妨害
炎嘉は、今日言ってまさか、今日来るとは思わなかったのだが、志心が来るという知らせを送って来たのを見て、固まっていた。
まだ、前の時からひと月も経っていないのに。
やはり、これほどに度重なるようなら、断らなければそのうちに神世で噂になる、と炎嘉は危機感を持っていた。
今日は、十六夜にも話してあるし、絶対にそういうことはしない。
炎嘉は、心に決めて到着口に立っていた。
すると、待っているのは志心だったのに、来たのは、焔だった。
「おお炎嘉。なんだ、来るのが分かったのか。待っておってくれるとは思わなんだがの。」
降り立つ焔に、炎嘉は驚いた顔をした。
「いや、志心が来るとか申すので。なんだ、どうかしたのか、焔よ。」
見ると、筆頭軍神の弦だけしか連れていない。焔は、ハッハと笑うと言った。
「宮に居ると臣下達が妃を妃をとうるそうてなあ。出て来てやったのだ。それで、どこへ行こうかと思うた時に、そういえば主の宮には個人的に来たことが無かったなと思うての。本日はゆっくり語り合おうぞ。」
炎嘉は、ぱあっと明るい顔をした。そうか、焔が居たら、志心も何も言えないだろう。焔は、自他ともに女だけしか相手はせぬと公言している神だ。しかも、もとは同じ鳥である鷲の王なので、炎嘉をいきなり訪ねても不自然でもない。まさに、焔が来たのは渡りに船だった。
「おお!よう来たの、焔!良い良い、臣下が鬱陶しい時は宮を出て参れば良いのよ。ゆっくりして参れ。我も主と話したいと思うておったところなのだ。」
焔は、豪快に笑うと炎嘉の肩を叩いた。
「話が分かるではないか。酒も持って来たし、共に飲もうぞ。」
炎嘉は、酒と聞いて少し渋い顔をした。思えば始めは焔と酒を飲み過ぎたのが原因だ。なので、それには消極的な顔をした。
「いや…酒は、あまり過ごさぬようにしておるのだ。だが、話をしようぞ。」
そんなことを言っている間に、志心が焔と同じく筆頭軍神ただ一人を連れて、そこへと降り立った。焔は、それを振り返った。
「お?志心、来たのか。我も今来たばかりでの、炎嘉と語りあかそうと話しておったところよ。主も共にどうよ。我はなあ、臣下がうるさいので、その愚痴を聞いてもらいに来たのだ。宮を飛び出してどこへ行こうと考えた時に、ここへ来ようと思いついてなあ。」
志心は、驚いたように焔を見て、炎嘉を見た。そして、答えた。
「…そうか。知らなんだゆえ、我も炎嘉に話があったのだが。ならば我は、日を改めようぞ。」
焔は、それでも笑って言った。
「遠慮することはないぞ、志心。我が突然に来たのであるし、主らの話が終わるまで待っておるから。」と、炎嘉を見た。「炎嘉、先に志心と話して来ると良い。我は、奥の応接室ででも待っておるから。いきなりに来た我が悪いし、少しぐらい待っておる。」
炎嘉は、志心を見た。
「何か、緊急の話であるか?」
志心は、首を振った。
「いいや。いつものことであるが、それならばやはり日を改めるゆえ。」と、今降り立ったばかりなのに、もう飛び立った。「また来る。今はこれまで。」
そうして、志心は嫌な顔ひとつせずに、来たばかりだったのにまた、飛び立って行った。
それを見送りながら、炎嘉は悪いことをした、と思った。志心は、いつもこうしてこちらを責めることもないし、いつも穏やかなのだ。だが、自分の感情はただの同情であって、愛情などではない…。
もしかして、維月も自分に対してそうなのかもしれない。
そう思うと、志心を楽にするためにもと突き放せずに居て、こうなってしまっていた。
焔は、笑っていた顔を真顔にして炎嘉の様子を見ていたが、言った。
「…主な。否なら否だとハッキリと突き放すのも思いやりぞ。神の心というものは、どうしても手に入らぬと思うたらあきらめて次へと向かう。主がやっておるのは、残酷でしかないぞ。」
炎嘉は、驚いて焔を振り返った。焔は、真剣な顔でこちらを見ている。
「…知っておったのか。」
焔は、頷く。
「会合の後のことを気取ってな。炎嘉、主、志心に己を見ておるのだろうが、それではならぬ。維月にしてももし主に応えぬで居たのなら、主はそのうちに忘れるしかなかっただろうて。それを、中途半端に受け入れられたゆえ、変な希望を持ってしもうて。忘れた方が良い。子も成したし、これ以上維心を煩わせるのも嫌なのだろうが。こうなってみて、維月の心持ちが分かったのではないか?主は己が維月に今、主が感じておるのと同じように思われておるのであるぞ。迷惑を掛けておるとは思わぬか。」
言われて、炎嘉は下を向いた。焔の言う通りなのだ。ここ数年、それを実感して年に二度の取り決めも、とても言えずにいた。志心のことを知られるのも嫌だったが、維月にこんな風に思われながら共に過ごしているのかと思うと、己が愚かに思えたからだった。
炎嘉が黙ったので、焔は息をついた。
「…とにかく、奥へ参ろう。話を聞くゆえ。我はそちらに興味はないから案じるでないわ。いきなり襲ったりせぬから。」
炎嘉は、頷いた。それだけは焔にはないのが分かっているので、案じる必要はなかった。
奥へと歩き出しながら、炎嘉はふと、焔を見た。
「…もしかして主、だから本日いきなり参ったか?」
焔は、顔をしかめて頷いた。
「弦に見張らせておった。主が断れずでずるずると引き摺られておるのを気取ったゆえな。我に相談してくれれば良かったのに。維心には言うたのか?」
炎嘉は、頷いた。
「あれは十六夜に頼めと。我はあやつを想うておることにするからと申したのだが、あれは面倒を掛けるなと申して。十六夜ならばいつなり来れるからと。」
焔は、呆れたように炎嘉を見た。
「それはならぬわ。維心でなくとも断ろうよ。誰かを理由にするのでなく、己自身で否だと断らねば。まずはハッキリと断って距離を置くことぞ。志心はあのようだから心が咎めようが、それでもそれが思いやりだと思うてな。あの様子なら、主を責めることもなかろう。良いな?まずは断るのだ。そこからぞ。」
炎嘉は、自信なさげに頷いた。毎回、絶対に断ると思うのに、志心の控えめながらじわじわと押して来る感じに流されて断れずに、後悔するということが続いているのだ。
何より、焔に来てもらって良かったと思ったのは、志心の姿を見たら、傷つけたくないという気持ちになってしまい、気持ちがぐらついてしまうことだった。
本当に、断固とした様子で断らないと、きっと駄目なのだろう。
二人は、炎嘉の居間へと入り、そこではっきりと断る文言を考えたのだった。
十六夜は、炎嘉が自分の名を連呼するのでじっとその様子を見ていた。
焔が来て、説明したから口にしたらしいが、炎嘉自身は十六夜を呼ぶつもりなど無かったのだろう。
…だからあれほど、会話でオレの名前を出すなって言ったのに。
十六夜は思ったが、最初から今日は見ておくつもりだったので、特段に咎めずにおこうと鳥の宮の様子を見続けていた。
焔は、もっともなことを何度も言って、炎嘉は項垂れている。十六夜も、炎嘉の気持ちは分かるので、庇ってやりたいがそういうわけにも行かなかった。嫌なのについ、を続けていても、相手にも良いことなどないのだ。
続けていれば、それで愛情があるのではと錯覚もして来るだろうし、それが無いと知った時の衝撃の方が、今拒絶したより大きいと思ったからだった。
維月も、あちこちから乞われて同情してしまい、全てにではないが、維心に近い位置の孤独に務めている神には、その望みを叶えてやることが、前世からあった。それでも、維月自身が望んでいるのではない。維月自身が愛しているのは、あくまでも維心と十六夜だ。二人が居たら、維月は他など要らないのだ。それでも、相手がつらいのは忍びないと手を差し伸べていたが、最近では陰の月を抑制していて、考えを改め始めていた。
十六夜と維月の二人で、ここ最近話し合っていたのだが、自分たち月の命を持つ者が、こだわりのない行為だからと、相手の望みを叶えて体を許したりすることで、相手は愛情があるのだと勘違いして、余計に離れられなくなるのではないか、と反省していた。
結果、子供が出来てその子のせいで陰の月の力を暴走させたりしてしまう。
あちらこちらを世話するなど、所詮無理なのだ。
突き放すのも思いやりなのだと、最近の維月は維心と十六夜以外には、あまり近寄らないようにしているようだ。
嘉韻は確かに今生夫としているのだが、嘉韻の年齢も上がり、最近は体の関係ではなく、心の関係になっているらしかった。
そうしてこのまま、維月はなるべく陰の月を刺激しないような生き方をして、そうしてこれまでは同情して手を差し伸べていた炎嘉を含む男性には、もうきっぱりと断るべきだろうと、十六夜と一緒に話していたのだ。
当の炎嘉は最近、恐らくは志心のことがあったからだと思うが、維月に何も言って来なかったのでそういう機会はなかったが、次に言って来た時には、いくら維心との取り決めだとは言え、きっぱり断るつもりだった。
炎月を産んだということも、断る口実になるだろうと十六夜と維月は考えていた。
維心自身は、二人がこんなことを考えているなど知らないが、十六夜と維月は夫婦である前に兄妹なので、何でも額を突き合わせて一緒に考える習慣があって、ここ数年で決めていた事だった。
それでもそれを十六夜の口から炎嘉に言うのもなんなので、十六夜は維月に知られたくないと言っていた炎嘉に、それを告げることはなかったのだ。
焔も前世の記憶を所持しているだけあって、十六夜と維月が出した結論にもう達していて炎嘉に維月の心境を話していた。
十六夜は、とりあえずは今夜は焔に任せておくか、と、次に炎嘉が自分の名を呼ぶまではと、その日は月の宮へとまた、降りて行ったのだった。




