水面下
次の日の夜、螢は例の会合の席へと戻った。
光希は、薫に説得されて螢が戻ったのだと思っていたようだった。
だが、静音のことはもう、世話をする気などないとハッキリとその場で言い放ち、静音は何か言い始めたが、光希にひと睨みされて、黙り込んだ。
朔と到は、まるでやる気のない様だったが、それでもその会合には来ていた。その場には居たが、それでもこの面倒なことを策しているもの達の間は、不協和音が鳴り響き始めていた。
光希は、それを感じているようだったが、虚勢を張るのはいつものことなので、薫を見た。
「それで、薫。闇の術は手に入ったか?」
薫は、首を振った。
「そんなものは目につく場所には置かぬだろう。探したが、やはり影も形も無かった。」
静音が、光希の後ろから言った。
「でも、闇の欠片の在り処は分かったわ。侍女達と新月様が大変だったという話をしている時に、いったいそんな術をどうやってとかなり突っ込んで話を聞いたの。何でも、王がその昔住んでいらした屋敷の側に、その昔闇を封じた場所があって…後に、王がそれを消されたらしいのだけど、まだその穴はあるらしいの。そこに、闇の残照が残っていて、享はそれを集めたらしいわ。」
光希が、飛び上がるほど喜んだ様で言った。
「月の宮の歴史で習ってその場所は知ってる!北東の岩穴だぞ!」
珍しく光希がきちんと学んだ事を使って話している。
螢は、眉を寄せたが、ここは合わせておかねばならない。なので、言った。
「…闇の欠片の場所が分かった所で、どうやってそこへ回収に行くのだ。月の結界は出ることが出来ぬぞ。命令以外でここを出たら、二度と戻すことは出来ぬと言われておるであろう。王のご許可を得なければ、出ることなど出来ぬわ。」
光希は、フンと馬鹿にするような顔をした。
「結界外の見回りの任についておる時ならば問題ない。一人ぐらい居なくても、気付かれはせぬわ。良い具合に我らは同じ隊であるから、朔と到と共に夜番の時誰か一人が抜けたらいいのだ。」
到が、眉を寄せた。
「そんなものを集める術など扱えるのか。慎重且つ頭の良い奴でなければ無理だぞ。相手は闇、簡単に飲まれるのだと聞いておる。うまく術を扱える者など、ここでは薫ぐらいしか居らぬ。」
光希は途端に顔をしかめた。確かにそうだ。自分も上手く扱える自信はなかった。
「…薫は、外へ出られないのか?」
薫は、困ったように微笑んだ。
「学生であるから。今出ては二度と中へは入れてもらえぬだろう。我は、まだ学びたいものがあるゆえ、それは困る。」
光希は、舌打ちをした。そもそも、それでも薫が行ったとしても、帰って来れないとしたら肝心の闇の欠片が手に入らないからだ。
「…その術は、面倒なものか。」
光希が言うのに、薫は答えた。
「闇を回収する術か?…どうであろうな。まだ見つけられておらぬゆえ。享という神が地の目を掻い潜って寿命を延ばしてまで作った術だと聞いておるし、簡単には作ることも出来まい。闇は人や神の心に入り込み、その憎しみや憎悪を増幅して良くない方向へと向ける。闇の霧は多く発生し、そうして更に力を持ち、形を成し、世を破滅へと向かわせる。他でもない、神や人自身の手での。」
朔と到が、それを聞いて身震いした。光希は、薫に詰め寄った。
「そんなもの!その享という神が扱えたのなら、我らであっても同様であろうが!」
薫は、スッと目を細めると、じっと光希を見た。
「本当にそう思うか?扱えなんだから享はしくじり、消えた。闇などに手を出すと、そういうことになるのだ。そも、ここは月の結界の中、そうでなくてもそれなりの術がなければ闇は存在し得ぬ場所。闇を良く分かってもおらぬ主が、闇を扱うなど無理ぞ。」
光希は、薫に掴みかかった。
「何を!外から来たばかりで学校なんかに居る奴が偉そうなことを!ちょっと頭が良いからと、我に偉そうに申すな!」
螢が、割り込もうとした。
「何をする光希!」
しかし、薫はそれを手で制して、言った。
「主はほんに愚かよな、光希よ。未だに序列が上がらぬのも頷けるわ。」と、フッと笑った。「離せ。」
そう言った途端、光希は後ろへと吹っ飛んで壁に叩きつけられた。
何が起こったのか分からず、朔も到もびっくりして叫んだ。
「光希?!」
光希は、唸って倒れた床から身を起こそうともがいた。薫が、その光希に言った。
「力の差は見た目だけで決めぬことだ。我は主など歯牙にもかけぬわ。だが、主の話が面白いと思うて聞いておっただけぞ。それにしても、ここは月の宮で、地の人型すら現れる場であるのに。主らは、この己が踏みしめる大地の上で、その地から隠れおおせると思うておるのか?ましてその膝元のここで。」
光希だけでなく、朔も到も、静音もびくりと体を固くした。地…そう、この地上全ては、あの青い髪の人型の本体。ちらと見たことがあるが、あまりの気の大きさに正視することも出来なかった。
「ま、まさか…地が、我らのことを知っておると言うのか。この…地下の会合を?」
螢は、ゴクリと唾をのみ込んだ。様子を見るために、黙っておれと言うたのでは無かったか。だからこそ、我は全てを知っていても知らぬふりをしておったのに。
螢がそう思いながら見ていると、薫は微笑した。
「…そうではないかと思うただけよ。」薫は、嘲るような目を光希に向けた。「地下と申したな?こここそ地の本体の中ではないのか。ならば聞いておってもおかしくはない。全てを知っておって泳がされておるのではないか?我は、そのように思うのだ。最近のことを見ておっても、嘉韻殿も嘉翔殿も、何やらやたらと下位の軍神の動向を見ておるような。気取られておると考えた方が良かろうが。主ら、闇などに手を出せば殺されようぞ。それこそ、一瞬にしての。」
静音が、ブルブルと震えて螢の後ろへと寄って来た。螢は、それを感じたが知らぬふりをした。薫は、螢を振り向いた。
「では…本日はこれまで。我ももう、闇の術などを調べることはやめにする。主らと同じ輩だと思われるのは面倒よ。汐を殺したいのなら、己でやれば良かろうが。どうせ闇など、主には扱えぬ。諦めよ。」と、螢を見た。「主も。ここに居ったら面倒に巻き込まれようぞ。朔、到、主らもだ。さっさとここを出て、ここで話し合ったことなど忘れるのだ。」
静音が、薫に寄って言った。
「我も…光希殿があのように無謀だとは思いもしませんでしたわ。どうすればよろしいでしょう…我も、もう接しぬ方が…?」
薫の腕に触れようとするのを、薫はスッと避けて、言った。
「主はそういう訳にはいくまいの。腹の子はあやつの子であろう?夫と運命を共にするしかないのだから、主から諫めて良いように持って行くより無いのではないか?」
静音は、仰天した顔をした。螢は、そんな静音を避けて、薫の後を追う。朔も到も、今日はさっさとその場を去って行き、結局そこに残されたのは、光希と静音の二人きりだった。
螢は、前を歩く薫を追って行ってその背に言った。
「薫!なぜにあのように…様子を見るのではなかったか。」
薫は、振り返って肩をすくめた。
「そうではない。あのままでは嘉韻殿に早晩知れようが。ゆえ、ああ言った。あれらがやろうとしておることは、成し得ない事なのだ。それを知らしめる事で、あれらの意気を削いだのだ。ああせねば、汐を殺すどころかあれらが捕らえられて皆殺しにされよう。確かに王は殺すことを好まれぬが、観がついておるのだ…20年前の時のように、岳を送って参って終いぞ。ああして地下で潜んでおれば分からぬと思うておるようであるが、我は気付いた。ということは、地は間違いなく知っておる。我がなぜにあれらに取り入ってあの場に来ておったと思うておる。」
螢は、そう言われてそれを考えて居なかったと思った。汐を恨んでいない薫が、なぜにわざわざ恨んでいるふりまでして光希に取り入ったのか。そうして、あの場へと来ていたのか。
「…確かに、主は父上を恨んでおらぬのだものな。ならば、なぜに?」
薫は、息をついて螢を振り返った。
「学校へ出入りするあやつらを見かけて気になったからぞ。玲様は大変に親切であられてあれらが学びに来ているのだとばかり思うて、それは丁寧にいろいろと教えておられたが、あの気の変動は良うない兆候だと経験上分かっておった。ゆえ、あれが近付いて来た時適当に合わせて、あれらの企みを知ったのよ。主が気が進まぬのは分かっておった。光希と静音の企みにまんまと嵌められておるのも状況を見て分かった。それを嘉韻殿に知られては、あれらは死ぬしかなくなる。あれらは己のことを新参者だと申しておったが、実際はそれより悪い。先ほども申したように、元はぐれの神の対応を任されておるのは観。王は観にはぐれの神対応のことは全て頼っておるのだ。つまり、王や軍に知られぬ間に、あやつらは変な企みは諦めねばならぬのだ。」
螢は、眉を寄せた。
「だが…あれぐらいで、あれが諦めるのか。確かに主にはじき返されたのはあれにとって屈辱であったろうが、力の差を知ったところで…。」
薫は、息をついた。
「もちろん、我だってはぐれの神の中に居ったのだ。あれらの性質は知っておる。だからこそ、闇などに手を出そうとして地下に潜って隠れたつもりでおっても、地は見ておるぞと釘を刺したのだ。恐らくは、少しは静かになろう。だが…諦めるかどうかは、別問題ぞ。」
螢は、それには頷いた。
「分かっておる。我も、そのように思うた。今度は直接に父上に関わって来るのではないかと。」
薫は、頷いた。
「ゆえ、違う恨み先を与えたのよ。光希の性質では、誰より皆の前でこけにされるのには我慢がならぬだろうて。汐のように軍に居る者にはなかなかに直接手を出すのは難しいやもしれぬが、我ならまだ学校に居るのだ。独りで居ることも多い。狙いやすいと思うて、こちらを狙って来るのではないかと思うておる。」
薫は、己のことを代わりに狙わせようと思ったのか。
螢は、慌てて言った。
「そのような!いくら主の気が強いとは言うて、このままでは主が面倒なことになるのではないのか!」
薫は、笑った。
「主はおもしろい。我は別に構わぬわ。あれらに奇襲されても我はびくともせぬよ。案じるな。それより、主、嘉韻殿にこのこと申してはならぬぞ。分かっておるな?皆殺しになるのだ。しかし、はぐれの神同士の直接の争いならばそこまでにはならぬ。あれらが汐に、面倒な方法で復讐しようとしておったのが問題であったのだ。我は大丈夫、それよりも主も、気を付けよ。主に矛先が向く可能性もあるぞ。静音が恨んでおるやもしれぬしな。逆恨みと言う奴よ。気を付けよ。」
そう言って、薫はその場を立ち去った。
何もかもが、自分よりも見えていて先を見越して行動している薫に、螢は白旗を上げたい気分だった。だが、学校を出たらあれは軍へ来る。共に戦う時が来るのだ。
螢は、大きなため息をついた。光希達を嘉韻に売るつもりはなかったが、それでもこの騒動を、本当に自分達だけの中で収めてしまっていいのかと、悩んだのだった。




