出身地
静音を訪ねて屋敷へと向かった二人だったが、静音はそこに居なかった。
出て来たのは、初老の疲れ切ったような容姿をしている母の女で、二人を見ると、毒づくように言った。
「…あの子は、好き勝手してるのよ。我の言うことも聞きゃしない。あっちこっちの男の相手をして、子が出来たって、いったい誰の子なんだいって言ったのさ。そうしたら、一番稼ぎそうな男にするって。父親だってろくでなしだったけど、あの子もそんなところがそっくり。我はね、もうあの子とは縁を切ってるんだよ。文句があるなら、本人に言っておくれ。我は知らないよ。」
戸を閉めようとするのに、薫が慌てて足を挟んで、言った。
「聞きたいことがあるのだ。主らは、どこの集落から来た。北東の海の集落か?」
女は、怪訝な顔をする。薫は、フッと息をつくと、懐から懐紙を引き出して、それに包んであった菓子を渡した。女はそれをひったくるように手にすると、ニタリと笑って答えた。
「…ああ、そうさ。我とあの子は北東の海、一つ目の集落の出だよ。杉の木の脇の家から三つの女って言われてたよ。」
薫は、頷いた。
「そうか。じゃあここで知った顔も居ないだろうな。我は北東中央南の三つ目から来たんだが。」
螢は、薫に突かれて慌てて言った。
「我は、北西下の集落の外れから来た。」
女は、クンクンと菓子の匂いを嗅ぎながら、頷いた。
「あんたらも苦労したんさね。だがまあ、うちの集落はちっとはマシだったからね。大きかったんだよ。だからここじゃ、知った顔も見るよ。うちの子の男の一人がそっから一緒のヤツで…ええっと、名前とか言ってたね。み…み…。」
「光希?」
薫が言うと、女は何度も頷いた。
「そうそう、みつき!あれは同じ集落の岩の影四つ目の男さ。うちとは格が違ったけど、ま、ここへ来たらそれも無いけど。」
螢は、心の中で苦笑した。格といっても、岩の影に住んでいたか、杉の脇に住んでいたかの違いでどっちもどっちなのだ。
はぐれの神には違いない。
だが、薫は合わせて頷いた。
「そうか、そうだな。話が聞けて良かった。ではな、静音の御母上。」
相手は、見送りもせずに手だけを振って、中へとさっさと帰って戸を閉めた。
螢は、ため息をついた。
「少し前までこんな中に居たのに、もう忘れてしもうておるわ…懐かしいが、戻りたいとは思わぬな。」
薫は、しかし脇へと螢を引っ張って行くと、真剣な顔で言った。
「螢、やはり思うた通りよ。静音と光希は同じ集落から来ておる。もしかして、北東の海一つ目の集落とは、その闇を封じ込めておいた穴と近くなのではないのか。」
螢は、困って首を傾げた。
「どうであろうな。その穴の位置が正確に分からぬから我もそうとは言えぬのだ。北東の海の集落へは行った事も無いゆえ。」
薫は、ふうと肩で息をついた。
「困ったの…何やら嫌な予感が消えぬ。もしや、と思うだけであるが…しかし、月でも御し切れぬ面倒を持ち込んでおったらと思うと案じられる。」
螢は、薫ほど力のある神がそんな風に言うのに、気になって仕方がなかったが、しかし自分達にはどうしようもなかった。今分かっているだけでは、不十分なのだ。
薫は、空を見上げた。
「…仕方がない。朔と、到に聞いてみるしかないの。何か気になることは無いかと。」
螢は、それを聞いて首を振った。
「気になることだらけであろうが。光希は、恐らく今頃はもうあの穴へと行っておるのではないのか。とすると、帰って来て何かに憑りつかれておったら、あれらは…」螢は、自分で言って、ハッとした。そして、薫と目を合わせた。「もしかして、一番に被害を受けるのでは?」
「行くぞ!」
薫は、スイっと空へと飛んで行く。螢も、慌ててそれを追った。今夜の朔達の隊の受け持ちは、あちらの北東の端の結界外だ。
《まあそんな訳で炎嘉の子が欲しいとかでめんどくさい事になってるんだと。》十六夜は、王の居間に居る蒼に向かって月から話していた。《だから炎託が帰ったからってどうなるわけでもないが、早く帰してくれってのが維心の心の声みたいだぞ。もちろん、表立っては言わねぇがな。》
蒼は、椅子に座りながら、大きな窓の外に浮かぶ月を見上げて言った。
「分かってるんだよ、あっちも忙しいんだろうしね。でも、まだオレの勘が働いてて。なんだかなー最近ではすごい近いような気がして。どうしたらいいんだろう。気のせい、で済ませられたらいいんだけどさ。」
十六夜は、呆れたような声を出した。
《気のせいだって言ってやりたいが、今までそう言ってほんとに水面下でいろいろあったからなあ。お前の言うことを一笑に付すことも出来ねぇ。》
そして、ふと黙った。
「なんだ?」
蒼が言う。十六夜は、誰にも聞こえないのは分かっているのだが、声を潜めるような念の声を出した。
《…螢と薫が北東の結界端へ向かってる。なんだか慌ててるみたいだが。》
蒼が、驚いて身を乗り出した。
「え、あいつらが?!螢は、真面目で絶対こっちを裏切らないって思ってたのに!」
十六夜の声が、煩そうに言った。
《だから向かってるだけだっての。》と、ちょっと黙り、続けた。《…お。なんだ、光希と朔と到が居るぞ。なんだよ、あいつら友達か?》
蒼は、肩の力を抜いた。
「みんなはぐれの神出身じゃないか。そりゃ歳も近いし友達でもおかしくないけどさ。」
十六夜の声は、納得したように言った。
《ああ、あの三人が夜番で、結界外を見回ってるんだな。そろそろ交代だから、迎えに来たのか。宿舎の方へ五人で向かってる…あ、光希は自分の屋敷の方へ降りてった。話してることは、大丈夫か、とか問題ないか、とかそんな感じで込み入ったことはねぇな。なんだよ、驚かせやがって。》
蒼は、ガックリと肩を落とした。
「もう、ちょっと友達同士話してたぐらいで大袈裟に言うなよ。」
十六夜は、怒ったように言った。
《あのな、お前が神経質にあっちこっち見ろ見ろ言うから、オレだって神経質にならあな。そもそも螢だって、薫だって先が楽しみだって嘉韻も期待してる奴らなんだぞ。何かあるはずないだろうが。あーあ、もうめんどくせぇ。もう寝らあ。》
蒼は、慌てて空を見た。
「ちょっと十六夜!寝なくても大丈夫なのは知ってるんだからね!ちゃんと見ててくれよ、オレは寝なきゃ駄目なんだから!」
十六夜の声は、不貞腐れたように答えた。
《へえへえ人使いが荒いな、まったく。》
人じゃないくせに、と思ったが、蒼はこれ以上十六夜にへそを曲げられたくなかったので、黙った。
今夜も、月が美しい静かな夜になりそうだった。
螢と薫が急いで北東の結界へ飛ぶと、もう交代の時間のようで、朔と到、光希がそこから入って来るところだった。
光希がヤバイのではないかと思っていたが、特にヤバいような感じもなく、普通に飛んで来る。こちらが構えていた分肩透かしを食らったような形の螢と薫が、目を丸くしながらも、もう来てしまったのだからと、三人に寄って行くと、光希があからさまに嫌そうな顔をして、言った。
「…我は屋敷へ帰る。」
そう言って、スーッと下へと降りて行った。
それを戸惑いながら見送った螢と薫だったが、空には月が出ている。新月でもなんでも十六夜からはしっかり見えているのに、今日はあろうことか満月だ。
なので、朔と到と共に宿舎の方へと飛びながら、薫は言った。
「その…問題ないか?」
朔が、少し緊張気味に答えた。
「ああ、何も。」
螢は、隣りの到にも、言った。
「光希はあんな感じだったが、大丈夫か?」
到は、目を合わせずに飛びながら、頷いた。
「ああ、大丈夫だ。あいつは今、屋敷に静音が居るから…最初から、屋敷へ帰ると言うておったのだ。我らは宿舎へ。」
螢は、ここは突っ込んだ話はしない方がいい、と思い、頷いた。
「そうだな。」と、薫を見た。「薫も来るか?その、我の部屋が今、一人部屋になったのだ。気を遣う同居人も居らぬゆえ。参れ。」
薫は、少し眉を寄せたが、すぐにパッと明るい顔をすると、微笑んだ。
「おお、邪魔しようの。楽しみよ、我はまだ序列がつかぬし、今のままでは相部屋になるゆえ、たった一人で学校の宿舎を許してもろうておるから。それはそれで良いのだが、やはり話し相手が欲しい時もあるしなあ。」
急にそんな風に様子が変わったので、螢は驚いた。恐らく朔も到もそうなのではないか。
薫が、その気になればいくらでも懐っこい風を装える事実をそれで知り、気が強いだけではなく案外に世渡り上手なのかもしれない、と螢は感心して見ていたのだった。