬのだ。」
維月は、苦笑して維心を見上げた。
「まあ維心様ったら。その昔の龍王様が、皆の様子を定期的に見ようと思うて開かれたのが始まりだと聞いておりますわ。確かに今は神の数も増えて、事が大きくなっておって大変ではありますけれど…。」
維心は、維月の頭を撫でながら頷いた。
「あの頃とは違って形式だけになっておるではないか。我は皆の顔など見ておらぬわ。そんなことは各宮の王達がやっておる。我はその宮の王達を見ておれば良いのよ。会合は定期的にやっておるのだから、それで事足りておるのに。」
維月は、困ったように息をついた。
「維心様…。」
維心は、クックと笑った。
「冗談よ。分かっておるわ、しようが無い事よな。だが、しばらくはその責務から逃れられるゆえ。」
維月は、頷いた。すると、扉が開いて、侍女が頭を下げた。
「王。炎嘉様がご到着でございます。」
維心は、顔をしかめた。
「もう来たのか。午後にせよと申したのに。」と、維月を見た。「では、主は場を外さぬか。」
維月は、頷いて立ち上がると、維心に頭を下げた。
「では、御前失礼致しますわ。」
炎嘉が維月を思いきると言って来てから、出来るだけ炎嘉が来る時には同席しないことにしていた。
維月が去る背中を見送ってから、維心は侍女に頷いた。
「では、こちらへ。」
侍女は、また頭を下げて出て行った。
そうして、ほんの数分で、炎嘉は扉を抜けて入って来た。恐らく、奥宮の入り口にある応接間で待っていたのだろう。前までなら、そんな部屋には入らずにいきなりここへ入って来たものだったが、やはり炎嘉も維月が居たらと気を遣っているのがそれで、透けて見えた。
維心は、それには触れずに言った。
「炎嘉。何用よ。いきなりに話があるとか申して。」
炎嘉は、頷いて勧められもしないのに慣れたように維心の前の椅子へと座った。
「ちょっと主に手を貸してもらおうと思うてな。」
維心は、あからさまに嫌そうに顔をしかめた。
「まだ何を持って参ったのだ。今は喪中であるのだぞ?面倒は持って来ぬで欲しいのだが。」
炎嘉は、構わず言った。
「主はすっかり将維の死を克服したようよな。だが、もうしばらく宮に籠っておってくれぬか。」
維心は、片眉を上げた。宮に籠っていろ?
「…別に言われずとも宮から出るのは面倒であるから願ったりであるが、主、一人で王の会合をまとめて我に報告に来るのは面倒だとか言うておったのではないのか。」
炎嘉は、それを聞いて顔をしかめた。確かに、維心が居ないと自分一人でしっかり見ておかねばならないし、何を話して決めたのか、維心に知らせておかねばならない。それがひと月からふた月に一度あるわけなので、面倒ではないと言ったら嘘になる。
だが、炎嘉は渋い顔をしながらも言った。
「もう、この際それは良いわ。どうせ出て参っても主は黙って座っておるだけであるし、来るのが面倒だったら議事録を兆加にでも送るゆえ。とにかく、喪に服しておって欲しいのだ。神世が浮足立ったことが出来ぬようにの。」
維心は、どういうことか分からなかったので、眉を寄せて炎嘉を見た。
「…浮足立つとて一年であるぞ?皆、不満が溜まるのではないのか。まあ、普通の感覚なら龍の宮が喪中の一年の間に、派手な催しなどされてはこちらのメンツもあるゆえ、良い気はせぬが。我はそこまでうるさく言わぬしそこのところは各宮の考えに任せておるから。子が出来ておって慌てて婚姻というところを待たせるのも気が退けるゆえな。」
炎嘉は、維心に身を乗り出した。
「だから、それは主が平気な顔をして会合などに出て来ておったら、あちらもまあいいか、ぐらいで内々に婚姻したりするわけであるのだ。だが、本格的に喪に服しておったら、この限りではない。主は短気だと未だに思われておるゆえ、主が父親を悼んでおる時にそんなことをしたら、どんな嫌がらせをされるかと恐れるものなのだ。ゆえ、主もうしばらく悲しんでおってくれ。」
維心は、炎嘉の言いように呆れたように目を丸くした。
「主な、やっと我ら普通の生活が出来るようになって参ったというのに。あれから三回も将維を門の前に呼んだわ。将維もさすがに頻繁過ぎるからもう少し時を空けてくれと疲れたように言うから、やっと呼ばぬようになったというに。」
それはそれで、炎嘉も呆れた顔をした。
「三回もだと?あのな、気がどれほどに消耗すると思うておるのだ。将維もよう短期間に三度も来たの。無理をさせおって。」と、息をついた。「とにかく、しばらくここに居れ。我が何某か世話してやるゆえ。良いな?神世に龍王は未だに父を悼んでおるのだと思わせるのだぞ?」
維心は、憮然とした顔をしながら、炎嘉を横目に見た。
「…主、何を企んでおる。神世に婚姻を禁じて何をするのだ?」
炎嘉は、腰に手を当ててふんぞり返った。
「我は主が思うておる以上にいろいろな神の世話をしておるのだ。どこにもの、適材適所というものがある。親同士の何某かなど関係ないのだ。要はそこにあるべき場所にあるのが、本来の姿ということぞ。」
維心は、ますます眉を寄せて炎嘉を見たが、炎嘉は自信たっぷりな風でそう言い切った。維心は、世話好きの炎嘉が言うことなのだからと、渋々頷いた。
「…しようがない。面倒だけは起こすでないぞ。ま、我に籠っておれと言うならいくらでも宮に居るわ。どうせ宮での催しも来年九月まではせぬしな。獅子の宮でも同じようであろう?しばらくは神世も静かであろうよ。」
炎嘉は、満足そうに頷いた。
「それで良い。では、我も他にも行く所があるゆえの。これで帰るわ。」
維心は、驚いた顔をした。
「何と申した?もう?」と、立ち上がった。「主もせわしい奴よな。己の宮もまだ大変であろうに。無理をするでないぞ。」
炎嘉は、立ち上がって歩き出しながら手を振った。
「なに、最近では炎耀も炎月もようやってくれておるから、我が少々宮を離れても問題ないのだ。それより我は約したことは違えぬし、しっかり見てやらねばならぬわ。」
維心は、炎嘉に並んで歩きながら、怪訝な顔をした。
「何を約したと申す。ま、主がやる事であるし我は何も言わぬがの。それで、これからどこへ参るのだ。」
炎嘉は、さらりと答えた。
「獅子の宮。あちらが大変であろうと、我が宮の侍女を行かせておるのだ。今、翠明の宮の椿が行っておろう?あれはようやっておるようで、維明に聞いておろうが葬儀も滞りなく回っておった。次は即位式であると、我が宮の侍女を使ってあちらの侍女達を躾けておるようぞ。陽蘭の生まれ変わりと聞いておるが、やはり優秀であるな。」
維心は、それには素直に頷いた。
「そうであろうな。あれは命の問題ぞ。本来神ではない命であったし、かなりのことを同時にこなせる能力の高い命のはずよ。あれなら少々荒れた宮であっても問題なく回しておるであろうの。」と、ハッとした顔をした。「ちょっと待て、もしや主…そういえば箔翔がえらく急いで結納だ何だと言うておったが、それを止めようと思うて?獅子の宮をそれなりにしてから椿を帰させようと?」
炎嘉は、うーんと眉を寄せた。
「まあ、そんなものよ。主は見ておれば良いから。何も知らぬ方が後々面倒も無くて良いであろうしな。しかし、我が思うておるようになると思うぞ?賭けても良いわ。」
維心は、うんざりしたように言った。
「賭けるも何も主が思うておるのが何なのか知らぬではないか。何度も申すが、面倒だけは起こすでないぞ。いろいろ後始末が面倒なのだからな。分かったの。」
炎嘉は、嬉し気に茶目っ気たっぷりに笑った。
「主に面倒は掛けぬよ。見ておれ。」
何が嬉しいのか分からないが、炎嘉は楽しんでいるようだ。
維心は、前世からあちこち首を突っ込んでは世話をして来た炎嘉なので、もはやあきらめて元気に飛び立って行く炎嘉を見送ったのだった。




