会合の席で3
とにかくは白蘭と義心のことに関しては、それで誰も何も言わなくなったので、維心はほっとした。とりあえずは、これでしばらく静かだろう。白蘭の引き籠りが長引けばまた再燃するかもしれないが、しかし当面これで何も言えなくなったはずだ。
炎嘉も気にしていた事だったのに、自分が何も言えなかったので焔に感謝するような視線を送っていると、志心が、そんな様子を眺めながら酒を口にし、言った。
「…それで、炎嘉は飲まぬのか?常、潰れるほどではなくとも酒好きであっただろう。翠明の宮の酒は旨いぞ。」
翠明は、東の神達の間で何某か軋轢があるのだろうなと、知らぬことには口出しせずに、黙って脇で酒を飲んでいたのだが、それを聞いて顔を上げた。
「足らぬなら持って来させるが。」
炎嘉は、酒の席で酔って維心やら志心に口づけたり、そのせいで志心とあんなことになってしまったので、公の場での酒は控えているのだ。
なので、慌てて首を振った。
「いや、飲んでおるぞ。煽るように飲まぬだけであるし、ここにあるだけで足りておる。」
志心は、自分の前の酒瓶を押しやった。
「案じることは無いではないか。本日は泊まって参るのであろうが。飲めば良い。」
確かに志心が維月に不能のされているので、飲み過ぎたところで案じることは無いのだが、それでももうあんな面倒はという気持ちがある炎嘉は、とてもここで羽目を外す気持ちにはなれなかった。
「いや…羽目を外すのはと思うておるし…」
炎嘉が、皆が居るのではっきりと理由を言うわけにも行かずに歯切れ悪く言っていると、維心が横から言った。
「ならば我が。」と、酒瓶を自分の方へと引き寄せた。「確かに翠明は良い酒を出してくれておるしな。我が飲もうぞ。」
維心が飲み過ぎて羽目を外す様など見たことも無い。
なので、炎嘉はほっとして維心を見ると、志心は面白く無さげに言った。
「なんぞ、主らは。何やら庇いおうておるようよな。そういえば、炎嘉は羽目を外して維心に口づけたことがあったの。主らはやはりそういう仲か?」
翠明が、仰天したように維心と炎嘉を見た。焔は、なんとも言えない顔をして、観はあからさまに顔をしかめた。
皆、あり得ぬことではない、と思ったのは確かだった。
維心は、ぐっと眉根を寄せて言った。
「なぜにそうなるのだ。我は男でも女でも、維月以外には興味はない。炎嘉は友ぞ。前世今生と共に世を治めて来た仲以上のことは無い。我らは長く共に来たゆえ、親友だと思うておるがな。我は両刀ではないしの。炎嘉をそういう対象で見たことは無いわ。」
炎嘉が、何度も頷いて険しい顔をした。
「何度も言うておるではないか、志心。我らの対象は女であるから、いくら付き合いが長いとはいえそんな仲になるという考えがまず起こらぬのだ。我らが近しい仲に見えるのは、長く共に来たゆえお互いに気安いしよう知っておるゆえであろうな。しかし、体の付き合いなど無い。前世我には21人も妃が居ったのだぞ?あれだけ女好きだと言われておったのに、今生そのような事を言われるなど心外であるわ。」
焔が、困惑したような顔をしていたが、二人の話を聞いて、頷いた。
「そうよな。炎嘉はどうあれ維心の事は、碧黎に連れられて過去を見て来たゆえ知っておる。そら、主らと過去の映像を見に行った時の事ぞ。我だけ他の時へ飛ばされてしもうて、後で迎えに来てくれただろうが。あの時、かなりの主らの過去を見た。維心が維月と出会う前の事から、出会ってからの事などであるがな。確かに、維心は維月以外には全く興味を示しておらなんだし、炎嘉とそんな仲になっておるのは見なんだわ。」
炎嘉が、ああ、と身を乗り出した。
「おお、あの時の。そうであろう?蒼も居ったよな。あれは本日欠席しておるから証言を得ることが出来ぬが、聞けば答えようぞ。碧黎だって知っておろうし。」
焔は、苦笑しながらも言った。
「別にそんなことに碧黎を引っ張り出さぬでも良いわ。知っておる。そも、仮に男でも女でもいいとして、謹厳で名高い龍族の王である維心が、面倒になることが分かっておるのに他の宮の王などとそのような関係を結ぶとも思えぬしの。維心の禁欲的な様は世に有名だったではないか。誠に維月以外にはピクリとも動じずで。百歩譲って炎嘉がその気になったとしても、まず無いわな。」
観は、ホッとしたように頷いた。
「驚いたが、誠にそうよ。前世も同じ妃で子を次々と成したと聞くし、今生も共に転生していきなり正妃にしてそのままずっと共に居ると聞いておるしな。維心殿がそれほどに執心しておる妃であるし、不興を買うことを思うても他はあるまいの。」
翠明も、それには安堵したような顔をした。維心がもし両刀で、自分が気に入られでもしたら大変だ。絶対に抗えないからだ。
しかし、維心の普段からの行いが、あり得ないと思わせたらしく、その話題はそれで収まった。
他のそれぞれの宮の愚痴など聞きながら、維心は志心を盗み見て表情を険しくしていた。やはり、志心は炎嘉に未練があるようだ。そして、炎嘉を繋ぎとめているのが維心なのだと思っている節がある。確かに炎嘉のことは大事に思っているが、そんな意味では絶対に無い維心にとって、大概迷惑なことだった。とはいえ、今志心が黙っている以上、これ以上事を蒸し返して厳重抗議するわけにも行かない。こんなことで何某か起こすつもりは、維心にも無かった。
白虎といつまでも水面下に問題を抱えるのは面倒なことよ…。
維心は、心の中でため息をついていた。
その頃、維月達上位の宮の王妃は、茶も菓子も十分に食べて、今はただ取り留めのないことを話しながら寛いでいた。
やはり王妃の話題と言えば、それぞれの子の事が多く、子育てはすっかり終わって落ち着いている沙耶は自分の時のことを話す程度であったが、綾と茉希はまだ成人していない子を抱えているのもあって、話に花が咲いていた。
維月も、もう維斗すら成人したのでもっぱら聞き役だったが、茉希の宮の茉奈という皇女には、会ってみたいと思った。大変に活発な皇女で、毎日訓練場に軍神と共に立つのがもっぱらの楽しみなのだそうだ。
「大変に興味深いこと。」維月は、微笑みながら言った。「実は、我も王にお誘い頂きました時には、訓練場に立つことがありますのよ。」
それには、綾も沙耶も、仰天した顔をした。茉希は、一瞬びっくりしたような顔をしたが、ぱあっと明るい顔をすると、言った。
「まあ!ああ、我だけかと。我は王妃であるのに、軍神上がりだと大変に肩身が狭いと思うておったのですわ。まさか、龍王妃様まで立ち合われるとは。」
維月は、ホホホと扇で口元を隠して笑った。
「何事にも優れておるのは良いことだと王がおっしゃって。我は、月でありまするから。この身は自由に動きまするの。ですので、もしも戦などになれば、王の背後をお守りし、共に戦う覚悟でありますわ。我ら、共に生きて共に黄泉へと参ると約しておりますので。」
これは、本当だった。維心が死ぬなら、維月も死ぬ。そして十六夜も来る。そう、前世から決めてあるのだ。なので、戦に出るとなったら、絶対について行くと決めていた。維心も、自分の背を預けるのは維月しか居ないと言ってくれる。お互いに守り合って行くのだ。
綾が、ほうっとため息をついた。
「まあ…なんと羨ましいこと。そのように深いご信頼のもとに絆を築いていらっしゃるなんて。だからこそ、天下の龍王であられるのに、維月様お一人をお傍に置いていらっしゃるのでしょうね。なんと詩的なご関係であることか。憧れますわ…。」
茉希が、頷きながら同意した。
「誠に。龍王様とそのように共に戦えるほどの腕前であられるとは、我も一度手合わせ頂きたいと思うほどですわ。」
維月は、それを聞いて確かに、と思った。思えば、立ち合いの試合などがあるのは男の軍神や皇子達だけだ。神世には、少ないながらも女の軍神も居るし、皇女でも極々たまにだが、茉奈のように立ち合う者が居る。それなのに、それに対しての腕試しの場所が全く無いのだ。
「誠に。そうおっしゃるのを聞いて思ったのですけれど、女神たちの腕試しの場所というのが全くありませぬわね。とかく神世は女はおとなしゅうしておるのが美徳のように思われておって、守られて当然のような風潮がございますもの。我らのように、王や夫を守る女が居ってもおかしくはないと思うのですけれど。」
茉希は、神妙な顔をした。
「我とて、あの荒れた宮でありましたので刀を握ることになり申しましたが、そうでなければ奥に籠っておったかと。我は軍神家系の娘であり申しましたが、父も幼い頃に自分の真似事をする娘を興味深く見てくれており申しましたが、年頃になってもまだ立ち合っておるのには眉をひそめておりました。それでも、それぐらいでないと我が妃は務まらぬとおっしゃってくださった王に乞われて妃となり、父も最後には認めてくださっておりましたけれどね。」
綾が、考え深げに言った。
「我は…刀を握りたいとは思いませぬが、それでもそういう女神が居っても良いと思うておりまする。有事の折、王のお力になれるのは良いことですし、己の無力さに泣き暮らすのは嫌ですもの。」
沙耶が、戸惑ったように言った。
「我は…王が我をお守りくださるから、それで良いと思うて生きて参りましたので。今さらに立ち合うなど、敷居が高いですわ。」
大概の女神は、そうだろう。男に守らせるために、より強い男を求めて嫁ぐのだ。なので、神世では力の強い神は、それはモテた。絶対的に自分を守って安心して暮らせるのが、女神達が嫁ぎ先を決める際の大前提であるからだ。力のある神は、だいたい地位も高く暮らしも潤っていたし、神世のそれは必然かと思われた。
維月は、考え込むような顔をした。
「そうですわね…ですけれど、己で戦おうとする女神は確かに存在するもの。我が王は、そういう事に関してはとても寛容であられて、我が訓練場に立つのも許して来られたぐらいですし。一度、そういう催しを開いても良いのではと、ご進言申し上げてみまするわ。そういう光の当たらぬ場に居る女神にも、注目すべきではないかと思いますし。」
茉希は、目を輝かせた。これまで、女が刀を握るなどと、少なからず白い目で見られて来たのだろう。それでも、力重視の神世であるので、女神でも実力があれば序列もつくしそれなりの地位は与えられるものなのだが、なかなかに闘神達の中で頭角を現すのは難しかった。
「維月様がおっしゃるなら、龍王様はお許しくださるでしょう。なんと楽しみなこと…。実は、他の宮でもちらほら聞いておりますの。でも、男神達はなかなかに手合わせもしてくれずで、腕を上げられないのだとか。なので、我に問い合わせて参って、こちらで立ち合って腕を上げようとしておったり、苦労しておるのです。龍の宮でそのような催しがあるとなれば、きっと宮の威信のために宮の軍神も訓練にも付き合ってくれましょうし、あれらも報われますわ。」
維月は微笑んで頷いて、窓から見える月を見上げた。きっと維心なら許してくれるだろう。もし駄目でも、蒼に頼んで月の宮で催してもいいし…。
「…まあ、月がもうあのように。」維月は、言って皆を見回した。「そろそろ、控えへ下がらせて頂いて王が戻られるのをご準備してお待ちしようと思いまする。皆様、本日は大変に楽しかったですわ。また、我が宮にもいつなりお越しくださいませ。お待ち申し上げておりまする。」
維月が言って立ち上がると、皆が一斉に立ち上がって、今まであれほど親しく話していたにも関わらず、深々と頭を下げた。
「本日はご同席頂きまして、誠にありがとうございました、維月様。このように楽しい時間を過ごせましたこと、感謝いたしておりまする。」
綾が言い、茉希も沙耶も同じように、非の打ち所がない口上を次々に述べた。維月は、本当は友達付き合いは気軽にしたい方だったが、自分は龍王妃なのだ。なので、おっとりと会釈を返して微笑んだ。
「では、また。」
侍女達が、入って来て頭を下げる中、維月は扉へと向かった。その後ろを、二人の侍女は付き従って来る。
扉が閉まるその時まで、三人の妃達は頭を上げる事はなかった。




