修行
獅子の宮では、会合に出かけた父王の代わりに、政務を行い尚且つ宮を見張る駿にくっついてその様子を観察していた。
驚いたのは、観は駿に、留守の間の全ての権利を与えていたことだった。
留守の間に来た全ての書状に目を通し、返信をする必要のあるものには、臣下に指示して己の判断でさっさと返信してしまっていた。
観の判断を待つのではなく、駿の判断で宮が回っているということだ。なので、観が帰ってきた時には政務が溜まっているということもなく、駿の続きをするだけなので、観は楽だろうと思われた。観と駿の考え方は、大筋で同じなのだが駿は僅かに違う。それでも、観は駿を信頼し、全てを任せているようだった。
そして、そんな合間にいざこざを起こす臣下達をさっさと処分したり、軍神に指示して牢へ放り込んだりとかなり忙しい。駿は忙しいのにいざこざがあったら、とりあえずは双方の話を聞くぐらいはするので、更に時を取るのだ。
維斗は宮の中の駿の対の中にある、客間を使わせてもらっていたのだが、駿の部屋の方では夜中でも音がすることがあって、次の日に聞いてみると刺客を気取ったので始末したのだと聞いたりした。
維斗は知らなかったが、それは龍の皇子を狙って、あわよくば駿もというはぐれの神の中でもどこかからのスパイのような輩であるらしく、寝ていてさえも気を張って、そういうものを探しているのだそうだ。
そんな様子をこのひと月、つぶさに見て来て、維斗は段々に顔つきも変わって来ていた。
立ち合いではまだ駿に敵わなかったが、それでも意識の方は格段に変わっていて、駿も最初は他人行儀だったが、最近ではまるで兄弟のように接してくれていた。
そして、茉奈という妹とも立ち合うことがあった。
最初、維斗は茉奈が弟だと思っていた。
駿もあえて言わないし、茉奈もあくまでも軍神として、皇子として維斗に接するので、維斗も改めて聞かずにいた。
だが、ある日観が茉奈を呼んで、茉希と共に軍神はやめてそろそろ嫁ぎ先を決める方向ではどうかと言っているのを見て、女だったのだと知った。
驚いて駿に聞くと、本人が弟で居たいというのであえて訂正もしないのだと教えてくれた。
そんなわけで、維斗は知っていたが茉奈を皇子として見て、接するようにしていた。
駿の発言力は、とても強かった。
観も駿を頼りにしているのが分かるように、最近は特に駿の意見を政務に取り入れるようになっているらしく、母の茉希でさえも、駿に何か言えることは少なくなったらしい。
駿は、龍の宮の維明より、ずっと大きな権利を持たされていて、大きな責任を背負うことに慣れていたのだった。
午前中の政務を終えて、午後から訓練場で立ち合い、合間に軍神から報告があった件を処理しに行って、戻って来てまた立ち合って、そうして一日の報告を軍神から受けて、今日も終わろうとしていた。
王の一日プラスアルファといった感じの駿の一日には、維斗も駿に敵わないはずだと思わせるのに十分だった。
ここへ来てからほど、自分が第二皇子で良かったと思ったことは無かったほどだ。
駿と一緒に皇太子の対へと引き上げて行きながら、維斗は言った。
「父王は、今頃宴であろうか。我が父も同席しておるであろうな。」
駿は、月が昇ろうとしている空を、回廊の窓から見上げて、頷いた。
「であろうな。会合にお出になるようになってから、宴に出ぬことは無かったゆえ、此度もお泊りであろう。我も、今夜は気が抜けぬ。」
維斗は、そんな駿の横顔を見ながら、言った。
「主は誠にもう、王のようよ。我とそう歳も変わらぬ風であるのに。父上がよう言うておったが、経験が神を作るのであるな。」
駿は、苦笑いして維斗を見た。
「ここは特殊よ。我とて主の宮へ参って思うたが、なんと静かで混乱もなく規律正しいことかと感心したわ。やはり王の統治がしっかりしておったら、皆がああなるのだと思うたものよ。父上も、荒くれものばかりの宮をここまでにしたお力はご尊敬しておるが、我の代では主らの宮のように、安心して眠れる場にしたいものと思うておる。そのためには、今のようにただ力で押さえるのでは難しい。なので細かな所まで、己で見なければと考えておる。主は恵まれておるのだ、維斗。我は羨ましい限りよ。」
維斗は、その言葉に何の嫌みも感じなかった。この有り様を見て、否と言えるはずなどなかった。
「確かにそうよ。中に居るうちは気づかなんだが、ここを知ってそう思うた。」
駿は、頷いて歩きながら言った。
「それでも、はぐれの神も世代交代が近付いておる。もう幾人か入れ替わって皆、もういっぱしの軍神よ。話も通じるし、聞いておったら尤もな事を言うておる時もある。我は期待しておるよ。」
維斗は、その微笑む顔に、王の心を見て、同い年に近いのに尊敬の念が沸き上がるのを押えられなかった。
箔翔の鷹の宮では、宴が終わり、皆部屋へと向かうところだった。
焔と炎嘉は楽し気にまだ話しながら回廊を歩いていて騒がしい。だが、そんな二人を背に、維心はため息をつきながら箔翔を見た。
「本日はご苦労であったな、箔翔。宮も滞りなく回っておるようで、最近の会合でも危なげなく我も安堵した。これからもこちらで会合となっても案じることはなかろうの。」
箔翔は、薄っすら微笑んで答えた。
「我も悠子を正妃にしてから落ち着いたと我ながら思うておる次第。あれに任せておったら宮は滞りないし、宮の格も疑われることも無いので。」
翠明が、それを聞いて分かると頷いた。
「我が宮も、綾が居らねばどうなっておったのかと思う。最初、あれを不憫に思うて娶るかと思うたのだが、今ではあれでなければ今の我が宮は無かったとまで思うておるし。皇子も二人産んでくれたし、これよりの事は無いと感謝しておるのだ。」
それを聞いた志心が苦笑して言った。
「主はいつなり妃を褒め称えておるよな。正妃にしたのも道理よ。他の妃を娶ろうという気持ちも起こらぬだろうの。」
翠明は、またのろけてしまったのか、と自分に恥ずかしく思いながらも、言った。
「それは…あれ以上など居らぬと思うし。他の王が妃を複数娶るのは良いとは思うが、我はその必要が無いと思うの。」
維心は、自分も同じなのでそれに頷いた。
「妃は一人で十分なのだ。よう考えて一番良い女を一人選べば事足りる。我とて維月以外は考えられぬからの。」
志心は、それを聞いて少し、寂し気な顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「…羨ましい限りよ。」
その顔を見て、志心を不憫に思ってしまい、維心は少し後悔した。炎嘉が長く志心を撥ね付けられなかった意味が、少し分かるような気がした。
後ろから、いつからこちらに追いついて来ていたのか、焔がずいと顔を覗かせて、言った。
「確かに妃は一人二人で良いわ。我もそう思う。だが、決められる女などなかなか居らぬわ。それぞれに合う女が違うだろうが。我だって己のために誂えたような女が現れるのを信じておるのだからの。」
維心は、驚いて振り返る。焔は、酒臭い息を吐きながら、真後ろからこちらを見ていた。炎嘉が脇から言った。
「こら焔。主、飲み過ぎなのだ。我が申したではないか。また酒樽をもらって帰るのではあるまいの。もうやめておくのだ。そら、部屋へ帰るぞ、送るゆえ。」
焔は、炎嘉に引っ張られながら、じたばたとした。
「やめぬか炎嘉!まだ飲むぞ、主の部屋へ参ると言うたではないか!」
炎嘉は、ハイハイと焔をいなしながら言った。
「隣同士であるから方向は間違っておるまいが。参るぞ。」と、維心たちが茫然と見守っているのを振り返った。「ではの。こやつは誠に酒癖が悪いわ。我が送っておくゆえ。」
そうして、焔は炎嘉に引きずられるようにして去って行った。維心は、焔が最近はよく飲むなと少し、怪訝に思いながら、それを見送った。
箔翔が、ため息をついた。
「では、我はここで。また次の会合の時に。」
維心が、頷いた。
「次は我の宮ぞ。待っておる。」
箔翔は、会釈をして去って行く。
そうして、その場は皆己の部屋へと急いで、離れて行った。




