報告
義心は、夜が更けてから維心の居間へと行くのは気が退けた。
何しろ、報告の義務はあるのだが、維心は奥へと入ってからだと機嫌が悪くなるのだ。
義心がまた機嫌が悪いのかと気が重くなりながらも、居間の前で声を掛けた。
「王。ご報告に参りました。」
すると、意外なことにすぐ側で声がした。
「入るが良い。」
義心が扉を開いて中へと足を進めると、維心と維月が正面の椅子に座り、十六夜がその前の椅子に座って居間は明るく灯りが灯っていた。まだ起きていたことに驚いたが、どうやら十六夜が居ることから、炎月のことを話し合っていたように思った。
義心は、維心の前まで歩き、膝をついた。
「王。お申しつけの通り、宴の席で探って参りました。」
維心は、頷いた。
「分かったか。」
義心は顔を上げた。維月が、気遣わしげにこちらを見ているのを感じる。義心は、それを意識しないようにしながら、答えた。
「は。どうやら、志心様の皇女であられる、白蘭様をお気になさっておいでのようでありました。昨日、お一人にするにはと炎月様がお傍に居られたのだとか。」
維心は、驚く様子もなく頷く。十六夜が、維月と顔を見合わせてから、言った。
「…だろうと思ったよ。月から見てて、維月とそうじゃねぇかって言ってたところだったんでぇ。で、維心にもそれを話してたところだ。だが、志心ってぇと生まれながらの王族だし、こんな催しに皇女を一人でやるなんて危ないことは重々承知だろうが。いくら兄が居るったって、志夕はまだ慣れてねぇ感じだ。なんだって大事な娘をたった一人でここへやったんでぇ。」
義心は、顔を上げて十六夜に答えた。
「維明様もそれを怪訝に思うていらっしゃるようであった。皇女が言うには、世慣れていないので慣れるようにと学びの意味でこちらへ単身でやられたのだとか。しかしながら、あの皇女はまだそこまで世の中をわきまえては居らぬ。我にでも話しかけて来たほどぞ。最上位の皇女としての自覚はまだないと思われる。それを、志心様ほどの王が分からぬはずもあるまいに。異な事よと我も思うた次第よ。」
維心が、それを聞いて顎に触れながら考えるように言った。
「…我に皇子のことを話す時も、皇女の事は一切出さぬでな。それでも神世のこと、自然臣下から伝わることになるゆえ、双子であったのは我も薄々知っておった。しかし、いくら皇女に感心が無いからと、己の宮の品位を問われるゆえ、そのようにわきまえぬうちは外へ出さないのが普通よ。下位の宮の皇子などにかどわかされたりしたら、それこそ名折れになろうしな。なのになぜ志心は、あれを本日このような時に、侍女も付けずでここへ来させた。我もそれが解せぬ。」
義心は、神妙な顔をした。
「は…。我も、それは分からずでおりまする。箔炎様が志夕様とご友人で、お傍に居ることが分かっているゆえのことでありましょうか。最上位の宮の皇子が揃っておる中で、そのような狼藉は起こるはずがないと。」
維心は、眉根を寄せて考え込んだ。
「うむ…いやしかし、箔炎が手練れであって試合に出ることは分かっておったはずよ。志夕も選抜には出ることを許されておったのだし、炎月が居らねばあれは一人きりになっておったろう。まず普通ではあり得ぬのだ。そんなことが分からぬ志心でもない。では、なぜに?…理由があるはずぞ。」
十六夜は、はあとため息をついた。
「もうさあ、誰でもいいから嫁に行ってくれって思ったんじゃねぇか?もしかして志心は、白蘭を宮に置いておくのも面倒になってるとか。」
維月は、首を振った。
「でも、月から聞いていたら、あの子は最近は志心様もよく話してくれてって言ってたわ。最近になって構ってくれるようになったようだから、それは無いんじゃない?嫁に出したいなら、あの宮ならいくらでも欲しいって宮があるわ。そんな回りくどいことをしなくても。」
維心は、眉を寄せたまま遠くを見た。
「…我の宮で何かあれば、我の責任にもなる。我に文句でも言いたいゆえの事ややもしれぬ。何しろ…維月を王妃にしておるからの。忘れておらぬであろう?あれから10年ぞ。」
維月と十六夜は、黙った。そう、不能にしてしまってから、もう10年経つのだ。維心にいちゃもんをつけて、それで詫びとして維月に体を戻されるということも考えぬでもないと思ってしまうのだ。
しかし、義心はハッとしたように、顔を上げた。
「王。」維心も、十六夜も維月も義心を見た。義心は続けた。「我は、思い当たることがございます。」
維心は、片眉を上げた。
「何ぞ?申せ。」
義心は、維心を見上げて続けた。
「もしや…志心様は、最初から炎月様を狙われておったのでは。箔炎様の弟君、箔真様と炎月様は友であられる。箔炎様と志夕様は友。ということは、今回ここへ来たなら、必然的に知り合い、共に居ることになるのは、自ずと分かろうもの。しかし、白蘭様に侍女が付いておれば、例え友とはいえ、側に寄ることはあり得ませぬ。挨拶程度で終わろうかと。」
維心は、目を丸くした。
「志心が、炎月と白蘭を近づけようとしたと申すか。だが、なぜに?」
義心は、膝を進めた。
「志心様に、漏れておるのでございます。恐らくは、維月様と炎月様の面倒な事が。あの、定佳様の宮の一件で、少なからずこちらの事情もあちらは知ることになったはず。お二人が連動しておる事実は、どの程度の者が把握しておりまするか?」
言われて、維心と十六夜、維月は顔を見合わせた。確かに、あれだけ大々的に大変な事になったのだ。当事者の間で言わなくても、軍神が調べれば簡単に分かったことかもしれない。そして、炎月が月と連動しているということは、炎嘉と維月の間の子であることが透けて見える。そして、そんなことになった元はと言えば…。
「…陰の月が面倒なのを志心は知っておる。」維心は、苦々し気に言った。「恐らくはそうだ。だからこうして、遠回しに面倒な事を仕掛けて来ておるのだ。でなければ、皇女を一人でこんな催しに寄越すなど考えられぬ。白蘭は、志心に似て美しいと言われる容姿。まだ幼いが、炎月一人の気を惹くことなど出来ようと考えたのだろう。鳥は、とかく純白というものを好む傾向がある。あの白い髪、薄い青い瞳の白蘭を見て、鳥ならば見過ごせないだろうと踏んだのだろう。」
十六夜は、慌てたように維心を見た。
「だったら、どうするんでぇ!志心に文句言わなきゃならねぇじゃねぇか!」
維心は、歯ぎしりした。
「状況証拠だけぞ。言うたであろう、志心は狡猾ぞ。ただ本当に学ばせようと思うた、とか、龍の宮ならば狼藉など起こらないと思うた、とか言われたら、その通りなだけに何も言えぬ。ただ少し常識を知らない親ぐらいの扱いぞ。それに、炎月が懸想したのは炎月の勝手ではないか。あれが見向きもせなんだらそれで済んだことであるからな。ぬかったわ…こう来たか。おとなしいのでおかしいとは思うておったのだ…何か考えておろうとは思うたが。」
維月は、心配げに十六夜を見た。十六夜も、困ったようにそれを見返す。志心がおとなしいのですっかり忘れていたが、確かに月を、正確には維月を恨んでいてもおかしくはないのだ。頭の良い志心が正面から来る事はないと維心はあの直後も言っていた。この10年、いろいろと調べ上げて虎視眈々と復讐の時を待っていたとしても、驚きはしなかった。
「…ならば戻した方がよろしいのでしょうか。そうなると反動で炎嘉様の所へいらしてどの様なことにと思うと案じられまするが…。」
維月が言うと、維心は首を振った。
「あちらに屈してはならぬのだ。志心はおとなしい性質ではない。一度こうと決めたら恐らく、今戻したところでこの10年の恨みを晴らすまではおとなしくはしておらぬだろう。とはいえ、あやつにちょっかいを出されるとこちらも鬱陶しいのは確かよ。どうしたものか…とにかくは陰の月と炎月の問題をなんとかするよりないの。やはり、鳥だけの命になってもらうよりないのではないのか。こうなってくると、存在そのものが主の脅威となり、我の懸念となる。しかし…炎嘉が黙っていまいし…神世がこのようなことで乱されるのは本意ではない。」
炎月がうまく月だけを失えばいいが、最悪死ぬ。そうなると炎嘉は維心を許せないだろうし、志心とは組む事はないだろうが、神世が分断する可能性がある。
せっかくに平穏な神世を、こんなことで乱す訳にはいかなかった。
義心が、ふと言った。
「…そういえば、烙様は?」維心が、義心を見た。義心は続けた。「鳥族は元は一つであり申した。烙様は燐様と維織様のお子であられるのに、あのように安定していらっしゃる。炎月様よりお年上であられるのに、女を思う事もあられたことでしょう。それなのに月まで影響がないのは何ゆえでありますか?」
そう言われてみたらそうだ。
維心が確かにそうだと思っていると、十六夜があっさり言った。
「あいつはオレに似て性質は陽なんでぇ。蒼だってそうだろうが。オレと維月の間には、オレの方が強いからそうなるんでぇ。そりゃちょっとは持ってるだろうが、陰の月は陽の月の力に命の中で押さえ込まれて表に出ねぇ。烙は鷲だが、命の中の月はほとんど陽。陰は出て来れねぇのさ。」
維心は、クッと口の端を歪めた。
「結局は陽の月しか陰の月を抑えられぬのか。今さら陽の月を炎月の中へ植え付けるわけにも行かぬ。困ったものよ…どうしたら良いと申すのか。」
義心は、黙っている。特殊な命の事は、これだけ長い年月共に過ごして問題を解決して来ても、深い所までは分からないのだ。
維心は、維月を見てため息をついた。
「どうしたものか…世を乱すのは本意ではない。しかしこのままでは維月が…。」
すると、碧黎の声がした。
「こうなって来ると陰の月と直接に話し合うしかないの。」
皆が驚いてそちらを見る。だが、十六夜は特に驚いた様子もなく碧黎を見上げた。
「聞いてんだろうなって思ってたよ。話し合うってどうやって?維月に話したらそれで聞いてんだろうしさーそれでどうにかなるならどうにかなってるだろうが。」
碧黎は、それに構わず維月の目をじっと見た。
「違う。陰の月に飲まれている維月と、直接に話さねばならぬというのだ。陰の月には陰の月なりの論理があり動いている。我らは恐らくこうであろうという考えのもとにこうして対処しようとしておるだけよ。本人をほったらかしで、もはや解決できるものではない。他の神にそれを利用されて世が乱れるとあっては、我とてもう、悠長にはしておられぬ。さあ維月、抑えておる陰の月を解放せよ。その上での主の言葉を聞かねばならぬ。」
維月は、戸惑うような顔をした。
「ですがお父様…あれも確かに私ではありますが、考え方が真逆なところがあり申して。維心様もいらっしゃる場で、いったい何を話すのかと恐ろしいのでありますわ。」
碧黎は、維心を見た。
「維心とてもう、覚悟はできておるわ。何度もいろいろあって、隠されておるよりいっそ全部出して懸念を消し去りたいと思うておろうぞ。あれも主。分かっておろう。」
維心は、維月の方を見て、その手を握った。
「碧黎の言う通りぞ。我はこれまで、主らの命のこだわりの無さに対応し、理解しようと努めて参った。これが最後と全てさらけ出してもろうた方が、我とてこれから何が出るかと案じずで済む。どうせ我は主から離れることなど出来ぬのだから。十六夜ならば何でも話すのであろうが。我とて、それぐらいの寛大さは持ち合わせておるつもりよ。」
維月は、追い詰められたような顔をしていたが、十六夜も黙っているし、義心は元より口を出す立場ではないのでただ聞いている。
維月は、どうしようもなく、碧黎を見上げた。
「…分かりました。では、抑えて付けておる力を緩めてなすがままに。」
維月はそう言うと、目を伏せた。
そうして、次に目を上げた時には、維月の目は真っ赤に染まって、碧黎を見つめ返したのだった。




