説明
維心は、必死に政務を処理して維月が飛び立ってから一週間で、やっと月の宮へと行くことが出来た。
到着口へと降り立つと、維月が嬉しそうに奥から飛んで来た。
「維心様ー!」
龍の宮では、こんなことは無い。
だが、月の宮は自由で誰も咎めることも無いので、維月は向こうから手を振って満面の笑顔で子供のように飛んで来る。維心も、思わず飛び立ってその維月に向かった。
「おお維月!」
そうして、回廊の真ん中で抱き合うと、くるりと回っていつものように勢いを逃し、降り立った。
「維心様、お待ちしておりました。」
維心は、嬉しそうに自分の胸に顔を擦り付ける維月を抱きしめて、その髪に頬を寄せた。
「遅うなってすまぬの。こんな時に限っていろいろ邪魔が入りよって、やっと来れたのだ。」と、少し放して維月の頬を両手で包むように触れた。「壮健のようよ。案じたようなことはなかったようで安堵した。まあ、碧黎と十六夜が居って大層なことは無いと思いたいが…。」
すると、いつの間にか来ていた十六夜が、呆れたように腰に手を当ててふくれっ面で立っていた。
「お前らはもう。毎回思うけど、たった一週間離れただけなんだろうが。維月は無事!何かあったらオレがお前に知らせねぇはずねぇだろうが。炎月も落ち着いてるようだし、維月も普通だよ。お前が神経質すぎるんだっての。」
維心は、維月を抱きしめたまま頬を膨らませた。
「油断して二度も維月が陰の月に飲まれて大変なことになってしまったのだからな。警戒もするわ。それで、聞きたいことがあったのだ。主も居るならちょうど良いわ。我の対へ参らぬか。」
十六夜は、顔をしかめた。
「えー?お前が話しがあるって時はいっつも面倒だったりするからよー。」
維心は、維月の手を取って、歩き出しながら十六夜を軽く睨んだ。
「我は世の動きを予測して起こりうる何某かを防ぐ動きをしておかねばならぬのよ。それが、どんなに小さな懸念であってもな。とにかく、参れ。」
十六夜は、仕方なく維心に従って歩いた。長年龍の宮で学んで来たので、維心がどれほどたくさんの事を頭に入れていて、それに対して考えて対処しているのかは知っている。
維心がいろいろと先に備えてあるから、何かが起こった時にも大ごとにはならずに済んでいた。それはたくさんの事態が、そうやって無事に収まっているのだ。
その維心が必要だと言っているのだから、維心が欲しい情報を、自分が持っているなら提供しなければならない。
十六夜は、もうそんなことも分かっていた。
月の宮の維心の対の居間へと入って行くと、維心は維月と共に、正面の椅子へと座った。十六夜が、それと向かい合う形になる椅子へと座ると、維心は言った。
「主らには面倒であろうが、炎嘉のことよ。志心を、不能にしたらしいの。」
維月が、維心の横でしまった、という顔をした。十六夜が、それを見て顔をしかめて、言った。
「炎嘉が言ったのか。あいつほんと何でもお前に言うよな。」
維心は、真剣な顔で言った。
「茶化すでないわ。あれが最初に相談して来たのは我ぞ。それで、我ではどうにもできぬから十六夜に頼めと申したのだ。ゆえに後の報告に参った。内容は聞いておる。維月…主、結構な人数を不能にしておったのだな。炎嘉に聞いて驚いたが、ここ数年、不能になって我に嘆願に来る奴が多くなったなと思うてはおったのだ。知っての通り、我にはそんなものを治す能力などない。命を司るというて、命を与えるのとはわけが違うからの。だが、治る奴が居るというので、今でも我に嘆願に来る奴が引きも切らぬのだ。それで思うたのだが、主、我の横で聞いておって、治してやるかと思うた奴は、治しておるのだな?」
維月は、上目遣いでそれを聞いていたが、仕方なく頷いた。
「はい。何も申し上げずに、申し訳ありませぬ。改心しているようなら、戻しておりました。変わっておらぬと思うたら、そのままで。ですので、確かに中には私が罰を与えた者も混じっておりましてございます。」
維心は、やはり、と頷いた。
「やはりの。ということは、主がそうしておらぬ奴も居ったということよな。そやつらはどうしておったのだ。」
維月は、頷いて答えた。
「はい。それらは悪い心根ではないのでしょうから、私が治してやっておりました。もちろん、心根が悪ければすぐにまた戻してしまいましたけれど。」
維心は、息をついた。そうか…陰の月はそんな力を持っておったか。
「まあ、ただ不能なだけの男にしたら、主の力は救世主であろうな。それに、無理やりに関係を迫るような男や、あちこち節操のない男など自業自得であるから我も懲らしめて良いと思うておる。志心にしても、炎嘉はここ数年関係を強いられておって、ほとほと困っておったらしいから。やっと断固として断るのだと決断して訴えたのに、無理に襲うなど…もしも我ならと思うたら、身の毛もよだつわ。ま、我なら相手を殺してしまうがの。」
維月は、思い出したようで、表情を凍らせて頷いた。
「はい…私も、そのように。あのような暴力は許せませぬから。」
維心は、そんな維月の肩を抱いて、そして、十六夜を見た。
「だがの、我は納得しておることではあるが、これまでのように、何がどうなって不能になっておるのか知らずで苦しんでおったのとはわけが違い、志心は誰がどうして何のために自分にそんなことをしたのか知っておる。分かるか?知っておって苦しんでおるのだ。それが、我には懸念材料でな。神の行動というものは、何に於いてどう煽られるのか分からぬ。志心はおとなしくしておったが、本来激しい神だと言うたであろう?あれが、もし我慢がならぬで何か行動を起こしたら、どうするかと考えるのだ。それで、主らはどう考えるのか聞いておこうと思うてな。」
十六夜は、言われて確かに、と珍しく険しく眉を寄せた。今までは知られずにやっていたが、それをわざわざ目の前で説明してからおこなった。つまり、志心は逆恨みであろうと何だろうと、こちらを恨むだろう。正常であった自分の体を、あんな風にしたのが月だと知っているのだ。
「…そういやそうだな。」十六夜は、眉を寄せたまま維月を見た。「どうする?維月。だが、戻したらまた炎嘉の所へ行く気がするしなあ。戻すにしても、もうちょいしてからだよな。」
維月は、憤然とした感じで頷いた。
「そうよ。きっとまだ全然懲りてないと思うわ。今戻したら、何だこんなものかって、馬鹿にして当てつけのように炎嘉様を襲うかも。だから絶対まだ戻さない方がいいと思う。」
維月の言うことも、もっともだった。
なので、維心もため息をつきながら頷いた。
「その通りであるので我もこのまま様子を見るしかないと思うておる。だが、このままでは済まぬというのも、我の見解ぞ。あれは確かに千年を超えて生きておる神であるが、これまで難なくして来たことを、老化で出来ぬならいざ知らず、誰かのせいで出来ぬとなれば諦めなどせぬと思うぞ。ああいう事は、好きな奴は好きであるからな。あれだけ嫌がる炎嘉に通うておったのを見ても、志心はそういうことが好きなのではないかと我は思う。それに…男の尊厳と申すか、そういうものを傷つけられたのであるから、黙ってはおらぬのではと思うのだ。」
十六夜は、じっと考えていたが、維心を見上げた。
「…でもさ、何かをして来るって何をだ?あいつに月の宮は襲えねぇ。オレや維月は月へ帰っちまうから捕らえる事も出来ねぇし。維月を妃にしてる維心には勝てねぇし、襲う理由もねぇ。滅ぼされちまう。ってことは、志心はどうしようも無いんじゃねぇの?」
維心は、それを聞いて目を睨むように細めると、十六夜を見て言った。
「十六夜、あやつは賢い奴ぞ。長く生きておって戦国を経験しておる数少ない神。真正面からは来ぬ。だから我も警戒しておるのだ。どこから来るなど、我にも分からぬわ。だが、維月が困る方向に来る可能性もあるゆえ…炎嘉には、炎月に気を付けておけとは言うておいた。あれを利用して維月を暴走させる方向に持って来るか、それとも攫ってどうにかしようとするかは我にも分からぬが、龍の宮の子達には手を出せぬゆえ、恐らくはあちらへ来よう。主らも、警戒は怠らぬようにな。特に十六夜、白虎を見張っておくが良い。我も義心に探らせるが…志心は、隠すのが上手いゆえ。義心ではつかめぬやもしれぬ。」
十六夜は、途端に険しい顔になった。面倒なことになってしまった。
「…言わなきゃ良かったな。だが、そういうことをするからこうなるんだって、思い知らせた方がいいかって、あの時は思ったんでぇ。維月だって怒ってるしよ…また面倒を増やしただけか。」
維月も、真面目な顔でそれを聞いていた。維心は、苦笑して言った。
「その心地は分かるゆえ、責めておるのではないのだ。だが、面倒を抱えたのは確かよな。しっかり見て居ったら良いのよ。何かあったら我に知らせよ。我が何とかするゆえ。案じるな。」
また、いつもの「何とかするから」、だ。
維心は、こうやって面倒ばかりを抱えてあちこちの世話をして、生きる運命なんだなあと、十六夜はそんなめんどくさい生き方したくないと強く思って、見ていた。
その日は維月は、維心と共に維心の対で休んだのだった。




