盲目2
炎月は、いきなり着物をきっちり着た姿で入って来た炎耀に、何事かと目を丸くしていて、弾丸のように軍神が守っているから白蘭に忍ぶなど面倒を起こすな!と言われた。
確かにソッと忍んで話に行こうかと思い悩んでいたところだったので、見透かされたようで顔を赤くして絶句していると、また足を踏み鳴らしてさっさと炎耀は去った。
…事もあろうに龍王に、このように夜更けて話に参ったのか!
炎月は、憤った。そもそもなぜ自分が誰かを想うのに、龍王の許可を得なければならぬ。それならそれで、こちらには方法はある…!
炎月は、激昂して自分の中の陰の月を探った。その力を白蘭に絞って放てば、龍王に気取られる事も何かを巻き込む事もあるまい…!
…しかし、あの時のように、扱い切れないような力は湧いて来なかった。
やはり、殺されるほどの危機を感じねば力は出ないのか。
炎月は、窓から月を見上げた。十六夜の気配が、戻ったように感じる。もう夜更けたのだし、恐らく休むために戻ったのだろう。
白蘭を、ここに呼ばねば。
炎月は、じっと力を絞った。今夜を逃せば白蘭は宮へと帰り、次はいつ会えるのか分からない。志夕を訪ねて宮へ行っても、恐らく侍女や乳母に留められた白蘭は出て来れないだろう。
龍の軍神が守る部屋には絶対に訪ねては行けない。
炎月は、軍神達に気取られずに忍べるほど、まだ技術も経験もなかった。
白蘭から来てもらうよりないのだ。
炎月は体の中の、僅かな月の力を使って、必死に白蘭を呼んだ。
白蘭は、もう休む準備をして寝台に入っていた。
宴の席での、美しい神達の語らいを目の当たりにして、まだ気持ちが高揚している。箔炎も大概美しいと思っていたが、龍の美しさ、それに烙の美しさには目を見張った。世には、まだあれほどに美しい神がいたのだ。
それに、訓練場で見たあの、雄々しい動き…維明は確かに強く美しかったが、龍王にそっくりで気が半端なく大きく、恐怖すら感じて敷居が高過ぎた。しかし義心は、美しいだけでなく、強さも兼ね備えた龍軍筆頭の軍神だった。その軍神と話せただけでも、胸が熱くなった。宴の帰りの道で侍女達にソッと聞いたところによると、義心は妻も無く独り身なのだそうだ。皇女という身分の自分なら、もしかしてと、心の中にはその事ばかりだった。
だが、ふと炎月の気を感じた。炎月様…まだ幼いが、美しい皇子。優しく饒舌で、いろいろな事を話してくれた。だが、白蘭は昨日、今日と、美しいだけではなく強く逞しい神達を、たくさん見すぎていた。強さは、女神にとって何よりの婚姻条件となる。自分を守ってもらうということが、神世では最重要とされるからだった。
炎月様…良いご友人。何よりお年若でとても我には…。
炎月が呼んでいるように感じた白蘭だったが、しかし気のせいだろうと、義心との語らいを胸に、その夜はそのまま、眠りについた。
一方その頃、炎嘉は十六夜に叩き起こされて不機嫌にしていた。
しかし、十六夜から聞かされる事の顛末に段々にその眉が寄って来て、最後には不機嫌ではなく困ったようにため息をついていた。
炎月が、よりにもよって志心の皇女にか。
宮へ迎えればいいだろうと言いたいとこだったが、志心となると面倒だった。やっと一定の距離を保っている状態で、また親しく接する気にもなれない。それに、十六夜が言うところによると、維心はこれが、志心が何やらこちらの事情を掴んでいて、こちらを乱そうと考えているから起こったことではないかという。ならば、余計にそんな皇女を宮へ入れるわけにはいかなかった。
「…困ったことよ。それで、維心は何と言っておる。」
十六夜は答えた。
《親父が言ってたんだけどよ、維月にやってるみたいにオレの力の玉か頚連で陰の月を抑えるか、オレの力で炎月の中の陰の月を消して完全な鳥にするかってことらしい。オレ達月の命ってのは、他と混ざるとその体の中じゃほんの僅かな割合でしかねぇ。特に陰の月は、オレより更に力が弱いからもっとだ。あいつの中の陰の月を消したところで大丈夫だって考えだ。》
炎嘉は、眉を寄せたまま月を見上げた。
「迷惑を掛けておる身でなんだが、炎月の命を危険に晒しとうないのだ。主の力で抑えるだけでは駄目なのか。僅かばかりの陰の月なら、主の力の玉でもあれば維月よりしっかり抑えられよう。」
十六夜の声は、同情気味に揺れた。
《すまないが、オレだって陰の月を消すなんてこたぁ、したくねぇ。だがな、ずっとこのままって訳にはいかねぇんだ。炎月には、維心だって力を使うなと釘を刺したんだぞ?なのに…オレは感じるが、今でもあいつは、自分の体の中の僅かな陰の月の力を使って、白蘭を自分の所へ来させようとしてる。維月が先に気取って遮断してたからこれで済んでるが、もし見てなかったらまた引きずられてるところだ。あいつの意識が低すぎるんだよ。維心も言ってたが、普通の神なら気になる女神が出来たら、努力して自分の能力を上げてから娶ろうとするもんだろ。だが、炎月はああやって性急に月の力に頼ろうとする。待てねぇわけだ。あれじゃ駄目だ。いつかまた、同じ事をするぞ。大事だからって、お前はちょっと炎月を甘やかせ過ぎたんじゃねぇのか。お前に似ててもあいつの中身は別物だ。お前と同じ判断をするとは限らねぇ。鳥の宮の王になるヤツなのに、それで大丈夫なのか。陰の月がなけりゃ、持ってる力で何とかしようとするだろ。鳥の王族の血なんだから、そっちで努力するべきなんだ。炎月には、それを自覚して生きてってもらうしかない。だから、オレだって気が進まねぇがあいつの中の陰の月を消そうと思ってるんだよ。》
言われて炎嘉は、下を向いた。確かに十六夜や維心の言う通り、普通の神なら自分の持っている能力で勝負するものだ。まだ若いので立ち合いの技術も皆より劣り、地位や生まれ以外他に勝てる所が無いとしたら、そこから必死に努めて能力を上げ、誰にも認められるようになってから娶ろうとするのが普通だ。それを、相手の気を惹こうと簡単な方向へと禁じられていてもあっさりと向かう。そんな様では、王にはなれない。自分と似ていると思っていたが、自分なら危険だと言われた力は使わなかっただろう。いくら望んでいても、それが神世になんらかの悪影響があるのだと思ったら、使わないのが鳥族に責任を持っている神の判断だ。炎月には、それが出来ていない…。
「…分かった。」炎嘉は、頷いて月を見上げた。「あれには、我も言うて聞かせるが、しかしあの維心に釘を刺されてもすぐにそんなことをするぐらいだ、恐らく聞かぬだろう。ならば主が言うように、消すのが一番よ。志心の動きも気になるところ。我も少し、炎月の事については考え直そうぞ。」
十六夜は、まだ同情したような声だった。
《命なんてのは、どうなるか分からねぇ。前世お前にはたくさん皇子が居たが、いったい何人が王の器だった?今生、一人きりでそれが当たると思うか。炎託が遺した炎耀も、それなりのヤツだが炎月に比べればいくらか意識は高い。だが、少し感情に振り回される所がある。だが…もう、維月を貸すことは出来ねぇぞ。炎月でこれだけ面倒な事になってるんだ。炎月も炎耀も王に出来ないと判断して、お前が鳥の未来を考えるなら、女神との間に子供を作るこった。前世最後に炎託が生まれたように、必ずお前の血筋にそれなりのヤツは生まれて来る。王は、我がまま言えねぇんだろ?維心とお前は違うんだ。よくよく考えろよ。…オレが言うまでもなく、お前にゃ分かってるんだろうけどよ。》
炎嘉は、黙って横を向いた。頷くことも、首を振ることも出来ない。十六夜は間違ったことは言ってはいない。龍であったから維心は前世、あれだけの間独身で通した。そして龍であったから維月との間に子をなしても、面倒は起こらなかった。
今や鳥の自分とは、違うのだ。
そうして、十六夜は別の場所へと意識を移したようで、こちらへ向けた気は感じられなくなった。
炎嘉は、夜更けていたが開を呼び、明日緊急に龍の宮へと向かうことを伝えて、準備をさせたのだった。




