外では
維月が、会合に出て行った維心の帰りを待って居間で庭を眺めていると、十六夜がスッとその庭へと降り立ったのが見えた。
維月は、退屈していたのでなんていいタイミングなんだと急いで掃き出し窓を開いた。
「十六夜!どうしたの、いつもは話し掛けて来るだけで直接来ないのに。」
維月が嬉々として寄って来るのを見て、十六夜は手を差し伸べながら笑った。
「たまにゃお前の顔を直接見とかなきゃと思ってな。最近じゃ忙しいとかで月の宮へも里帰りして来ねぇじゃねぇか。」
維月は、十六夜と手を繋ぎながら、フッと息をついた。
「そうなの。ほら、炎嘉様よ。長く私があちらへ行かなくても何もおっしゃらないから、もう鳥の王に戻られて私になどご興味も無いんだろうなって考えてたんだけど、七夕にいらした時に…この20年の分を一気に返せとおっしゃって。維心様もそれをお断りにはなれなくて、私も取り決めを無視しておったのは確かだし、何も言えずに、結局この間、二週間あちらへ行って来たの。残りの二週間は、また落ち着いたらと。そんな感じだから、月の宮へ帰る暇が今無いの。」
十六夜は、苦笑して維月の頭を撫でた。
「仕方がねぇ。まあオレは毎日月から話してるし、会いたきゃこうして来たらいいんだからいいけどよ。お前も息抜き必要なんじゃないかって思ってな。龍王妃やってると疲れるだろ?だから様子を見に来てやったんでぇ。」
維月は、嬉しそうに十六夜の横で飛び跳ねるように言った。
「平気。十六夜がたまにこうして来てくれるし。あのね、維心様は渋いお顔をなさってるけど、炎嘉様は炎託殿が月の宮へ行っている間に、お子が欲しいとおっしゃってて…ほら、覚えてる?炎嘉様が黄泉へ行かずに生きてくださるようにって頼んだら、あちらが条件を出されて。維心様は炎嘉様に生きて欲しいとお思いでいらしたから、それを受けられたでしょう。だから、それを否ともおっしゃられなくて。最近お悩みなの。」
十六夜は、顔をしかめた。確かに蒼が嫌な予感がすると言って炎嘉に泣きついて、炎嘉が炎託を月の宮へと寄越したので、今は炎嘉は鳥の宮に一人だ。その約束を取り次いだのは他ならぬ十六夜だったので、その子供云々のことは知っていたが、しかし炎嘉はそれを成そうとしている様子は感じなかった。それなのに、なぜ今になって。
「…あいつ、あの時はそんなつもりは無さそうで、維心に自分を諦めさせるために言ったようだったのに。今になって言い出したってことは、もしかしてあれか?跡継ぎ問題。」
維月は、ふうとため息をついた。
「そうみたい。あちらに二週間行った時、炎嘉様からお話を聞いたの。炎託殿は前世の炎嘉様の御子だから、今生炎嘉様よりお年上でしょう?よく考えたら、跡継ぎには出来ないっておっしゃって。そうなって来ると、鳥のためにも自分の血を遺さなければならなくて、でも前世のように誰でもいいわけではないのだって。そう言われてしまうと、私も何も言えなくて…とりあえず、次の二週間までお返事はお待ちくださいませ、ってお伝えして、今回は帰って来たの。維心様にご報告したら、維心様はこれ以上ないほど落ち込むし。約束してしまっていらっしゃるもの…今更駄目だとは言えないのよ。龍王としてそれは出来ないことだわ。」
十六夜は、維月と共に庭の岩へと腰かけながら、ため息をついた。
「オレは別にお前が誰の子を産もうとお前の子なんだから構わねぇけどよぉ。維心は嫌だろうな。嘉韻の時と違って、仲良くやってんだし離婚してるわけでもねぇ。それなのに嫁を貸せってそりゃあウンとは言いにくいだろうさ。だが、確かにあの時維心はあいつに約束したわけだから、今更反故には出来んわなあ。」
維月は、しょぼんと下を向いた。
「炎嘉様のお気持ちも分かるけれど、私はそれにお応え出来ないから…。お子だけなんて、乱暴なお話とは思うの。だって、その子のことも気になるでしょう?私の子なんだし。」
十六夜は、困ったように頷いた。
「それはそうなんだよなあ。オレだってお前の子を放って置けないからよぉ。みんなかわいいし、やっぱり面倒見ちまうわな。あ、そういや思い出した。嘉翔が序列を上げたぞ。言ったっけか。次席になった。」
維月は、微笑んだ。
「知っているわ。七夕に蒼が来た時に嘉翔からの文も持って来てくれてて、そっと渡してくれたから。嘉韻も、まだ早いと思うておったが、立ち合いで勝ち抜きおったので、と書き添えてたの。長く嘉韻にも嘉翔にも会いに行けずに居るのに…ここに新たに炎嘉様とのお子もとなったら大変とは思うわ。本当に。」
十六夜は、維月の肩を抱いて、息をついた。
「そうだなあ。誰も彼もお前ばっかだからお前も疲れるわな。相手するだけでも大変なのに、子供までとなったらさすがに無理だ。やっぱり何とか断った方がいいのかもしれないな。せめてお前の子の中でも一番年下の維斗が成人するまで待ってもらったらどうだ。」
維月は、苦笑した。
「維斗はもう少しで成人よ。どちらにしろ近々ってことになってしまうわ。困ったわね…維心様がお悩みなのも分かるのよ。私だって悩んでしまうもの…。」
すると、低い声が割り込んだ。
「…我だって断れるものなら即断っておるのだ。それが出来ぬだけで。」
振り返ると、維心がこちらへ歩いて来るところだった。維月は、十六夜から離れて慌ててそちらへと足を向けた。
「まあ維心様、お戻りでいらっしゃいましたか?」
維心は、頷いて手を出した。維月は、その手を取る。十六夜が、目を細めて呆れたように維心を見る。
「お前、また結界内だからって話を聞いてやがったな。盗み聞ぎすんなよ。」
維心は、ムッとした顔をした。
「うるさいわ。聞かれとうないなら我が結界内で話すでないわ。それより、炎託はまだ帰らぬか。月の宮の懸念とは何だったのよ。まだ探れておらぬのか。」
十六夜は、腕を組んで言った。
「あのな、そんな簡単に分かるならオレ達でさっさと調べて別に炎託を寄越してくれなくても良かったんでぇ。炎託が帰ったら炎嘉が何も言って来なくなると思ってるんなら間違いだぞ。こっちがウンと言ったら炎託が居ようと居まいと維月を迎えに来るっての。」
その通りだったので、維心は憮然として言った。
「…分かっておるわ。中へ入ろうぞ。話を聞きたい。」
維心は、維月の手を引いて居間へと入って行く。十六夜は、肩で大きくため息をつくと、その後をついて居間へと入って行った。
維心と維月の二人が、いつもの居間の椅子に収まると、十六夜はその前の椅子へと腰かける。維心が、それを待って口を開いた。
「蒼の懸念とは何だったのだ。何か少しでも分かったのか?」
十六夜は、肩をすくめて見せた。
「分からねぇ。嘉韻も嘉翔も気取られないようにあちこち見張ってはくれてるが、みんな真面目に働いてて任務を外れる様子もねぇよ。炎託は連日将維と共に訓練場に立って、そこに来る軍神達の様子を見てくれてるが、そもそも真面目に訓練を受ける奴の中にそんな邪な気持ちを持つ奴が居るわけもねぇし。蒼の懸念ってのが、本当にはぐれの神関連なのかって方向で、今話してるぐらいだ。」
維心は、小さくため息をついた。
「確かに、蒼の不安というものが漠然としたものである以上、そうやって満遍なく見るよりないゆえな。はぐれの神を受け入れて時が経って来たので、不安があるならそこだろうと当たりをつけておるだけで、誠にそこなのかも分からぬし。」
十六夜は、椅子へとそっくり返って頷いた。
「そうなんでぇ。困ってる神はまだたくさん居るってのに、そんな漠然とした不安とやらで何が原因かも分からねぇのに受け入れをストップしちまったから、オレも気が気でねぇよ。蒼が王だからあいつの好きにすりゃいいとは思ってるが、それでもやるならやる、やらねぇならやらねぇではっきりさせるべきだ。あいつは中途半端なんでぇ。」
維月は、口を袖で押さえた。言われてみたらそうなのだ。やってみようと思ってやり出す志は尊いが、それを続けられないのなら最初からやめた方がいいのだ。そうでなければ、希望を持っていた者や、最初から月の宮の領地に居る民達が、迷惑を被ってしまう。
その点、観には覚悟があった。王の器であった観は、はぐれの神を治めるということがどういうことなのか知っていた。だからこそ、妃すら軍神の中から選び、共に戦って統治した。皇子は当然のことながら強い性質の子。それを育てて、はぐれの神を強権的に押さえ付け、そうして宮を維持している。
蒼には、そこまでの覚悟は無いのだ。
「蒼を責めるでないぞ。あれは素直なのだ。しかし、神世は甘くはない。それが今、身に沁みておるのではないか。とりあえずは、今中に居る者達をしっかりと管理し、不安がなくなった上で今後また受け入れを考えよ。主とて、此度の不安が何であるのか分かってから先へ進めた方が面倒が無くて良いであろうが。まずは今居る民のことを考えるのだ。分かったの。」
十六夜は、分かっていたのかすぐに諦めたように頷いた。
「ああ。分かってるよ。」と、立ち上がった。「じゃあ、オレは帰る。ちょっと維月に会いに来ただけだっての。お前もさあ、炎嘉の事とか面倒抱えて大変だろうけどよ、こっちにも帰せよ。親父は黙ってるが、あんまり帰さなかったら連れに来るぞ。オレより親父は我慢しねぇと思うからさ。」
維心は、また憮然と不機嫌な顔をすると、嫌そうに答えた。
「…わかっておるわ。」
そうして、十六夜は帰って行ったのだった。