制裁
次の日の朝、炎月は寝不足気味な顔で居間へと出て来た。
炎耀は、もう着物をきちんと着てそこに座って茶を飲んでいる。炎月は、その顔を見たくないと思ったが、しかしこれから共に宮へ帰るので、そういう訳にもいかない。
仕方なくその前へと座って、侍女が持って来る茶を口へと運ぶと、炎耀が言った。
「王が、本日龍王へ目通りをなさるとのことで、こちらへ来られる事になったと開が知らせて参った。もう、ご到着になるはずぞ。我らにはここで待てとのことだ。」
父上が?
炎月は、思わず息を飲んだ。もしかして、炎耀が龍王に話したことで、龍王から父上に知らせが行ったのではないのか。
「…主が大層なことのように龍王に我のことを申したゆえ、龍王が、父上に大袈裟に申したのではないのか。我は、昨夜ここを出ても居らぬ。主が考え直せと申すからぞ。白蘭のことは、そこまで考えておらぬわ。」
炎耀は、じっと探るように炎月を見て、言った。
「それは、我が昨日軍神が守っておることを主に申したからではないのか。そうでなければ会いに参っておったのでは?…どちらにしろ、王は来られる。龍王にしても、主のことは大層気にかけておるようであったぞ。月が時に主に引きずられるのだとか…我も理由はよう分からぬが、しかし何があってもおかしくはないであろうが。気になさるのはおかしくはないぞ。とにかく、ここで待つのだ。」
炎月は、じっと炎耀を睨んだ。どこまでも邪魔をしようとするのか。出発口で白蘭に会うのが、最後の機会になるかもしれないのに。
「…では、父上をお迎えに参る。主はここで待てば良いではないか。」
炎月が立ち上がって扉へ向かおうとすると、炎耀がその腕を掴んだ。
「ならぬ。」炎月が驚いて炎耀を見ると、炎耀は言った。「王は、ここで待てとおっしゃった。炎月、我は主の目付としてここへ来た。王から何度も重々見ておくようにと言われておったのに、此度このようなことに。これ以上、主を一人で歩き回らせるわけにはいかぬ。」
炎月は、炎耀から腕を振って放した。
「我は子供ではないわ!無礼だぞ、炎耀!」
「主らは対等ぞ。」背後の扉から、聞き慣れた低い声がした。振り返ると、そこには炎嘉が立っていた。「無礼とはなんぞ。炎月、我は正式に主を第一王位継承者から下した。まだ早い。主らは同じ王位継承権を持つ者同士。もはや対等の立場と心得よ。」
それには炎耀が息を飲んだ。生まれたと同時に与えた第一王位継承者の地位を、下したと言うのか。
「王…この度は、我が不甲斐ないばかりにこのようなことに。」
炎耀が、慌てて膝をつくと、炎嘉は手を振った。
「主はもう膝をつく必要はないのだ。次に我が王座を誰に譲るか決めた時にそうするが良い。主は臣に下るかどうか、まだ分からぬ地位になった。それより…」と、炎月を見た。「炎月。主、己が何をしたのか分かっておろうの。」
炎月は、ショックで固まっていたが、慌てて炎嘉を見て言った。
「何のお話でしょうか。確かに白蘭殿を慕わしいと思うたことは確かですが、それ以上のことは何も。」
炎嘉は、首を振った。
「いいや。主には分かっておるはずよ。月に隠し事など出来ぬのだぞ。良い、これよりは維心の居間で話すゆえ。」と、炎耀を見た。「炎耀、主はすまぬがここで。事の次第はまた、主が王位を継ぐことになったなら知らせようぞ。事は込み入っておって、これが生まれた経緯にも関わるのだ。ここで待っておるが良い。」
炎耀は、ついていた膝を上げて立ち上がると、頷いた。
「は。では、ここでお待ち致します。」
炎月は、困惑した目で炎嘉と炎耀の二人を見ていたが、炎嘉にせっつかれて、炎耀を振り返り振り返り、そこを出て行ったのだった。
ずっと黙ったままの炎嘉の後ろ姿を見ながら、炎月はただ戸惑っていた。一昨日までの炎嘉とは、明らかに違っていたからだ。
父は、炎月の事を愛情を持って見ていた。今もそれが潰えているようには見えないが、それでも一昨日までの無償の愛とは、違った形になっているのを感じ取った。
ただ、白蘭に興味を持ったのが、それほどに悪いことだと言うのか。
炎月には、分からなかった。
長い回廊を歩いて、龍王の居間へと入る。つい昨日も来た場所で、そこで強く龍王に釘を刺された…陰の月の力を使うようなら、自分を消すことも厭わないと。
昨日、力を使ったのは知られていないはずだ。
それに、力を使ったにも関わらず、何も混乱は起こっていなかったのだ。それほど懸念することでは、無かったのではないか。
炎月がそう思いながら目の前に座る、龍王の前へと、炎嘉と共に腰を下ろした。
「よう来たの、炎嘉よ。」維心は、一人でそこに座りながら、炎月の方も見た。「炎月。主には言わねばならぬことがあるが、炎嘉がもう言うたかの。」
炎嘉は、首を振った。
「いや、まだだ。炎耀が居ったゆえ、まだあれには知らせぬ方が良いかと思うてな。薄々は気付いておるだろうが、はっきり維月が母だと知らぬ方が良いだろう。あれが王座に就くと決まったら、知らせようとは思うておるが、それまではな。」
維心が、目を細めた。
「…そうか。保留にしたか。」
炎嘉は、険しい顔で頷いた。
「決めるのが早かった。前世炎翔を母の身分で長子だからと急いで決めて、後であれほどに後悔したというに、我も成長せぬものよ。今後、炎月炎耀の他に皇子が出来た時の事も考えて、もっと我が老いてから考えることにしたのよ。鳥を二度と滅ぼすわけには行かぬからの。」
炎月が黙っていると、維心は炎月を見て、言った。
「では、我から申す。主、我があれほどに申したにも関わらず、昨夜陰の月の力を使ったの。しかも、一晩中。」
気取られている…!
炎月は、身を硬くした。炎嘉は、隣でじっと自分を目を細めたまま見つめている。炎月は、頭を下げた。
「ほんの少しだけ、力を絞ってのことでありまする。懸念されておったような大層な事にはなりませなんだ。我も、考えておりまする。」
維心は、イライラとした声で言った。
「何を言うておる。少しならいいかという気持ちがならぬと言うたよな。昨夜の事は、維月が見張っておって主が力を使いそうだと月と地上との繋がりを遮断しておったからあれで済んだのだ。それがなければ、今頃はまた維月がその力に引きずられて月は主に力を下ろしておっただろう。常に主を見張っておるわけにはいかぬのだ。分かっておろうな?月の力は世を揺るがすのだ。その危険性をあれだけ我が言うたにも関わらず、その舌の根も乾かぬうちにこの始末。たかが女一人に惑って世を危険晒すなど…己の力ひとつで妃を娶る事も出来ぬような神が、鳥の将来を担うかと思うと懸念しかないわ。主がそこらの神であったなら、我は話すなど無駄な事はせず今、そこを入って来た時点で消しておった。己が炎嘉の血を引いておったことに感謝するが良いわ。」
維心は、見た目はただ座っているだけだが、相当に腹を立てているようだった。
炎嘉が、そこまで炎月が罵倒されていても、庇う様子もなくただ見ている。恐らくは、第一王位継承者を下ろした時点で、炎嘉も同じ気持ちだったということだろう。
「そのような…そこまで、思ってはおりませんでした。ただ、力を絞って小さく使えばと…明日になれば、話すことも出来ぬようになると、ただ話がしたかっただけなのです。月の命を持っていたら、懸想することも出来ぬということですか?」
それには、炎嘉が答えた。
「そうではない。誰かを想うなど、誰も止めることは出来ぬし、主にもいつかはあることだと我は思うておった。だが、主には陰の月の力があるし、それを暴走させては世が大変な事になる。ゆえ、それを決して使うなと申しておったのだ。懸想したのが悪いと申しておるのではない。安易に禁忌である月の力を使って、己の望みを叶えようとしたその心持が悪いと申しておるのだ。維心が重々申したはずであるぞ。我も話しておったであろう。それなのに、主は他の皇子達のように立ち合いなど努力して能力を上げてから相手を手にしようとするのではなく、未熟な自分を棚に上げて月の力で相手の気を惹こうとした。それがならぬと申しておるのよ。全ては主の、心の持ち方の問題ぞ。」
月の力に対する、認識が甘かったということか。
炎月は、二人の王に責められて反論することも出来なかった。龍王も父も、世を動かして太平へと導いた偉大な王達だ。時には身内を殺してでも、神世を平和にするため、戦国を終わらせるため、戦い抜いて今の世を作った。
自分の浅はかな考えは、この二人の逆鱗に触れたのだろう。
すると、十六夜の声が横から割り込んだ。
「じゃ、その辺でいいか。」維心と炎嘉、炎月がそちらを見ると、十六夜が碧黎と共にそこに立って、こちらを見ていた。「炎月は、もう月の力を使うこたねぇ。分かってるんだろうが、お前らもよ。親父も来てくれたし、じゃあ始めるか。」
何の話だ。
炎月が、困惑して維心、炎嘉、碧黎、十六夜へと視線を移す中、炎嘉が、頷いた。
「炎月が何に縛られることなく生きるためにも、我もそれが一番良いのだと昨夜、結論を出した。全てはそれからぞ…炎月の意識が、それで王として成長するならそれよりの事は無いからの。」
十六夜が頷いて、炎月の方へと歩いて来る。炎月は、思わず立ち上がって後ろへと退きながら、言った。
「何の話ぞ?何をするつもりよ。」
碧黎が、十六夜の後ろで腕を組みながら、言った。
「主は陰の月を持っておる資格が無いと我らは判断したのだ、炎月よ。陰の月を消せるのは、唯一陽の月だけ。十六夜が、主の中の月だけ始末してくれるゆえ。安心するが良い。完全な鳥になれるのだ。」
炎月は、仰天した。つまり、月の命を殺すということか?!
「そのような…月を失って、生きていられるとおっしゃるのか!」
十六夜が、炎月の腕を難なく掴んだ。
「生きていられる。新月はお前よりたくさんの月を身に持ってたが、ああして龍として生きてるじゃねぇか。お前の中には陰の月がちょっぴりだ。それを消しちまえばいいってだけだ。オレだって好きでやるんじゃねぇんだからな。出来たらお前が制御してくれてたら、こっちだってやな事せずに済んだのによ…全く。」
普段穏やかなので意識したことは無かったが、十六夜の力は半端なく強かった。炎月は、必死にもがいた。
「やめよ!そのような…己の命を削られるのに、おとなしくしておれと申すか!」と、炎嘉を見た。「父上!」
しかし、炎嘉の表情は氷のように冷たかった。
「…自業自得ぞ、炎月。まだこれで済んだだけマシだと思うが良い。月を消すだけで、鳥としてやり直すことを許されたのだぞ。維心が今言うたように、本来他の神ならあっさり殺されて居った所。考えの浅い主をこうして生かす手段を考えてくれただけでもありがたいと思わねばならぬ。何度も申したように、懸想したのが悪いと申しておるのではない。世を乱す危険のある力を、安易にそんなことに使った心持が悪いと申しておるのだ。それに…主、白虎ほどの力のある宮の皇女が、いくら安全である龍の宮へとはいえ、男ばかりが集う催しに侍女の一人も連れずに参るなど、おかしいとは思わぬのか。」
炎月は、意味が分からず思わず動きを止めた。
「え…?」
その間に、十六夜が炎月を傍の大きなソファへと座らせる。
炎月は、成すがままになりながら、今炎嘉が言ったことを考えた。それは、箔炎も言っていた。炎耀もそうだ…志夕は知らぬようだったが、言われてみればそうなのだ。炎月自身、それがおかしいとは思いながらも、白蘭に会った瞬間から、話をしたいという気持ちと、これがチャンスだという気持ちだけで、そんなことまで深く考えが及ばず…。
「…何かの、企みだったと?」
炎月が茫然としながら炎嘉に言うと、炎嘉は頷きも首を振りもせずに、答えた。
「分からぬ。だが、これにより主が月の力を使っておったら、また世が大変な事になっておったのは確か。実際には先に気取った維月が遮断したことで阻止されたが、神世の王は狡猾ぞ。真正面から何某か仕掛けて来るのではないのだ。何事も、疑って掛かるのが良いのだ。主はまだ子供であるから、簡単にひっかっかるのであろうがな。」
炎月が、ショックを受けて動けずいると、碧黎と十六夜の顔が見えた。碧黎が言った。
「ではな。それなりに衝撃はあろうが、死ぬことは無いゆえ。案じるでない。」と、十六夜を見た。「我は維月の様子を見て参る。一分後に始めよ。」
十六夜が頷くと、碧黎は維心と共に奥へと入って行った。
炎月は、まだショックから立ち直れていないまま、十六夜に肩を押されて、ソファに背を預けて寝るような体勢になった。
「さ、寝てな。ちょっと苦しいかもしれねぇが、そう時間は掛からねぇよ。」
炎月は、目を閉じた。
目を閉じる瞬間、炎嘉のこちらを案じるような視線と目が合ったが、次の瞬間には、炎月は目を開くことも出来なくなっていた。




