その頃
定佳は、自分が自分らしく生きるということに限界を感じていた。
幸い神世では、何を恋愛対象にしようがそれを批判するのは無粋だという流れがあり、男しか恋愛対象にしないと聞いても、相手はそれを心配こそすれ、批難することなどない。
現に数は少ないが、臣下や民の中にもそういった神は居たし、幸福に暮らしていた。
ただ、そんな風潮なので両刀使いが多く、男だけとなると少し、顔をしかめられた。
容認されているとはいえ、男同士の事は嗜む程度、要はファッション感覚なのだ。
何しろ数の少ない神のこと、子孫繁栄は一族の存続にも関わる。なので一族の象徴である王が、表立って男にしか興味を持てないとは、言えない状況だった。
もちろん、友であったなら話す事もあるし、相手は理解してくれるのだが、立場の問題がある。
定佳のような王であっても、なので無理に妃を娶り、表向きは対面を保ち、子供も必ず残した。
そうしないと、跡目に困り、隙を見せた宮は他からの侵攻を受けて滅ぶ可能性があるからだった。
その昔、龍王ももしかしてそうでは、という噂もあったらしい。
その頃誰も寄せ付けない、子をもうけない大きな宮の王だった五代龍王維心は、しかし晩年たくさんの子を遺して後へ繋いだ。
今の七代まで繋がったのは、このお陰であったのだ。
定佳だって、分かってはいた。それでも感情的に追い付かず、政略で押し付けられた妃の千歳のことは、いい機会だと思った。
神世にも民にも、王は努力をしていると分からせる事が出来たからだ。
置いておくだけでいいとたかをくくっていたら、その妃はあのような面倒を起こした。
よく考えてみると、やはり政略であっても妃にも心があり、交流しなければ狂う可能性もあるということが、嫌というほど分かる出来事だった。
定佳がため息をついていると、筆頭重臣の佐門が入って来て、膝をついて頭を下げた。
「王。」
定佳は、チラと佐門の表情を見て、また無理を言いに来たのかと面倒な気持ちになったが、言った。
「佐門。何ぞ。」
佐門は、膝をついたまま下げていた頭を上げて、言った。
「あの妃のせいで乱れた奥宮も元通りになり申しましたが、しかしながら王よ、神世とはこういう所。妃を娶ると決められた時には我らも驚き申しましたが、しかしながらこれで臣下民達に面目も立つとホッとした次第でありまする。緑翠様を翠明様からいただき、こちらは将来も安泰とはいえ、臣下はそういうわけには行きませぬ。軍神達が身を固めて後を育てるという責務をこなすためにも、王にはやはり、お一人でも良いので妃を奥へ置かれることを考えて頂いた方が良いかと。もちろん、こちらとしては性質の良い妃であってほしいのでありまするが、王の前の妃に対してのご対応を見ておっても、あそこまで無下に扱われて黙っておる里も女神もなかなか居らぬかと思われまするので…同じようなレベルの女神しか、娶ることは叶わぬかもしれませぬが…。」
定佳は、顔をしかめた。確かに、性質の良い女神をそんな風に扱うことは忍びないし、今回の事を知って、どこの宮でも己の娘をそんなところへ嫁がせようとは思わないだろう。かといって、どこでもいいからと嫁がせたいと思うような娘は、どこにも相手にされないような、面倒を抱えている娘であることが多い。
定佳は、ため息をついた。
「…世が世なら我とて婚姻などせずに王に仕えてそれで平穏に生きておっただろうに。しかし、こうなったのも元はと言えば、三代前の王が子を残さず後を継ぐ者の対策もせずに世を去ったゆえのこと。なので我とて考えて、翠明の子ならばと緑翠に我の死後こちらを任せる事で対策を取ったつもりであるのだが。しかし確かに、主が言うように軍神達が我を倣って所帯を持たず子も残さずとなると、数が減り、結局は宮の存続に関わる。我とて分かっておるのだ…だが、妃を娶ったことでまた臣下に迷惑を掛かるのもいかがなものか。我とて、もうあのような面倒は懲り懲りであるし、どうしてもと申すならやはり性質の良い妃でなければ難しいやもしれぬ。」
それには、佐門も分かっているようで、何度も頷いた。
「はい、王よ。それは、我とてそのように。ですが、此度のことで他の宮の皇女がこちらへ嫁ぐ気になってくれるか疑問でありまする。今度こちらへと嫁がれるとなると、政略ではなくこちらから求めてということになりましょうし、対応も元妃と同じではいくらなんでも礼を失しておりますでしょう。王は、妃を完全に放って置かれる。妃としたらそのような扱い、耐えられず来たとしてもすぐに帰ってしまわれましょう。やはり、生きておられるのですから…無理をしてでも、月に一度でも通って頂くのが、筋ではないかと。」
定佳は、それを聞いてまた気が重くなった。あんなことを何度も強いられては、いくら何でも気持ちがついて行かない。
なので、横を向いて手を振った。
「主が言いたいことは分かった。考えておくゆえ、もうこの話は終わりぞ。下がれ。」
しかし佐門は、食い下がろうとした。
「ですが王、考えるとて、我らいつまでお待ちすれば良いのか…」
定佳は、立ち上がって背を向けた。
「もう良いわ。考えておくと申すに。とにかくは、今はこれまでぞ。」
そうして、佐門を残してさっさと奥の間へと入って行ってしまった。
佐門は、息をついた…所帯を持つのが、面倒なのは分かっている。軍神達も軍務に集中したいので家に帰らねばならないという懸念は持ちたくないと思うのか、なかなかにそういった事に前向きになってくれないのだ。それを、何とかして説得して軍神の数を減らさないためにと考えている佐門にとって、王のこの様子は困った事だった。
佐門こそ、ため息をつきたい気分だった。
維心は、居間でじっと座って肘を付き、そこに顎を乗せて考えているようだったが、ふと眉を寄せたかと思うと、額を押さえた。
隣りで考え事をしていてさえも美しい、と維心を黙って見つめていた維月が、驚いて言った。
「維心様?頭痛がなさいますか。」
維心は、息をついて維月を見ると、肩に回した手に力を入れた。
「いや…炎嘉がカラスを呼びおったので見ておったのだがの。あれは鳥に命じて動かすゆえな。何を調べさせておったのかと気になった。白蘭のことぞ。」
維月は、目を丸くして口を押さえた。
「まあ。何か分かりましたでしょうか。」
維心は、頷いた。
「概ねそうであろうなと思うておったことぞ。宮へ上がる前までは、男が途切れた事がなかったようよ。まあ、庶民の間ではよくあることよ。宮へ仕える神達のように、婚姻の行為に対する縛りが強くない。我が軍神達、臣下達は王族に倣い、その行為自体が婚姻であって双方に義務が発生するが、庶民は必ずしもそうではない。女は下位になるほどより危険性が増すので、己を守らせようとそういう行為で繋ぎ止める事もまたあるのだと聞いておる。志心に似て美しいのだから、相手には困らなかったであろうの。そして美しいのはより危険であるから、そうなるのも道理なのだ。とはいえ…最上位の宮の妃としては難しい性質であろうな。何しろ庶民であっても身持ちの固い女神の方が多い中でのことであるから。」
維月は、心配そうに維心を見上げた。
「まあ…。ならばどうしたものでしょうか。炎月には、もうしばらく皇女らしくなるまで待つようにと?」
維心は、首を振った。
「いや。炎月もさすがにそこまではと思うたようよ。白紙にしたいと己から申しておった。なので問題はないが…それより、志心ぞ。」
維月は怪訝な顔をした。
「志心様が何と?」
維心は、大きなため息をついた。
「やはり厄介だと思うておるようで、此度のこともあわよくば誰かに縁付いてくれたなら、という考えであったようよな。それに、カラスが申すには白蘭は、此度ばかりは本気の相手を見つけたようで…なんとしてもそこに縁付きたい風情であったとか。志心に申し入れさせようかとまで思うておるようよ。厄介だと思うておるなら、志心はそれを断るまい?恐らく打診しようの。困ったことよ。」
維月は、遠い目をした。
「それは…此度は凛々しい神達が揃っておりましたし、立ち合う様はそれは魅力的であったでしょう。」維心が面倒そうに眉を寄せているのを見て、維月は続けた。「…まさか、維明ではありませんわね?」
維心は、首を振った。
「あれは我に似て見向きもせぬから、地位も高いし敷居は高かろう。だが、軍神となると…王同士で話せば本人に選択権はない。」
維月は、驚いた顔をした。
「え、軍神?…と申して今回は序列第10位以下しか…。」
最上位の宮の皇女がそんな下の序列の軍神は許されないだろう。
しかし、維心はまた首を振った。
「筆頭よ。」維月が絶句する。維心は続けた。「義心ぞ。」
確かに義心は精査するために初日に皆を相手にしていたと聞いた…。
維心も困ったようにそんな維月を見つめていたが、そこで居間の扉が開き、炎嘉が入って来た。
「維心、見ておったの?帰るゆえ話に参ったぞ。」
維心と維月が、微妙な空気の中で炎嘉を振り返った。
炎嘉は、顔をしかめた。
「なんぞ、その妙な雰囲気は。」
維心は、息をついて前の椅子を示した。
「座れ。聞いておったゆえこうなっておるのだ。主は己のところが面倒無くなったと思うておるやもだがこちらはこれからぞ。」
炎嘉は、二人の前に座ると笑った。
「義心か。しかしあれは受けまいが。志心とて義心は無理だと知っておるわ。言うては来まい。」
維心は、炎嘉を軽く睨んだ。
「あのな。厄介だと思うておるのだろうが。駄目で元々と言うて来るやもしれぬではないか。我だってそんな厄介者を我が結界内に入れて養うなど考えたくもないわ。確かに義心には複雑な感情があるが、我が筆頭軍神ぞ。任務に支障が出るようなことはしとうないわ。」
炎嘉は、神妙な顔をした。
「確かにの…我とて己の結界内にあれがと思うと面倒を起こすのではと落ち着かぬと思う。炎月が落ち着いたし、我としてはスッキリした心地であるが、主が面倒よ。しかし、断りづらいのではないのか。まあ義心ほどの軍神ならば発言権もあろうし、本人が嫌がっておるから無理だとはっきり申しても良いのでは?」
維心は、息をついた。
「己の軍神に言うことも聞かせられぬ腑抜けだと思われてしまうわ。まあ、志心の出方次第ぞ。あちらの言い方ひとつで変わろうが。有無を言わさぬ風で来たら機嫌を損ねたふりをして断る事もできるが、志心は賢しいゆえそれはあるまい。まだ言うて来た訳でもないし、しばらく様子を見ようぞ。何かあったらまた知らせる。」
炎嘉は、真面目な顔で頷いた。
「それが良いわ。主には迷惑をかけ通しであるし、我もその時は考える。して…維月も居るなら調度良い。話があるのだ。」
維心は、ピクリと身を強ばらせた。維月もということは、もしかしてここのところ何も言って来なかった、あれでは。
「…なんぞ。取り決めのとこか?」
炎嘉は、頷いた。
「年に二度と、取り決めておった。そのことぞ。はっきりさせておかねばならぬ。」
維月は、維心を見上げる。維心は、維月を見て頷いてから、炎嘉を見た。
「その事であるが、我も話さねばと。」
「良い。」維心が言いかけると、炎嘉は遮るように言った。「炎月は月を失った。維月はあれの母ではあるが、もう何の繋がりもない。しかしあれを生んでくれたこと、我は感謝しておるのだ。面倒が増えると分かっておってそれを許した主にもの、維心。我は…これより、王としてしなければならないことをする。」
維心は、戸惑った顔をした。維月も、何事かと困惑した様子でいる。
維心は問うた。
「どういうことぞ?」
炎嘉は、無表情に、それでも決然とした顔で答えた。
「己のために生きるのではなく、鳥のために生きるのだ。主が前世、その長い生のほとんどをそうしておったようにな。維心、我は…鳥のためなら、意に沿わぬことでも受けて生きて行こうと思うておるのだ。孤独でも良い。前世のように、誰かを助けるために誰かを娶るのも。此度の生で、我は最初から己のために己の幸福を追い求めておった。鳥は居らず、滅んでおったし王でもなかったゆえ、それも許された。だが、今は違う。やっと復興した鳥の王。これよりは鳥を守り、主と共に世を守り、次に確実に繋がる生き方をする。ゆえな、もう、主の妃である維月を、これが最初で最後などと無理を言わぬでおく。誰かを愛する事を知れただけでも、転生した甲斐があったというもの。我は前世、誰も愛しておらなんだからの。炎月を成せただけでも、我は幸福ぞ。愛する者との間の子というものが、これほどに愛おしく幸福なものだとはしらなんだゆえ。我は、妃は亡くしたのだと思うて、思い出をよすがに生きて行く。主は生の最後に幸福を得たが、我は始めであっただけ。そう思うて、もう維月には会わぬ。」
維心は息を飲んだ。維月は、袖で口元を押えて黙って聞いている。
維心からしたら、炎嘉の決断がどれほどに重いものであるのか、身につまされて分かったのだ。自分の前世は、維月という幸福など知らずに生きて、自分が不幸であるなど思わずに、意識もせずにいばらの道を歩いていた。維月を得てから、やっと自分が孤独であったこと、そんな幸福があったことを知って、維月を失ってすぐに後を追って黄泉へと向かった。だが、炎嘉は維月を知ってから、その道へと入って行くと言っているのだ。
維心には、とても真似の出来そうにない決断だった。
「炎嘉…。」
しかし、隣には維月が居る。
維心は、それ以上何も言えずにただ、炎嘉を見つめた。炎嘉は、維心の気持ちを察してパッと明るい顔をすると、豪快に笑った。
「ま、前世と変わらぬということぞ。あれで我は、孤独でも不幸でも無かったからの。妃ばかりが多くて諍いがあったが、それでも今生、あのようにたくさんの妃を娶ろうとも思うておらぬし。案じるでないわ。我は平気ぞ。どうせ今生も、主を置いて先に黄泉へ参るのだろうしの。主は我の親友として、よう我慢してくれておったわ。ゆえ、これからは我が堪えて参るだけ。」と、立ち上がった。「ではの、維心、維月。宮へ帰らねばならぬ。碧黎が手を貸してくれたゆえ、我も炎月ももう心配ない。我の事などより、主は神世を案じよ。白虎の事は我のせいでもあるし、手を貸すゆえな。」
そう矢継ぎ早に言い終えると、炎嘉はサッと振り切るように背を向けて、扉へと向かう。維心は、思わず立ち上がってその背を追った。
「見送りに参る。」
そうして、こちらを振り返らない炎嘉を追い、維月を置いたまま、維心は居間を出て回廊を歩き抜けて言った。




