動向
その日も、螢は静音に屋敷の地下へと呼ばれた。
本当なら、もうこんなことには関わりたくなかった。しかし、静音の腹の子のこともある。静音がどんな女であろうと、腹の子は自分の子としてきちんと育ててやりたかった。
なので、今夜もそこへ、重い足を引きずるようにして、やって来た。
すると、そこにはあの時と同じように、光希と朔、到、そして薫が揃って待っていた。
「遅かったな。軍神も上位になるといろいろと責務が増えるらしい。」
光希が嫌味を言う。確かに螢はその働きを認められていろいろなことを任されるようになり、光希は立ち合いもパッとしないので相変わらず入った時と変わらぬ序列で雑用ばかりをこなしていた。
螢は、それには答えなかった。
「…今夜は何ぞ。毎夜何の話があると申す。我の出番は、まだであろうが。」
光希は、フンと鼻を鳴らすと、言った。
「いろいろあるのだ。主だってこれに関わっているという事実が要る。その上で進めて行かぬと、主は何をするか分からぬではないか。我らは運命共同体ぞ。」
つまり、こうして談合に参加している事実が欲しいということだ。螢は顔をしかめたが、光希は続けた。
「薫が、良い働きをしてくれた。学校に出入りしてもおかしくはない学生なので、図書室でいろいろ調べて参ったのだ。この間話した、闇関連の仙術のことぞ。」
螢は、ハッとした。見つかったのか。
薫が、懐から紙を出した。
「どうやら、闇と申すものは人や神の負の感情から生まれる霧が凝縮して出来るものであるらしい。それは、神では封じることしか出来ず、消せるのは唯一月の浄化の力のみ。なので二千年ほど前、地が月に命を作ったのだと聞いている。新月様はその、闇の欠片を集めたものに術を掛けてあった石のようなものを、胸に埋め込まれておったのだとか。享と申す神が、それを復活する仙術を編み出して、それを唱えて新月様を内から操って、大きな騒動が起こったのだと聞き申した。他の三つの命を生贄にして闇が復活する寸前に、それを阻止出来たので、今は平穏に回っておるのだと。地がそのような所業に激怒して、享を黄泉へと行かせることすら許さず、消滅させたのだと分かった。」
螢は、それを畏怖の念をもって聞いていた。闇…自分達が思いもつかないほどの大きな力を持つもの。地の碧黎がそれほどに怒ったのだから、その厄介さは螢にも分かった。
朔が、身震いした。
「そら、そのように。闇は我らの手には負えぬほどの大きな力ぞ。やめて置いた方が良い。他の策を考えようぞ。」
光希が、思っていた以上に闇がまずい力なのだと思ったようだったが、それでも痩せ我慢なのか、フフンと笑って見せた。
「それならば、王とてそれを持っておる者を殺すしかあるまいが。新月様とて、その際にお命を落とし掛けたのだと聞いておるほど。それならば、我らが思っておる通りに汐を消してしまえるだろう。」
螢が、光希を睨んだ。
「己の手に負えぬものを利用しようなど、愚か者がすることぞ!父上が憎いのは分かっておるが、ならば直接に父上に申せば良いではないか!なぜにそのような、危険なことをしようとするのだ。もし、まかり間違ってそのような術が発動して、ここの民に何かあったらどうするのよ!」
朔も、到も黙って顔を見合わせている。薫は落ち着いて、こちらが話しているのをじっと観察していた。光希が、螢に掴みかからんばかりの様子で、まくし立てた。
「うるさいわ!正当な方法で汐のような悪漢をどうにか出来るはずなどなかろうが!何が民ぞ、主など外からここへ来ただけで、ここの民など知らぬ輩ばかりであろうが!それを守るなど、馬鹿らしいと思わぬのか!」
螢は、目を見開いた。軍神の癖に、民を守るのが馬鹿らしいと?
「主…何を言うておる!我が王が守っておられる領地を許されておる民は、その王に仕えておる限り我らには守る義務がある!我らは王に生かされて、ここを許されておるのだぞ!それは、王の御ためにお仕えするからこそなのだ!軍神とは、我が王の軍に属するとはそういうことぞ!」
正論だった。
学校でも、そう教えられ、そうして嘉韻達軍神も、それを誠と疑いもせず王に仕えている。神世の軍神とはそうなのだと、螢も疑いもしなかった。だからこそ、ここで母も弟も生きて守られているのを知っていたからだ。
「主の、その正しい所が嫌いなのだ!」光希は、唾を飛ばして叫んだ。「何が王の御ためぞ!我らはそんな血筋ではないわ!主だってあの裏切者の血を引いておる!我らは我らで生きて行けるわ!主だって腹の中ではそう思っておるのではないのか!表に出す顔と裏の顔が違うのは、父親と同じよな!」
螢は、絶句した。
いったい、何を言っている。これは、軍神なのではなかったか。自分は、間違っているのか。腹の中で何をと、そんなもの、王にお仕えするという気持ちしかない。王には、返し切れないほどの恩がある。自分はどうしても、王の御ために生きて死ぬことしか、考えられなかった。
「…だったとしても、表面上は螢様のようにしておるのが、得策なのですわ。」そう言ったのは、静音だった。「どうであろうとも、ここで楽に暮らすためには、王に従っておるように見せかけるのが一番良いのです。その上で、闇の術を。闇の欠片など見つけるのは容易ではないでしょうけれど、我も宮で侍女達などから聞けるものなら聞いて参りますゆえ。どうせ我らは、外から来た新参者であって、王だってお守りになるなら他の神を先にされるのだと思いますわ。闇の術が偶然発動でもして騒ぎが起こってここがどうにかなったら、どうせ我らは元への場所へと戻るだけのことですもの。」
螢は、静音を睨みつけて怒鳴った。
「何を申す!王に世話されておる分際で、何ということを!」
静音は、まるでせせら笑うように背を反らしてフッと笑った。
「螢様は、甘いのですわ。汐が我が父を裏切り岳に殺され、それを当然と王だって助けても下さらなかった。その子である我らだって同じ。観や岳が来て我らを皆殺しにしようと言ったら、王は逆らわれないでしょう。お優しいとはそういうことですわ。お気が弱いのだと我は思いまする。つまりは、我の腹の子だって殺されてしまうのですわ。螢様はそれでも良いとおっしゃるの?」
螢は、踵を返した。
「話にならぬ!我が父だけが憎いのなら我も仕方がないことだと思うておったが、王にご迷惑をお掛けするだけでなく、王を貶めるようなことを申すなど!我はこれを嘉韻殿にご報告して参る!」
それを聞いて、光希は顔色を変えた。螢には、ここに居る皆で掛かっても敵わないだろう。しかし、静音が螢の腕を掴んで言った。
「子は!子はどうなさるおつもり?!私も捕らえられて恐らくまた岳に処刑されることになるのですわ!腹の子諸共に!それでも良いのですか?!」
螢は、それを振り払った。
「主のような母に育てられてまともな神になれるとも思えぬ!ならば共に死して黄泉へ参って再びもっとまともな母に育てられた方がその子も幸せよ!そも、主など我はもう世話はせぬわ!」
螢は、ずんずんと足を進めて、出口へと急いだ。
「お待ちくださいませ!」
静音が言うのに、螢は振り返りもしなかった。薫が静かに寄って来ると、言った。
「…我が話を。」
そうして、その後を追って、薫は出て行った。朔が、光希を見た。
「だから申したであろう。あれを取り込むなど無理なのだ。そも、静音があれに近付いたのも、あれを取り込むためだと聞いておる。だが、取り込み切れておらぬではないか。」
光希は、怒りなのか怯えなのか、ブルブルと拳を震わせている。到が、言った。
「螢を怒らせたらマズい。あれを御し切れると申したのは、静音だったのではないのか。甘く見たの。このままでは我ら、全てまとめて捕らえられようぞ。闇の術など使うことを話し合っておったなどと知れたら…ただでは済まぬ。我は、この件から降ろさせてもらうぞ。」
到が、奥の通路の方へと足を向ける。光希は、そちらを慌ててみた。
「何を言う、もう遅い!主が居ったことは螢も見ておるのだぞ?それよりも、螢を殺さねば!」
朔が、首を振った。
「主、どれほど立ち合いの練習をしておる?螢は遥かに上の序列ぞ。勝てるはずはあるまい。抑えておるはずの静音がこれでは、寝首を掻くことも出来ぬわ。悪いが、我も此度は降りる。静音が確かにあれを抑えて取り込んでおるとか申すから、そうなのかと思うたのに。全くではないか。」
静音は、腹を押さえて、言った。
「…子が居れば、言いなりであると思うたのに。事を急ぐあまり、進めるのが早過ぎたのだわ。光希様、あなた様のせいだわ!子が出来たのは幸運だ、それを利用してあれをさっさと取り込めば、事はより早く成ると申して…。殺されてしまっては、そもそも事を起こせぬのに!」
訴える静音の頬を、光希は思い切り打った。
静音は吹き飛んで、床へと尻餅をついた。
「…!!」
そこに居た、皆が驚いた。静音は、打たれた頬を押さえて、目を見開いて光希を見上げる。光希は、そんな静音を冷ややかな目で見降ろした。
「役に立たぬなら、ここで我が殺してやるわ。代わりなどいくらでも居るのだ。我にすり寄って来たくせに、その上螢にまで色目を使おうとしておったから、良い機だと思うて利用しておっただけ。死にたくなければ、螢を止めて参れ。螢には敵わずとも、お前ぐらい殺せるのだぞ。」
静音は、ガクガクと震え出した。
「そんな…そのような…腹の、子は…。」
光希は、クックと笑った。
「それがどうした。そんなもの気にもならぬわ。お前だってさっき申したよな。新参者でどうでも良い命。その通りよ。外ではどうであった?子など世話する男は居ったか。利用するだけ利用して、そうして生き残って来た命なのだ、我らは!死んでもらう、子、共々な!」
それを聞いた朔と到が、何かを悟ったように険しい顔をする。
静音は、もはや先ほどの高慢な様は消え失せた怯えた切った様で、そこを飛ぶように走って出て行った。
朔が、それを見送りながら、言った。
「…主は、外のはぐれの神と呼ばれた場所へ、戻るつもりか。」
光希は、鬼のような形相で静音の後ろ姿を見送っていたが、それを聞いて、フッと笑って朔を見た。
「何を言う。外など面倒で疲れるではないか。我はせいぜいここで、王に媚を売って裏で好き放題生きさせてもらうわ。外へ出たら、観も岳も見回っておる。いつ殺されるか分からぬからな。ここならば、こうして隠れて好きに動かせる。知られたら殺せばいいだけ。王はあのようにおっとりとしておるからの。主らも、螢のようにこき使われて一生を終えたくはあるまい?大丈夫、上手くやる。螢は、薫が止めるだろう。薫は頭が良くて、頼りになる。案じるでないわ。」
朔と到は、顔を見合わせた。
光希は、高笑いをしながら、そこを出て行ったが、二人は螢が本当に嘉韻に全てをばらすのではないかと、気が気ではなかった。