【一日目① 買い物をしよう】
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金曜の午前十二時。
リノリウムのようなコーティングがなされた通路の上で、こつ、とヒールの音が響く。タイルの上を舞うように進むミドルヒールパンプスの主は――。
「――ユリアさん、どう? 楽しい?」
「はい! 素晴らしいところですね!」
ぱあっ。そんな擬音が相応しい、輝かんばかりの笑みを浮かべたユリアさんがあまり高さのないヒールでタイルを蹴りながら答える。
そう、広々としたショッピングモールの中、ヒールの音を響かせているのは、他ならぬユリアさんだ。
前日の約束通り、俺とユリアさんは車で片道一時間の場所にあるショッピングモールを訪れていた。アパートを十時半に出て、きっかり一時間の十一時半に到着したから、買い物が開始してから約三十分。買い物があまり好きでない俺も、まだ元気が残っている。――とはいえ、少々寝不足ではあるけれど。
(昨日はあんまり眠れなかったからなあ……)
ふわぁ、と出てしまった欠伸を隠しながら、ユリアさんを盗み見る。
昨夜、ユリアさんは予定通り俺の部屋に泊まっていった。
女神さまであるユリアさんと一つ屋根の下――。多感なお年頃である十代の男子は勿論、二十代の男でも充分どきどきするシチュエーションだ。
だが、俺とユリアさんの場合、何かが起こることはない。
友達同士だし、障壁もあるし、それに――眠り方も違うから。
結論を言うと、ユリアさんは、立って眠った。
――いや、厳密に言えば「立っている」わけではないのかもしれない。少し宙に浮いていたから。
ユリアさん曰く、女神降臨業務中の女神は眠らなくても平気らしい。食事と同じシステムなのだそうだ。
ただ、俺が眠っている時にユリアさんだけ起きていても仕方ないし、眠れないわけではないとのことだったので、朝まで眠ってもらうことにした。――無論、邪な考え故の提案ではない。就寝時に障壁を張るよう命じたのは俺なのだから。
しかし、たとえ障壁があろうとも当然のことながら「どこで眠るか」という問題が生じるわけで、俺が使っているベッドを使ってもらうべきか否か悩んでいたところ、「立ち寝」スタイルを提案された。胸の前で手をクロスさせ、目を閉じ、少し宙に浮く……。それこそが女神さまが提案した睡眠スタイルだった。
ユリアさんが眠る姿は、それはそれは美しかった。ただでさえ美しいユリアさんが静かな笑みを湛え、優雅なポーズで佇んでいるのだ。そんな姿に魅力を感じないはずがなく、そしてそんなユリアさんが同じ部屋にいて女性に耐性のない俺が眠れるはずもなく……。起床時刻は午前九時にもかかわらず睡眠時間は五時間程度という、非常にバランスの悪い結果となってしまった。前職を辞めてからは平均八時間以上眠っていた俺にとってこの睡眠時間はあまりにも短い。
(――けど、ユリアさんは可愛い)
至極嬉しそうなユリアさんの横顔を眺めながら、密かに口元を緩める。
今日買い物するにあたって、ユリアさんには紺色のカーディガンと、まるで上下で別の服を着ているかのようなワンピース――ドッキングワンピースなるものを着てもらった。前者が約3000円、後者は約4000円。合計約7000円の出費だ。
正直、有里樹生にとってこの出費はかなりの痛手だった。昨日『女神ガチャ』で1500円使ってしまったことは勿論だが、現在の職業が『(別段スキルのない)在宅ワーカー』であることも大きな要因の一つだった。
今の俺はネットで在宅ワークをして月に十万前後の金を稼ぎつつ、会社員時代の貯金を切り崩しながら暮らしている。だから食費はおろか、服に金を掛ける余裕なんて一切ない。今着ている服なんて上下合わせても4000円で、しかもTシャツは三年ものときているから、一日当たりのTシャツ使用料は恐ろしく安くなっていることだろう。それを考えると一着で4000円というのは高すぎる。
ただ――ショッピングモール内の服屋をちらっと見た感じとしては、一着4000円でも比較的安い部類に入るようだから恐れ入る。服を買うだけでこんなに金が掛かるとは思わなかった。
けれど、ただ意味もなく高いというわけでもないようだ。
高い服と安い服を見比べてみると、服には疎い俺から見ても分かるくらい布地の質が違っていたし、似たようなデザインであっても洗練されていたりスタイルが良く見えるよう工夫して作られていたりした。服にせよ何にせよ、良い物を作るには金が掛かるということなのかもしれない。
(まあ……ユリアさんが着れば何でも洗練されて見えるけどな)
これが美の力というものなのだろうか。
そんなことを考えながら、「このお店を覗いてもいいでしょうか?」と雑貨店に入るユリアさんを遠巻きから見つめる。
レディース服の仕上がりが値段相応であることは何となく分かった。
ただ、ユリアさんが着ていると値段以上に見えることも確かだった。オフホワイトでふわっとしたシフォン系のトップス部分と大判花柄がプリントされた黒いスカート部分から成る4000円のドッキングワンピースはユリアさんにとても似合っていて、傍目には10000円くらいのワンピースに見える。容姿端麗かつ小柄ながらもスタイルが良いからそう見えるのだろう。男女問わず「容姿が良い」というのはそれだけで一つの才能だ。――ちなみに、その点において俺は才能がない。
(でも、平日で良かったよなあ。土日だったら絶対声掛けられてたし……)
金曜日とはいえ、祝日でも休暇シーズンでもないし、ショッピングモール内は割と閑散としている。大学生と思しきグループは時折見かけるものの、その殆どが女性だった。そのおかげか、ユリアさんとすれ違った人に声を掛けられるようなことはなかった。――自意識過剰でなければ、「なんでこんなのがこんな綺麗な人と一緒にいるんだろ」みたいな目を向けられたことは数度あったが。
もし俺がユリアさんの彼女なら「俺の彼女超可愛いだろ! でも見た目だけじゃなくて性格も最高なんだぜ!」みたいな顔をして傍にいれば良いのだろう。しかし、俺はユリアさんの彼女じゃなく契約者兼友達だ。どういう顔をして傍にいれば良いのかなんてさっぱり分からない。だから、ユリアさんが店に入っている時は少し距離を置きながら遠巻きに眺めるに留めている。
初めてショッピングモールに来たというユリアさんのはしゃぎっぷりはなかなかのもので、こうして見ていると、女神さまだなんて到底思えない。今ここにいるユリアさんは、どこにでもいる普通の女の子だ。
そんな女の子が『女神降臨業務』だなんて御大層なサービス業に就いていることは、未だに信じられない。――でも、それはユリアさんだけじゃなく、俺と同じ人間の女の子でも同じことなのかもしれない。ただ考えたことがなかっただけで。
「――アリサトさま! このペアマグカップ、とても可愛いです!」
「う、うん……」
考え事をしている最中に名を呼ばれ、つい返事が曖昧になる。
――いくら何でも往来でその呼び方はまずい。まずいが、ユリアさんが呼び方を改めるとは思えない。
(どうしたものか……)
ひとまずは名前を呼ばないように言い含めるしかないだろう。もしくは何か良い感じの呼び方を提案するか。どちらにするにせよ、俺が困るのだと説明すれば了承してくれるはずだ。
「……申し訳ありません」
呼び名についてやや俯き気味に考えを巡らせていると、不意にユリアさんが謝った。どうしたのだろう。
顔を上げると、ユリアさんはマグカップの片方を手に持った状態で目を伏せていた。
「主たるアリサトさまのご厚意で様々なものを揃えてくださっているにもかかわらず、一人はしゃいでしまって……。わたくし、女神失格です」
「――そんなことない!」
ユリアさんの言葉に、思わず強い口調で言い返してしまう。
「失格なんて、そんなことない。俺、ユリアさんが楽しそうにしてるのを見ると嬉しいんだ」
「アリサトさま……」
「だから……その……それも買おう。可愛いし……」
――何言ってんだ、俺。
急激に恥ずかしくなった俺はユリアさんの手からマグカップをひったくるようにして取り上げると、近くに置いてあった小さなカゴの中に入れた。次いで、棚に残っている片割れも隣に並べる。
――何? 俺はユリアさんの恋人なの?
違うだろ。何こっぱずかしいこと言ってるんだ! 馬鹿か俺は!!
あー、もう!
思い上がりも甚だしい自分に行き場のない怒りを覚えていると、ユリアさんが俺の傍に寄ってきた。人気の少ない店内で、ヒールが立てる小さな音だけが小さく響く。
「――ありがとうございます、アリサトさま」
俺の前に立ったユリアさんは、深々と頭を下げた。その拍子に桜色の髪と花柄のスカートがふわりと揺れる。――柔らかそうなユリアさんの頬は、その白さが際立つほど染まっていた。
「わたくし、必ずやアリサトさまのお役に立ってみせます」
「…………。ありがとう」
琥珀色の目に映る、確固たる意志を見つめながら答える。
女神さまであり友達でもあるユリアさんとどのように接すればいいのかはまだ分からないし、多分、これから先も大いに悩むことになるだろう。非常に残念なことながら、有里樹生という男はあまり器用な男ではない。
でも、そんな有里樹生にも一つ目標ができた。
『――アリサトさまのところに降臨できて、良かった』
降臨期間最終日、ユリアさんにそう思ってもらえるような購入者でありたい。
女神であるユリアフィールド・エレクシスに職務を全うさせられる主でありたい。
それが女神降臨サービスを利用する俺の――有里樹生の目標だ。