理由
龍の宮では、皇子達や軍神達の対抗戦、本戦の日を迎えていた。
昨日の事前選抜の時には出て来なかった龍王も、今日は必ず出て来るはずの日だ。
朝から皆がピリピリしていて、それが痛いほどだった。
そんな状態でも、炎月は心が軽かった。また、白蘭と共に過ごせるからだ。
とはいえ今日は昨日とは違い、侍女も貸し出され、昨日弾かれた志夕も、正式に出ない炎耀も共に居るので、昨日ほど側近くでは話をすることは出来そうになかった。
白蘭も話したそうにこちらをチラチラ見て居たが、この貴賓席は序列順に席が決められている。今の神世では最高位の中でも龍が筆頭で、鳥、月、鷹、鷲、白虎、獅子となっている。炎月は鳥の皇子なので龍の隣になり、その隣りに第二王位継承権を持つ炎耀、そして白虎の皇子志夕、皇女白蘭と並ぶ。
つまり、白蘭は炎耀と志夕を挟んで向こう側になっていて、しかも貴賓席は椅子一つが大きいのでかなり離れていた。
話など、出来ようはずはなかった。
しかし、今日は龍の皇子達は皆、訓練場へと降りていてここには居なかった。
炎月の反対側の隣り、椅子一つ空けた向こう側に、維月、その向こうに維心が座る、一際大きな椅子が見えるだけだった。
炎月は、ため息をついた。
今日は、白蘭とは話せそうにない。あれほど楽しみにしていたものを。早く終わって欲しいという気持ちさえ湧いてくる…。
訓練場では、皆が整列し始めて、龍王が来るのも近くなってきたと緊張感が増して来ていた。
「困ったの。」維心は、正装に身を包み、居間の椅子で顔を伏せて息を整える維月の肩を抱きながら言った。「我が出て参らねば始まらぬのに。あやつはこのような時にも誰かと共に浮かれておるのか。呼ばねば良かった事よ…鳥の宮でおとなしくさせておけばこのようなことには。」
維月は、赤くなって来る瞳を何とか上げて、言った。
「距離があるようですわ。それにイライラしておるように感じまする。」
維心は、眉を寄せた。
「まあ序列順に座っておるであろうし離れておろうの。」と、鳶色と赤を行ったり来たりする維月の瞳を見つめた。「我だけ行く訳には…困った事よ。ここに置いて行く事など出来ぬ。」
確かに飲まれた状態で維心と離れるのはまずい。だが、行く先には軍神が山ほど居る。そもそもそれらの立ち合いを見に行くのだからあの貴賓席で我を忘れるのも大変なことになる…。
「…月へ、帰っておりまする。」維月は、言った。「十六夜が押さえ付けてくれまするから、まずおかしなことにはなりませぬし。」
この美しい正装の維月をもっと見ていたい維心だったが、今はそんなことは言っていられない。陰の月には陽の月なのだ。それしか方法はない。
「…仕方がない、ではそのように。なるべく早く戻るゆえ、しばらく月で十六夜と居れ。我は炎月がいったい誰に懸想しておるのか見て参る事にする。」
そもそも上位の宮の皇女なら、簡単には話など出来ないはずなのだ。何しろ彼女らには、山ほど乳母、侍女がついてくる。こんな皇子の多い催しに来るなら尚のこと。それなのに懸想するほど話せるということは、それほど地位のない宮の皇女かと思われた。
「ほんにもう、娶るのも難しいような宮の皇女か侍女ではないのか。面倒なことを。」
維心がぶつぶつとこぼす前で、維月は光になり、十六夜が待つ月へと打ち上がって行った。
「…?」
義心は、ふと空を見上げた。維月様が月へ帰られた…?今、この時に…?
隣に居た、維明も同じように空を見上げて、義心に言った。
「異なことよ。母上は本日、父上とこれに来られるはずでは。確かにご準備されていたのを見たばかりなのだが。」
また何か喧嘩でもしたのか。
維明は心の中で思ったが、義心は怪訝な顔をした。
「…昨日、お加減がお悪くなられたのだと侍女から聞きましたが…また何か問題でも…。」
そういえば、炎月が来ていた。
義心は、貴賓席を見上げた。陰の月の問題は、まだ解決していないはずだった。龍ではなく鳥だったのが問題なのだと十六夜がわざわざ義心に話してくれたので、維心は何も言わないが、義心はそれを知っていた。お前の子だったらこんなことには、と、十六夜が愚痴をこぼしていたからだ。
「…何か面倒が起こっておるのではないのなら良いのですが。」
義心は、そう言った。維明は、まだ喧嘩だと思っているらしく、苦笑した。
「まあそのうちに収まろうよ。とにかくは変なものを見せては今日の父上は激怒されるやもしれぬ。昨日主が選抜しておいて良かったの。」
いずれにしろ維心がイライラしているだろうことは予想出来たので、それに義心は頷いた。
「は。誠に。」
義心は維月が気になったが、しかし月に居て何かあることはない。それに、月からなら維月もここを誰に気を遣う事なく見ているだろう。自分のことも、もしかして僅かでも気に留めてくださっているやも…。
義心は思って気を引き締めると、維心が現れるのを待った。
十六夜は、不安定な維月を自分の命で包みながら言った。
《面倒だなあ。マジでこんなことになるならもっときっちり決めときゃ良かった。炎月に罪はねぇけどよ…やっぱり同じ種族同士が一番なんでぇ。万が一ってことがあるし、やっぱりもう、炎嘉は無しだな。だが、いったい誰を好きになってやがるんでぇ。皇女ったってよぉ、みんな山ほど侍女連れててガッツリガードされてるから、あり得ないんだがな。父王が変な奴に縁付けたくねぇだろうし。》
維月は答えた。
《そうなのよね…あり得ないって維心様も思ったからこそ、この催しに来るのを許してくださったのだもの。七夕とかなら分かるのよ?皇女も多いし、出逢いの場みたいなものだもの。でも、立ち合いでしょ?行くのを許す王も少ないのに、もしかしたら上位の軍神や皇子を狙った父王に言われて来た下位の宮の皇女か、侍女なんじゃないかって思われているようだわ。困ったこと…。でも、いずれ向き合わねばならない問題だったんだし、早めに対策を取れるならいいかもしれないわ。元はと言えば、陰の月のせいなのだもの。嫌な性質だわ…私は最近、だから神様を不能にするのも気が退けちゃって。私だって陰の月の時は同じようなものだもの…。》
十六夜は、慌てて否定した。
《一緒にするな。結局相手はお前に籠絡されちまうんだからいい思いはするんだよ。とは言ってもなあ…何とかしねぇとお前の精神がもたないだろう。》
維月から、後悔しているような気が伝わって来た。
《私は矛盾しているのよ。二つの自分が居て、どちらも私っていう。陰の月を否定している訳ではないのよ、現に維心様があそこまで私を愛してくれるのは、その性質も僅かでも混じっているからだと思うから。》
十六夜は、複雑な雰囲気を出した。
《まあなあ…あいつは陰の月のお前も、むしろ喜んでるところがあるからなあ…。あいつも勝手なんだよ、自分だけならいいけど他へ向かったら嫌なんだからさー。》
維月は、苦笑した。
《十六夜ったら、普通は一人だけなんだからね。維心様の感情は自然なものよ。そもそもが二人も愛してる時点で、私は矛盾してるでしょ?そこも陰の月と同じで、私自身は陰の月を責められない…やっぱり、あれも私なんだわ…。だから、維心様が炎月をお責めになると、それがそのまま私への言葉のように感じて、とてもつらいの。あの子は悪くないわ。私が、僅かでも炎嘉様のお子を産んで差し上げてもいいという気持ちがあったから、陰の月は実行した。全ては私自身の問題のような気がする…。》
十六夜は、維月をいたわるような気を発した。
《そんなに自分を責めるんじゃねぇよ。いつもオレと話し合ってて、炎嘉のことも、義心のことも、二人で心配してたじゃねぇか。二人で決めたことだ。そりゃあ維心は言うことが決まってるから、話の輪に入れてねぇけどさあ…。》
維月は、答えた。
《十六夜とお父様は、同じ命だから分かるのかもしれない。でも、私は人だった事もあるし、維心様の価値観も分かる。私のもとの価値観はそれだし…それが無くなると、私が私でなくなるような気がして怖いわ。私が十六夜や維心様と前世愛し合ったのは、その価値観の私だったもの。愛されなくなるんじゃないかって、とても怖いの。陰の月だって、十六夜は離れる事が無いけど、維心様を失うのは怖いはず。いくら維心様だって、これ以上は我慢ならないはずよ。これまでだって、本当によく我慢してくださっているものと思うもの…。》
それだけ、維心は維月をそれは深く愛しているのだ。
それというのも、維心はあの命の中で、愛したのは維月だけだった。誰も愛さずに来て、これと決めたらそれを貫き通す。そんな維心だからこそ、維月は十六夜が居ても維心を愛してしまったのだ。十六夜も維心の生きざまを知り、それを許してここまで来た。絶対に失いたくない半身が十六夜なら、維心は絶対に失いたくない魂の片割れなのだろう。
《…陰の月バージョンのお前だって、維心が激しく怒ったら、危機感を感じて他に手を出すのをためらうだろう。現に維心が傍に居たら、何とかして維心をと、維心以外は目にしないで我慢するじゃねぇか。でもさ、そこが浅はかなんだよなー。隠れてやってもバレるのに。バレた時維心が愛想尽かしたらどうするつもりなんだろうな。》
維月は、暗い声で答えた。
《多分…これぐらいなら維心様が離れないとか、思ってるんじゃないかな。炎月が出来た時も、維心様が絶対に否ならきっと殺してしまうことも知っていたと思う。子供は大切に思う気持ちがあるのよ?でも、あの時の私でも、愛して一番大事に思っているのは維心様と十六夜。炎嘉様や他の神はね、ただ癒してあげたいとか、慰めてあげたいとか、そんな気持ちで…自分の出来ることがそれしかないから、それで慰めようってだけなの。ほんとにその場だけ。維心様を裏切るとかそんな気持ちはこれっぽっちもないわ。そこが、価値観の違いなのだと思う。でも…私自身、嘉韻ともそうだけど、今は心の交流だけで十分なの…。体まで使うのは、十六夜と維心様だけでいいの。そういう欲求が、削がれて来てるっていうか…意味がないような気持になってしまうっていうか…。》
十六夜が、驚いたような気を発した。
《お前…それ、オレと親父と同じ感覚だ。別に無くても心があるならいいやって感覚。そうだよな、本来オレ達みたいな命はそうだもんな。いくら陰の月だって、意識は違わないはずなんだ。》
維月は、十六夜の中で動いた。
《そうなの!命っていうか、心が大事って感じで。体って上辺って感じがしちゃう。陰の月も、相手の望みに応じて体を許したりするけど、本来別にそれが好きってわけじゃないみたいだものね。それが相手を思い通りにするのに手っ取り早いし、自分がその能力に長けてるから使うだけなのよね。愛情表現って感じでは考えてないみたい。炎月の懸想した思いに反応してアレをしたくなるのも、結局相手を篭絡させたいって思いと同化して欲しているだけで。難しいけど、誰でも襲うわけじゃないって思うんだけどなー…。お父様は、龍の軍神が危ないって言ってらしたけど、違うと思う。陰の月の私でも、選んでるのよ、ほんとに。》
十六夜は、うーんと唸った。
《確かになあ。お前、ああなっても蒼には全くだし、興味も示さないもんな。将維だって月の宮に居るのにそっちも行かないし、義心はさあ…お前のこと、好きなの知ってるだろう。だから襲ったんだろうし。でも維心には言うなよ。あいつ義心を選んで襲ったのかとまたあいつにきつく当たるだろ。》
維月は、息をついた。
《言わないわ。そうねえ…やっぱり、陰の月の性質のせいっていうより、私の気持ちの問題なのよ。この神ならいいかも、ってどこかで思ってるのが、陰の月になったらお構いなしに出てしまうんだわ。気を付けないと…炎月の、恋愛の度に義心を襲ってたら大変だもの。維心様だって義心だってもたないわ。私も自己嫌悪で病んじゃうって思う…。》
十六夜が、頷くような気を発した後、下を見て、言った。
《お。維心が出て来たぞ。不機嫌だぞこりゃ。みんなピリピリしちまって実力が出せねぇんじゃねぇか。》
言われて、維月も下を見た。
確かに目が覚めるほど美しい維心が、物凄く不機嫌な顔で貴賓席へと進み、軍神達が一斉に膝をついているのが見える。
維月と十六夜は、その様子を固唾を飲んで見守った。




