前日
定佳は、龍の宮からの知らせ通り、女軍神達の試合の観覧前日に宮へと向かった。
今回の観覧希望者は思ったより多かったらしく、下位の宮から順に先に龍の宮へと入って控えへと収まって欲しいということらしかった。
定佳の宮はそこまで下位でも無かったが、それでも前日の夜までにと指定されて来たのを見ると、かなり上位の宮からも観覧に来るらしいことが分かる。
そんな大人数の観覧でもいきなり受け入れられる龍の宮は、やはり神世最大と言われているだけある、と思いながら、その大きな到着口へと到着した。
すると、侍従の一人が寄って来て、頭を下げた。
「試合の観覧に参った。」
定佳が言うと、その侍従は顔を上げた。
「定佳様。お待ち申し上げておりました。控えの間は内宮東の棟、三階となっておりまする。ご案内致します、どうぞこちらへ。」
定佳は、侍従ですら王の顔と名前をしっかりと記憶している龍の宮の教育に感心しながらも、その侍従について、自分の筆頭軍神の兵馬と共に内宮東の棟へと案内されて行った。
そこは、美しい続き間だった。
真ん中に大きな居間があり、両脇に寝室が付いているタイプのものだ。
最上位の宮の王達は、これよりもっと大きな部屋を宛がわれているのかと思うと驚いたが、やはり天下の龍の宮だけあって、下位の宮にもそれは良い設えの部屋を与えることが出来るらしい。
定佳がそこへ入ってホッと一息つくと、兵馬が言った。
「やはり龍の宮はいつも良い部屋を用意致しまするな。これならば王に相応しいと安堵致しましてございます。」
定佳は、苦笑して兵馬を見た。
「無駄に広いわ。恐らくは複数の妃を連れていても大丈夫なように寝室が二つあるのだろうが、我には過ぎておる。隣りを主が使っても良いぞ?」
それを聞いた兵馬は、一瞬顔を赤くした。何しろ定佳は、両刀でもなんでもなく、男にしか興味がない男なのだ。もしかして、と思うと、普通の王に言われたのとはまた、違った意味を感じるだろう。
定佳は言ってからそう思ったが、兵馬は丁重に頭を下げて答えた。
「我は、軍神でありますので。我にこそ過ぎた待遇でございます。我らには、軍の宿舎に部屋を与えられておりますので、そちらで。」
そうであろうな、と定佳はまだ苦笑して、兵馬に背を向けた。
「ならば参ると良い。我はその辺を散策でもして暇を潰しておくわ。明日は朝から珍しい立ち合いを見れるのだからの。主も期待しておれば良い。」
兵馬は、もう一度頭を下げた。
「は!」
そうして、出て行った。
別に定佳は、兵馬と何某か思ったわけでは無かった。筆頭軍神ではあるが、定佳の好みではない。定佳の好みは、美しい顔立ちで、そう、女と間違うような華奢な男が多かった。翠明は幼い頃に憧れた初恋の男だったが、育つにつれてガッツリと男らしい体格になってしまい、定佳の好みの外見とはかけ離れていた。ちなみに兵馬も、ガッツリとした男くさい雰囲気の男で、定佳は全くそっちの意味で興味は湧かなかったのだ。
女と間違うような男、ということで、女でも行けるのではないかと安芸にも言われたことがあったが、そうではなかった。定佳は、何でも人任せな他力本願の女が、どうにも嫌だった。共に対等な様で、自分が苦しい時に代わりに王として立ってくれそうな、そんな頼れる男がどうしても好みで、女というと虫唾が走るほど、受け入れられなかった。
他の宮の妃達を見ても、ひつなり王が忙しくしている時に笑いながら茶を飲んでいるだけの、そんな様子には許せない気持ちがあったのだ。
なので、龍王妃が演技を見抜けずに、龍王が殺されたと思って自分に向かって来た時は、その様に思わず見とれた。あの維月という龍王妃ならば、受け入れられるかもと思ったのは確かだ。
だが、龍王妃を龍王と取り合うようなことは全く考えられなかったし、あんな女は神世のどこにも居ないので、やはり自分は、男がいいのだ。
そんなことを思いながら、定佳がぶらぶらと一階へと降りて広く美しい回廊を歩いていると、正面から刀を交わす音が聞こえて来た。
…訓練場か?
定佳は、龍軍の軍神達がどんな訓練をしているのか興味があった。あれらの強さは神世で敵うものがないほどだ。そして、龍は皆相当に美しかった。
そんな邪な興味で行くのもなんだが、と思いながら、定佳は吸い込まれるように、刀の音がする訓練場へと歩いて行った。
そこは、観覧の場への道ではなく、訓練場へとつながる道であったようだ。
目の前には、大きなガラスがあり、訓練場が見渡せた。
脇には、そこへと入って行ける両開きの大きな扉があり、しかし見るだけなら、ここからなら間近で本当によく見えた。観覧するなら、ここの方が特等席だろうと定佳は思った。
広い訓練場は、手前は土の地面で真っ平で、奥へ行くほど岩場や木々などがある、実戦向きの仕様になっている。
その、手前の平な場所で、複数の軍神達が刀を交わしていた。
見た所、龍の甲冑を着ている軍神は見張りのような形で立っているだけで、他は違う宮の色とりどりの甲冑を身に着けていて、定佳と同じように明日に備えて王について前日に来た、軍神達なのだと知った。皆、それはいろいろなスタイルで立ち合っている中で、脇にいる、観そっくりのそれは凛々しいガッツリとした男と、これまた観によく似た風だが、若く細身で華奢な様子の軍神の二人の立ち合っている様が目に付いた。
…観の宮の、皇子だろうか。
定佳は、思ってじっとその様子を見ていた。ガッツリした方の男は、それは太刀筋が良く戯れている程度に刀を振っているように見える。対して相手の華奢な男の方は、必死について行っているように見えた。
もっと側で見てみたい。
定佳は、側の大扉を開いて、そっと脇へと入った。
すると、その時華奢の方の男の刀が飛び、地面へ突き刺さるところだった。
「…ならぬな。悪いところを申したではないか。直っておらぬぞ。」
男は、険しい顔で言って刀を鞘へと戻した。相手は、ハアハアと息を上げながら刀を拾って、言った。
「兄上、もう一試合お願い致します。もう一度、確かに腕の振りを直しますので。」
しかし、相手は首を振った。
「ならぬ。母上も明日の準備で我に話を聞きたいと申しておるし、主ばかりにかまけておられぬのだ。もう何戦やっておるのだ。母上がどれほどにうるさいか知っておるだろうが。とりあえず一人でしばらく型を練習せよ。他の軍神も居るし、相手をしてくれようが。」
そう言うと、サッと踵を返して背を向けた。
「兄上!」
華奢の方の男はそう言って追いすがっていたが、ガッツリした方の男は扉へと歩み寄った。そして、その脇に居る、定佳に気付いてふと、立ち止った。
「…どちらかの宮の、王であられるか。」
定佳は、ハッとした。今自分は甲冑を着ているが、普通の軍神とは違う手の込んだ飾りのついたものだった。だから、無視して通り過ぎるのは無礼だと思ったので声を掛けたのだろう。
定佳は、頷いた。
「我は西の島北西の宮の王、定佳ぞ。主は、大層観殿に似ておるが、観殿に縁の?」
相手は、頷いた。
「我は、獅子の宮第一皇子、駿。定佳殿、急いでおり申して、失礼致しまする。」
駿は、そういい終えると急いで出て行った。母がうるさいと言っていたが、本当にうるさい母親なのだろう。
残されたもう一人の、駿を兄上と言っていた方の男は、まだがっくりと肩を落としていたが、定佳は気になって声を掛けた。
「…見ておった。我は、西の島北西の宮の王、定佳。主の兄は大変に筋の良いかなりの腕前。追いつくのは大変ぞ。そのように急いで立ち合っても、なかなかに思うようにならぬ。少しずつ腕を上げて行けば良いではないか。」
相手は、キッと顔を上げた。定佳は、その顔を見て、息が詰まるかと思った…相手は、それはキリリとした顔立ちで、女のように繊細な様であるのに、気の強さが口元に現れていて、それは美しい男だったのだ。
定佳が息を飲んで絶句しているのに気付かず、相手は言った。
「我は、茉奈。兄上は、いつも我とは本気で立ち合うてくれぬのです。悪い場所はお教えくださるが、兄上が言うように体が動かぬで…口惜しい限り。」
名前まで女のようだと思いながらも、その茉奈の美しさに衝撃を受けながら、定佳は震えて来る声を何とか抑えながら、言った。
「ならば…主の兄ほどの腕ではないが、我が相手をしよう。」
それを聞いた茉奈は、パッと明るい顔をした。その顔がまた、それは美しくて、定佳はドキドキと胸が早鐘のように高鳴るのを感じた。なんと美しいのだ…こんな皇子が居たのか。
「誠ですかっ?我の相手など、誰もしてくれずで…定佳殿、ありがとうございます!」
成人するかしないかという歳だろうか。
はしゃぐ様がまた、定佳の心の琴線に触れた。
そんな定佳の心の内など知らず、茉奈は必死に定佳について、立ち合いの練習をし続けたのだった。




