生まれ変わり
「…!!あの、気は…!!」
維月は、思わず声を上げた。今、立ち合っている皇女達、片方はもっと小さな頃に会った事のある、悠子と箔翔の娘の悠理だ。あの金髪は忘れたことが無い。だが、翠明の皇女の、椿の、気…!
《…お前も気づいたか。》
十六夜の声が、維月に言った。維月は、涙ぐんで頷く。維心は、じっと椿を見つめながら、息をついた。
「…陽蘭か。」
そう、あの覚えのある気の色は、間違いなく、陽蘭の気だった。
もう、ただの神なので、気の大きさはそうでもないが、それでもあの気の色を、忘れるはずはない。
維月は、もはや涙を流しながら頷いた。
「ああ、綾様が身ごもっておられたあの時のお子が、お母様だったのですわ。お父様は、知っておられたけれどおっしゃらなかった。私達は、いつか出会うこともあるだろうと、ただそれを待つしかなかったのです。でも、これほどに近くに居たなんて…!」
維心は、維月の肩を抱いた。
「それでも、あれは何も覚えてはいまい。いきなりに母などと言うて、相手を戸惑わせるでないぞ。とはいえ…」と、かなり素早い動きで、同じように必死に食らいついて来る悠理相手に、椿は刀をサッと振った。「…やはり、陽蘭よな。甲冑姿が板についておるわ。」
「一本!」
龍の軍神の、審判が声を上げる。
悠理は、かなり悔しそうな顔をして膝をついた。それは美しい顔だったが、気の強そうなのは見てとれた。
「なんと手ごたえのある楽しい立ち合いであったことか。」椿が、悠理に手を差し出した。「感謝し申す、悠理殿。」
悠理は、その手を握って、力なく立ち上がった。
「これほどに必死になったのは父と立ち合った時以来でありまする。我も更に精進せねば。」
椿は、悠理に微笑みかけた。
「我も。これからは、共に精進しましょう。我が宮にも訪ねて来てくださいませ。あまり父は良い顔をせぬので、長くは立ち合えぬのですが、我はこれが性に合っておるようで。また立ち合いたいですわ。」
悠理は、それには嬉しそうに頷いた。
「是非に!我も父はそうでもないのですが、母がとても反対しておって、あまり立ち合えませぬの…。軍神になりたいのではないのですけれど、たまに体を動かさないと鈍ってしまいますもの。我が宮にも、お越しくださいませ、椿殿。」
そうして、勝敗は決した。椿は、それから先も勝ち進み、そうして、その日の勝者は翠明の宮の椿となったのだった。
定佳は、それを見て、あのように美しい皇女達が、まさか甲冑を着てあれほどに立ち合うことがあるとはと、知らぬ世界にただただ驚いていた。
兵馬は、もはや隣でむっつりと黙ってしまっている。椿は、レベルの高い相手と立ち合う度にどんどんとその、実力を見せつけて行った。最後の決勝では、とてもじゃないが兵馬には勝てないレベルだと知らしめるそれは良い立ち合いだった。
立ち合いが終わって、椿が膝をついて頭を下げる中、維心は椅子から立ち上がった。それを見た、観客たちが一斉にシンと静まり返る。維心は、言った。
「最初はどうなることかと思うたが、後半は大変に見ごたえのある試合もあったもの。特に決勝はそれなりのレベルであって、思いもかけず良いものを見せてもろうた。翠明の皇女、椿。主には、我が正妃から、特別に打たせた刀を授けよう。」
隣りに座っていた、甲冑姿の維月が、訓練場に待機する軍神に頷きかける。すると、細長い塗りの箱を手にした軍神が進み出て、その箱を椿へと差し出した。椿は、立ち上がってそれを受け取ると、顔を上気させて頭を下げた。
それを見届けてから、維心は隣りの維月に頷きかけて、そうして同時に浮き上がった。
「では、我らの立ち合いをと思うたが、誰か我が妃と立ち合いたいという軍神は居るか。」
意外なことに、皆がざわざわとざわめいた。それを聞いた定佳が、隣の兵馬に言った。
「主、出てみたらどうよ。龍王妃と申しても所詮は女。主はそういう考えではないのか?」
兵馬は、しかし、バツが悪げに定佳を見た。
「我は…その、そのようなつもりではなかったのです。此度、いろいろと立ち合いを見ておって我には考えも及ばぬ世界があるのだと知り申しました。女であっても、あの素早さ、あの技術。是非に学びたいものと思うておりまする。」
定佳は、満足げに頷いた。兵馬が、ここで出ると言うような軍神であったなら、その浅はかさに筆頭を下ろそうかと思っていたのだ。優れているものは、優れていると認めねばならない。そうでなければ己の技術も上がるはずなどないからだ。そのような、向上心の無い軍神を、筆頭に置いて置くわけにはいかなかった。
一方空中では、龍王がしばらく申し出て来る軍神が居らぬかと見ていたが、誰も立ち合うと言い出さなかったので、フッと笑って維月を見た。
「…どうやら、我しか主とは立ち合えぬらしい。では、久しぶりに立ち合うてみるか、維月。手加減はせぬぞ?」
維月は、維心の隣りに浮きながら、手を空中へと差し出して、その手に維心からもらった刀を呼び出した。
「私とてそれなりに上達しておりますわ。維心様こそ、ご油断なさっては危ないやもしれませぬわよ?」
維心は、維月と間合いを取りながら、同じように手を空中へと差し出し、そうして、そこへ刀を呼び出す。
「よう言うたわ。」と、刀を構えた。「参る!」
言うが早いか、維心は維月に突っ込んで来る。
維月は、ニッと笑ってそれを避けた。
そうして、維心へと斬り込んで行った。
「相変わらず、この立ち合いは見えておる者が少なかろうな。」
義心が、空中で刀を交わす音がする中、じっと見上げて言った。隣りの新月が、顔をしかめた。
「見えてはおるが、あれほどに対応できるか我には自信がない。考えておる暇がない立ち合いぞ。」
義心は、クックと笑った。
「考えようと思うておる間は我には勝てぬな、新月。帝羽はもう、良いところまで来ておるぞ?その調子だと、主は序列3位から抜け出せぬわ。」
新月が、むっつりと黙り込む。帝羽が、隣りで見上げながら言った。
「王の技術は相変わらずの素晴らしいものであるが、維月様がそれについて行っておるのが驚きぞ。これほどとは…我は足元にも及ばぬ。勝てる気がせぬ。」
義心が、それには肩で息をついた。
「我だって、勝てると思うて立ち合っても、勝てた例がない。維月様の対応力には舌を巻く。その上を行く我が王もの。」
ふと、脇を見ると、椿と悠理が、その様を食い入るように見ていた。見えているということだ。
見えるだけでも相当だと感心していると、茉希がお手上げだという風に肩をすくめたのが見えた。恐らくは、全く目で追えないのだろう。
義心は、また空へと目をやって、そして、慌てて言った。
「後ろへ下がってください、ここは危ない。」
ぐいと押されて、皆が後ろへと足を踏み出した時、目の前に維月と維心が落ちるように降りて来て、そうして、動きが停まったかと思うと、維月の手から刀が落ち、維心が維月を小脇に抱えるような形になっていた。
「一本!」
義心が、声を上げる。
維心は、ふふんと笑ってそのままの体勢で維月を見た。
「我の勝ちよ。新技を編み出しておったようだが、我には通用せなんだな。」
維月は、維心に抱えられながら、悔しそうに手を振った。
「もう、維心様ったら!余裕があるからとこのような最後になさって!本当ならあちらで刀を奪えたでしょう?」
維心は、維月を放しながら、ククと笑って頷いた。
「よう分かったの。だが、あの場で刀が飛んだら見ておる者たちに危ないと思うたのだ。だからこのように。義心が居るのが見えておったから、きっと皆を避けるだろうと思うて。」
言った通り、義心が素早く判断して皆を下がらせたので、誰かを傷つけるようなことは無かった。しかし、それは筆頭との信頼関係がないと判断できないことだった。
観客が、割れるような拍手と声援を送っていることには、そこで気付いた。
「…お。忘れておったわ、皆が見ておったの。では、これでお開きとしようぞ。義心。」
維心は、維月の手を取り、訓練場から出る方向へと歩き出す。
義心は、それを見てから、拍手と歓声を送っている観客に向かって、叫んだ。
「試合は、これで終了です!宴の準備が出来ております、大広間へとご移動ください!」
観客たちは、皆思い思いに興奮気味に話をしながら、立ち上がって移動の準備に入った。維心と維月は、扉から出る前に、側に立って頭を下げる、椿と悠理に目を止めた。
二人とも、まだ幼い顔立ちだ。恐らくは、人世で言うところの中学生から高校生辺りの姿だろう。
維月が、声を掛けた。
「二人とも、大変に素晴らしかったわ。神世の皇女がそのように強くなるのは、心強いこと。また私とも立ち合ってくださいませね。」
二人は、思いもかけず声を掛けられたので、顔を赤くしたが、答えた。
「もったいないことでございます。父からは、何と面倒なことをと思っていたが、こんな時に役に立つとはと言われて…でも、こうして優勝出来て龍王妃様から刀を賜って、きっとこれからは立ち合いも頻繁にすることを許してもらえると思うのです。」
椿は、そう言って塗りの箱を抱きしめた。悠理は、言った。
「我もお母様に、王のお役に立つならと今回参加を許されたのですけれど、本来はこんなことはと言われておったのです。ですけれど、龍王妃様も立ち合われると聞いてから、言いにくそうにしていらして。頻繁に訓練場にも立てておりますの。感謝しております。」
維月は、頷いた。活発な皇女がしたいことをしたいように出来たらと思っていたので、それだけでもこの試合を開いて良かったと思ったのだ。
維心が、隣りで言った。
「まあ、それでも父王や母をあまり心配させぬようにの。我が妃は月であるから誰も敵わぬしこれで成っておるが、主らは違う。そのうちに、どうしても将来を考えねばならぬ時が来る。維月もそうであるが、まず妃として立派に務めて、その上でというのが良いと、我は思うぞ。」
二人は、龍王にそう言われて、意見も出せずに頭を下げた。
維月は、この二人のレベルでも、維心の考えは変えることは出来なかったのかと残念に思ったが、それでも神世にこうして己で戦おうとする女神が居るという事実を世に知らしめただけでも、今回の催しは意味があったと思うことにしたのだった。




