共鳴
維心は、維月に着付けを済まされてから、維月自身の着替えが終わるのを待っていた。
炎月が少しでも肩慣らしでもしておるのなら、それを少しぐらい見せてやってもいいかと思って本来行かない選別のための事前試合を見てみようか、と思った。通告無しに少し早めに行けば、恐らくまだ皆肩慣らしをしているのを見られることだろう。
だが、時が掛かっているような…。
維心が思い、立ち上がると、侍女が慌てたように入って来て、維心に頭を下げた。
「王!王妃様が、何やらお加減がお悪いようで…!治癒の者をと申しましたのに、治癒の者ではなく、王に今すぐお傍に来てくださるようにお願いしてくれと申されて…!」
「維月が?!」
維心は、すぐに奥の間を抜けて維月の部屋へと飛び込んだ。維月は、まだ着物も中途半端なまま、椅子に座って寝台の上に突っ伏している。その傍で、侍女達がおろおろとしていた。
「王!王妃様が…突然に苦し気にされたかと思うと、このように…!」
維心は、維月の肩を抱いた。
「維月!どうしたのだ、具合が悪いか?!」
維月は、そのまま寝台に突っ伏して、言った。
「…何やら苦しくて…ですが、原因は月。分かっておりまする…。どうかこのまま、お傍に居てくださいませ。侍女達は下がらせてくださいませ…!私は、大丈夫ですわ。しばらくすれば、収まるかと…。」
月…?
維心は思ったが、侍女達に頷きかけると、侍女達は戸惑いながらも出て行った。維心は、維月を抱いて顔を上げさせた。
「維月、侍女は下がらせた。いったいどうし…、」
そこまで言って、維心は絶句した。維月の目が、真っ赤になっていたのだ。
陰の月か…!ここのところ鳴りを潜めておったのに…!
維心がそう思っていると、維月は維心にいきなりに抱き着いて、寝台の上へと倒れ込んだ。そして、維心に馬乗りになった状態で、言った。
「…抑えておったのですわ。炎月が帰ってしばらくした頃から、何やら胸から熱い力が突き上げて参って…!それが段々に大きさを増し、もはや我慢もならぬとこのように…!維心様、襲うなら我をとおっしゃいましたわね?!さあ、お相手くださいませ!」
維心は、あまりに急なことに驚いて一瞬固まったが、維月が覆い被さって来て腰ひもが解かれるのを感じて、ハッと我に返り、慌ててその手首を掴んで転がり、自分が上になった。
「維月、落ち着け!確かに相手はするが、しかし原因を先に突き止めねばならぬ!常いきなりそんなことになってしもうたら安心して催しにも出られぬだろうが!」
維月は、維心の手から腕を抜こうと身をよじりながら、言った。
「炎月ですわ。あの子が誰やらに懸想しようとしておるよう…。先ほどから傍に居るようで、胸が高鳴って…!それが陰の月と共鳴しておるのですわ…!ああ愛おしいこと…維心様、あなた様が…!」
維月は言って、維心の手から腕を抜くと維心に抱き着いて思い切り口づけて来た。
維心はそれを受けながら、普段なら歓喜して応えているところなのだが事態が事態だけにそんなわけにも行かず、急いで維月から唇を離して、言った。
「維月、落ち着くのだ。炎月が誰かに懸想しておると申すのだな?あれは陰の月の力を使っておるのか。先ほどあれほどに釘を刺したのに?」
維月は、まどろっこしそうに維心の着物を剥ごうと格闘しながら、答えた。
「力は使っておりませぬ。あの子はただ感情を月に伝えておるだけですわ。意識して遮断していないとこれはどうしようもないこと…。あの子のせいではありませぬわ。さあ維心様、そのように焦らさずに…。それとも私が攻めてもよろしいのでしょうか…?」
維心は、ぞくっとした。また、アレか。確かにそそられるがしかし、そんな場合では…。
「王。」侍女の声が、戸惑いがちに聞こえて来た。「お出ましはどうなさいますでしょうか?もう刻限だと知らせて参りましたが…。」
維心は、維月に抱き着かれながら、侍女に答えた。
「王妃の具合が悪いゆえ、参れぬと申せ。しばらくここへ近寄るでない。」
侍女の声は答えた。
「はい、王よ。」
そうして、気配が去って行った。維心は、自分の下の維月を見つめて苦笑した。
「さあ、時を作ったぞ?ほんに困った奴よの我が正妃はもう…。」
十六夜と碧黎に知らせねばとも思ったが、維月に乞われて長く断ることも出来ないことを知っていた維心は、とにかくは今は、維月の望み通りに過ごそうと維月を抱きしめて口づけたのだった。
炎月は、緊張がほぐれて来てコロコロとよく笑い話すようになった白蘭と、こんな立ち合いや事前試合の観戦でしかないのに、それは楽しいと思って過ごした。
これほどの幸福感を感じるのは、生まれて初めてかもしれない。
それほどに、白蘭と過ごすのは楽しいと思えた。
事前試合では、義心にふるい落されたたくさんの皇子達の中に、志夕も入っていた。
箔炎は、義心にも認められた肩慣らしの後、事前試合でも何とか上位に食い込み、そうして明日の本戦への出場も決まった。
龍王は遂に最後まで現れることは無かったが、特に場は乱れることも無く、全てがただ順調に過ぎて行ったのだった。
夕刻になって、炎月は白蘭を連れて控えの間へと戻っていた。
庭に面した回廊を歩いていると、夕日が落ち始めていてそれは美しい。炎月がそれに見惚れていると、白蘭もふと、炎月を見た。
炎月は、炎嘉に似た華やかなそれは美しい神だった。髪は金色に見える明るい茶色で、目は薄っすらと赤みがかった茶だ。姿はまだ人で言うなら高校生から大学生辺りの大きさだったが、それでもその美しさは際立っていた。
白蘭がそれに気付いて頬を赤らめながら、慌てて扇を上げていると、炎月がそれに気付いて微笑んだ。
「どうしたのだ?そのように。我相手に礼儀など気にする必要は無いと申したではないか。それに、主は何も礼儀に反してはおらぬぞ?案ずるでない。」
炎月がそう言うと、白蘭は扇の上から目だけで炎月を見上げて、微笑んだ。
「炎月様は、お優しいこと…。お兄様は、跡継ぎだからと臣下達に囲まれてそれは大変そうであられるし、我は乳母と侍女に叱られてばかりで…お父様は、我にはご興味がおありにならないようで、お顔をお見上げするようになったのも、本当につい、最近のことで…。皇女って、本当に窮屈でつらいものなのだなあって、思っておったのです。でも、学びのためとはいえ本日こちらへ行けとおっしゃってくださったお父様には、感謝しておりますの。このように楽しいのは、何年ぶりかと思います。」
炎月は、それを聞いてまた、収まっていた胸がどきどきと高鳴るのを感じた。白蘭は、自分と共で楽しかったと。我とて…。
「我も、楽しかった。」炎月は、自分も同じだと伝えなければと、急いで言った。「これまで父上の後を継ぐことばかりを考えて、政務や軍務の事にしか興味もなく、そればかりとして来たのだ。だが、主と話していて、幼い頃にこうやって、毎日楽しく何の憂いもなく過ごしていたなあと、懐かしく思うた。もちろん、政務も軍務も大切だと思うが、時にはこんな時もあった方が、より良く励めるものだと思う。」
白蘭は、赤い顔で素直に嬉しそうに微笑んだ。
「我などがお相手で楽しんでもらえたのならとても光栄なことですわ。また宮にもお越しくださいませね。我には友も居らず…何しろ今まで、まだ早いと他の宮の皇女とも交流させてはもらえずで。」
それは寂しかっただろうな…。
炎月は、白蘭の気持ちを思った。いきなりに友とも引き離されて宮に入り、堅苦しい作法を強いられて来たのだ。よく耐えたなと労ってやりたい気持ちだった。
「また、訪ねて参ろうの。ただ、主を訪ねると…父王も構えられよう。志夕を訪ねて参ることにするゆえ。」
神世はとかく面倒だ。地位のある男が、地位のある女を訪ねるとは余程の覚悟が要る…婚姻の話になるからだ。
白蘭も、自分が言った事の大きさに気付いたようで、慌てて顔を扇で隠して火を噴くように赤くなった顔を見せないように下を向き、言った。
「も、申し訳ありませぬ。女からこのような…我はだから、浅はかだと乳母にも叱られるのですわ…。」
恥ずかしくて顔を上げられない。
炎月は、そんな白蘭に笑って首を振った。
「良いのだ。我とて主ともっと話したいと思うもの。必ず訪ねて参るゆえ。案ずるな。」
白蘭は、驚いたように顔を上げる。
炎月は、本当に優しげに微笑んでいた。
その様にまた見とれながらも、小さく頷く白蘭に、炎月はこれがもしかしたら愛情というものかもしれぬ、と、自分の中に芽生えた気持ちを自覚しながら、控えの間へと足を進めたのだった。




