戸惑い
志夕と白蘭のために用意された部屋は、炎耀と炎月の控えの間のほど近くだった。
思えば同じ格の宮の皇子皇女なのだから、部屋の格も同じになるのでそうなるだろう。
「一緒に語らぬか?」志夕が、部屋をやっと見つけてホッとしたのか二人を振り返って言った。「まだ時はあると聞いた。我は、あまり宮の外には出ぬで…鷹の宮が近いので、そちらへはよう行くのだが。」
炎耀は、白蘭を手近な椅子へといざなって手を放してから、炎月を見た。
「我は良いが…。炎月、主はどうする?」
炎月は、すぐに頷いた。
「我も箔真と懇意であって、鷹は知っておるが白虎のことも知りたいもの。願ったりよ。」
炎耀は頷いて、志夕を見た。
「では、話そうぞ。」
志夕は、奥の正面の椅子へと座る。自然、炎耀と炎月は並んでその正面に腰かけた。白蘭は、志夕の側の椅子に座っているので、炎耀が分かっていてそこへいざなったのだと炎月はそれで知った。
つくづく、自分は炎耀に比べたらそういう事には全くもって疎かった。
志夕は、息をついた。
「我らは…長く父上を知らずに育って。宮に参ったのも、祖父母が死んで、親戚が我らを持て余し、王に知らせを入れたからだとか。父は我らの事を、知らなかったのだとそこで知ったのだ。なので、我らは最近にやっと王族と知ったばかりの、田舎者なのだ。」と、白蘭を見た。「妹が危ないと箔炎は言ったが、我にはそこまで危ないのかと理解が及ばずで。我らが育った場所では、そこまで略奪だなんだと起こらぬ場所であったから…。」
それはそれで、平和な場所だったのだろう。
炎月は思って聞いていた。そっと白蘭を見ると、黙ってそれを聞いている。その横顔は、それは美しかった。鳥族は皆、金や茶などの明るい色合いが多く、そしてまた、そういう明るい色合いのものを好む傾向があった。まして、鳥には少ない真っ白な色合いは、高貴に感じて慕わしい。
慕わしい?
炎月は、驚いた。そんな感情は、考えたことも無いものを。
炎耀が、言った。
「それは心細い事であったな。箔炎殿は知っておって主らを放り出して。龍の宮は神世最大であるし、いくら最高位の宮で慣れてもここは特別ぞ。我は何度も王に連れられて来ておるから、覚えたがな。」
炎耀は、こういう時は落ち着いていた。そこは、やはり年の功なのだろう。炎月は、自分が努めてきたことの役に立たなさを感じていた。炎耀のように余裕をもって話をしたいのに、どうした事か何を話していいのか頭に全く浮かばないのだ。
志夕が、苦笑して首を振った。
「箔炎は、我の不甲斐なさに憤っておったようであったから。妹が危ないなど、この龍の宮で、思いもせなんだのだ。先ほど、回廊で会った時の炎耀殿の反応で、箔炎が間違っていないことを知った。これではならぬな…誠に。」
炎耀は、微笑んで言った。
「そのように気に病まず。知らぬことは知って参れば済むのだから。」と、白蘭を見た。「妹君は美しいゆえ、しかも白虎の皇女ともなればここに集っておる皇子達からしたらそれは魅力的に映るであろうて。主も気を付けてやるが良い。それにしても、父王ぞ。龍の宮で狼藉などあっては、龍王が黙ってはいないゆえ安心してここへやったのやもしれぬが、略奪婚であったらその限りではないからの。格下の神であったりしたらどうするのだ…志心殿は愚かではないゆえ、分からぬことではないであろうに。」
白蘭は、口元を袖で押えて、下を向いた。
「お父様は…慣れておかねばならぬとおっしゃって。我が何事もわきまえぬので、己で判断してやって参れるようにと思われたようでございます。お兄様や箔炎様に、ご迷惑をおかけするのは本意ではありませぬのに…我が不甲斐ないばかりに。」
炎耀は、慌てて首を振った。
「そのような。物慣れぬのはどちらの皇女も同じ。そのように案じることは無い。」
すると、そこへ箔炎の声が扉の向こうからした。
「志夕?居るか。」
志夕は、扉の方へと向いて答えた。
「ああ、入って参れ。」
扉が開き、そこには白に近い金髪に薄っすらと赤みを帯びた金色の瞳の、箔炎が立っていた。そして、中へと入って来ながら、炎耀と炎月が居るのを見て、立ち止った。
「これは…炎月ではないか。炎耀殿も。志夕と知り合いであったか?」
それには、志夕が答えた。
「そちらの回廊で会うて。迷っておったので、こちらへ連れて来てもろうたのだ。主は炎月殿と顔見知りだとか。」
箔炎は、炎月を見て渋い顔をした。
「こやつは箔真とよう立ち合うておって。面白いゆえ我もと立ち合うてみたら、気が抜けぬで焦ったわ。まさかこの我が負けるのではないかと肝を冷やしたのだぞ?ま、負けはせなんだがの。」
炎月は、それには苦笑した。
「まだまだ勝てるとは、こちらは思わずでおったのに。それで箔炎殿、侍女は?」
箔炎は、肩で息をついた。
「今はどちらも侍女を貸し出しておって、すぐには出せぬ状態なのだとか。言われてみればこのような催しの時、あちこちに出ておって手が足りぬものであったなと。しかし、こちらは最上位であるし、優先的に回してくれるとの事だった。ただ、選抜戦が始まってからになるだろうと。」
志夕は、困ったように息をついた。
「それでは…肩慣らしが出来ぬな。」
志夕も箔炎も選抜戦に出るのか。
炎月は、自分がまだそんなレベルではない事を恥じた。白蘭は黙ってそれを聞いているが、しかしどう思っていることか。
しかし、自分にも出来ることがあるはずだ。
炎月は、そう思って自分でも思いもかけずに声を出した。
「我が。」皆がこちらを見る。炎月は、一度息をついて、いつもの調子を取り戻し、言った。「いや、我はまだ未熟で。主らのように選抜には出れぬのだが、見物だけでもと無理を申して参ったのだ。我で良ければ白蘭殿のお相手をしておろうぞ。」
炎耀が、驚いた顔をした。
「炎月?しかし主…、」
肩慣らしの時に、皆と立ち合うのを楽しみにしていたのでは。
しかし、炎月がそれを遮って笑った。
「皆の様子を見られるのを楽しみにして来たのだ。炎耀は手練れであるし、肩慣らしに参加させてもらえるのだとか。我は見ておるから、精々励んで参れば良いではないか。」
箔炎が、少しホッとした顔をした。
「そうか炎月が見ておってくれるのなら心配はない。鳥の宮の皇子に楯突くヤツなど居らぬからの。ならば炎月に頼むか、志夕よ。」
箔炎が言うと、志夕も安堵したように微笑んだ。
「誠に。甘えてしまうが、妹をよろしく頼む、炎月殿。」
炎月が頷くと、白蘭が嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、炎月様。お兄様はこれに向けて大変に精進されておったのに、我のせいで肩慣らしも出来ぬではと案じておりましたので、安堵しましてございます。」
またその笑顔が素直に美しく、炎月は胸が早鐘のように鳴るのを感じた。何が起きている…自分は何を感じているのだ。
炎月は戸惑いながらも、平静を装ってなんとか微笑み返した。
「我こそ白虎の宮の様子など聞かせてもらいたいもの。いろいろな神を知るようにと父上からも常、言われておるので。」
炎耀は、それを見て黙ったが、合点が行かなかった。あれほどにこれにかけておったのに…。
しかし、白虎には貸しを作るぐらいがちょうどいいのもまた、知っていた。
あの選別戦に出るのなら、肩慣らしは絶対に必要だった。他の者たちのレベルも知れるし、ここの訓練場という場所に慣れるのも必要だったからだ。箔炎と志夕が出るのなら、確かに白蘭についてそれを棒に振るのは避けたい事態だっただろう。
炎月が感情的に白虎にすり寄ろうとしているかというと、そうでは無いようにも思うのだが、炎耀には止める理由も無かった。
なので仕方なく、機嫌良く共に歩く箔炎と志夕と共に、炎耀も訓練場へと足を進めた。
後ろから白蘭の手を取って、観覧席の方へと向かう炎月の事は、気にしないようにしていた。




