心配
「維斗を?」維月は、維心と共に寝台に入りながら言った。「駿様の宮と申したらはぐれの神達がせめぎ合う場なのでは。危ないのでありませぬか?維明ならばそれほど案じませぬが、維斗をなど…。」
維月が顔を曇らせるのに、維心は苦笑して言った。
「あれが望んだことぞ。維月、心配なのは分かるが、しかしあれも闘神であって戦いたいという思いは強いのだ。もう成人しておるのだし、少しはあれを信じてやらぬか。あれが維明を差し置いてまで参ると申すのだ。行かせてやるのが親心というものぞ。」
維月は、まだ心配そうに眉を寄せていたが、それでも渋々頷いた。
「はい…。確かに、最近では私が子供扱いすることに眉をひそめることも多かったので、気持ちは分からぬでもないのですが。龍の皇子であるので…外では危険なのは間違いなく、維心様の守りを出ることが不安であるのですわ。」
維心は、頷いて維月の肩を抱いた。
「主の心地は分かるのだ。だが、あれも己の身を己で守れるようになねばならぬ。いつまでも我の守りの中では、有事の際に簡単に命を落とす。長い目で見てこれは、維斗自身のためであるのだ。主も弁えよ。」
維月は、維心を見上げた。
「はい。分かっておるのですけれど。あの子は末っ子でいつの間にか成人していて、いつまでも子供だという心地が抜けぬのですわ。申し訳ありませぬ。」
維心は、それは自分もそうなのだが、と思いながら答えた。
「早う一人前に扱われたいと思うものよ。分かってやるのだ。あれも外で神世の厳しさを知るのであろうて。維明とて知らぬ獅子の宮の中、どう成長するのか見ものであるわ。」
維月はもう、何も言わなかった。維心がそう決めて、本人が行くと言っているなら仕方がない。
だが次の日の朝早く、維明と駿が立ち合って維斗と同じようにさっさと下された結果を聞かされた維月は、さらに不安になったのだが維斗の気持ちは変わらなかった。
維心は、軽く駿の相手をしてみたが、確かに維明の敵ではなかったかと感じた。
駿は、相手に合わせて己の速さやレベルを変えるので、維斗の時はそれなりに力を加減していたのがそれで透けて見えた。
維心には一瞬遊ばれただけで終わったが、項垂れている駿に、維心は油断のならない皇子だと思わせられたのだった。
維斗は、無事に獅子の宮へと飛び立ち、龍の宮はまた、それなりの平和な日常を過ごしていた。
そうこうしている間にまた会合がやって来て、そこでは次の、月の宮の月見の宴の話になった。
「次は月見の宴よな。」すっかり元気になった炎嘉が、楽しげに杯を片手に言った。「どうよ蒼。最近では休みがちだった会合にも出て参れておるようだし、今年は外から神を招くか。」
蒼は、渋々といった様子で頷いた。
「皆も楽しみにしておると聞きますし。龍の宮がうちの宴を優先して開かなくなってるので、こちらが客を呼ばないとなるとまた、龍の宮で催すことになって維心様にご迷惑をお掛けするし、現に去年はそうでしたから。今年は頑張って呼ぼうと思っています。そろそろ招待状もお届けすると思うのですが。」
維心は、笑った。
「こちらはいつなり開けるゆえそのようなことは案じずとも良いのだぞ。とはいえ月の宮の敷地の気の清浄さは神にとって貴重なもの。そちらの宴の方が、皆も楽しみに集まるだろうて。」
蒼は、頷きながら言った。
「分かっております。それが癒しだと待ち望んでいる神まで居ると聞いているし、長く宮で催しを開かぬのもと思って…十六夜も碧黎様も見張ってくれると言うし、ならば今年はと思いました。」
焔が、嬉しそうに言った。
「おお待ち遠しいの。燐はよく月の宮へ維織と一緒に行くのに、我は用事も無いのになぜに来たと言われそうで参れぬでいたし。誠…王とは面倒な地位よ。燐が羨ましいわ。」
炎嘉が笑いながら焔の肩を叩いた。
「だからと言うて王座を譲るつもりもないくせに。良いではないか、忍びで参ったら。我だって時に将維を見舞うとか言うてあちらへ参るのだぞ?あの宮はやりやすうて癒される。気ばかりではなくの。」
蒼が緩いので領地全体が緩い感じでおっとりとしていて、確かに癒される雰囲気でもあるのだ。だが、それでも最近ははぐれの神を受け入れたせいでいざこざも時に起こるのだと聞いている。慣れないので、蒼が宮をなかなか離れられないのはそのためだった。
といっても、蒼は観のように力で押さえつけているわけではないので、もっぱらそれは嘉韻を筆頭に軍神達が請け負っているのだが、いよいよとなれば月の力が必要で、だからこそ蒼は宮に居るのが重要で、出ることが出来ないでいたわけなのだ。
維心が、脇から言った。
「そういえば、将維はどうしておるのだ。あれは炎託を亡くしてからすっかり引き籠り勝ちになっておるのだとか。維月が案じておったのだがの。」
炎嘉と蒼はそれを聞いて、顔を見合わせた。そして、炎嘉が答えた。
「…蒼から聞いて、炎託のせいであるなら我とて気になるし度々見舞っておったのだが、あれはすっかり気落ちしてしもうて。前世主が我を亡くした時は、維月が居たし主は王座で落ち込む暇も無かったであろうが、あれは隠居しておるし炎託とは長く共に遊び回った仲だとか。毎日北の庭を眺めて、居間に座っておるのだそうだ。来客とて我か燐、維織ぐらいしか居らぬだろうが。維月も時に顔を見るぐらいはしておるように聞いておるが、それでもあれの気は晴れぬようぞ。」
維心は、それを聞いて顔を曇らせた。
「…案じておったことよ。あれも長く傍に居た友を亡くしてつらいであろうとは思うておったが、長いの。最近は宮にも参らぬようになっておったし、維明も立ち合いの指南もしてもらえぬとこぼしておったゆえ…。」
蒼は、息をついた。
「はい。将維のことは十六夜も気にしてよく話に行っているようですが、それでも将維は気もそぞろであるようで。十六夜から聞いた明維と晃維がたまに参るのですが、それでも変わらぬ様です。最近では何のために生きているのか分からぬようなことを言い出す始末で。」
維心は、眉を寄せた。前世の自分も、長く世に留め置かれて面倒だと思っていたが、いかんせん自分には龍族の未来と世の平穏が掛かっていて、簡単には死ぬことは出来なかった。だが、将維も老いは来ていないとはいえもうよい歳になる。確かに維心に代を譲って隠居している将維には、それほど世に関わる責務も無いように思うし、将維がそう思っても仕方が無かった。
「…我も、また月の宴の際にあれを訪ねてみる。」維心は、言った。「我の対へ呼んでも来ぬだろうしな。心持は分かるゆえ…確かに黄泉の門は、一度開いたのを感じたことがあったゆえ、恐らくは炎託とその際に話したとは思うのだがの。しかし、もはや王ではない上、月の宮で開いたことであるし、恐らくは長くは話せておらぬのではないか。」
炎嘉が、神妙な顔をした。
「であろうな。王ではないのに門を開けるだけでも相当な力を使っておるはずであるし、保つのも難しかろう。炎託も向こうで案じておるのではないか。気が揉めるの。」
観が、黄泉の門と聞いて眉を上げた。
「龍王にしか開けぬあれか。我も、一度父王に文句を言いたいものよ。呼べるのならであるがの。ようも無謀な侵攻などして獅子を滅ぼしたなと言いたいわ。」
維心は、苦笑して言った。
「力が無いと来れぬからのう。恐らくあれには無理ではないか。炎嘉でもやっとのことで来ておったぐらいよ。我は体感では軽々であったが、それでも著しく気が消耗しておって驚いたことがある。」
炎嘉が、それを聞いて何度も頷いて観を見た。
「我は維心が何度も呼びよるから無理して来ておったが、普通の神では無理よ。そうよなあ…」と、最上位の宮で並ぶ皆をぐるりと見回して、言った。「この中なら死んで門まで来られるだろうと思われる神は、焔、志心…ぐらいか。観、主もかなり頑張れば来れるやもしれぬが、恐らくまともに話す力は残らぬだろうの。箔翔は僅かに箔炎より劣るゆえなあ…これも必死に頑張れば来れるかもしれぬといったところよ。」
箔翔は、面白く無さげに言った。
「別に死んでまで頑張りとうないし、呼ばれぬように死ぬ前に箔炎に散々言い置いて参るから良い。死んでまでこちらの事を案じてなどおれぬわ。」
炎嘉は、箔翔に良いように膨れっ面にして見せた。
「うるさいわ。誰も案じようと思うて案じるのではないわ。気になって仕方が無くなるのだから仕方なかろうが。こやつ一人に世を押し付けてさっさと逝ってしもうたこと、後になって後悔したゆえな。炎翔を跡目に残したこともぞ。我はもっと生きて正しい道を残さねばならなかったのに。」
それには、箔翔もハッとしたような顔をして、そうして黙った。炎嘉は、後悔しているのだ…やっと復興させた鳥の宮のことを思っても、心に残って仕方がないのは分かった。
焔が、そんな炎嘉にしみじみと頷いて見せた。
「分かるぞ。炎嘉よ、我だって同じよ。己で閉じた宮を、何とか世へ戻す段取りをしようとしていた最中に死んだ我を想うてみよ。最後まで何とかして皆に我の頭の中を残そうと筆から手を放すことが出来なんだ。結局、我が転生するまで誰も神世へ戻ろうとしなかった。我は己が愚かだったと、誠に後悔したものよ。宮を閉じたせいで、龍に頼んで我を呼ぶことも出来なんだのだからの…我は呼ばれておったらすぐに行って世へ戻れと命じておったわ。思いもかけず、心残りなど出来るもの。しかも、己のせいでな。」
炎嘉は、焔にうんうんと頷いた。
「そうよな。主も無念であったろう。だが、こうして戻って参ったのだから良いではないか。この上は、世を平穏に楽しく遊び暮らそうではないか。」と、パッと明るい顔をすると、酒を注いだ。「そら、飲め!箔翔の奢りであるからいくらでも飲めるぞ!」
今回の会合の場所は、鷹の宮だったのだ。
箔翔が呆れたように言った。
「いくらでも出させようが、しかし炎嘉殿は飲み過ぎぬと決めておるのだろう?主らは誠、揃うと底が無いの。」
焔は、出された新しい酒瓶から酒を注ぎながら文句を言った。
「主だって同族のくせに我らと似ても似つかぬではないか。本来、我らはこのようぞ。龍だけがあんな風に取り澄ましておるのだ。どうせ見習うなら龍ではなく我らを見習えば良いではないか。」
箔翔が眉を寄せていると、観が脇から言った。
「そら、酒だけ飲ませておけば機嫌が良いのであるから。主も突っかかるでない。」
蒼も、苦笑してそれを見ている。
維心は、呆れて物も言えなかったが、いつものことなので仕方なくただ、それを見ていた。