見ている先
《親父。》
十六夜の念が、碧黎に呼び掛ける。碧黎は、答えた。
《…何ぞ。観の軍神なら見ておる。》
十六夜は、相変わらずちょっと言えば察する碧黎に面白くない気持ちになりながらも、言った。
《だったらいい。どうする?他人んちでやられたら面倒なんだが。》
碧黎は、ため息をついた。
《あの岳という軍神は慣れておるわ。観の筆頭であるし、案じずとも簡単には討たれぬ。だが、あれは敵を作り過ぎておるのだ。せっかくに月の宮の軍神になったはぐれの神達はそれなりになって参ったものを、あれの顔を見れば恨みも思い出そうが。何しろ、親を顔色ひとつ変えずに殺されたのだからの。》
十六夜は、答えた。
《だが、何とかあれらを罰せずに済むようにしたいんだ。今手を出したらバレちまうし観も自分の軍神を殺そうとして神など殺せと言うだろう。それより前に、岳がさっさと斬っちまうだろうがな。さっきからオレが浄化の光を多めに下ろしてるから、あいつらも躊躇ってて進んでねぇが、恨みの方が強かったらやっちまう。オレは心配なんでぇ。》
碧黎は、息をついた。
《…仕方のない。このままでもあれらは結局手を出さぬと思うが、主がそればかりと見ておって他を見るのを怠るのは困りものであるし…我が見て参るわ。あれらに行動はさせぬ。ゆえ、主は広域を見張るのを怠るでないぞ?》
十六夜は頷いたようだった。
《分かった。どうにかあいつらを助けてやってほしい。》
碧黎は、ふんと鼻を鳴らしたようだ。
《主は誠に陽の月よ。だがあまり信じ過ぎるでないわ。》
そうして、碧黎の念は消えた。
十六夜は、広域に意識を張り巡らせて、暗い意識を見張ることを怠らなかった。
将維は、月見の宴が開かれているのを知っていたが、見に行く気持ちにはなれなかった。
じっと月の宮の北の、自分に与えられた対の自分の居間に一人座り、窓から見える月を見上げて黙り込んでいた。
こうして居ると、自分の生涯とは何だったのかと思う。
父の維心は、その長い生のほとんどをたった独りで世を平らかに平穏に治めるために使い、その最後に僅かな時を、維月という最愛の妃を得て、将維達子らを得て、そうして逝った。
その後、その父の維心が転生し、成人するまでの時だけを、龍族を守って生きていたに過ぎない。
維心に王座を譲ってからは、遊び暮らして時に維心の手助けをし、気楽な生活をしていた。
だが、自分にはその生の上で、維心の代役以上のことは無かったように思う。ということは、維心がああして世に君臨している今となっては、自分はお役御免ということなのではないのか。
もし、前世の父、維心と同じように生きれば最後に意味のある幸福な時が来るのだと言われたとしても、自分はその維心の、1800年の生涯の、半分も生きていない。
まだまだ、このまま意味のない生をこの倍以上生きねばならぬと言うのなら、もうここらで一度仕切り直して黄泉へ逝き、次の生の準備をしたかった。真新しい気持ちでまた、生きて行きたいのだ。
炎託ですら、1000歳で老いが来て、黄泉へ逝った。
自分はまだ、200年ほどある。そんなに世に留め置かれるのか。
将維は、そう思うとまた、暗く沈んだ。
そして、手を上げた。
すると、その手からは眩い光が立ち上がり、目の前には見慣れた光の門が開いた。
だがそれは、常に維心が開くようなしっかりと質感のあるものではなく、ゆらゆらと立ち上るような、陽炎のような心もとない形だった。
「…炎託?来られるか。それとも、誰か他に?」
すると、いくらも待たない間に、目の前にはこれまた見慣れた姿が着物姿で現れた。
『…将維。炎託はまだ気が足りぬわ。主とてこう度重なれば気がもたぬ。』
将維は、苦笑した。
「お祖父様。我は如何ほどこちらへ留まれば良いのでしょうか。我にはもう、責務など無いように思われてなりませぬ。」
祖父、張維は苦笑した。
『主は維心には敵わぬとも、我の生前よりは力があるのは確かぞ。王座を降りてもこうして門を開けるのは、歴代主と維心の二人だけよ。今も主が残っておるのは、何か意味があるからぞ。それを探してこなしもせずに、黄泉へ来れると思うてはならぬぞ。前世の維心がどれほどに責務に忠実であったと思うておる。孤独に維月に会うまでの1700年を生きたのだ。主はまだ800歳ほどではないのか。とりあえず出来ることを探して、それを成したら黄泉へ参れるのではないか。』
将維は、顔をしかめた。分かっているが、それが何なのか分からない。何しろ、自分が出来ることは維心は軽々こなしてしまい、わざわざ自分が手を貸すほどの事など無いからだ。
「…我の出来ることなど、父上が簡単にしてしまわれる。父上は我の手助けなど必要ないのだ。それなのに、いったい我に何が出来ると言われる。普通の神ならもう爺である歳であるのに…我には、これ以上生きる意味など分からぬのです。」
ゆらっと、黄泉の門が揺らいだ。張維が、門の枠を見上げた。
『…ならぬ。門の維持がもう出来ぬぞ。そろそろ閉じよ。また前、炎託を呼んだ時のように寝込むことになろう。』
将維は、首を振った。
「お祖父様、我の気などもう要らぬ。そちらへ参ってもし、責務を果たしておらぬとお祖父様のように番人とされても、役目を与えられておるだけこの命を無駄にせずで済むだけ価値がある。あの折は、炎託に懇願されて断念したが、それをどれほどに後悔したか。此度はこのままでおりまする。」
張維は、眉を寄せた。黄泉の門は、現世から開いているので、現世から何とかしないと張維からではどうにもできない。
『将維…主、我と同じ境遇に、身を落としてはならぬ。番人は一人。主が来たら我は解放されるが、我はそのようなこと、望んでおらぬ。番人である間は転生も出来ぬのだぞ?新しい生を生きたいのではないのか。』
それでも、将維は首を縦には振らない。
張維は、このままでは著しく気を消耗する黄泉の門の維持で、将維の気が尽きるのも時間の問題だと焦ってどうしたら良いのかとただその場に立ち尽くすしかなかった。
維心が、ふと目を開いた。脇の維月は、よく眠っている。南の庭では、まだ宴が続いているようで、眠ってからそう時は経っていないようだ。
維心は、黄泉の波動を感じ取ってそれに起こされたのだ。この方向は、近い。恐らく将維が黄泉の門を開いておるのか…だとしたら、無理をしているだろう。
黄泉の門は、ずっと歴代の龍王しか開くことが出来なかったもので、王が死して代を譲られたら、次の王がそれを受け継ぐような形でやって来たものだった。しかし、維心の代で張維が在位中でも開けるようになり、将維もそれを継いだのか皇子の時から開くことが出来た。なので、王座を去った今でも、無理にこじ開けるような形で開くことが出来るのだ。しかし、無理にこじ開けるので、気の消耗は著しい。もともと、黄泉関係の力は全て気の消費が多いのだが、門を開くのはその最たるものだった。
維心が思って嫌な予感がしながらも、その波動を辿って様子をうかがっていると、いつもは一度寝たら起きないはずの、維月が突然、パチッと目を開いた。
「…維月?」
維心が、驚いて維月に問いかけると、維月は、維心を見て言った。
「維心様…将維の中の僅かな陰の月が、踏ん張っておるのを感じます。龍が…龍が抜け去ろうとしておると。その気の尻尾を必死で掴んで留めておるような…。」
維心は、飛び起きた。まさかあやつは…!
「行って参る!」
維心は、南の庭での喧噪に背を向ける形で、北の対へと物凄いスピードで飛び抜けて行った。




