面倒なもの
十六夜は、月が現れた時間、何やらスッキリと血色良く艶々している維心と維月と向き合って、維心の話を聞いていた。
碧黎が、隣りの椅子に座って足を組んでいる。
維心は言った。
「…そんなわけで、感情の動きを遮断する方法とやらを炎月に教えておかねばならぬのではと思うのだが。」
十六夜は、顔をしかめた。
「だからさーとりあえず炎月が誰にそんな感情持ったのか知っといた方が良かったのによぉ。スッキリした顔しやがって、その起こった時に呼べよ。収まっちまったら結局誰か分からねぇじゃねぇか。知らせが来てすぐ見たが、控えの間で炎耀と一緒に居たぞ?炎耀にそんな感じじゃねぇから他の誰かみたいだが、分からねぇ。それでなくても今日は神が多いのに、全く。」
碧黎が、ため息をついた。
「もう良い仕方がないことよ。しかしまあ、維心が居ったら順当に維心を襲うゆえ問題無いではないか。やはり陰の月に飲まれようと維心がそういう対象の筆頭に来ているのは間違いないのがこれでわかった。まず維心、無理なら他という感じなのではないのか。」
十六夜が碧黎を睨んだ。
「なんでオレが無いんだよ。」
碧黎は呆れたように十六夜を見た。
「だから主は陰の月にとって敵わぬ相手なのだ。しかも本来そういう事をしないのも知っている…つまりは、相手の気が乗らないのを感じたら、興が冷めるということぞ。我らのような命はそういう事に流されぬのを知っておるからの。陥落させて共に楽しむのが陰の月の性質ぞ。別にアレをするのが目的ではないのだ、その過程を楽しむのだ。我らではそれが出来ぬ。」
碧黎は、よく理解している。
維月は恥ずかしくなった。確かに飲まれているときは、正にそうだからだ。
しかし維心は顔をしかめた。
「では、我が居らぬ時だったらどうするのだ。本日は催しの最中で我も政務がなかったゆえ、維月も呼べばすぐに来るのを知っておったが、常はそうではない。会合…なら抜けて来るが謁見や神世の会合などで出ておる時ならこうは行かぬ。宮には軍神が山ほど居るし義心でなくともそれこそ…、」
考えるだけで恐ろしい。
維心が身震いすると、碧黎はまたため息をついた。
「それよ。そこが面倒よな。」と、維月を見た。「維月が陰の月に飲まれると性質そのものがあまり良くない方向に変化する。正そうと浄化しようとする陽とは別で操ろうとする、これは力が弱いゆえに備わった本能ぞ。そして現にその能力を持っておる。相手の弱い所をついて来るのは闇と同じよ。己より力の強い命を屈服させる事に悦びを感じるので、より抵抗の強いものを狙う。その方が達成感があるからぞ。十六夜は消してしまうがこやつは受け入れて己から離れられなくし、そして命を懸けて守らせるのだ。維心は陰の月に惹かれて維月を選んだのではないが、陰の月からしたら同じ事よな。話が反れてしもうたが、困ったのはこの龍の宮には龍ばかりということぞ。今も維心が言うたように、龍の軍神は陰の月の格好の的。謹厳実直でちょっとやそっとでは揺らがない忠実な性質。しかし本気になった陰の月にとっては赤子のようなもの。抵抗など出来ぬ…気をつけねば片っ端から陥落させられてしまうわ。陰の月は龍の軍神を大層好むはずであるからな。」
維心は、深刻な顔をして黙った。自分もそれに思い当たっていたからだ。これから先、炎月が誰かに懸想する度にこれではたまったものではない。おちおち政務もしていられなくなるからだ。
これまで、自分の子は皆龍で簡単には女に惑わないし、動じないので月にまで影響しなかった。だが、炎月は違う。
龍と鳥では、ここまで違うのか。
維心が考え込んでいると、十六夜が言った。
「生まれちまったものは仕方ねぇ。なんとか対処の方法はねぇのか、親父。」
維月も、すがるような目で碧黎を見る。碧黎は息をついて額を押さえた。
「…ここ十数年、いろいろ考えた。だが、炎月の中の陰の月をどうにかせぬことには、どうにもならぬ。封じるには命を繋がねばならぬし、我はあれと命を繋ぐ気はない。表面上なら出来るが懸念は消せぬ。あやつの中の、陰の月を殺さぬ限りはついて回ろうな。」
維心が、顔を上げた。
「ならばあやつを我が刺せば良いのでは。月が力を振り絞って助けようとするのは知っておる。確か新月が身の中の月を失ったのはそのためだった。死なぬだろうが。」
十六夜が、慌てて首を振った。
「あれは運が良かったからでぇ!死ぬかもしれねぇんだぞ!かなり痛ぇしよぉ、ショック死してもおかしくない衝撃だろうが!」
碧黎もさすがに顔をしかめて維心を見た。
「月は万能ではないのだぞ。新月の血は龍の王族、この世最強の血ぞ。それが月を失っても何とか踏ん張ったからああだが、炎月は同じ王族でも鳥。どうなるか分からぬ。せっかくに生じた命であるし、そう簡単に試してみよとは我も言えぬわ。」
維心は、ついさっきまで上機嫌であったのに、険しい顔をしてぐっと眉根を寄せると、言った。
「もう、どれほどにあれに迷惑を掛けられておるのだ!我は、そもそもが好意で炎嘉にあれが生まれるのを許したのだぞ?!それを、いつまでもいつまでも、生きておる限り迷惑を掛けられるとあっては、我は何のために堪えたのか分からぬではないか!もう、いっそ始末してしまいたい心地ぞ!」
維月は、それを聞いて悲し気に袖で口を押えて下を向いた。維心の気持ちは分かっている。だが、自分が産んだ自分の子なのだ。炎月の事は、世間に公表も出来ず、会う事もままならないので、いつも気になっていた。しかし、自分が望んだのではない。陰の月の自分が、炎嘉のためにと軽い気持ちで作った子なのだ。陰の月に飲まれている時の意識は、今の維月のように神世の倫理などに縛られてはいない。その時、それをしようと思えば、そうするという短絡的な思考の持ち主になってしまうのだ。
維月は、心の中でどうしようもなく悩んでいた。自分が陰の月という存在である以上、このままでは面倒なことを何度も起こしてしまうことになるかもしれない…。
「…やはり、お父様のおっしゃる通り、私は陰の地になるべきなのでしょうか。」十六夜と碧黎が、驚いたように維月を見た。維月は続けた。「維心様にも回りの皆にも、このように心労をおかけするのは本意ではありませぬ。まして私が制御できぬばかりにこのようなことに。炎月が生きておる間は、私も引きずられることが多いでしょうし、トラブルが絶えぬことになりましょう。十六夜には月に一人になってしまうことになりますけれど、私達は生まれた時から一緒の命。心が離れることなどありませぬ。それは十六夜も、分かっておるはずなのですわ。ならばと思うてしまいまする。」
十六夜が、絶句した。確かに維月が月でなくても、自分たちは一緒だという自信はある。だが、ずっと同じ体を共有して来たので、その安心感が無い状態に、また戻りたくはない。やはり月で共に居る時が、何より落ち着くし安心するのも確かなのだ。
維心も、黙っている。碧黎が、口を開いた。
「…我は良いのだ。維心とて、別に維月が月でも地でも維月なら良いと思う気持ちがあろう。だが、十六夜は心情的に許せぬことがあるのだろう。それは理解できるし、我もそれは最後の手段だと思うておる。炎月の中の陰の月を消滅させる方法を、我とて考えてみようぞ。とはいえ、維心が言うた以上の事を、考えられるかと申すと疑問ではあるがな。曲がりなりにも我らと同じ命を、僅かばかりでも殺そうというのだ。並大抵の力では無理であろうと思う。が、まあ、考えようぞ。それまでは維心、主がぴったり維月について居よ。さすれば問題はあるまいが。分かったの。」
維心は頷いたが、まだ納得は出来ていないようだ。十六夜は、維月から地になろうかと言い出したことが、ショックだったのかまだ黙っている。
たかが誰かに懸想しただけでこれでは、これから先のことを考えたら気が滅入る。
維心は、本当に面倒なものを抱え込んでしまったと、心底思っていたのだった。




