終わり
西の島の騒動は、志心が炎嘉と定佳に謝罪するという形で終わりを迎えた。
自分の眷族が他に迷惑を掛けると、王は本当に面倒なのだ。しかし維心なら、直接自分が行かずに臣下に行かせる。鳥の宮に直接出掛けて行った志心は、とても丁寧な対応だといえた。
しかし、定佳の宮には謝罪の品を送るにとどめたらしい。
それというのも千歳を定佳が疎んじていた事にも原因があるのではと噂が流れていて、志心もそこまでしなくてもいいと判断したからのようだった。
翠明には、迷惑を掛けたとはいえ、定佳の宮に勝手に入った上、父王にすら何も知らせなかったから巻き込まれたのであって、そうでなければ無事であっただろうと、今回は志心からは謝罪はなかった。しかし、見舞い程度の何かは送ったようだった。
巻き込まれた形とされた緑翠は、体を月の宮で治して翠明の宮へと戻り、今では真面目な皇子ぶりなのだそうだ。
定佳の事は少しも口にはしなくなり、ただいつかあの宮を継ぐ時のためにと、日々励んでいるのだそうだ。
維心は、落ち着いた神世にホッとしながらも、まだ維月を腕に政務をしていた。
そう、陰の月問題がまだ解決していなかったのだ。
そうやって政務をするようになってから、早数年が経過していた。
最近では常に維心の視界に入っているのを条件に、いくらか離れていることもあるのだが、会合の時は会合の間の窓から見える位置に、謁見の時は窓がないので常に脇の仕切り布の後ろに、と、維月の位置はしっかりと決められていて、本当に面倒だった。
それでも誰が悪いと言われたら、どう考えても維月なので、維月は維心に何も言えなかった。
自分でも自信がないので、維心の懸念も理解出来たからだ。
月の宮への里帰りも、出来ていない状態だったのだが、その日は遂に、十六夜から再三言われていたので、帰る事になっていた。
維心は、それこそ今生の別れかというぐらいに悲壮な顔をして言った。
「過去二回は月の宮で起こったのに。大丈夫なのか…我は、帰しとうない。」
十六夜が、息をついた。
「だからそれは悪かったって言ってるじゃねぇか。あの時は警戒してなかったししょうがねぇんだよ。今はオレも将維も嘉韻も分かってて警戒してるから大丈夫だ。あと、蒼にも言ってある。蒼は陰の月の興味の対象外みてぇだし大丈夫だって。」
十六夜は安心させようと言ったのだが、維心はピクリと反応した。
「…つまり、陰の月にも好みがあると。選んでおるということか?」
十六夜は、何度も頷いた。
「そうだよ、蒼は息子ってイメージがあるんだろうな。将維はお前そっくりだけどさ。」
維心は、目の色を変えた。
「つまりは義心と炎嘉は選んだということではないか!余計安心出来ぬわ!」
十六夜はまずかったかと思ったが、慌てて言った。
「だーかーらーそいつら二人とも居ないだろうが!大丈夫だっての!そもそも炎月がなんかしなかったら今は大丈夫だろうが!そんなこと言ってたらいつまで経ってもあっちに帰られないだろうがよ!いろいろ話して今日ってことになったんだから、もうごちゃごちゃ言うな!あんまりうるさく言うと、親父が維月を陰の地にしちまうだろうが!」
維心は、グッと黙った。確かに碧黎は早くからそれを対応方法の一つとして上げていて、それ以外の方法を探している状態だった。あまりせっつくと、うるさいからとさっさと陰の地にしてしまうかもしれない。
維心は、仕方なく言った。
「…此度は、我もなるべく早く参るゆえ。それまでの間、くれぐれも頼んだぞ。何かあったらもう、主の言う事は信用せぬ。分かったの?」
十六夜は、維月の手を握った。
「分かった。オレだって維月が気にするのは嫌だからな。そこはしっかり見ておくから大丈夫だ。」と、維月を見た。「じゃ、行くか。お前もヤバくなったら月へ帰れるようにしろよ。オレの力の玉も、新しいのにせにゃ。」
維月は、やっと維心が納得したので、頷いた。
「よろしくね、十六夜。」と、維心を見た。「では維心様、行って参ります。」
維心は、すがるような目で維月を見て、頷いた。
「すぐに参る。くれぐれも己を制御して過ごすのだぞ。」
そんな維心に、維月は頭を下げて、そうして十六夜と共に月の宮へと飛び立って行ったのだった。
それを見送って、早くやることを済まさなければと居間の椅子へと座ると、兆加が入って来て膝をついた。
「王。本日は炎嘉様がご訪問されるとのことで、朝からご政務の予定は入れておりませぬ。もうそろそろお着きになるかと。」
維心は、せっつくように頷いた。
「分かっておる。だが、あれが早めに帰ったらすぐに政務の段取りぞ。早く済ませて月の宮へ参りたい。夕刻を過ぎても良いから予定を詰めよ。それで、炎嘉は何の用だと言うておった。」
兆加は、首を傾げた。
「いえ、来られるという書状だけで我らには内容までは。何か個人的にお聞きになりたいとかではありませぬか?」
維心は、眉を寄せた。
「個人的に?まあいつものことだが、なぜに今か。こちらは取り込んでおるのに。」
イライラとしている維心に、兆加は困っていた。確かに維月が心配だと毎日連れ歩くので、臣下達は離れていると不安なのだろうとは分かったが、何しろ皆が皆詳しいことは知らされていないので、維心の焦りがいまいち分からない。また暴走したらと案じている、ぐらいにしか思ってはおらず、義心との間にあったことも、炎嘉との間にあったことも知らないのだから仕方がない。
なので兆加は、無難に言った。
「では、こちらはご政務の段取りを急いでおきまする。」
維心は、頷いた。
「頼んだぞ。」
兆加は頭を下げて出ていきながら、維月様も最近では落ち着いて面倒など無さげな様なのに、と、首を傾げていた。
そんなことは知らない炎嘉は、いつも通りに維心の居間へとやって来た。維心は、見るからに機嫌が悪そうな様でそこに座っている。
炎嘉は、機嫌がいいほうが少ないのだがら、とため息を付きながら言った。
「いつものことだが何をイライラしておるのだ、維心。維月は?」
維心は、ちらと炎嘉を睨んで言った。
「月の宮ぞ。ほんにもう、炎月のせいで要らぬ心配までさせられて、ここ数年はこちらは気の休まる暇もないわ。して、何の用よ。」
炎嘉は、維心の前に腰掛けながら、あきらめたように言った。
「少し聞いて欲しい事があって参ったのだ。維月が居らぬなら好都合よ。最近は主、維月を側から離さぬと聞いておったから、どうしたものかと思うておった。」
維心は、憮然として言った。
「だからそれは炎月のせいだというに。」と、息をついた。それでも親友が話があると言っているのに、無視するわけにはいかない。幾分あきらめたように、維心は続けた。「して?何かあったか。」
炎嘉は、改めて維心がじっと自分を見つめて話を聞こうとしているのに、居心地悪げに体を動かして横を向いた。そして、言いにくそうにしながら、チラチラと維心を見ながら、言った。
「その…混み行った事で。」
維心は、怪訝な顔をする。しかし黙っているので、炎嘉は仕方なく続けた。
「その…志心の事なのだが。」
維心は、眉を跳ね上げた。志心?
「主…そういえばあれから志心とどうであったか。あれは…あれからもう10年以上かの。炎月の事件の時にまた思い出して、それからどうなのか聞いておらなんだの。酒は飲み過ぎてはおらぬだろう?」
炎嘉は、頷いた。
「酒を過ごしてああいうことはない。しかし、あれは謝罪に来た折我に女なら維月だが、男で決めておる者は居らぬと申した。あの時点で、7年前まではと。」
維心は、気取って少し、同情したような顔をした。
「…主か。」
炎嘉は、言い訳のように言った。
「だがならば維心ならどうだと言うたのよ。そしたら維心さえ良ければふるい付きたくなるほどだが、それはないと。主はまず男女云々より維月としか無理だろうからと。」
維心は内心、余計な事を言いよってと思ったが、頷いた。
「その通りよ。維月なら男であっても良いが、他は無理よな。あれはよう分かっておるわ。」
炎嘉は、下を向いた。
「主にだって、からかうと面白いからあんなことをしておっただけで、別に真実そんな仲になろうなどとは思うておらなんだ。我だって対象は女であるし、男など…考えた事もなかったゆえ。それは前世は興味もあって経験はあるが、あくまでも遊びであって、試してみただけだったし。そしてやはり女だと思うた。なので変わる事はないと思うのだが。」
維心は、話しが何やら面倒くさい方向へと向かっているような気がした。だが、聞かないわけにも行かないので、言った。
「思うのだが、何ぞ?」
炎嘉は、思い切ったように維心を見たが、また横を向いた。自分と目を合わせない炎嘉に、維心は何やら胸騒ぎを覚えたが、黙って待っていた。すると、炎嘉は言いたくはないようだったが、それでも言わなければ進まないと思ったようで、言った。
「その…あれは自分も王であるから、割り切って関係を持てると言うた。維月も男同士だとこだわりはないようだし、何より妃として娶らねばならないことも無いから、男を癒しにしたらどうかと。我は、その時はすぐには答えられぬと言うたのだ。」
維心は、聞きながら段々に眉を寄せて行っていたが、最後には完全に険しい顔になっていた。
「…間違っては居らぬのかもしれぬが。確かにそんな王も居るからの。女はいろいろ後が面倒だから、男でいいとか言うておるのを宴でも時々耳にしておる。」
炎嘉は、維心がとりあえずきちんと話を聞いているので、少し安堵したようだったが、しかしまだ緊張気味に言った。
「だが…その、謝罪に来た日の宴の後であるが、志心が部屋で飲み直そうと申してな。何しろ、個人的に来たのは久しぶりであったし。」
維心は、それで気取った。
「…またか。主、流されやすい性質であったのだな。否ならばはっきりと断らねばズルズルと毎度毎度会う度にということになるのではないのか。」
炎嘉は、頷いた。
「そうなのだ。もうこれ以上はとその時は思うたのだが、しかしあやつはあれから月に一度は参るのだ。会合の後は部屋へ来るし。一応、その度にもうこれで最後だと申すのだが、聞いておらぬで。」
維心は、呆れて大きなため息をついた。それでは女と変わらぬではないか。
「炎嘉、女でももっとはっきりしておるぞ。嫌ならばもう、二度と関わらぬと決めて気で吹き飛ばすなりせぬか。維月とのことを何も言うて来ぬと思うたら、そんなことをしておったのか。」
炎嘉は、縋るような目で維心を見て言った。
「こんなことが維月に知れるのが怖くて、とてもじゃないか来いとは言えぬ。それに、炎月を産んでもろうたゆえ、主にも無理は言えぬと思うて。だがの、我だって寂しいし持て余す時もあるのだ。志心が、自分は何も言わぬし問題は無いだろうと言うから…つい。」
維心は、そんなことを打ち明けられてもどうしたらいいのか分からなかった。そういう繋がりのことは本当によく分からないのだ。維月と十六夜だけで自分のそういう関係は完結していて、その他は全く興味も無いし考えたことも無かったからだ。
「…それで、我にどうせよと申すのだ。主も分かっておろうが、我はそういうことには疎いのだぞ。そうよなあ…他に想う者が出来たとか申したらどうよ?」
炎嘉は、何度も頷いた。
「そうなのだ!それを我も思うて。その、主なら我の長年の友であるし、そうなってもおかしくはなかろう?なので、よう考えたら主を想うておったようだと言おうかと思うて。」
維心は、仰天して慌てて何度も首を振った。
「待て!いくら何でも我は無理ぞ!そもそも志心は我は無理だと言うておったのだろうが!だから無理ぞ!」
炎嘉でなくても絶対に無理だ。
維心は必死にそう思って言った。だが、炎嘉は首を振った。
「我の片思いということにするゆえ!主に迷惑は掛けぬから。ずっと主を想うて来たのだとこんなことがあって最近知ったとか何とか申す。だから主、我が主に気がある風でも本気にせずで流してくれて良いから。」
維心は、そうは言っても炎嘉とは、それでなくても前世からあまりに近しい仲であったので、そんな関係もあるのではないかと疑われていたことがあったのだ。それでも事実、そんなことは無いので勝手に言っていればいいと思っていたが、炎嘉が前向きにその噂通りに行動するとなるとこの限りではない。
維月の耳にでも入った後、どんな反応をするのか考えると恐ろしい。
確かに口づけたぐらいでは維月は特に気にしていないようだったが、あからさまにそんな噂が流れたら、維月だっていい気はしないだろう。
「そのような…無理ぞ。維月になんと申せばよいのだ。もしそれで噂でも立とうものなら…それでなくとも、主が酔って我に宴の席で口づけたのは、皆が見ておったというのに!」
炎嘉は、それでも必死に言った。
「だから噂になるようなことはせぬ。実際に何かある志心とも、別に何も噂など立っておらぬではないか。志心に言うだけであるし、志心が見ておる時にちょっと主に寄って話すぐらいであるから。主にしかこんなことは頼めぬのだ…己が不甲斐ないのは分かっておるが、女なら慣れておる我も、男に言い寄られるのは慣れておらぬのだ。」
維心は、困って息をついて考え込んだ。炎嘉が困っているのは気の動きを見ていても分かるのだが、自分だって困りたくない。維月との間に波風は立てなくないし、今炎嘉が言ったように、炎嘉が不甲斐ないからこんなことに。
「…我が、志心に申してやるわ。」維心は、考えながら言った。「炎嘉は男はもう無理だと言うておるから、もうちょっかいを出すでないと。」
炎嘉は、ブンブンと首を振った。
「そんなことをしたら、志心が気を悪くするではないか!主に相談した上に主に丸投げするとは…あやつが怒ったら面倒だと常に主言うておったではないか!」
確かにそうだった。だが、だったらこんなことは自分で言えというに!
「だったら主が言え!なぜに我に面倒を持って来るのよ!誘いに乗るからそうなるのだろうが!次に相手をしそうになったら、十六夜にでも叫んで止めてもらえば良いわ!あれならいつなり空に居るからすぐに降りて来るわ!分かったの?!十六夜に言え!」
炎嘉は、立ち上がって叫んだ。
「十六夜に言うたら維月に筒抜けだろうが!あれはあんなでも確かに助けてはくれるが、口が軽すぎるのだ!」
維心は、手を振ってそれを遮った。
「だから維月は男同士ならば気にせぬのだろうが。それに、我だって疑われたら主のことを維月に話すぞ?もはや知られずにはおけぬ状況なのだ!そもそもは主が断れぬからこうなったのではないのか!我に懸想したふりをするなど、傷口を開くようなことをするでないわ!」
炎嘉は、傷口を開くと言われて、ぐっと黙った。確かにその通りだったからだ。
そうなると、もう維月に知れるとか何とか言っている場合ではなかった。一番いいのは、呼べはすぐに来れる十六夜に頼むことだ。十六夜はあんな風だが、約束は守るし頼んだことはやってくれる。自分で断れないのなら、そうするよりない。
「…わかった。」炎嘉は、仕方なく観念して言った。「十六夜に、頼んでみる。主には確かにこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかぬ。己でも何とかしようと思うが、そう思いながらここまで来てしもうたし…十六夜に申してみるわ。」
維心は、幾分ホッとして、頷いた。
「そうせよ。あれで神思いの奴であるから、呼べばすぐに来て同情してくれるだろう。しかし、己でも断れるようにな。流されるでないぞ。」
炎嘉は、自信なさげに頷くと、背を丸めてそこを出て行った。
維心は、その背にさすがに不憫に思ったが、あいにく自分もそんなことに明るくない。
十六夜が何とかしてくれることを、祈るしかなかった。




