会合の席で4
維心は、大広間の大きな窓から見える月を見上げた。そろそろ、維月と会いたくなった。結構な時間離れているような気がする。朝に到着してから一日、顔を見ていないと何やら落ち着かぬ…。
上座の檀上では、焔が酒が進んで饒舌に話しているところだった。炎嘉と焔は、もとは同族であるからか性質がとてもよく似ている。本来なら炎嘉と二人で抑えきれないほど盛り上がって大変なのだが、今日は炎嘉があまり飲んでいないので、それほどではないようだ。
もう、皇子達はとっくに部屋へと下がっていて、もう大広間には居なかった。一応神世でも成人していない神は酒席に長く置かないようにする配慮があった。なので、箔炎も志夕も、早くに大広間を出て行っていたのだ。
焔と炎嘉はいい感じに話していたが、維心は構わずに盃を置いた。
「我は、もう控えの間へ戻る。維月を待たせておるし。」
焔が、話の腰を折られて顔をしかめた。
「なんぞ、もう?子供でもあるまいに、まだ宵の口であろうが。」
維心は、もう腰を浮かせながら答えた。
「ここへ着いてすぐに別れて今まで離れておるのに。部屋へ帰る。」
炎嘉が、あきらめたように焔の袖を引いた。
「こうなると何を言うても無駄ぞ。こやつは己の宮の居間を出て会合に出ても、一度戻って維月の顔を見てから謁見に出るぐらいしょっちゅうべったりしておるのだ。朝から顔を見ずにおるのにもう我慢の限界ぞ。」
維心は、立ち上がってフンと鼻を鳴らした。
「うるさいわ。せっかくに連れて参っておるのに、顔を見ぬでどうする。主らはまだ酒を飲んでおれば良いわ。」と、翠明を見た。「ではの、翠明。良い酒であった。主ももう戻ってやれば良い。こやつらは勝手に飲んでおるし気にするでない。」
そう言い置くと、サッと皆に背を向けて、大広間を出て行った。
その背を見送りながら、焔は呆れたように言った。
「いつもあのようか。」
炎嘉は、頷いた。
「そうよ。あやつはいつなり維月維月で、転生しても何も変わらぬ。むしろ、転生してからの方がべったりしておるやもしれぬわ。一時は碧黎に、維月を中心に物を考えすぎておると注意されたぐらいぞ。最近は少しマシになってあれぞ。」
観は、納得したように言った。
「あれでは他に目を向けるなど無いわな。何かにあれほど執着出来るのは羨ましいわ。とはいえ…我も、そろそろ戻ろうかの。茉希がいったい何を龍王妃殿と話しておったのかも気になるところであるし。」
翠明は、頷いて立ち上がった。
「では、我も。綾を労ってやらねばならぬし、あまり放って置くと拗ねよるので後が困るし。」
焔は、それを見てハアと大きなため息をついた。
「仕方がないの、妃が居る者たちを引き留めるほど野暮ではないし。我ももう戻るか。」と、炎嘉を見た。「炎嘉、部屋で飲み直そうぞ。先ほどの軍の編成の話をもう少し聞きたいのだ。我も古い体制のままであるし、少し変えて参るかと思うておるところであるしな。」
炎嘉は、頷いて盃を置いた。
「ああ、ならば我の控えへ。」と、志心を見た。「主はどうする?」
志心は、首を振った。
「我は、もう休む。志夕の様子も見てやらねばなるまい。皇女もほったらかしであるし、どうしておるのか気にかかる。」
観は、立ち上がりながら言った。
「皇女は誠に手が掛かるし面倒よな。早うどこかに縁付けて解放されたい気持ちは我にも分かろうほどに。お互いに嫁ぐまで面倒を見て参ろうぞ。」
志心は、苦笑しながら立ち上がって、言った。
「我としては、軍神でも良いから早う我の手から離れて欲しいわ。」
そうして、上位の宮の王達が退出するのを見た下座の神達も、それぞれに控えの間へと下がって行って、宴はお開きとなったのだった。
白蘭は、会合に連れて行ってもらえると聞いて、もしかして義心を垣間見る機会があるかも、と、塞いでいた気持ちも回復しようとしていたが、今回、龍王が義心を連れていないと聞いて、またドスンと落ち込んでいた。
こんな気持ちになるのは、白蘭も初めてだった。これまで、寄って来る男は利用して守らせるためのものだと思っていた。自分を産んで育てた母親は、白蘭が美しく育ち始めたのを見て、お前はきっと生きるのに困らない、上手く利用して自分を守らせ、生活の面倒を見させるのだと教えた。兄の志夕のことは、いつか必ず王宮から迎えが来るだろうと言っていた。兄は、幼い頃から勤勉で、真面目で環境に染まる事無く、寄って来る女にも見向きもしなかった。そんな兄を見て、母は血は争えない、あの子は我らのことなど下賤の女だと思っているだろうと少し疎ましく思っているようだった。
そんな中、母は客の誰かから移された病で死に、親族が二人を持て余して、特に双子の兄のことはその、高貴な血筋特有の眩しいほどの強く清らかな気に耐えられず、王宮へと連絡を入れて、二人とも引き取られることになったのだ。
それまで、男を利用するために自分の身を与えるのは当然のことなのだと思っていた。
もちろん、白蘭は母のように、それを生業にしていたのではなかったが、それでも生きるために自分が支払う対価と思って、近付いて来る男の中で、強い者ばかりを渡り歩いて危険を回避していた。
兄はそんな環境の中でも、自分というものを強く持っていたので、周りの考えに流されることは無かった。白蘭にも、いつか本当に必要だと思う男が出来た時、己の行いをその男に言えるのか、と白蘭を窘めた。しかし、母の教えを信じていた白蘭には、それが理解できなかった。必要な男とはなんだろう。自分を守らせるのに必要だからこそ、こうしているのに、と。
だが、義心に出会って兄の言っていた意味が分かった。初めて対面した父王が、自分の生きて来た道を知って顔をしかめたのも、そのせいだったのだ。兄には母が着けた名を捨てさせて新たに名を与えたのに、白蘭には臣下に考えさせて改名するか選べと言っただけだった。兄が、これまでの己を捨てるためにも名を変えよと言ったので、白蘭という名に変えた。今では慣れたが、それまでは白蘭は、蘭鵬と呼ばれていた。兄は、真。母がどれほどに兄には執着が無かったのか、その名づけでも分かる。真と言う名は、あの辺りでは多かったからだ。
白蘭は、自分の過去を義心に知られるのが怖かった。いや、義心なら優秀な軍神だから、もう知っているのかもしれない。だからこそ、自分には見向きもしなかったのかもしれない…。
そう思うと、居た堪れなかった。母は、利用して生きろと言ったのに。最初から宮に居たら、そんなことをしなくても良かったのかもしれない。だが、そんなことも自分には分からなかったのだ。
沈み込む白蘭に、佐保がさすがに気遣って言った。
「白蘭様…そのように、塞いでいらしてはなりませぬわ。王は、手習いをしてそれなりの字が書けるようになれば、あちらへ打診も考えようとおっしゃっておいででありましたし。早く皇女らしく教養を身にお付けになって、そうして胸を張って白虎の皇女として婚姻のお話も持って参れるように。」
白蘭は、頷きながらも佐保を振り返らずに、言った。
「…もう、休むわ。お父様はまだお帰りにならないでしょうし、お兄様ももうお休みでしょう。一人にしてちょうだい。」
佐保は、取り付く島もない様子なのに、仕方なく頭を下げた。
「はい、白蘭様。では、下がらせて頂きます。おやすみなさいませ。」
佐保が出て行ったのを見送ってから、白蘭は月明かりに照らされる、庭を眺めて考えに沈んだ。
義心に会いたい…。
ただ、その気持ちが募るばかりだった。




