西の島南西の宮では
翠明は、帰ってすぐに奥宮へと飛ぶような足取りで入って来て、そうして家族の居間で寛いでいた綾、紫翠、緑翠、椿の前へと来た。
綾は、先触れもなく帰って来た翠明に驚いた。つまりは、翠明は先触れより先にこちらへ急いで戻って来たということだからだ。
急いで立ち上がると、頭を下げる。
「まあ、王。お戻りの先触れがまだであって、知りませんでしたわ。お出迎えもしませず申し訳ありませぬ。」
翠明は、綾の手を取って首を振った。
「良いのだ、先触れは良いと言うてさっさと帰って参った。」と、同じように立ち上がって茫然としている、子供たちの方へと振り返った。「今戻ったぞ。良い話があるのだ。早う知らせとうて。」
綾は、戸惑い気味に翠明を見上げた。
「会合で、でございまするか?」
政の何かだろうか。
皆が思う中、翠明は皆に座るようにと手で示してから、自分も綾の手を引いて上座の椅子へと座る。皆、戸惑ったまま翠明の前の椅子へと座って、何事かという顔をしていた。
「実はの、宴の席でなのだが。」と、椿を微笑んで見た。「箔翔殿と話しになって。あちらの箔炎と主は同い年なのだが、箔炎の妃に、主を考えても良いと言うてくれておるのだ。」
椿は、驚いた顔をした。綾は、袖で口元を押えて驚いたように言った。
「まあ!鷹と申せば鷲と並ぶ最高位の宮。その第一皇子様に嫁ぐことが出来るなど、何と幸運なことでしょう!」
戸惑っている椿を後目に、翠明は微笑んで綾を見た。
「そうであろう?あちらも立ち合いをする皇女をお持ちであるし、こちらの椿の様も分かると理解もあって。箔翔殿が妃で苦労したことがあるので、綾のようなしっかりした妃を、どうしても箔炎殿にも欲しいと考えておるようよ。主が育てた椿なら、きっと素晴らしい妃になるだろうとな。」
綾は、それには表情を引き締めた。
「そのようにご信頼頂いているからには、我も気を入れて椿を教育して参りますわ。もちろん、椿ならばあの宮の王妃であろうと完璧に務めることが出来ましょう程に。決して困るようなことが無いように、今から我の手伝いもさせて実際に宮を動かす方法を伝えて参ります。」
椿は、戸惑いながらもそれを黙って聞いていた。鷹の宮…我は、鷹の宮の箔炎様とおっしゃるかたに嫁ぐのか。
まさか、成人もしていない時からそんな話が来るとは思っていなかったので、ただただ驚いていたのだが、紫翠が言った。
「箔炎殿というと、白虎の志夕殿と友であるとか。弟君の箔真殿は炎月と友で、我も様子を聞くことがあるのだが、箔炎殿のことはそういえば深く聞いた事が無いの。こんなことなら、この間の龍の宮の立ち合いに出ておけば良かったことよ。椿もよう知らぬ相手となると心配であろう。」
緑翠が頷いて案じるように椿を見ると、綾が憤慨したように言った。
「よう知らぬ相手など!紫翠、鷹の格の高さを知っておるでしょう。しかも、第一皇子で後を継がれる可能性の高いおかた。そのかたの正妃に収まることも、夢ではないのですよ。そうしたら、椿の将来は安泰です。あなたはそのようなことも分からないのですか。こんな幸運なお話は無いのですよ。」
翠明も、それに同調して頷いた。
「そうであるぞ、紫翠。競争率が高いというに、今から父王がそう言うてくれておったら、あちらが娶るとなった時、最優先であちらへ入れるのだ。これよりの事は無い。椿のことは誠に案じておったのだが、これで我の肩の荷も下りたものよ。これよりは椿、そのつもりで母についてよう励むのだぞ。母が言う通りにしておったら問題ないからの。綾はあちらでも皆に絶賛される王妃であるのだ。」
それには、綾は困ったように翠明を見上げた。
「まあ王、また我のお話をなさったのですか?我はそこまでではありませぬから。龍王妃様など立ち合いの腕すら誰も寄せ付けぬのだとか。茉希様が我にお文をくださいましたけれど、ため息をついてばかりだったと申しておりましたもの。ですけれど、椿はどこへ出しても恥ずかしくないように、我が躾けて参りますけれどね。」
翠明は、何度も頷いた。
「主ならそつがないゆえ、頼んだぞ。」と、息をついた。「まあ、あちらも悠理殿の嫁ぎ先に困ると申しておったのだ。観殿も茉奈殿を抱えておるからと、お互いにお互いの皇子に嫁がせようかと話しておって、どちらも娘には困っておるのだなと思うたわ。そうそう、志心殿は白蘭殿が大変にしおらしく嗜み深くなって、戸惑っておるのだと申しておったがの。あちらは美しい皇女であるし、嗜み深くなったのならすぐに嫁ぎ先も見つかるだろうと皆も申しておったわ。」
それには、緑翠が顔を上げた。
「ほう?あちらの皇女は嗜みの無い女神でありましたか。」
翠明は、それを聞いて顔をしかめた。
「いや…他の宮のことであるし、深くは聞いておらぬが、どうやら困った性質だったようでな。それが、急に奥へこもって書にも裁縫にも熱心に取り組み始め、他に姿を見せず慎ましやかになったのだとか。侍女も父王も怪訝に思う変わりようのようであったぞ。」
緑翠は、頷く。ということは、白蘭はあれから本当に頑張って、何とか誰にも近づかずに努めているのだ。
こうして自分に伝わって来るということは、それなりの様子であるということ。
緑翠は、次の段階を考えた。次は振る舞いの品の良さだ。幸い最高位の宮で品のいい侍女には困らない環境だ。そこはとにかく、見た目だけでもうまくやれるようにしていかねばならない。
母も姉の椿も普段は気が強く動きもサクサクしているが、公の場に立てばそれは品よく振る舞い動く事が出来る。ならばそれをさせれば良いのだ。
しかし、問題は白虎の宮の奥深くに居る白蘭に、どうやって連絡を取るかだった。白虎の宮は、定佳の宮ほど緩くはない。志心に気取られずに奥まで行くのはまず、無理だった。
緑翠が考えながら家族団欒の場に座っていると、翠明が上機嫌で茶に口を付けながら言った。
「そういえば、来月は蒼殿の月の宮で月見の宴があるそうな。今年は開くと言うておったのだが、綾も参りたいなら連れて参るぞ?恐らく龍王妃殿の里であるので、連れて行かれるかと思うしな。」
綾は、嬉しげに微笑んだ。
「まあ。是非に参りたいですわ。では持って参る御礼の品を選んでおきまする。」
月見の宴?
緑翠は思った。ということは、白蘭も来るかもしれない。しとやかになったのなら、父王も早く嫁ぎ先を探したいし、そういった場に連れて来るはずなのだ。
「ならば、我も。」緑翠が言うのに、綾も翠明も緑翠を見た。緑翠は続けた。「あちらで世話になり申したし、礼も改めて申しておらなんだので、気になっておりました。この機会に我も参りとうございます。」
翠明は、ああ、と理解したように頷いた。
「そうであるな。では主も参るが良い。宮は紫翠に頼んで参ろう。」
綾は、椿を見た。
「ならばあなたもね、椿。」椿が驚くのに、綾は続けた。「それまでに更に研鑽を積んでそれなりの動きができるように。箔翔様も参られましょうし、もしかしたら箔炎様も来られるかもしれませぬ。顔を見て頂いて、この機をしっかり掴んでおかねば。あなたは父王にお似申して美しいのですし、あちらも見過ごせぬはずですわ。その上に嗜みもあれば、間違いもないかと。」
翠明はそれを聞いて何度も頷いた。
「おお誠にの。主も参れ、椿。主なら大丈夫よ。」
椿は、躊躇いながらも頷いた。とはいえいきなりの事なので、まだあまり実感がない。
それに、翠明に似ているとはいえ、綾にも似ていて、顔立ちの雰囲気はどういうわけか龍王妃に似ているような風情だった。髪は黒いし、目は翠明と同じ若葉色なのだ。
紫翠は、戸惑っている妹を気遣わし気に見ながら、しかし父王と母が嬉し気に語り合う姿に何も言えず、黙って考え込んでいた。




